遠坂桜が『鋼の精神(メンタル)』持ちでヤバい女な模様   作:恐るべきサクラ

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 第二章、開始。
 


第二章:コンカレント エグジスタンス
並行世界での『やらかしの結果』に直面する男達


 

「───以上が、現在の彼女の状況よ。今は空いている部屋を借りて、そこで寝かせているわ」

 

 遠坂家の現当主である時臣の仕事部屋に響き渡る、沙条愛歌の声。

 桜以外で伝えるべき者達へ説明するための声だ。

 

「感情は豊かだったけれど、同時に危うさもあった。元々の性格だけでなく、こんな異変に見舞われたんだもの。並行世界へ飛ばされる経験なんて普通はしないし、時間軸的には過去へ飛ばされた訳だから、動揺しない筈がないでしょうね」

 

 普段なら可憐さと余裕を帯びているその声は、いつになく真剣な響きを伴っていた。それは、とても貴重な光景だ。

 

「まずは休ませることが先決。眠りを深くする魔術を掛けておいたから、こちらで解除しない限り今日中に目覚めることはないわ。

 それと、部屋には結界を張って誰も入れないようにしておいたから。凜あたりが先走りそうだし、あの神父さんが興味本位で入る可能性も否定できないし」

 

 以前は弁えていた言峰綺礼だが、最近は色々と振り切れているため予想外の行動に出る可能性がある。そのため、進入禁止の結界は必要だ。

 沙条愛歌が張った結界だから、その効果は万全だ。この家に、彼女の結界を突破できる者はいない。

 

「念のため、ルビーには彼女の見守りをしてもらっている。悪戯好きな性格だけど、流石にこの状況で羽目を外すような真似はしないでしょう。こちらから言い聞かせてはいるし、魔法少女化の機能はロックしたままだから」

 

 いくら面白おかしい事態を好むあの愉快型魔術礼装でも、この状況でドタバタコメディを演出するほど無神経ではなかった。今は空気を読んで、間桐桜の見守り任務に就いている。

 

 

 現在、遠坂家当主の仕事部屋に集まっているのは四人だ。

 

 部屋の持ち主である時臣と、沙条家の長女である愛歌、遠坂家次女である桜。

 そして……すでに魔道の家門として終わった間桐家の次男である雁夜だ。

 

 室内中央の来客用のソファに、桜と愛歌が並んで座っており、その正面に雁夜が一人で座っている。

 そして、時臣が座っているのは己の執務机のイスであった。

 

 凛と葵は、この四人で話が纏まるまで席を外してもらっている。事態が事態であり、とても重い話だからだ。

 当然ながら凛は猛抗議したが、葵に諭されて渋々ながら引いてくれた。とても不満そうであったが。

 

 もちろん、凛と葵には後である程度の事情を伝えるが、まずはこの四人で意思疎通を図り、どこまで話すかを調整してからだ。

 

 

 並行世界からやってきた間桐桜の説明を一通りした愛歌。

 話を聞いていた者のうち、桜はすでに事情を知る者だから落ち着いているが、他の男性二人は違った。

 

「…………………」

「…………………」

 

 時臣も雁夜も沈痛な様子で、その空気はとても重い。

 

 時臣は執務机の上に両肘をつき、組んでいる両手に額を乗せて目を閉じていた。

 愛歌の説明が終わっても、その両目はすぐに開かない。眉間には、苦渋の皺がはっきりと刻まれている。

 

 雁夜の方はソファに座った状態で、首を垂れて項垂れていた。

 両手で顔を覆って苦悩しており、その様子は病院で桜から説明を受けた時と全く同じ姿であり、それでいて苦悩はあの時より深かった。

 

 それは、当然の事だろう。

 こちらの桜とは違い、並行世界の桜は……10年も間桐に囚われ続けていたのだから。

 

 

 その光景を前にして、桜が時臣に声をかける。

 

「私と愛歌さんが思わせぶりな発言をしていたから、お父様も薄々気付いていたと思いますが」

「……ああ。桜の予想に違わない。二人の会話で、あの事態が如何なるものか、私はある程度の予想がついていた。もっとも、確信にまでは至っていなかったが……」

 

 ようやく目を開き、力無い表情で同意する時臣。その顔色はとても悪い。

 これほど憔悴しているのは、間桐臓硯を倒した桜が病院に入院したとき以来だろう。

 

「あちらの桜さんの精神状態を最優先に考えるなら、事実を伏せた方が良かったんですけど……私と愛歌さんも、思いのほか冷静さを欠いていました」

「……この事実を知れたことは、私にとって決して否定すべき事ではないよ、桜。もし知らずにいたら、目が覚めた彼女の前で……きっと要らぬ事を口にする事になっていただろう……」

 

 魔術師然とした価値観からの発言で、間桐桜を追い詰めてしまう可能性が高い。

 下手な失言で彼女を追い詰めないために、時臣が事情を知っておくのは悪い事ではない。

 

 時臣と言葉を交わした後、桜は雁夜の方に視線を向ける。

 彼は両手で顔を覆ってしばらく沈黙していたが、ほどなくしてその手をどけて焦燥した顔を見せる。

 

