遠坂桜が『鋼の精神(メンタル)』持ちでヤバい女な模様 作:恐るべきサクラ
まあ、並行世界の差異ということで(人理定礎に全く影響しないレベルだし)
「ここが桜ちゃんが入院している病院か!?」
タクシーから降りた青年──間桐雁夜は、焦燥を露わに眼前の病院を見る。
(突然、あのクソ兄貴から連絡があったから、何かと思えば、まさかあんな事が起きるだなんて!)
去年の夏に入った長期間の仕事により、しばらく冬木から離れていた雁夜。
そんな彼に、実家に住む間桐鶴野から連絡が来た。
仲が良くない兄からの連絡に、『一体何の用だ?』と訝し気な表情をしたが……
その時に知らされたのは、『間桐の屋敷が火災に遭った』、『間桐家へ養子に迎えられた桜が大怪我をして入院した』、『間桐の当主である臓硯が死亡した』という事実だった。
当の鶴野は外出先から帰ってみれば屋敷が炎上していた事に混乱し、落ち着きを取り戻すまでそれなりの日数を要した。
そして落ち着いた後、疎遠ながらも最低限の兄弟のよしみを発揮したのか、ルポライターとして生計を立てている雁夜に連絡し、現在に至るという訳だ。
複数の衝撃の事実を一度に知らされた事で、今度は雁夜が混乱の渦中に叩き落とされていた。
(桜ちゃんが養子として間桐に来たこと自体が寝耳に水だったのに、その桜ちゃんが大怪我で入院しただと!?その際に間桐の屋敷が炎に包まれ、おまけに臓硯が死んだ!?あの妖怪ジジイがいなくなったのは喜ばしい事なのに、理解が追い付かないし実感が全然湧いてこない!
とんでもない事が立て続けに起きて、一体どうなってるんだよ!?)
未だ思考が混乱したまま、病院へと入る雁夜。
(そもそも、ジジイが死ぬまでの間、桜ちゃんは大丈夫だったのか!?あんな幼子が、間桐の蟲蔵に放り込まれていたら───)
その光景を想像してしまい、雁夜は身の毛がよだつような怖気に襲われる。
(くそっ……俺が、間桐から逃げたせいなのか!?桜ちゃんが養子に来てしまったのは……!)
否定したくても、雁夜にそれを否定する事など出来なかった。
もし自分が間桐の家督を継いでいれば、臓硯は桜を養子に迎えなかっただろう。
(いや、あのクソジジイの事だ……年の離れた嫁として迎えるとか言い出しかねないか……!)
誠に不快感がこみ上げるIFだが、そちらも充分に可能性はあっただろう。
頭の中で良くない思考をグルグルと回しながら、雁夜が病院のロビーを進んでいくと───
「───!?葵さん!!」
幼馴染であるのと同時に、密かな想い人である遠坂葵の姿を見つけ、雁夜は病院のロビーにいるにも関わらず大きな声をあげてしまう。
青年の声に、向こうも気づいたようだ。彼の叫び声に驚いた周囲の人たちに軽く謝罪の会釈をし、青年へ近づいてくる。
葵の顔色は明らかに悪く、精神的な疲れが全く取れてない事を伺わせるが、心を病んでいるという訳ではない。
「雁夜君、あなたも来てくれたのね」
「葵さん!桜ちゃんの様子は!?」
いつもの雁夜なら目の前の女性にしっかり挨拶をするのだが、今回ばかりは桜の事がある。そのため、性急な話し方をしてしまう。
そんな幼馴染の様子に、葵は自分の娘が大事に思われている事を実感し、元気が無いながらも表情を柔らかいものにする。
「落ち着いて、命に別状はないわ。入院してから日数が経っているし、今は殆ど体調を回復しているから」
「そ、そうか……大丈夫なのか……」
ホッとして体の力が抜き『良かった』と言おうとしたが……
(いや、まだ桜ちゃんが間桐でどう過ごしていたのか聞いてない!)
