遠坂桜が『鋼の精神(メンタル)』持ちでヤバい女な模様 作:恐るべきサクラ
「───さて、助けてくださったお礼を述べ終えたところで……
病室に響き渡ったのは、ベッドの上で安静にしている幼子からの凍えるような声であった。
その言葉を告げられた男性は、病室の気温が一気に10度くらい下がったような錯覚を覚えてしまう。
「……さ、桜。間桐の家へ養子に出した理由なら、お前に何度も、言っている筈、だ……」
魔道の家の当主であり、普段は『優雅たれ』と心掛けている男性──遠坂時臣であったが、今回ばかりはそんな家訓を忘れて脂汗を流してしまう。
大事な話があるからと、病室の外に控えさせている妻や長女がこの場にいても、その反応は変わらなかっただろう。
ちなみに、関係者以外に会話を聞かれないよう、病室には防音の結界が張られている。
「ええ、何度も聞きましたとも。私の虚数属性は、魔道の家門の庇護が無ければホルマリン漬けの標本にされるほどの希少性を持つ。魔道の家は基本的に一子相伝なので、私がその庇護を受けるためには他の家へ養子に出す必要がある。
整然とした口調で、長々と言葉を連ねていく幼子──間桐桜。
とても5歳児とは思えない会話能力だ。精神力が桁外れなだけでなく、思考能力も高いレベルで年齢不相応であった。
「私が尋ねているのは、
ああ、間桐の方から申し出があったという前提は、当然忘れてはいませんよ?盟友関係としてある程度パイプがある間桐家ですから、養子の話がこちらに来るのは全くおかしな事ではありません。
遠縁のエーデルフェルトですが、あの家は遠く離れたヨーロッパですし、むかし色々とゴタゴタがあったようなので、養子先の優先順位が下がるのもわかります。
遠坂家としては、距離が離れておらず、関係がある間桐家を養子先とするのは、とても自然な流れ……
そう、とてもとても自然な流れなのでしょう」
時臣が言うであろう言い訳パターンの一つを、つい先取りしてしまう桜。落ち着いているようで、やはり相当腹が立っていたようだ。
その声に皮肉気な響きが込められていたのは、気のせいではあるまい。
「ただ……相手の家の魔術について、もっと調査の余地はあったのでは?
同じ志を持つ盟友と思ったがゆえに、そこら辺が随っっっっっ分と、
言い切った瞬間、病室の気温がさらに10度下がったような錯覚に襲われる時臣。だが、彼の肉体は正反対の反応を示し、脂汗の量が増加してダラダラと垂らしていく。
もし普段の時臣なら、こんな状況でも落ち着いて振舞うだろう。伊達に遠坂家の当主をしていないし、そもそも目の前の相手は自分の娘であり幼女なのだから、本来であればこのような無様を晒すなどあり得ないのだ。
しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。
如何せん、桜を間桐の家へ養子に出した事で、地獄すら生ぬるい責め苦を味わわせてしまったのだ。これは、全く言い訳の出来ない時臣の大失態だった。
しかも、その責め苦を味わわされた当人は自分の力でその状況を覆し、最終的に時臣の助力を得たとはいえ、こうして自ら帰還を果たしたのだ。
その結果、父と娘の立場は完全に逆転していた。
とはいえ、桜は弁明を要求している。何も喋らない訳にはいかなかったし、それをしてしまったら目の前の娘に対する侮辱だろう。
「お前の言う事はわかる、桜……まったく持ってその通りで、完全に非は私にある……本来であれば、弁明など絶対にすべきではないだろう……
だが……恥を承知で敢えて、本当に敢えて、弁明をさせてもらうのであれば……他家の魔術に付いて調べるのは、お前が言うほど簡単な事では───」
「そんなつまらない言い訳なら無しですよ。弁明を要求しましたが、もう少しマシな内容にしてください。