「……あの娘が、並行世界からやってきた桜ちゃんで……こっちの桜ちゃんと違って、ずっと間桐に居続けた……」

 

 呻くような、雁夜の言葉。

 まさかこのような形で、自分が間桐を出奔した事による最悪の未来を突き付けられるとは、思ってもみなかった。

 

 たとえ違う世界の桜であっても、その最悪の事実は、雁夜を打ちのめしていた。

 

「……感情が豊かってことは、悪い事しかなかった訳じゃないだろうけど……あの蟲蔵で責め苦を味わわされ続けたことに、変わりはないんだ……

 そもそも、あのジジイの支配下だと……あの子が得たかもしれないささやかな幸せだって、いつ摘み取られるか分かったもんじゃなかった筈だ……!」

 

 臓硯の悪辣さを知るだけに、楽観的な見方など出来る筈もなかった。

 この場にいる者達は知らなかったが、実際に間桐桜の肉体には聖杯の欠片が埋め込まれ、辿る過程によっては怪物へ堕ちる運命を背負わされていた。だから、雁夜の推測は間違っていない。

 自身の髪を乱暴に掻いて、雁夜は憤りの声をあげる。

 

「そもそもだ……あっちの俺は、一体何をやっていたんだ!?あの桜ちゃんが10年も間桐に囚われ続けていたって事は、俺は何も出来ていなかったって事じゃないか!」

 

 並行世界の自分に苛立ちを向けずにはいられない雁夜。彼からしてみれば、当然の感情だった。

 だが、当然であっても()()()()()()()()()()()()だ。

 

「……桜さんを助けるという事は、あの人を間桐から連れ出し、逃亡するという事です。()()()()()()()()()()

「───っ!?それ、はっ……!」

 

 桜が申し訳なさそうに述べた言葉に、雁夜は言葉を失ってしまう。

 

「間桐臓硯は蟲使いです。人伝以外の情報を得るため、蟲を冬木の街に放っていました。サイズが小さいため隠れ潜むのに向いていて、さらに数が多いため、その目を全て掻い潜るのは容易ではありません。

 だから、無事にあの人を冬木から連れ出すのは……至難の業だったでしょう」

 

 桜の言葉に、雁夜は反論の言葉を持ち得なかった。

 それが如何に困難な事か、容易に想像できたからだ。

 

「加えて、臓硯の地域社会における影響力です。それは決して侮ることが出来ません。

 臓硯は対外的に人格者として振舞ってました。有力者の集まる会合で人望を集める言動をするなど、その擬態ぶりは完璧といっていい」

 

 桜は臓硯を唾棄すべき外道として嫌悪しているが、同時にその老獪さは認めざるを得なかった。

 

「養子に迎えた幼子が連れ出されたとあっては、臓硯の本性を知らない人達は、彼に対して捜索の協力をしていた筈です」

「ぐっ……」

 

 恐らく地域社会の者達は、『人格者の父に逆らった馬鹿息子がやらかした』という捉え方をしていただろう。

 雁夜があげていた憤りの声は、力を失ってしまう。

 

「別の選択肢としては、()()()()()()()で工夫を凝らし、臓硯を打倒するという選択肢もありますが……」

「……そっちは、もっと難易度が高いな……」

 

 それなら、神秘の秘匿という観点で地域社会からの介入は防げるが……

 その代わり、()()()()()()()()()()()()()()が付いてくる。

 

 あの妖怪には、桜が使う『霊的な繋がりごと焼き尽くす特殊な炎』のような、蟲の群体に有効な術が必要だ。

 当然、魔道に背を向けた雁夜がそんな出鱈目な術を生み出せるはずもない。

 

「俺一人じゃ、まず無理だ。そうなると、誰かの助けを得る必要があったって訳か……」

 

 臓硯から連れ出して逃げるにせよ、立ち向かって打倒するにしろ、他者の協力は必須であった。

 だが、その場合は別の問題が出てくる。

 

「他の魔術師の協力を仰ぐにしても、まず心当たりのある遠坂は……」

「……桜を間桐へ養子に出すと決めたのは、他ならぬこの私だ。あちらの世界の雁夜が、そんな私に協力を求めるような真似は……しなかっただろう……」

 

 雁夜の言葉に対して、その続きを口にする時臣。今の彼は色々とダメ出しを喰らう経験をしてきたので、ある程度は自分を客観視する事が出来るようになっていた。

 そのため、あちらの世界において雁夜から自分がどう見られていたか、概ね推測することが出来た。

 

「仮に会って話したとしても、話が通じなかった可能性が極めて高い。桜が自力で戻ってこない限り、私が臓硯の悪意に気付くことはなかった。自身の選択が桜のためになると、全く疑っていなかったのだから……」

 

「……その状態で、時臣おじ様が雁夜さんと話したら、拗れに拗れたでしょうね」

 

 愛歌の予想に、時臣と雁夜は異論を唱える事が出来なかった。

 

 片方は、己の正しさを疑わず魔道は尊いと固く信じ、一般人の世界を凡俗と見下していた男。

 もう片方は、魔道を醜悪と断じてそれに背を向け、普通の生活こそ尊いと信じた男。

 