「あ、葵さん……鶴野、いや兄貴から『桜は間桐家へ養子に出されてきた』と聞いたんだけど……それは本当なのか?」
恐る恐ると言った感じで確認する雁夜。
そんな幼馴染を、葵は落ち着いて窘める。
「駄目よ雁夜君。その話、病院のロビーでするのは適切じゃないでしょう?」
「っ!すまない……場所を選んでなかった……」
「いえ、いいのよ。あなたが桜を心配してくれている証拠だから」
どうやら、雁夜は自分が思っていた以上に落ち着きを失っていたようだ。
己の至らなさに羞恥を感じつつ、葵に頭を下げる。
そんな幼馴染の青年の謝罪を受け入れた後、葵はロビーにある受付へと歩いていき、病院関係者と言葉を交わし始める。
(そうだった……面会時間について、全く考えていなかった……)
葵と病院関係者の会話を眺めながら、自分のさらなる考え不足に気付く。そこまで頭が回らないほど混乱していたという事だろう。
幸いな事に今は面会時間内であり、かつ葵が話を通してくれるお陰で、桜との面会は叶うようだ。
「桜の病室は3階の病室よ。案内するわ」
「あ、ああ……頼む、葵さん」
幼馴染の言葉に頷いて、彼は桜の病室へ向かうため彼女に付いていく。
(こうして見ると、やはり心労は溜まっているようだな……)
葵の不健康な顔色に、心配が籠った感想を抱く雁夜。
(ただ、思っていたより落ち着いている……葵さんの様子からして、ジジイは桜ちゃんを蟲蔵へ放り込まなかったのか?)
だとしたら、とても喜ばしい事だ。
そう安心しかけるも、雁夜はすぐに思い直す。
(いや、まだそう結論付けるのは早計だ!単に葵さんがまだ蟲蔵の事を知らないだけかもしれない!
あの時臣の事だ!葵さんに大事な事を話してない可能性だってある!)
桜を間桐へ養子に出したと知った段階で、雁夜の中にあった遠坂時臣への
そのため、時臣が蟲蔵の事を知ったとしても、妻に打ち明けないのではと考える。
(時臣……!お前には、聞かなきゃならない事と言ってやりたいことが、山ほどあるからな!首を洗って待ってろよ!)
そのような黒い感情を燃え上がらせていると、前を歩いている葵が小さな声で、ポツリと言葉を漏らす。
「……私は、愚かな女だったのね」
「───え?」
「あ、ううん。何でもないわ。気にしないで」
疑問の声をあげるも、幼馴染の女性に軽く誤魔化される。
そのような短い言葉のやり取りをした直後、エレベーターの前に到着した。
(何だったんだ?今のは)
雁夜は首を傾げながらも、葵と共にエレベーターに乗り、3階へと向かう。
上昇中、何故か会話は発生せず沈黙が流れる。
(……なんか気まずいぞ。葵さん、一体どうしたんだ?)
先ほどの短いやり取りの後、一向に言葉を発しない葵に緊張する雁夜。
一瞬、間桐の養子の件でその怒りが自分に向けられているかと思い、彼の背筋に冷たいモノが駆け抜ける。
(い、いや……もしそうなら、ロビーで顔を合わせた段階でそれらしい反応をする筈だ。こうして桜ちゃんとの面会を融通してくれたから、そんな事は無い筈、だ……多分)
内心で徐々に弱気になっていくうちに、エレベーターは3階に到着した。
自動ドアが開いて葵と共に足を進める中、雁夜は己を奮い立たせる。
(……そうじゃない、そうじゃないだろ雁夜!この件は、恨まれても仕方のない事だろうが!なに自己弁護に走っているんだお前は!)
