「今日もお疲れ様でした」
付き添いの看護士はおどけた口調でそう言い残すと足早に去っていった。
「疲れた……」
付き添いの看護師が調子に乗って2時間ぶっ通しで歩かされ、疲労困憊の私は汗だくの体のまま、ベットに倒れ込んだ。
ましろが見舞いに来てから翌日。いつもと変わらない検査を終えると医者から歩行可能の診断を受けた。
同時に元の生活に早く戻れるように朝と夕方に1時間ほど病院内を歩き回るように言いつけられた。早く退院するためならば仕方ないと割り切った。
「今日は月曜日か……」
1人の時間が長くなると独り言が口から出てしまう。
入院してから同じような日々を暮らしていると今日が平日かそれとも休日なのか。曜日感覚が鈍くなっていた。
喉の乾きを覚え、冷蔵庫を開ける。飲みかけの水が入ったペットボトルを取り出して一気に煽る。空になったペットボトルをゴミ箱に放り込み、改めて冷蔵庫を見ると大量に入っていた中身が嘘のようになくなっていた。
汗を洗い流す為に痛みを我慢しながら、着替えのパジャマを片手に立ち上がった。
私がシャワーに行っている間に誰かが来る事を考え、ノートの端を切り取って留守にする旨を書き残して病室を後にした。
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30分ぐらい経ったのだろうか。シャワーを浴び終えた後に買った水とプリンが入った袋を片手に病室に戻ってみると黒い上衣を羽織ったショートヘアの女性が春風によって、髪をなびかせながら椅子に座っていた。
「あ、戻ってきたね。身体は大丈夫?」
女性は病室に入ってきた私に気が付いて、椅子から立ち上がった。
「えっ……まぁ、まだ痛むところもありますが……失礼ですがあなたは?」
「私は月島 まりな。”まりな”って呼んでね。律子ちゃんから何も聞いていなかったかな?」
律子の名前を耳にして、今日が一方的に約束を取り付けられた面接の日だと思い出した。
「あ、怪我しているだったね。ベットに横になって」
「椅子に座った状態でも面接は出来ますが……」
「いいのいいの。面接って言っても軽い雑談みたいな感じだから」
言葉に甘えてベット上部に身を委ねて姿勢を正した。
「じゃあ、始めるね。緊張はしなくていいからね。じゃあ、まずは──」
雑談と言いながら質問の内容は高校入学時の面接に近かった。
出身や特技。休日に何をしているのか。たまに冗談を交えながら淡々と進んだ。
「趣味は何かな?」
「読書とあと興味があったので曲を作っているぐらいです」
「曲を作っているんだ。無理は言わないけど1曲だけ聞かせてくれるかな?」
「わかりました。少し待ってください」
パソコンを操作して、だいぶ昔に作って没にしたカバー曲の再生画面を表示して、まりなにパソコンを渡す。
「へぇーかなり懐かしい曲を選んだね。それに曲の特徴を捉えている。これ歌っているのは依頼ちゃんかな?」
「はい。とても人に聞かせるほどのものではないですが……」
「そんな事はないよ。むしろ伸びしろがあるぐらいだよ」
私の気のせいだろうか。そういうまりなの顔に少し影があるように見えた。
「ありがとうございます」
「パソコンとかに詳しいみたいだし、その関係以外にも雑用とか色々と頼むことになるけどいいかな?」
いいかなって……もし断ったら私が律子に怒られることが確定している。選択肢がないのを分かっているはずなのに意地悪な人だ。
拒否権の無い私は返す言葉はなく、無言のまま頷いた。
「じゃあ、今度は依頼ちゃんから気になっている事をなんでも聞いていいよ」
「では、先ずはどうして怪我人である私を選んだのですか?」
怪我をして直ぐにシフトに入れず、おまけに片目が見えない私より効率を求めるなら他の人を入れた方がいいはずだ。
「その事ね。先週にとあるバンドのミニライブでパソコンが得意な子が辞めてね。律子ちゃんにそのことを相談したらパソコンにも明るくて音楽に飢えている子がいるって……」
音楽に飢えているって……確かにそうかもしれないが、言い方というものが……いや、あの人に期待しても無駄だ。
しかし、律子の推薦だけでこんなに贔屓するのか。何か他の理由があるのではないか。
「それに、君の過去をちょっとだけ聞いてね」
その言葉に思わず身構えてしまう。私の過去……律子はどの話を彼女にしたのか。
「少し前にステージに立ったことがあるんだね」
中学生の時に律子と一緒に知人の店を手伝いに行った。その店には大きなステージがあった。お客さんは酒を片手に従業員やガールズバンドの子達が演奏や歌に耳を傾けていた。
私はカクテルとか作ることが出来ないから飲み物を運んでいた。しかし、なぜかステージで歌を披露する羽目になってしまった。当時は持ち歌なんて持っておらず、店に来る道中に律子の車で流れていた曲を歌った。
