「はぁ……疲れた~」
久々の肉体労働で疲れた私は制服を着たまま、ベッドに倒れ込んだ。
あの後、遅れたことについて軽く説教を受ける事になった。まぁ、私がそもそも連絡を入れるのを忘れていたから仕方がなかった。
「だからって、まだ治療中の私に重量物を運ばせることはないじゃないか」
悪態をつきながら前髪をかき上げる。視界がクリアになり、顔をゆっくりと横に向けると椅子に置いているスクールバックから一枚のポスターがはみ出てているのが見えた。
ポスターに向かって手を伸ばしたその時──
「おーい! なんだいるじゃん」
何の前触れもなく扉が開くと律子はスリッパをパタパタと鳴らしながら部屋に入ってきた。その姿を見ながら私は小さくため息をついた。この人はノックという言葉を知らないだろうのか。入る前にはノックをしてくださいと何度言っているのに……
「ん? なんだこれ?」
律子は丸めていたポスターを手に取ると、ガサツな性格とは裏腹にゆっくりと丁寧に広げた。
「ツキノモリ(仮)……なんだお前、バンドでもするつもりか?」
「違いますよ。廃棄寸前だったから貰っただけですよ」
枕に顔を埋めながら答えると「ふーん……そうか」律子はつまらなそう呟くとポスターを丸めて机の上に置いた。
「それよりも、お前。今日バイト遅刻したそうだな?」
まりなから聞いたのか。今一番に聞かれたくない人の口からその言葉を聞き、思わず喉の奥から呻き声が漏れた。
「学校の用事で遅くなっただけで別に変なところに行ってないです……それより何かあったのですか?」
普段は私の部屋に来ない律子がこんな風にふらっと来る時はその七割ぐらいはめんどくさい頼み事と決まっていた。
「あぁ、そうだった。悪いが今からアタシの朝食とテレビリモコンの電池を買ってきて……なんだよその顔」
想定通り、律子は疲弊している私を他所に子供のお使いみたいなことを頼みに来た。今日はもう外に出る気がない私は渋い顔をした。
「お前、そんな態度を取っていいのか? 恥ずかしい話をみんなに話しちゃおうかな?」
「そんな手には引っ掛かりませんよ」
「そうか」
律子はおもむろにスマホを取り出すと耳元に当てた。嫌な予感がして全身から血の気が引いた気がした。
「あ、まりなか。唐突だが面白い話をしよう。依頼の奴が最後に寝ションベンしたのは──」
「わー! 行ってきます。行けばいいでしょう!」
「そうそう。大人しく言う事を聞けばいいんだ」
ベッドから飛び起きて、スマホと財布を手にした時に律子はいたずらっぽくスマホの画面を私に向けた。そこには通話画面ではなく、待ち受けが表示されているだけだった。
「騙しましたね」
「はいはい。出かける準備が出来たなら早く行けって、こっちは店の準備で忙しんだから……」
律子に背中を押されて、家から追い出された。
まあいい、電池とこの人の朝食ぐらいならここから十分ぐらい離れたところにあるコンビニで適当に済ませて帰るとしよう。
「うん? あれは……」
家を出て、公園の近くに通り過ぎようとした時、何か考え事をしているのだろうか。俯きながら歩いてるましろの姿があった。
あの様子だと私に気が付いていない様子。普段ならこのまま素通りをしているのだが、広町からあんな話を聞いた今では彼女を放って置けない。
「そこのお嬢さん。こんな時間に何をしているのかな?」
白く短い髪を風になびかせながら、彼女はこちらに振り向くと驚いた顔をしていた。
「あ、依頼ちゃん……」
「沈んだ顔をしながら一人で出歩いて、何をしているのかな?」
「そういう依頼ちゃんはバイトの帰り?」
「ううん。一回帰ったけどあの人……律子さんに面倒事を押し付けられて、今から買い物に向かっているところ」
「そうなんだ。大変だね……」
他愛のない会話。その会話の最中でも彼女は私と目が合わずに足元ばかり見ていた。
「すこしだけいいかな?」
「え、ちょっと……」
ましろの手を引いて歩き始める。さて、何処に行くべきか。ゆっくり話せる場所といえば私の家か彼女の家のどちらかだが、私の家には律子がいる。店の準備で忙しいと思うけど、もしかしたら盗み聞きをするかもしれない。かといって、彼女の家にいきなり押し掛けるのは迷惑だろう。お金もないからカラオケ店で話す事も出来ない。となると──
「よし、ここにしよう」
「ここは公園?」