 話が合うはずもなく、お互いが相手の言っている事を拒絶し、衝突していただろう事は容易に想像がつく。

 

「遠坂の家を頼れないとして、他の魔術師を頼るってのは……」

「残念だが、それは無理だろう。魔術師とは基本的に、利用し利用される関係だ。そんな者達の間で幼子の庇護を確保するためには、最大限の注意を心掛けねばならない。

 相手から裏切られないための楔、相手にとって利益となる条件、こちらが侮られないための力、家同士の繋がり……それらがなければ、ただ利用された上に奪われて終わりの結果となる」

 

 1番目と2番目は、上手く立ち回れば出来ない事もないだろうが、3番目以降は困難を極めるだろう。

 つまり、雁夜が外来の魔術師から助力を得るのは、現実的でないという事だ。

 

 考えれば考えるほど、あちらの自分が取れる選択が少ない事を思い知らされ、苦悩が深まる雁夜。

 意識せずに、深いため息が吐き出される。

 

「そうなると、あっちの俺に出来ただろう事といえば……聖杯戦争への参加をあのジジイに提案し、聖杯を手に入れたら桜ちゃんを解放するよう、要求する事くらいか……」

 

 実際に勝ち抜けるかどうかは別として、雁夜が選べる選択肢はそれぐらいだろう。

 

「しかし、そんな状態で……時臣、あんたと戦場で顔を合わせたら……」

「……雁夜。こうして当人の前で言うのも何だが……恐らく、あちらの私は君を、魔道に背を向けながら聖杯を求める愚か者と断じて、誅殺しようとしただろう」

「だろうな……自分でも、その光景が思い浮かべられる……」

 

 桜の件で今はかなり緩和されたが、以前の時臣はまさに魔道至上主義者であった。

 そんな彼が、桜のために奔走する雁夜の動機に辿りつけるとは思えない。

 

「あっちで具体的にどういった経緯を辿ったか、俺には分からないけれど……きっと、決裂したんだろうな……」

 

 でなければ、桜が間桐に居続けるという事にはなっていなかったかもしれない。

 もちろん、雁夜と時臣が協力したところで、臓硯から桜を救い出せるとは限らないが。

 

 考えれば考えるほど、苦悩が深まる雁夜。

 何をやっても上手くいかなかっただろう事が分かるというのは、精神的に堪えるものだ。

 

 そんな彼を不憫に思った愛歌と桜が、フォローの声をあげる。

 

「雁夜さんの事だから、あちらの桜を助けようと努力はした筈よ。何もせず逃げるような人じゃないもの」

「私も同感です。きっと雁夜おじさんなりに、全力で桜さんを助けようとした筈です」

 

 二人の言葉に、雁夜は苦笑してかぶりを振る。

 気持ちは有難いけれど、結果に結びつかなかっただろう事は変わりないからだ。

 

「……だとしても、あっちの桜ちゃんの現状から、その試みが失敗したのは明らかだよ。むしろ、彼女の心に余計な傷を負わせたかもしれないんだ」

「雁夜おじさん……」

「はは……自分の事だから、ある程度の想像は付くのさ……きっと、やった事が空回りしただろう事はね……」

 

 蟲責めによる鍛錬で精神的に追い詰められ、思考がおかしくなっているならともかく、今の彼はそうではない。

 心身ともに健康な状態だし、なんなら最近は桜と会話する機会が多かった事や、『これ以上の醜態を晒す生き方は許されない』と自身に課した事から、むしろ視野が広がり客観的な思考力を向上させていた。

 

 

 そこまで話して、少しの沈黙が生まれる。

 

 並行世界から来訪した間桐桜は、遠坂時臣と間桐雁夜にとって、自身の至らなさの象徴だ。

 自分達の選択が、彼女に絶望しか残さなかったという事実の証明だ。

 

 口数が少なくなるのは、仕方なかった。

 

 

 時臣は息を吐いて、知っておくべき事を桜に尋ねる。

 

「……桜。念のため確認するが、彼女を構成する霊体に、刻印虫は……」

「大丈夫です。あの人の霊体に、刻印虫は存在しません。間桐臓硯の本体もです」

 

 全くよどみない桜の返答。そこには、一切の迷いがなかった。

 親友の答えに、愛歌がお墨付きを加える。

 

「桜だけでなく私も解析したけれど、刻印虫や間桐臓硯が潜んでいる様子は全くなかった。だから二人とも、そこは安心して大丈夫よ」

「……そうか……彼女を襲った現実は過酷だが、ことその点に限っては、良かったと言うべきか……」

 

 これまでの間桐桜の人生を考えると手放しで歓迎など出来なかったが、少なくとも間桐臓硯の呪縛から逃れられたのは喜ばしい事だった。

 時臣の呟きに、雁夜も重々しく頷く。

 

「……ああ、そうだな。あのジジイから解放された事に関しては、素直に喜んでいい筈だ……」

 

 もちろん、魂だけだったのが飛ばされてきて霊体化したのだから、元の肉体に異変があったのは間違いない。その異変の内容によっては、より深刻に考えなければならなくなるだろう。