その結果は察しの通り、誰も私の歌を聞いてくれていなかった。この経験から私の声はステージで歌う事に向いていない事を自覚した。
「私も昔にね。バンドを組んでプロを目指していた。でも、中々日を見る事がなくて解散しちゃったけどね。それでも、君はまだ音楽を続けている。それはまだやり残したことがあるからだよね」
「はい……」
父が見た音色。それのこの目で見るまでは私はこの業界を離れるつもりはない。
「それなら、一番近いところで彼女達を見届けるのもインスピレーションが湧くかもしれないね」
まりなは先ほどの暗い顔が嘘のように微笑みを浮かべた。
その後、ノックをする音が聞こえてきた。まりなの顔を伺いながらも短く返事をした。バインダーを片手にてっぺんが禿げた担当医が入ってきた。
要件は今朝のリハビリ前に撮ったレントゲンと診察の結果を伝えに来た。
結果から言うと胸骨もだいぶ治ってきたから、早くても明後日に退院が出来るようになった。
「退院日も決まってよかったね。初日は退院後、1週間後でいいかな?」
「それは採用って事ですか?」
「もちろん。依頼ちゃんは嫌だったかな?」
「いえ、そういう訳ではないです。初日は退院日でお願いします。早くでも仕事の事を覚えたいので」
「いやいや、それは無理だよ。何かあったら律子ちゃんに怒られちゃうし……」
「何かあれば自己責任を取ります。だからお願いします」
まりなに向けて頭を下げる。沈黙が病室を包んだ。
頭を下げて少ししてから、椅子を引く音が聞こえた。次の瞬間、私の肩に手が置かれた感触があった。顔を上げた。
「わかった。当日はマニュアルに目を通してもらうからね」
「はい。よろしくお願いします」
「あ、そうだった。依頼ちゃんに渡すように律子ちゃんから渡されていたんだ」
手渡されたのは白いカバーが付いたスマートフォン。それを受け取り画面を付けてみると私が設定していたペンギンの画面が表示された。
「このスマホは?」
「事故で壊れたから新しい携帯を律子ちゃんが買っていたよ」
「何から何までありがとうございます」
「お礼は律子ちゃんにいってあげて。じゃあ、私そろそろ失礼するね」
「はい。気を付けて……」
まりなが病室を出てから新しいスマホを起動して、電話帳を開くと律子や大叔父以外にまりなの連絡先も登録されていた。チャットアプリを開いて、ましろに携帯が返ってきた事だけを報告した。
「はぁ……」
ようやく連絡手段が元に戻った事でホッと一息がついた。
時計を見てみると面接を始めてかれこれ2時間ほど経過していた。人とこんなに長話をしたのは久々なせいか疲れた気がした。
ようやくだ。ようやく……目標への一歩が踏み出せそうだ。
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既に閉店時間を過ぎた薄暗い店の中には、あたしと高校の時から友人であるまりなだけいた。
「これで良かったの?」
まりなは少し酔っているのか。頬を赤くしながら、ハイボールのロックが入ったグラスを持ちながら言った。
「こればっかりはお前に託すしかなかった。すまないな。厄介な奴を押し付けて……」
「そんな事はないよ。こっちも優秀な子が辞めちゃって困っていたから。それより彼女って……」
「あぁ、アイツの忘れ形見だ」
「やっぱり、そうだったのね」
私の言葉を聞き、まりなは一瞬だけ驚いた顔をしていたが次には納得したような表情をしていた。
「何かあったのか?」
「ちょっとね。自分が怪我をしているっていうのに退院初日からバイトに入りたいって……」
そんな事を言ったのかと呆れながらもあいつらしいと思って、鼻で笑った。
「音楽バカのアイツの血を継いでいるだけあって、音楽に対する執着は父親譲りか。まりな……」
「分かっているよ。出来るだけ、あの子から目を離さないようにするよ。律子ちゃん。本当の母親みたいね」
「やめろ。あたしはそんな柄じゃない」
「でも、いい母親だと思うよ」
酔いが回ってきているのか。まりなは私の地雷を踏み抜いて行く。親父やお袋から、口調を直せば結婚できるのに……という言葉が脳内で再生された。
その言葉を忘れる為に、度数の高い酒のボトルを開けて調合をする。
「飲むの?」
「飲まないとやってらんないからな」
出来たばっかりのピンク色のカクテルを一気に飲み干す。喉が焼けるような感じになりつつも頭がポヤポヤしてきた。
「さっきも言ったがあたしは親には向いてない。ただ偶然が重なっただけだ。アイツと最期に話したのも、依頼を拾ったのも……ただの偶然だ」
「本人には何も言わないつもりなの?」
「あぁ……あいつは知らない方がいいだろう」
「自分の父親がどうして亡くなったのか。なんてな……」
親の心、子知らず。
子の心、親知らず。