ここに至って臆病な自分が、誠に腹立たしかった。
彼がそのように一人で葛藤していると、一つの病室の前に到着した。
プライベート性──会話の秘匿性──を確保するため、個室となっている。
「ここが、桜の病室よ」
葵の言葉に、頷く雁夜。
幼馴染がドアを開けて、彼を病室内へと招き入れる。
「やあ、桜ちゃん。久しぶり───え?」
病室に入った瞬間、雁夜はフリーズした。
「あ、雁夜おじさん。お久しぶりです」
「……よく来てくれた、間桐雁夜。遠坂家の当主として……君の心遣いを歓迎する」
朗らかに挨拶を返してくる桜。以前会った時と同様に親しみが込められていた。
そんな娘に対し、時臣の方はどこか嫌そうな口調であった。ここら辺は相変わらずの魔術師野郎である。
いつもなら、そんな目の前の男に反発を覚えたであろうが、今回はそれどころではなかった。
何故なら───
(桜ちゃんの髪の色が、変わっている!?)
そう……桜の髪の毛は、かつての黒髪から色素が変わっており、間桐の色が浮かんでいた。
よくよく見てみると、碧眼だった目の色も変化している。
それはつまり……
(ちくしょう!あのジジイ、やっぱり
桜が、臓硯によって蟲蔵に放り込まれ、あの恐ろしい調教を受けたという事だ。
(俺は馬鹿か!あの臓硯が桜ちゃんを養子にもらい受けて、何もしていない筈がないじゃないか!自分可愛さに目を背けていて、俺はなんて馬鹿な男なんだっ!
くそっ、くそっ、くそおおぉぉぉぉっっ!!)
そのように、雁夜が内心で己を攻めていると……
「大丈夫ですよ、雁夜おじさん」
「──っ!?桜ちゃん!」
「わたしは、大丈夫です」
当の桜が、穏やかに告げてきた。
「心は壊れてませんし、ショックによる記憶喪失にもなってません。また、現実逃避で別人格が発生した訳でもないです」
雁夜が抱くであろう懸念を、一つ一つ解消していく桜。
そこには、自分の見舞いに来てくれた青年への気遣いが込められていた。
「だから、安心してください」
幼子とは思えない安心させてくれる声に、雁夜の心に吹き荒れていた嵐が収まっていく。
「そう……か……」
辛うじて短い言葉を返す雁夜。
そんな青年に、桜は落ち着いた口調で続ける。
「事情はこれから説明します。まずは、椅子に腰掛けてください」
「…………わかったよ」
被害者である筈の幼子に落ち着いた口調で促されたら、従わざるを得ない。
雁夜は大人しく、椅子に腰かける。
「凛ちゃんは……学校だな」
本題に入る前に、まずは軽めの話題から始める雁夜。それに桜が答える。
「はい、今日は平日ですから。私が入院した時に『ずっと桜の傍にいる!』と言ってくれましたけど、命に別状はないので、普通に登校してもらっています」
「相変わらずだな、凛ちゃん。結構粘ったんじゃないか?」
「そうですね、説得するのには骨が折れました。久しぶりのやり取りだったので、懐かしく思いましたね」
「……そうだよな。久しぶりの、姉妹同士の会話だもんな」
桜とそのように言葉を交わしていたが……
雁夜は今になって、
「……ところで、時臣。あんたの顎なんだが……あの髭は一体どうしたんだ?俺には随分と拘っていたように見えたんだが……
それがどうして、そんなツルッツルンになっている?」
雁夜に問われ、苦虫を噛み潰したような表情を見せる時臣。
発言者の名誉を守るため明言しておくが、この時の雁夜に時臣を揶揄する意図など全く無かった。
己の疑問を思ったままに口にしただけであったが……その表現に、聞いていた桜は思わず吹き出してしまう。
「さ、桜ちゃん?」
「桜……お父様を笑っちゃ、駄目でしょう……?」
雁夜が戸惑いを見せるなか、そして葵が
桜は母の言葉を素直に受け入れ、その場にいる三人に向けて頭を下げる。
「す、すいません。雁夜おじさんの言い方がツボにハマってしまって、つい……」