 とはいえ、間桐桜の精神状態を考えると現時点での詳しい聞き込みは避けた方が良い。まずは、彼女が本当の意味で落ち着くまで、慎重に接する必要がある。

 

 

 そのため、今のうちにハッキリとさせておかなければならない事があった。

 

 

 桜はソファから立ち上がり、執務机のイスに座っている時臣の方に体を向ける。

 

「……お父様。今後のことを考えて、ここでお父様の()()()()()()()()()を把握しておきたいと思います」

「魔術師としての基準……それは、一体どういった観点からだろうか、桜」

 

 娘の問いに、神妙な面持ちで尋ねる時臣。

 そんな父親に、遠坂の次女はためらわず重要な問いを放つ。

 

「間桐への養子の件です。『どこまでなら是とし、どこからなら否と判断するか』という事を、ハッキリとさせておきたい」

 

 その問いが放たれた瞬間、室内に緊張感の伴った沈黙が舞い降りる。

 

 息を呑む雁夜。静かな表情を浮かべる愛歌。

 そして、一度目を閉じてからゆっくりと開く時臣。

 

 父の様子を見ながら、桜は続ける。

 

「間桐臓硯は、私や桜さんに魔術師としての正当な訓練をさせず、ただ蟲による責め苦を与えて調教するだけでした。目的が胎盤にする事だったから、そのような行いになっていた訳ですが……あの妖怪にとって蟲責めは、己の嗜虐心を満たす意味合いもあったと思います」

 

 蟲蔵で自分を調教している時の臓硯は実に楽しそうだったから、間違いなく当人の趣味もあっただろう。

 思い出すと腹立たしくなるが、今はその感情を脇に置いておく。

 

「もし間桐の後継となる子を産んだら、私とあの人が用済みとなっただろう事は間違いありません。これは、お父様からしてみれば断じて否でしょう」

「ああ、もちろんだ。桜が秘めた魔道の才をそのような形で潰すなど、断じてあってはならない」

 

 時臣にとって、それは考えるまでもない事だった。

 桜の未来に幸があれと考えて間桐へ養子に出したのに、養子先の当主は魔術師にするつもりなどなく胎盤として使い潰そうとしていたのだ。受け入れられるはずがない。

 

 時臣の答えは予想出来ていたので、桜はそこからさらに父の価値観へと踏み込んでいく。

 

 

「では、あの蟲責めが『魔術師としての正当な訓練だった場合』なら、どうでしょうか」

 

「─────っ」

「!?桜ちゃん、それは……!」

 

 

 間桐の妖怪を葬った娘からの問いに、時臣は一瞬だけ言葉を失う。

 そんな彼以上に驚き、動揺の声をあげる雁夜。思った以上に踏み込んだ問いだからだ。

 愛歌は引き続き、静かに状況を見守っている。

 

「胎盤扱いを否定する事が主張の柱なら、()()()()()()()()()()()()()()()()という事になります」

 

 本来なら言葉にし難いことを、迷いなく口にする桜。

 このような問いを発する事に対し、今更臆するような性格はしていない。

 

「つまり、『魔術師として大成するなら()()()()()()()()()()()』という考え方です。魔術師であるなら、そう言った発想に至ってもおかしくはありません」

 

 魔術師とは、非情なる者達だ。

 目的のためなら、他の何かを犠牲にする事を厭わない者達だ。

 

 

 だから、如何なる凄惨な目にあったとしても。

 それで望むべき成果が得られるなら、肯定するのが魔術師という人種だ。

 

 

 桜の話を聞いて、雁夜は思う。

 

(それは、認めてはいけない考えだ!魔術師として成功するなら、あの蟲責めが問題ないだなんて……!)

 

 胎盤扱いも良くないが、何より否定されるべきは、あの蟲責めによる苦痛・恐怖・恥辱・絶望だ。

 あれに耐えられる人間が、果たしてこの世にどれだけ存在するだろうか。それほどの圧倒的な苦しみなのだ。

 

 

 雁夜がそのような考えを巡らせる中で、桜は時臣の顔を真っすぐ見つめながら続ける。

 

「お父様は間桐の蟲責めについて……『地獄すら生ぬるい責め苦を味わわせてしまった』と後悔してくださいました」

 

 桜の問いで勘違いしそうになるが、彼女は時臣の後悔をしっかりと受け止めている。

 別に父を糾弾したい訳ではない。ただ、彼の価値観をしっかりと知る必要があると考えていた。

 

「あの病院で見せたその姿を、私はしっかりと覚えています。養子の件を後悔してくださった事は、お父様が一般的な魔術師と比べて高潔である証です。

 その事実に、私は娘として……誇りに思います」

 

「桜……」

 

「そして、だからこそ知らなければならない。その後悔が……『魔術師としての正当な訓練だった場合』でも、抱いたものなのかという事を」

 

 これは、重要な視点だ。

 今のうちに、明らかにしておく必要があった。

 

 もし、時臣の魔術師としての価値観が()()()()()()()()()であれば……

 将来的に、時臣と間桐桜の間で決裂が発生するのは、避けられない。

 

「すいません。お父様からしてみれば、あまり踏み込まれたくない領域であることは分かっています。けれど……

 この辺りをハッキリさせておかないと、いつかお父様が桜さんと話したとしても……きっと失敗するでしょう」

 