確かに向こうは自分の魔術の真髄を隠すでしょう。魔術師にとっての財産ですし、相手が外道なら秘匿行為は必然です。けれど、ちょうど知り合いに事情を話してくれる相手がいるじゃないですか。
お父様が
「うぐっ……!」
桜から咎める口調で容赦なく痛いところを突かれ、時臣は言葉に詰まる。
養子に出す以前から、桜からは『お父様は雁夜おじさんを低く見過ぎです』と苦言を呈されていたのだが、時臣は色々理屈を捏ねて適当にあしらっていたのだ。
もちろん、父のそういう融通の利かなさに桜がイラっとしたのは、語るまでもないだろう。
「そもそも、間桐の家を出奔してルポライターをやっている事実から、その背景に考えを巡らせるべきだったでしょう。『間桐の魔術には何か暗い事情があるのではないか』と」
「それ、は……」
桜からそれを言われたら、時臣としてはぐうの音も出ない。
魔術師としての生き方を誇るがゆえに、間桐雁夜を『魔道の家に生まれた者の責務を果たそうとしない落伍者』と侮り、出奔の動機について深く考えていなかったからだ。
彼の『己が間違っているなどとは疑わない』という性格が、極めて悪い方向に作用した事例だと言える。
そして、この事については彼の妻である遠坂葵も、全く責任がないとは言い切れなかった。
何せ間桐雁夜の幼馴染なのだから、そんな彼が出奔した間桐家に就いて、もっと危機感を持つべきだったろう。
「まあ……それを言うなら私だって、もっと予測しておくべきでしたが」
そう言葉を零し、ため息を吐く桜。
間桐家へ養子に出されると聞いた段階で、なんか嫌な予感はしていたのだ。
あの雁夜おじさんが、枯れたとはいえ魔道の名家を出奔したという事実から。
とはいえ、魔道の家門の庇護を受けるためには、養子に行く必要がある。
先ほど自分から述べた通り、自分の魔術特性は『架空元素・虚数』という希少なものだから。
縁戚のエーデルフェルトみたいに、『二人の当主を持つ』という選択肢も桜の頭には浮かんだが……
父の考えを尊重し、敢えて主張するようなことはしなかった。
で、養子に出されたら待っていたのが
自分も認識が甘かったというしかない。
自分の娘が零した自虐に……時臣は、父親としてかぶりを振る。
「……いや、まだ5歳の桜にそこまで考えろというのは、酷というものだろう。
どう考えても……あれは私の落ち度だ」
桜がどんなに聡明であろうと、まだ5歳の幼女なのだ。間桐の危険度を自分で察知せよというのは、父親としても魔術師としても、あまりに過剰な要求だ。
それは、絶対にやってはいけない事だろう。
「その……すまなかった、桜……」
「………………」
「そして……生きて戻ってきてくれて、本当に良かった……」
……いつも自分の正しさを信じ、魔術師としての論理を優先する父が、ここまで
幼子である娘の言葉に、真摯に耳を傾けるのは。
その魔術師としての判断を、
間桐臓硯が行った修練の名を借りた拷問は、どう考えても時臣が桜に望む『魔術師としての大成』に繋がるものではなかった。
桜から臓硯の所業を聞いた時臣は、それが良く理解出来たのだ。魔道に心から人生を捧げるからこそ。
臓硯は明らかに、桜を道具として扱うつもりだった。娘本人が洞察した通り、胎盤にでもするつもりだったのだろう。
魔術師としての過ちを突きつけられたから、彼はここまで殊勝な態度になったと言える。
(そしてもう一つ。私がお爺様……いや、間桐臓硯を倒したという事実を、お父様は
あの500年生きた妖怪を、奇策を用いたとはいえ倒したのだ。
この事実を、魔道に人生を捧げる時臣は軽く見る事など出来ない。
つまり、時臣は桜を……すでに自分と対等の魔術師として見ていた。
(5歳の小娘に過大な評価、と言いたいけど……あの妖怪ジジイを倒したからね……)
首を垂れる時臣に。
桜は、軽く息をつく。
「……はあ。もう、いいです。これ以上厳しい事を言っても、仕方ありません。
お父様が反省なさっている事は、私も理解しています」