「そ、そうか。いや、俺も時臣の顎にはビックリしたからさ。いつものトレードマークである顎髭がなくなっているし」
そう言葉を返す雁夜であったが、それを聞いた時臣がじっとりした視線を向けて、ささやかな抗議をしてくる。
「間桐雁夜……君は桜の見舞いではなく、この私を笑いに来たのかね?」
「そんな訳ないだろう」
憮然とした口調で返す雁夜。むしろ、色々と問い詰めるために来たくらいだ。
桜の養子の件で、本当なら喧嘩腰になるところだが……この場にいる桜や葵に配慮して、我慢していた。
そんな二人のやり取りを見ていた桜が、雁夜に種明かしをする。
「お父様の髭ですが、罰として私が引っこ抜きました」
「桜ちゃんが!?」
「はい。ついでに、脱毛剤も存分におみまいしてやりました」
「そこまで!?」
桜による制裁に、雁夜は地味に戦慄する。
いや、時臣のやらかしを考えれば、それぐらいはされても仕方ないだろう。むしろ、その程度で済ませているだけ桜は寛大だと言える。
余談だが、ご自慢の髭の再生をしばらく絶たれる事になり、時臣は夜に枕を濡らしたとか。極めてどうでも良い話だが。
まあ、ほとぼりが冷めたら魔術での再生を許可するつもりなので、しばらくはそれで反省してもらおうと考える桜であった。
余談だが、尊敬する完璧超人の父──凛視点──に容赦なくこの制裁を下した桜を見た凛は、『桜……なんて恐ろしい子なの……!?』とガクガクブルブル震えていたそうな。
さらに補足すると、そんな父が今回やってしまった致命的な大失敗も合わさって、最近の凛のメンタルは大変な事になっていたりする。
ああ、遠坂凛……強く生きたまえ。
閑話休題。
「それでは、私から事情を話します」
そんな前振りを終わらせたら、いよいよ本題へと入る。
「桜……それは、遠坂の当主である私の役目なんだが……」
時臣が魔道の家の当主としてそう述べるが、桜はバッサリと返答してきた。
「申し訳ありませんが、お父様には
お父様が雁夜おじさんと話しても、絶っっっっ対に、話が拗れますから」
「う……」
相変わらず力関係は逆転したままであった。やらかしの内容が内容なだけに、仕方がない事だろう。
今回の被害者たる桜にそう言われれば、時臣としては引き下がらざるを得なかった。
そんな父と娘のやり取りを、雁夜は驚きと共に眺めながらも、ある可能性に気付く。
(ひょっとして、桜ちゃん……俺が時臣を良く思ってない事に気付いている?)
もしそうだとしたら、とても気まずい。
いや、桜も時臣に手厳しくなっているから、そこまで支障はないかもしれないが……
(いや、そっちは後だ。まずは桜ちゃんから、間桐の家であった事を聞かないと)
そう思い直し、雁夜は桜の話に耳を傾ける。
そんな三者三様の光景を……遠坂葵は、力無い表情で見ていた。
「───以上が、間桐の家が燃えて私が病院に運び込まれるまでの経緯です」
桜が雁夜に話し終えると、病室は沈黙に包まれる。
時臣と葵はすでに知らされた内容であったが、こうして改めて聞くとやはり堪えてしまう。
今回やらかしてしまった時臣は己の不甲斐無さに頭を垂れ、ただでさえ心労が表に出ていた葵は震える口を固く結び、膝の上でスカートの布を両手で強く掴んでいた。
そんな両親を申し訳なく思いながら、桜は雁夜の様子を伺う。
両手で顔を覆って苦悩している、青年の姿が見えた。
「……………………」
新たに追加された衝撃の事実の数々によって、脳内が再び嵐に見舞われている雁夜。
(……変わった姿から、桜ちゃんが間桐で地獄を味わったのは、すでに分かっていた……とても自分を誤魔化すことなんて出来やしない……
けれど……そこで蟲の悍ましさと苦痛に屈する事なく、生きるための手段を諦めずに模索し続け、それを迷わず実行して、ついには臓硯を倒した!?しかも体内から心臓を食い破られる事まで予想して!?