 そこまで話し、桜は言葉を切る。

 問うべき事は口にした。父から答えが返ってくるのを待つ。

 

 ゴクリとつばを飲み込む雁夜。

 地味な音であるにもかかわらず、やけにその場に響いた。

 

 

「……桜。ここで誤魔化すなど、私には許されない事だ。ゆえに、まずは結論から語ろう」

 

 そう口を開いた時臣は、思ったより落ち着いていた。

 動揺は、見られない。

 

 遠坂家現当主は、嘘偽りのない本心を口にする。

 

 

「たとえ『魔術師としての正当な訓練』であろうと、()()()()()()()()()

 

 

 その声は、室内の空気を静かに、それでいて厳かに震わせる。

 

「……時臣」

 

 遠坂家当主の答えを聞いて、ホッとしたような声を漏らす雁夜。

 そんな間桐家の次男の様子を視界に収めながら、時臣は続ける。

 

「私は、桜の未来に幸あれと願ったのだ。愛娘の苦難を望んだ事など、一度たりとて無い。

 そこに嘘偽りはないと断言できる」

 

 彼の言葉に淀みはなかった。決して、誤魔化しを口にしている訳ではない。

 そして、だからこそ……彼の言葉はこう続く。

 

「だが……かつての私なら()()()()()()()事も、紛れもない事実だ」

「っ!?時臣、それは……!」

 

 時臣の言葉に雁夜は思わず立ち上がりかけたが、桜と愛歌に視線で『まずは話の続きを』と制される。

 それを受けて、雁夜は気持ちを落ち着け、ソファに座りなおした。

 

「私の中にある魔術師としての自分は、桜の言う通りの事を主張しただろう。

 そう、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』だと……」

 

 時臣の顔には、苦渋が浮かんでいた。

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と、そのような考えが頭に浮かんでいた筈だ……かつての私は」

 

 魔術師としての己の在り方から目を逸らさないが故の、苦渋だ。

 

「魔道を歩む者の責務だと考えれば、あらゆる事が正当化される。そこに、己の研鑽の積み重ねという自負が積み重なるから、その信念はより強固なものとなる。

 そのような在り方こそ、この私の……魔術師『遠坂時臣』の本質だったと言えるだろう」

 

 そこまで述べてから、時臣は苦笑を漏らす。

 

「ただ……いつの間にか、緩和はされていたがね」

 

 知らないうちに起きていた内面の変化に、時臣は感慨を覚えずにはいられなかった。

 実のところ、桜が養子に出される前の段階においても、時臣は幼子でありながら聡明な彼女から影響を受けていたのだ。

 

「そして、間桐の養子の件で思い知らされた……

 私は決して、『常に正しい判断を下せる訳ではない』のだと」

 

 自分で下した判断が『胎盤扱いへの道だった』という現実を突きつけられては、己の判断力への自信を下げざるを得なかった。

 というか、自信が打ち砕かれたといっても過言ではないだろう。

 

 それ故の、最近の滑稽な──彼なりに自覚はあった──振舞いであった。

 別に機械音痴なだけで、コメディを演じてきた訳ではないのだ。

 

 時臣の言葉を聞いた雁夜が、肩の力を抜く。

 

「……その話し方から、『今は違う』と受け取っても良いのか?」

「ああ、そう考えて構わない。流石にここに至って、君に殴り掛かられるような愚かな振舞いはしないさ」

「あのなあ、俺はそこまで短絡的じゃない───ああ、いや。短絡的だったか……」

 

 反論しかけた雁夜だが、自身を省みてやめる。

 自分だって、偉そうな事を言える性格ではないと自覚していた。

 

 成人男性二人を交互に見て、愛歌と桜は軽く笑みを零す。

 室内に漂っていた緊張感が緩和されていく。

 

「桜を養子に出す前の私は、そのような男だったが……先程も述べた通り、いつの間にか緩和はされていた。あの時点で私は、既に桜から多くの影響を受けていたのだよ」

「……そうなのか?」

 

 反省する前から魔術師的な価値観が緩和されていたと聞き、目を丸くする雁夜。

 時臣は「内面の深いところだがね」と苦笑しながら、続ける。

 

「凛と違って、桜は私の考え方に色々と疑問を提示する事があってね。もちろん、その問いかけは私の矜持に配慮しながらであったが」

「……流石に気付かれてましたか」

「娘の心遣いに全く気付かないほど、私は愚昧でないつもりだよ、桜」

 

 明確な苦言という形になっていたのは、雁夜を軽んじていた事ぐらいだろう。

 それ以外は、時臣の魔術師としての価値観を尊重していた。

 

 ただ、桜が間桐へ養子に出されると決まったときには、彼女は父に明確な意思表示をしていた。

 

「間桐へ養子に出される前、桜は私にハッキリとこう言っていた。『将来的に姉妹で競う事になっても、命のやり取りなんて絶対にするつもりはない』と」

 

 当時の様子を語る時臣に、桜は首を縦に振る。

 

