落ちていた。
目を開けているのか閉じているのか分からないほど暗く、底の見えない穴のような所を意味もなく私は落ちていた。
そして、数秒後には私の体は容赦なく地面に叩きつけられた。しかし、不思議なことに痛みは感じられない。
体は動かそうと力を入れるが立つことが出来ず。私はただ、自分の広がる血を眺めることしかできなかった。
瞬きをしたその瞬間、どこからか現れた男女が数人。私を取り囲んで見下ろしていた。その人達の顔は能面のような無表情で何を考えているのか解らないがその視線からは私を蔑んでいる事だけが伝わってきた。
その人達の奥に見覚えのある二人の姿が見えた。父と母だった。その二人背後から黒い炎が迫っていた。
黒い炎は容赦なく父を飲み、父は苦しそうな声をあげながら姿を消した。
残った母は私に向かって背中を炎に向けて去っていく。そして、数歩だけ歩くと母は立ち止まり、私に向かって口を開いた。
『あんたなんか産まなければよかった』
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「あぁ……またこの夢か」
飛び起きるとそこには夕日に染められたいつもの病室だった。寝汗をかいていたのだろう。背中に寝間着が張り付いていた不快な感覚があった。
母が私の前から姿を消してから何故か同じような悪夢をよく見るようになった。
これは実際に起こったことの一部なのか。それとも予知夢なのか。またはただの夢かはわからない。
私は昔に大きな事故に巻き込まれたと聞いているが、私が覚えているのは黒い空とそれにつながるように立ち昇る黒煙。それだけだった。
だから、私は知りたい。母がどうして私の前から姿を消したのか。この夢は本当の出来事だったのか。そしてなぜ私の目から
夕日が病室の中に差し込み、眩しさのあまり目を細める。首をゆっくりと壁掛け時計の方に向けると16時半。日が傾き始める時間帯。
左目の不快な汗を拭う為に眼帯を外すと左目の隅に何か置いてあることに気が付いた。頭を左に向けると新品のパジャマの間に1枚の紙があった。
その紙には「今はゆっくり休め。また来る」と短い言葉が綴られていた。
ましろは今日は来ないはずだ。そうと考えれば私のパジャマを持ってくることが出来るのは律子しか考えられなかった。
パソコンを立ち上げて、イヤホンを耳に入れた瞬間ノックする音が聞こえてきた。
眼帯を付ける前に病室に入ってきたのは小柄の女の子だった。彼女は紺色の変形襟のセーラー服にグレーのスカーフ、裾に二本の白いラインの入ったスカート。月ノ森学園の制服を身に着けた彼女は小さな花束を抱えていた。
「ごきげんよう。あなたが瑞穂さん?」
「えぇ、そうですが……あんたは?」
左目を手で隠しながら不慣れな敬語で受け答えをする。律子が礼儀に五月蠅く。初めて会う人には敬語を使う事を耳にたこができるほど聞かされた。
「私は二葉つくし。クラスの代表でお見舞いに来たのだけど、何も聞いていないの?」
「え、そんな話は聞いていないのですが……あ、花束はそこに置いて」
ベットの横にある椅子に指さすと二葉は椅子の上に花束を背もたれに寄り掛かるように置いた。花の種類は疎い私にはどれがどの花なのか解らないが、赤と黄色の花が鮮やか見えた。
しかし、左目には黒白の美しさの欠片もない色にしか見えなかった。そして、花束を持ってきた二葉の姿も花束と同様、白黒に見えた。
「あとこれ、役に立ちそうなら使って」
二葉から大判の封筒を受け取る。見た目に寄らず重たいものが入っているのか。ずっしりとしており、落としそうになった。
「これは?」
「ここ最近までのノートのコピーだよ。各教科ずつ入っているから活用してね」
「ありがとうございます。授業に追いつけるか不安だったので助かります」
中身を覗くと彼女の言葉通り、五冊のノートが入っていた。ありがたくこのノートを活用させてもらうとしよう。
「先生から車に轢かれたって聞いていたけど、大丈夫?」
「一応、軽症になるのかな? 頭を打ってちょっと血が出て、左足を骨折と肋骨の何本かヒビが入っていたぐらい」
「それって重傷だよ!? 依頼ちゃん!!」
心配させないように担当医に云われたことを軽い感じに話したが逆効果だったようだ。
「あはは……そうかもね」
どう返せばいいのか分からず、適当に相槌を打った。
水を飲むためにペットボトルに手を伸ばす。しかし、距離感を掴めずペットボトルは床に落ちた。
二葉が落ちたペットボトルを拾うタイミングに急いで眼帯を左目に当てた。
「はい。これ、落ちたよ。あれ? 眼帯なんかつけていたっけ?」
「ありがとうございます。これは事故の所為で痣があるので隠しているのですよ」
ペットボトルを受け取り、幼い時からいい続けていた嘘をついた。
「そうだったんだ。新学期早々ついてないね」
「そうですね。今だって足を動かすだけでも痛みます。だから、普段はこうして寝たきり……勉強でもしていないと本当に退屈ですよ」
「そうだよね。あれ? 携帯は?」
「あるにはあるけど、代用のスマホは使う気になれなくて、起動していないままです」