何なんだよソレ!本当に桜ちゃん、そんな事をやったのか!?)
新たな驚愕の事実を次々と教えられ、再び雁夜の思考回路は大きく乱れる。彼がすぐに信じられなかったのは、仕方のない事だろう。
(こんな幼い子があの妖怪ジジイを倒しただなんて、俄には信じられない!けれど……
桜ちゃんがこうして、間桐の地獄から生還した事を考えると、事実なんだろうな……)
それと、彼が途中で気づいてその理由を教えられたのが、桜の話し方だ。
(以前にあった時に比べて、ずっと大人の話し方になっている……生き延びるために、頭を必死に使った影響だと言っていたけど……)
そんな事があり得るのだろうかと思ったが、実際に大人びている言葉と、当人の説明を受けた事から、今は信じるしかないだろう。
何はともあれ……
これだけは、桜に告げなければならない。
「ごめん、桜ちゃん……
君が間桐へ養子に出されたのは…………俺のせいだ……!」
勇気を振り絞って告げる雁夜。その声は震えている。
時臣の方はともかく、葵の前で己の責任に言及するのは、彼にとって多大な勇気を必要とした。
「俺が間桐の家督を継いでいれば、こんな事にはならなかった!」
震え声を絞り出す雁夜に対し、いつもなら口を挟みそうな時臣は……何も言わなかった。
桜から話すのを『ご遠慮ください』と告げられたので、ここで余計な事を言うべきではないと考えたからだ。事ここに至って娘の意向を無視するほど、時臣は愚かではなかった。
「当時の雁夜おじさんに、そこまで先を見通せというのはあまりに酷というものです」
間桐を出奔した次男の謝罪に、遠坂の次女は無理もない事だと告げる。
「臓硯が操る蟲の大群を目にしたら、とても間桐の家督を継ぎたいなどと思わないでしょう。あの魔術に神秘の尊さを見出すのは、余程特殊な感性の持ち主でないと極めて難しい。
遠坂が扱う神秘に比べたら、アレはあまりに醜悪です」
桜の言葉を聞いていた時臣は、改めて己の見通しの甘さと先入観を恥じる。
彼の中では『遠坂の魔術』が基準となっていたため、『間桐の魔術』もそれと同様の尊いものであると認識していたのだ。
まさか、醜悪な蟲の群体を用いて、一族の人間に地獄という言葉さえ生温い責め苦を与えるなど、完全に想像の埒外だった。
時臣が魔術を尊いものと決めつけていたが故の、悲劇であった。
「ですから雁夜おじさんは、どうかお気になさらず」
「…………」
桜はそう言うものの、雁夜としては簡単に『わかった。ありがとう』という訳にはいかなかった。
彼は悩んだ末、敢えて話を別の方向へずらす。
「……養子の発端となった臓硯は死んだ。間桐の屋敷は燃えて、保管されていた魔道書も殆ど灰になった。もう、間桐に魔道の家としての価値は残っていないも同然だ。
これで桜ちゃんは、遠坂の家に戻って良いという訳か……」
それについては、ホッとしている。
これで桜ちゃんはまた、葵さんや凛ちゃんと一緒に暮らしていけるのだと。
しかし、事は雁夜が考えるほど単純ではなかった。
「とりあえず、雁夜おじさんの言う通り遠坂の家に戻ります。『間桐に魔道の家としての価値は残っていない』というのは、その通りなので。
ただ、他の家へ養子に行く必要性はまだあるんですけど」
「!?」
桜は意図していなかったが、雁夜の安心に冷や水を浴びせる形になった。
彼は思わず、感情的な声をあげる。
「なんでだよ桜ちゃん!事の発端のジジイがいなくなって間桐が燃えたんだから、これからはずっと遠坂の家にいればいいじゃないか!」
雁夜の叫びに、時臣は相変わらず口を挟まなかったものの、その表情には呆れ混じりの落胆が浮かんでいた。
そんな父の顔をちらりと見やり、桜は難しげに唸る。
「うーん、やっぱりそこから説明しないといけませんよね……」