「競い合いはともかく、姉さんと命のやり取りだなんて断固反対でした。そこは魔道を歩む云々以前に、『私が私であるために譲れない条件』でしたから」

 

「当時の私であれば、『魔道への心構えが足りない』と軽んじてもおかしくなかったのだが……桜の目を見て、子供の甘い考えではないと悟った。

 己の意思を強く固めての言葉だ。養子に出す前の私であっても、その意思を無下にすることなど出来る筈がない」

 

 単なる子供の我儘ではなく、確固たる決意を固めての宣言だ。

 己に厳しい鍛錬を課して歩んできた時臣にとって、心に響くものがあった。

 

 ただ、善良な感性を持つとはいえ桜は魔術師だ。養子に出された時点で、姉と魔術の競い合いを行うくらいは想定していた。

 そんな彼女の考えが伝わり、雁夜は釈然としない表情を見せる。

 

「それでも、競い合う事は前提になっていたのか……」

「お互いに背負う家が異なれば、魔術的な競争はあり得ました。両家の間に盟約の関係があったとはいえ、その可能性は否定できないかと」

 

 桜の返答を聞いて、渋面を浮かべる雁夜。

 たとえ命のやり取りをするつもりが無くても、姉妹が異なる家を背負って競うのは、雁夜としては受け入れがたいものがあった。

 

 その様子を、『この人らしいな』と表情を綻ばせる桜。

 

「雁夜おじさんの一般人としての感性は、とても大事だと思いますよ。魔術師の価値観だけで考えると、殺伐としちゃいますし」

「それは私も同感ね。下手したら、命のやり取りをお料理感覚で考えるようになってしまうもの。一般人としての感性は、とても重要な事だわ」

 

 愛歌も同じ意見だと同意を示してくる。さり気なく並行世界の自分をディスっていたりするが───もちろん他の者達は知らない事だ───。

 

 桜達の言葉に表情を柔らかくする雁夜。

 それを確認してから、時臣は話題を元に戻す。

 

「話を戻させてもらうが……そんな桜の影響もあって、私も気づかないうちに魔術師らしからぬ感性を育てていたんだ。つい最近になってようやく気付いた事だがね。

 もしその影響がなければ、私はより魔術師然とした男だっただろう」

 

 表面的にはほとんど変わらないが、内面の深いところは無視できない違いがあった筈だ。

 

「そして、私がそうだった場合……魔術師としての正当な訓練なら、あの悍ましい蟲責めを肯定していたかもしれない……」

「……そうか」

 

 ここで雁夜が感情的にならず、静かに受け止められたのは、今の時臣が自身を省みていたからであった。

 

 

 内面の深いところでより魔術師然とした時臣が、果たしてどのような判断を下したか。

 それは、今となってはわからない。

 

 ただ、並行世界によって性格の揺らぎがあるだろうから、どちらにも成り得るのは確かだった。

 

 

 時臣の話を聞きながら、愛歌は思う。

 

(魔術師から『人間』よりの価値観に寄せられていたのは、私のお父さんと同じね。()()()()()()()()()()()()()、今のお父さんはもっと魔術師然としていたでしょうし)

 

 実家の事を思い返しながら、母が存命でいるのは沙条の家にとって大きな転換点だったと改めて実感する。

 なお、愛歌自身の人格形成にも大きく影響していたりする。

 

 

「私の魔術師としての価値観は、以上となるが……桜の懸念はよく分かった。

 並行世界からやってきた彼女と話す事になったら、言葉選びには注意しよう」

 

 そう言葉を結ぶ時臣。

 間桐桜の境遇を思えば、魔術師としての価値観をあまり表に出すべきではないだろう。

 

 特に、臓硯から養子の件を切り出された時のことに付いて話す機会があったら、気を付けなければならない。

 かつての時臣にとって、間桐臓硯からの養子の申し出は『()()()()()()()()』のだが……これをそのまま口にしてしまえば、間桐桜を激高させてしまう。

 

 言葉選びは、細心の注意を払わなければならない。

 

(先ほどの桜の言葉を受けなければ……認識が甘くなり、その辺りでミスしていたかもしれない)

 

 そう考え、自戒を込める時臣。

 遠坂の遺伝たる『ウッカリ』が思いっきり発動しそうなシチュエーションだからだ。

 

「それで、しばらくは並行世界からやってきた桜の対応をするのは、こちらの桜と愛歌嬢の二人という事だろうか」

「はい。それが最も、あの人の精神的負担が少ない選択かと」

 

 桜のその言葉に、時臣も異論はなかった。

 以前なら納得していなかっただろうが、今に至ってそうするほど愚かではない。

 

「時臣だけでなく、俺も簡単には顔を合わせない方がいいか……間桐の人間だしな」

 

 自嘲気味な言葉を口にする雁夜。

 家の所属もそうだし、間桐桜を助けられなかった事に疑いの余地は無いから、彼女の古傷に触るリスクがあった。

 

「その辺りは、タイミングを見計らうわ。ずっと私と桜だけで接するという訳にはいかないでしょうから」

 

 安易に顔を合わせるのは良くないが、いつまでもその状態を続けるのも良くないだろう。

 間桐桜の様子を慎重に見ていきながら、頃合いが来たら会話の機会を作ろうと、愛歌は考えていた。

 