「退屈なら音楽とか聞いたら? ほら、最近有名なMonotoneとか。私もあの人の曲好きなんだよね」
Monotone。音楽配信サービスに曲を配信している人物。バンドサウンドにシリアスとダークな楽曲及び独特の低音ボイスや作曲センスが特徴的。
ガールズバンドの流れに乗り若者を中心に人気を集めている。と少し前のまとめサイトを目にした記憶があった。
「名前しか聞いたことがないですね。彼女の事は何か知っていますか?」
「うーん……実は私も最近知ったばっかりなんだよね」
「そうですか。また、時間があったら聞いてみます」
愛想笑いを作り、二葉の言葉を流した。
「そういえば、瑞穂さんって外部生だよね?」
月ノ森女子学園は中高一貫の女子校。私やましろは彼女の言う通り、違う中学から編入した生徒は外部生に当たる。
「えぇ、同じクラスに倉田ましろがいるはず、彼女と同じ中学出身です」
「じゃあ、今度学校を案内してあげる。いろんな施設があるからいざという時に迷うと困るからね。遠慮はしなくていいから」
「ありがとうございます。その時はお願いしますね」
会話が一区切りが付いた途端、ノックをする音が聞こえてきた。入ってきたのは桶とタオルを手にした看護師だった。それはシャワーの時間が来た事を知らせていた。
「もうそんな時間ですか。二葉さん。今日はこの辺で、シャワーを浴びる時間が来たようです」
「うん! じゃあ、また今度ね。瑞穂さん」
二葉さんが病室を出た後、私も看護師に車いすに乗せられてシャワー室へ向かった。
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シャワーを終えて、看護師が病室に向かう。その道中、入院患者向けの売店の正面にある電話ボックスが目に入った。
こんな所に公衆電話。スマホが普及しているのにまだ残っていたんだ。
律子にまだお礼の言葉を言っていない事を思い出した。車椅子を押している看護師に電話をする旨を伝え、電話ボックスの中に入った。
しかし、ここで財布を持っていないことに気が付いた。
めんどくさいけど一度、財布を取りに戻る事を考えたが持ってきてもらったパジャマの右ポケットに何か入っている感じがした。取り出してみると少しだけ使った形跡があるテレホンカードが入っていた。
少し抜けている彼女の事だ。一回だけ使ってそのままポケットに入れた状態にしていたのだろう。有難く使わせていただこう。
テレホンカードを差し込み口にいれて店の電話番号を入力する。3コールぐらいした後に若々しい勝気な女性の声が聞こえてきた。
「もしもし……依頼です」
「依頼か。どうした? 何かあったか?」
「忙しいのに着替えを持ってきてくれてありがとうございます」
「あぁ、その事か。別にいいさ。こちらこそ悪いな。中々会いに行けなくて──」
今日の律子は機嫌がいいみたいだ。言いたいことも言ったし、あとはこのまま受話器を戻せば──
「って、なわけねぇーだろう!!」
鼓膜が破れそうな大声に驚き、受話器を落としそうになった。
「こちとら、テメェが高校生になる瞬間に店を手伝わせるつもりだったのによー。なに事故ってんだよ!!」
理不尽な言葉が受話器から流れてくる。その大半がぼやき事ばかり、適当な相槌を打ちながら左から右へ聞き流した。
「はぁー……まぁ、起きたもんは仕方ない。あーそうだ。アタシの友人が人手を欲しがっていた。来週の月曜日は暇だよな」
「そんなこと言われても、来週の予定なんてわからないし──」
「あーもう! ごちゃごちゃうるさいな。15時に友人を向かわせるから面談? かなんか知らないがそれを受けな。それで今回の事はチャラにしておく」
そんな横暴な──と口に出そうになったが余計に面倒な事になりそうな気がし、その言葉を飲み込んだ。
「ちなみにそれってどんな仕事か聞いていますか?」
「詳しい事までは聞いていないがデータ入力とかじゃねーか? お前はパソコン作業とかの方が得意だと話をしたら向こうが食いついたからな。後は……雑用とかそんなもんだろう」
雑用……それぐらいならば今の私でも出来るだろう。深呼吸をするとチクリと胸の辺りが傷んだ。
「……ーい。おーい! どうかしたか?」
「なんでもないです。少し胸が痛んだだけです」
「それなら早くベットの横になって身を休ませろ。あと、明日の面接は愛想よくしろよ。中学時代みたいに仏頂面すんなよ。店の準備があるからもう切る。あ、紙の裏側も見とけよ」
一方的に早口で話し終えるとガチャンという電話を叩き切る音が聞こえた。私はため息をつきながら受話器を元に戻した。照れ隠しのつもりか、あの人は恥ずかしくなると早口になる癖がある。
病室に戻って真っ先に目に入ったのは160㎝ぐらいの姿鏡。そこに映るのは黒髪で左目を隠した自分がいた。前髪を掻き分けると異常な左目が鏡に写る。
本来、白目があるべき個所は血が滲み、左目全体が赤黒く見える。私はこの目が嫌いだ。
律子の言葉を思いだし、テーブル上に置いた紙切れの裏側を見る。
そこにはフォロワー1万人おめでとうMonotoneと書かれていた。