お互いの認識に差異があるとは思っていたが、予想通りだった。
なので、それを解消すべく桜は続ける。
「有り体に言うと、私の魔術属性が大いに関係してきます」
「桜ちゃんの魔術属性?」
おうむ返しに問う雁夜に、桜は「はい」と頷く。
「私の魔術属性は、『架空元素・虚数』というものでして……実はこれが希少なタイプで、魔術師の界隈では『ホルマリン漬けの標本にして保管したい』と思われるものなんです」
「な!?」
桜から告げられた不都合な現実に、雁夜は絶句する。
「そんな私が生きていくためには、魔道の家門の庇護が必要です。そのための『他の家へ養子に行く』という選択肢なんです」
「だったら、凛ちゃんと2人で当主になればいいじゃないか!そうすれば、何も桜ちゃんが他の家へ養子に行く必要はない!」
それを聞いていた時臣だが、今度は落胆を通り越して不快感を露わにしていた。部外者が遠坂家の在り方に口を出しているも同然だったからだ。
当主として思わず口を挟みたくなるも、桜の意思を尊重して我慢する。
「魔道の家は一子相伝です。遠縁のエーデルフェルトのような例外もありますが、それはあちらの在り方です。遠坂の在り方ではありません」
「そんなの変えればいいだろ!?桜ちゃんが魔道の掟に縛られる必要なんて───」
「雁夜おじさん」
桜の呼びかけは穏やかなものであったが、同時に軽々しい意見を許さない響きが込められていた。
思わず、言葉を止める雁夜。
「遠坂家の在り方は、先人の血の積み重ねによって成り立っています。当主の方々が何代にも渡って積み上げ、今代はお父様がそれを受け継ぎました。そして、次の代は姉さんが引き継ぎます」
理知的に語っていく桜。そんな娘を、時臣は誇らしげな目で眺める。
「誤解のないよう言っておきますが……私は単に、魔道の家の伝統や掟に縛られている訳ではありません。先人の意思を尊重し、私個人の意思だけで変える訳にはいかないという事です」
それを聞いていた葵は、視線を膝に落とした。その表情は伺いづらい。
「雁夜おじさんの一般人目線の意見は、とても大事だと思います。魔術師の非人間的な価値観への盲信を防いでくれるから。
ですが、だからと言って……家の在り方を、簡単に変える訳にはいきません。それは、積み上げてきた先人の方々を侮辱する事に繋がってしまう」
「だけど!桜ちゃん……!」
その発想は、幼子のそれじゃない。もっと人生を積み重ねてから至るものだ。
これではあまりに……あまりに物分かりが良過ぎるじゃないか。
桜ちゃん、君は本当にそれでいいのか?
雁夜のそんな悲壮な気持ちを察したのか。
桜は安心させるよう、新たな言葉を付け足す。
「色々と言いましたが……私は別に、自分自身の意思を押し殺すとは言ってませんよ?」
「!?どういう、事だい……?」
理解が追いつかず、疑問の声を上げる雁夜。
桜の話は続く。
「これまでの方々の積み重ねがあるから簡単には変えられないのであって、時間を掛けて『新たな在り方を模索していく』のは、ありだという事です」
「あ……」
思考の盲点に気づき、思わずといった声が漏れる。
「保守的になり過ぎると、思考が硬直しますからね。縛られるつもりは毛頭ありません」
そう言って、ベッドの上で軽く肩をすくめる桜。まるで大人の仕草だ。
「現当主であるお父様や次期当主である姉さんを交えて、今後の遠坂はどうあるべきか、それによって私の身の振り方をどうするべきか……しっかりと考えていくつもりです」
「……そういう事だ、間桐雁夜」
話の結論が近づいてきたので、桜から許可の目線を貰って、ようやく時臣が口を開く。
「私とて、これまでの在り方に過度に拘るつもりはない。その頑迷さが……桜をあの老人の元に追いやってしまったからね……」
「時臣……」