 

 

 その後、今後のことに付いて確認事項をいくつか話し合い、この場の集まりはひと段落付いた。

 執務机のイスに座っている時臣は、気持ちを落ち着けるように息を吐く。

 

「こういった形になってしまったが……雁夜には、腹を割って話した事になるだろうな」

「……そうだな。魔術師としてのあんたの感じ方を、以前よりも知る事が出来た。本来の趣旨を果たすことは出来ただろう」

 

 仕事の都合で今日まで延びてしまったが、あの病院の一室で桜と交わした約束をようやく済ませる事が出来た。

 

 頃合いなので、雁夜はソファから立ち上がる。

 

「じゃあ、俺はそろそろ帰るとするよ。あの娘の事は心配だけど……今日の段階で、俺が話す状況にはならないし」

 

 気持ち的には、間桐桜のため遠坂邸に滞在して見守りたいところだが、それは流石に出しゃばり過ぎだろう。

 言えば時臣も滞在の許可をくれるだろうが、今回は桜や愛歌の対応を信じて任せる事にする。

 

「そうですね、わかりました。玄関までお送りいたします。お母様や姉さんには、私達の方で話しておきますので」

「ああ、そうだね。家族みんなで話し合っておいてくれ。それと、もし俺に出来ることがあったら遠慮なく連絡してほしい。俺なりに出来ることはするからさ」

「はい。その時は、お力を借りします」

 

 そう答えて桜もソファから立ち上がり、愛歌と言葉を交わしてから、雁夜に付きそう。

 時臣は軽く挨拶して、雁夜を見送る。以前なら考えられなかった光景だろう。

 

 桜と雁夜が部屋から退出していくと、愛歌もソファから立ち上がる。

 

「それじゃあ、時臣おじ様。凛と葵さんを呼んでくるわね。あの二人には桜が戻ってきた後で、事情をある程度オブラートに包んで話しましょう」

「ああ、そうだね愛歌嬢。済まないが、頼む」

 

 時臣の言葉に頷き、愛歌は廊下へと向かう。

 そのまま見送るつもりだった時臣だが……その背中を見て、思わず声をかける。

 

「愛歌嬢」

「ん?何かしら、時臣おじ様」

 

 背後からの声に、振り向く愛歌。

 特にキョトンとした様子はなく、少女らしからぬ落ち着きを見せている。

 

 声は掛けたものの、具体的に何を話すか決めていなかった時臣。

 自分がなぜ呼び止めたか、少し考え───

 

「……君には、本当に世話になっている」

 

 口から出たのは、感謝を告げる言葉だった。

 

「あら?一体何の話かしら」

 

 とぼけるような様子の愛歌。その表情は少しだけ悪戯気なものだ。

 

「いや、大したことじゃない。なんとなく、言いたくなったのだよ」

 

 それは優雅を心掛ける時臣にしては珍しく、思い付きの要素が強かった。

 

「そう……なんとなくで言うだなんて、時臣おじ様にしては珍しいのね」

「そうだな。我ながら、らしくない事をしていると思っている」

 

 遠坂家現当主の言葉に、沙条家の長女はクスリと笑みを零す。

 どこか察したような様子を漂わせているが、敢えて言葉を続けてはこなかった。

 

 愛歌は再び足を進め、この部屋を退出していく。

 

 

 それを見送った時臣は背中を後ろに傾け、椅子の背もたれに体重を掛ける。

 

(……どのような考えで桜と友誼を結ぶに至ったか、未だに謎な面が残されているが……桜は、良き友人に恵まれた)

 

 時臣も愛歌もお互いに魔術師だから、通常ならそう簡単に信用する事には繋がらないのだが、両者の関係はすでに家を交えたもの──遠坂家と沙条家による同盟関係となっている。

 よって、余程の事が無い限り裏切られる心配は無いと、時臣は考えていた。

 

 なお、沙条家の現当主である広樹は、愛歌と遠坂一家のコンタクトについて後から知らされ、大層驚愕したそうな。

 娘の独断専行に、『私は聞いていないぞ!?』と頭を抱えた模様である。

 

 まあ、愛歌が真実───自身の根源接続を断った際の混線先が桜だったこと───を知ったのは、間桐の屋敷を調べた時だ。

 長期外出の伝達段階で『遠坂とコネクションを持つ』と愛歌から伝えられなかったのは、仕方ないだろう。だって、愛歌もまだ決めてなかったんだし。

 

 その後、妻に元気づけられた広樹は急いで東京から冬木にすっ飛んできて、時臣と面会して遠坂の家と協力関係を結んだ訳だ。ちゃんと魔力を込めた誓約書も交わしている。

 その場において、ゴーイングマイウェイな娘に微笑まれ、広樹氏の表情がさらに乾いたものとなったのは、仕方ない事だろう。

 

 家同士のコネクションについては、まず現当主にちゃんと話して欲しいという彼の心情を、時臣は痛いほど理解出来た。彼も魔道の家の当主だし。

 

(広樹殿の気苦労は、誠に気の毒だが……桜が愛歌嬢と親交を結べた事は、我が遠坂にとって大いなる財産だ。桜だけでなく、凛や私も、彼女の手腕を間近で目にすることが出来るのだから)