一通り文句を言ったことで、桜としても気分が落ち着いてきた。
あまりしつこく言い続けるのは良くないだろう。
とはいえ───
「ただし!言葉だけで終らすのは、事の重みが減ってしまいます。それはお互いにとって良くありません。
で・す・か・ら、お父様にはぜひ、素敵なお仕置きを受けていただきます♪」
ノリノリの明るい声で告げた直後、ベッドの上の桜からニョロリと影が伸びだす。
臓硯を倒すための術式制御を行った事で、桜は以前より虚数魔術をスムーズに使いこなせるようになっていた。
「さ、桜……?その影で、い、一体何をしようと……?」
ものすごぉぉぉぉぉく嫌な予感をした時臣は、再び脂汗をダラダラと流して、ビビりながら後ずりする。
だが、残念ながら逃げる事など不可能であった。
何故なら……いつの間にか彼の両足首は、桜から伸びる影にガッチリと掴まれていたからだ。
時臣の顔が、盛大に引きつる。
そんな父を眺めながら……間桐桜───否、遠坂桜は、とてもとても素敵な笑みを浮かべる。
「前々から気になってたんですよねぇ……お父様のダンディな髭……
全部引っこ抜いたら、さぞかし爽快な気分になるんだろうなぁと」
娘の言葉を聞いた瞬間、時臣はめっちゃ狼狽した。
「───!!??
ま、ままままま、待つんだ桜!それだけは、それだけは待ってくれ!!」
普段の威厳は何処へ行ったのが、やたら必死になって声をあげる時臣。
「この髭は、遠坂の家訓を忠実に実行するため必要な身だしなみ!己を律するために必要な戒めと言っても過言ではない!理想的な形を維持するために、毎朝丁寧にセッティングしているのだ!
だから───あってはならない!あってはならないっ!!この髭が抜かれるなど、あってはならない事なんだ!!!」
「そうですか。なら余計に引っこ抜き甲斐がありますね」
「桜ぁ!?」
……まあ、時臣も色々と精神に負荷がかかり、疲れているのだろう。
たまに頭のネジが外れてキャラ崩壊してしまうのは、仕方のない事であった。
「た、たた、頼む桜!どうか頼む!他の事なら何でもする!だからっ……!
この髭だけは、この髭だけは、大事に生やした、このキューティクルな髭だけは────
アッ────────────!!??」
病室に、時臣の憐れな悲鳴が響き渡った。
床の上で『ぐおおおぉぉぉ!?』と顎を押さえて悶絶している時臣の姿を横目に、桜はベッドの上で思索にふける。
(……私が異常者なのは、どう考えても間違いない。
あの蟲の群体による責め苦を味わって正気を失わないのはもちろん、思考回路が明らかに幼児のソレじゃない。年齢の近い姉さんを見ていれば、それは明らか)
思考回路について客観的に評価するのは難しいが、姉や他の子どもを見ている限り、間違いなくこんな思考回路はしていないだろう。
(間桐へ養子に出される前は、ここまで頭の回転は良くなかったのに……あの蟲蔵を生き延びるために絶えず思考を働かせたことで、脳の神経回路がグレードアップしたのかも)
一見すると『そんな馬鹿な』という話だが、やけに強靭な自分のメンタルを考えると、あり得ない事ではなかった。
(はあ……自分の事ながら、分からない事がけっこうありますね)
そんな感じで思索にふけっていると……病室の扉がガチャリと空く。
「さ、桜……?時臣との大事な話は、もう終わったかしら……」
そろそろ話が終わったのかと思い、恐る恐ると入ってくるのは、桜の母たる遠坂葵であった。
その後ろを、全然落ちつけずにいる桜の姉──遠坂凛が付いてくる。
「──て、あなたぁぁぁぁぁ!?」
「お、お父様ぁぁぁぁぁ!?」
そして二人は、床で情けなく悶絶する時臣の姿を目にし、揃ってテンパった声をあげる。
桜はそんな母と姉を眺めながら、『さてどう説明しましょうかね』と思案するのであった。
トッキー、ついに髭を引っこ抜かれてしまう。