「本来なら、桜の未来はあの翁によって閉ざされていた……私は、取り返しのつかない失敗をしてしまっていたのだ……」
深い後悔の言葉を口にする時臣。そんな彼の姿に、雁夜は密かに驚かずにはいられなかった。
目の前の男は、魔術師らしい傲慢さを持つ男だ。
それが、こんな殊勝な態度を取るだなんて……
そんな雁夜の心境を他所に、時臣は続ける。
「そのような絶望的な状況を、桜は自分の力で覆してくれた……自分の力で、未来を取り戻してくれたのだ。
この子に、これほど救われたことはないだろう。そんなこの子の意思を、私は尊重したいと考えている……」
それが、魔術師としての在り方に囚われすぎて選択を誤った、時臣のけじめだった。
「遠坂の在り方を簡単に変える訳にはいかないが、桜や凛の意思を無下にはしない。娘達と、今後の在り方を決めていくつもりだ。
遠縁のエーデルフェルトへ養子に行く可能性はある。だが、その時は間桐の家のような相互不干渉など絶対にしないと誓おう」
「……例え桜ちゃんが養子に出されても、葵さんと凛ちゃんが会いたいと思えば、会えるという訳だな?」
「そうだ」
時臣の返答を受けて、雁夜の肩の力がようやく抜ける。
「……だとしたら、俺にはもう文句なんて言えないな」
どこか諦めたような、それでいてホッとしたような言葉だった。
(間桐へ養子に出された事と比べたら、遥かに恵まれている……俺がこれ以上ゴタゴタ抜かす筋合いはない、か……)
内心でそう結論づけた雁夜は、話にあがったエーデルフェルトについて軽く話を振る。
「しかし、そのエーデルフェルトって遠縁、確かヨーロッパだったか?随分と遠いな……会いに行くのに苦労するんじゃないか?」
「今の時代は、飛行機での移動が使えるだろう。現代文明については、魔道から遠のいた一般人たる君の方が遥かに詳しいと思っていたのだが?」
「なんか、言い方に棘があるな……ヨーロッパまでの航空代金、安くないだろうが」
「君は遠坂の財力を何だと思っている?この地球を飛び回る程度の金などいくらでもあるさ。ルポライターをやっている君と違ってね」
「やっぱり言い方に棘があるだろ!?ほんと腹立つ男だな、あんたは!」
思わず時臣に突っかかる雁夜。桜と葵の前であったが、本題の話をする前と違って、今は気にならないようであった。
そんな大人気ない男2人を見ていた桜が、呆れた表情で提案してくる。
「お二人とも、相手に対してそんな気に食わないところがあるなら、いったん河原で殴り合った方がいいのでは?結構スッキリすると思うんですけど」
「いや桜ちゃん、発想が漫画っぽいというか、物騒というか、なんというか……」
「そうだぞ桜。私がついカッとなって、雁夜を誅殺してしまったらどうするんだ」
「あんたはあんたで、発想がおっかないだろ!?」
さらりと武闘派なことを口走る時臣に、雁夜は戦慄混じりの突っ込みを入れる。
桜はここで釘を刺しておく必要があると判断し、
「ふふふ……もしお二人のどちらかが、相手に対して命に関わるほどの危害を加えたのなら……
その時は、
桜が不気味な笑みを浮かべて言った瞬間、彼女から虚数の影がにょきりと出てくる。
そしてその影も心なしか、三日月形の笑みを浮かべているように見えた。普通にホラーである。
それを見た大の男2人は、滝のように汗をダラダラと流しながら何度も頷く。
「か、かか、雁夜君!私はこれを機会に、き、君と親交を深めていこうと考えているのだが!」
「そ、そうだな時臣さん!い、いつまでもお互いの理解が浅いというのは、ほ、本当に良くないよな!」
ハハハハハ、と実にワザとらしいやり取りをしながら宣う時臣と雁夜。テンパっているのか、肩まで組んでいた。
2人の心が初めて通じ合った瞬間である。
そんな大の男達の情けない姿を見た桜は、今度は現実的な提案をする。