 

 あの神域の才を直接見られるのは、魔術師としてこの上なく光栄な事だ。

 まあ、凛の方は初対面のトラウマゆえに愛歌へ苦手意識を持っているが、同時にその圧倒的な力量に時折悔し気な表情も見せていた。あの反骨心があれば、凛は大いなる飛躍を遂げるだろう。

 

(そして、得られるものは魔術に関してだけではない……その在り方もだ)

 

 

 ───実のところ、時臣がここまで己を省みたのは。

 間桐への養子という大失態を犯した事と、桜との語り合いから影響を受けた()()()()()()()()

 

 彼の価値観に影響を与えるやり取りがもう一つ、愛歌とあったのだ。

 

 

「……以前に、愛歌嬢からは厳しい言葉を貰ったが……言われて良かったのだろうな」

 

 

 魔術師として完敗したあの日から、少し経ったある日。

 話の流れで、愛歌から告げられた。

 

 

 

『たとえ魔道の才を開花させることに繋がっても、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう告げる沙条家の長女の顔は、魔術戦で自分を圧倒していた時のような涼し気な表情とは違った。

 

 

『一人の女として、ハッキリと断言させてもらうわ。私があの子の立場だったら、あんなのは絶対に嫌だもの』

 

 

 出会ったばかりの友人を想う、とても真剣な眼差しだった。

 

 

『魔術師として完成しようと、その過程が苦痛と絶望に満ちたものになってしまったら……それは、とても悲しい事よ』

 

 

 自身より遥かな高みにいる、魔道の天才を前にして。

 

 

『魔道を志すことに否はないわ。でも、それだけに拘って他を度外視するのはあり得ない。

 私は絶対に、肯定出来ない』

 

 

 異論を唱える事など、時臣に出来る筈が無かった。

 

 

 

「……あれほどの魔術師でありながら、常人の価値観を尊ぶ、か………魔道以外を凡俗と見下していた私とは大違いだな」

 

 当時の光景を思い出しながら独白し、時臣は軽く息を吐く。

 

 別に、糾弾されたわけではない。

 ただ、あの時の沙条愛歌の声には、抗弁などさせない強い意思が込められていた。

 

(……臓硯を倒してあの地獄から脱した桜と、魔術師として私より遥かな高みにいる愛歌嬢……この二人によって異なる価値観を突き付けられたのは、私にとって幸運だったのだろう)

 

 異論を告げてきたのが、魔術師として無視できない者達だという事実は、時臣にとってプラスに働いていた。

 

(どちらも、私などより遥かに大きな可能性を持っている。そんな二人であるが故に、その言葉を軽視するなど……私には断じて出来ない)

 

 これが他の者達であったなら、考えを改めるのは難しかっただろう。

 魔道から背を向けた雁夜だけでなく、時臣を支える葵や彼を尊敬する凜でも、それは同じだ。

 

 自分の融通の利かなさを、時臣はすでに自覚していた。

 

 無意識に顎を触るも、そこに髭の感触はない。以前に雁夜が口にした通り、ツルッツルンのままだ。

 かつて自慢だった髭が無い事を改めて認識し、今度は自虐的な笑みを浮かべて、独り言ちる。

 

「ふっ……どうやらあの髭が相応しくないほど、私は未熟だったらしい」

 

 思えば、それは当然のことなのだろう。

 

 遠坂時臣はまだ二十代後半で、三十歳に至っていない。若輩者もいいところだ。

 この若さで人間として完成されたなどと、どうして言えようか。

 

 

 

 部屋の扉の向こうから、愛歌に連れられた葵と凜の声が聞こえてきた。

 それを耳にし、時臣は気持ちを切り替える。

 

 当主としての顔と、家族としての顔を両立させて……入室してきた妻と娘に応じるのであった。

 

 

 

 




 実は桜の影響と、養子に出す段階でも Fate/Zero本編より内面が少しだけ丸くなっていた時臣。だから『魔術師としての正当な訓練』であっても、蟲攻めに「NO!」を突き付けるのは養子の前後で一貫している。
 ただ、反省する前はやはり魔術師としての自分がもっと前に出ていた模様。

 そんな時臣だけど、桜が間桐から戻ってこなかったら、そして愛歌の襲来がなかったら、話の流れは Zero本編とだいたい同じになっていた。
 つまり、聖杯戦争での雁夜との対峙で、あの噛み合わない会話をする事になっていたのは変わらない(遠い目)


 Zero本編の時臣が、『魔術師としての正当な訓練』だった場合に蟲攻めをどう判断するかは、読み手によって意見が分かれるところなんだよなあ……
 まあ、姉と妹で争うことについて、『仮にそんな局面に至るとしたら、我が末裔達は幸せだ。~云々~ かくも憂いなき対決はあるまい』などと抜かした男だから、普通に肯定すると思われても仕方ないんだけど。

 とりあえず、当作品を読む上では『並行世界によって性格の揺らぎがある』で納得してもろて(おい)



 余談だけど、当作品では愛歌のお母さんが存命の模様。




 
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