私達が着いた場所は私が骨折をした公園。私が入院していた時に退院したら、花見をしようと話をしていたのだが、私がバイトを始めたり、ましろがバンドを始めてお互いに時間がなくて少し遅くなってしまった。
私達は桜の木の下にあるベンチに腰掛けたその時、冷たい風が吹いた。ましろは寒さに体を震わせた。
4月に入って少しは暖かくなってきたが日が傾くにつれて少しだけ肌寒かった。「はい。これ」ましろにすぐそこの自販機で買ったココアを渡すと「ありがとう」と呟くとゆっくりと口に運んだ。
「最近、元気がないけど何かあったのかい?」
私がそう聞くと少しだけ沈黙が流れた。彼女の手元を見てみるとその細い指で力強くココア缶を握っていた。
「……依頼ちゃん。私、バンドやめる……」
彼女は顔を上げることなく、か細く消え入りそうな声で言った。
「そうか……」
「私にバンドなんて向いてなかったんだよ……だって、頑張ったってあんなこと言われるんだよ」
『あんなこと』とはSNSの書き込みの事を言っているのだろう。努力をしたところでそれが必ず報われるとは限らない。
「確かにあの書き込みは酷いだろうと私はそう思った」
「知っているんだね……」
「私も一応、SNSは使っているからね。嫌でも目に入る」
月ノ森女子学園には、コンクールや賞を取るような人物が多くいる。その所為なのか月ノ森学園には才能がある人物またはお金持ちのお嬢様だけが通っているイメージが根付いていた。その学校から人気のガールズバンドが出てくれば期待も高まる事は想像に難くない。
「もう……バンドしたくない。みんな酷いんだよ。透子ちゃんは間違えた所もいっぱいあったし、音もズレていて私もそっちに引っ張られて……それに二葉さんも困った時は頼りにしてって言っていたのに助けてくれないし……」
ましろの言葉からはまるで自分には悪かった点がなく、完璧に歌えたんだと。そう主張しているように聞こえた。しかし、広町から貰った動画では完璧に歌えている様には聞こえなかった。
「全員がプロでもないし、初心者だから間違えたりする。結局、演奏中は自分の演奏で他の人に気配りする暇もなくなる。ライブに出るには時期尚早だと思う」
「どうして、言ってくれなかったの?」
「どうしても何も私はバイトに行ってて、ましろ達の演奏がどんなものか知らないし、それに私が口を出したとしても、何も変わらないはずだし……」
もしも、私が忠告をしたところで桐ヶ谷あたりが「部外者が口を挟むな」みたいなことを言って一蹴されて終わりだろう。
「依頼ちゃんがバンドに入ってくれたら……こんなことにならなかった!」
怒りに近い感情という刃は私に向けられた。私は少しだけ苛立ちを感じたが深呼吸をして心を落ち着かせた。
「私が入っていたらか……確かに私もそんなことを時々だけど考える事もある。もし、私がましろと同じ舞台に立っていたら、肩を並べて歌えたらって……」
でも、それは叶わない。ましろは
「それなら一緒に──」
「一緒に? 今度は私とバンドを組むって言うわけないよね?」
ましろは言葉をつまらせた。さっき自分でバンドをやめると言ったその口で、私と組めば残された二葉達がどんな反応を見せるのか想像はつくはず。
「じゃあ、どうすればいいの……!」
「それは自分で考える事。ましろがどうしたいか」
「……わからない。私は依頼ちゃんみたいに賢くないし、どうしたらいいかなんて……わからないよ!」
萎縮していたましろは唐突に大きな声で叫ぶ。
「私だってわからない! どれだけ勉強ができると言っても、人が何を考えているなんてわからない! そんな千里眼みたいなことが出来るなら嫌いな相手に嫌々愛想を振りまいたり、生きているかわからない家族を捜したり、苦労はしない!」
そんな夢みたいなことが出来ればと何度も考えた。しかし、現実はそんなに甘くない。ろくに食事を与えてくれなかった人。私に向かって劣情をする者。いろんな人に会っては母の事を聞いたが結果は何もなかった。
腸が煮えくり返るほどの怒りが沸々と沸き上がり、握る拳に力が入る。
勢いよく立ち上がり、ヒステリック気味に叫びながら近くにあったアスファルトの壁を強く殴りつけた。殴った手の甲の皮が捲り、血が流れ始めると突き刺すような痛みが走る。
顔を上げた時にはましろの姿は何処にもなかった。そして、周りを赤々と染めていた夕日も沈み、辺りは暗闇に染まりつつあった。
「クソッ……」
静まり返る公園に着信を知らせるアラーム『怒りの日』が流れ始めた。
あぁ、律子さんの朝食買いに行くんだったっか……