「真面目な話、お二人は腹を割って話し、お互いの価値観に対する理解を深めるべきです」
時臣と雁夜が険悪になっていたのは、相手の価値観に対する理解があまりに不足していた事が大きい。
もちろん、未だに雁夜が葵に対して未練タラタラなのもかなりあるが。
「お父様は強い信念で魔道の研鑽を積んできたが故に、一般人の世界を凡俗と蔑んで軽んじています。雁夜おじさんは間桐の醜悪な魔術しか知らないが故に、魔術そのものを唾棄すべき邪悪なモノと決めつけています。
これでは、お互いに話が通じる筈がありません」
幼子にそう言われて、ぐうの音も出ない時臣と雁夜。
「という訳で、機会を設けて話し合ってください。異論は認めません、断じて認めません。今回は私が法にならせていただきますので、黙して従ってください。
それと、話し合う際には相手の価値観を否定するような真似はせず、まずは耳を傾ける事です。お二人とも、そういうのが苦手なようですから」
さらりと追加で釘を刺す桜。図星を突かれ、時臣と雁夜は凹む。
こうして、2人の『腹を割って話そう!』イベントが強制的に決定された。拒否権なるものは存在しなかった。
「……なんか、変な流れになってしまったな……時臣……」
「……そうだな、雁夜……こんな話になるとは、全くの想定外だ……」
タイプの全く異なるダメ人間2人が、そうやって黄昏れていると……
「……あなた、先日話していたことだけど」
それまで黙って聞いていた葵が、時臣に声を掛けてきた。
時臣は妻の方に顔を向け、表情を真面目なものへと改める。
「葵……ああ、わかっているとも。忘れてなどいないさ……」
時臣は色々なものが籠った息を吐き、顔の向きを雁夜に向けて告げる。
「雁夜。葵が君に、話があるらしい」
「え?葵さんが?」
唐突な展開に、目が点になる雁夜。
そんな幼馴染を少しおかしく思いながら、葵は話を進める。
「ごめんなさい。雁夜君にこのあと用事がなければ、時間が欲しいの」
「あ、ああ。俺は構わないけど……」
葵からの提案に、雁夜は戸惑いながらも頷く。
(い、いいのかよ、葵さん……時臣の前でそんな事言って)
彼女の夫を見てみると、当然ながら憮然とした表情をしていた。
(そりゃあ、そうだよなあ……自分の奥さんが、他の男と2人で話そうとしてるんだから)
居心地の悪さを感じながら、同時にこれまでの事を思い返す。
(……それを言ったら、今までだって似たようなものか。凛ちゃんと桜ちゃんが一緒だったから、厳密には違うけど)
それだって、やはり他の男と定期的に会うのだから、やはり心穏やかとはならないだろう。
他の第三者から見れば、『お前は今更何を言ってるんだ』といったところか。
(我ながらまあ、未練がましいよな……)
己の自分本位さに嫌気が差しながらも、今ここで区切りをつけるという都合の良い心情にはならず……
雁夜は、葵の後に付いて病室から退室していった。
「はあ……」
退室していった2人を確認した後、桜はついため息を吐いてしまう。
「どうしたんだい、桜」
「お父様……いえ、未だに自己嫌悪を感じてまして」
桜がなぜそのような気持ちになっているかといえば……
それは、母である葵が理由であった。
「自分でも、あれは言い過ぎたと思っています」
「……桜は、葵に苦言を言うつもりなど無かったのだろう?」
すでに答えが分かっているであろう時臣の問いに、桜は肯定の意を返す。
「もちろんです。今回の件で、お母様に何かを言うつもりは全くありませんでした。非があるなどとは思ってませんので」
「その通りだ。葵に夫を立てる淑女たらんと求めてきたのは、他ならぬこの私だ。そのことに言い訳をする気など全く無い。
養子の件は……全て遠坂の当主たる私の責任だ」
重々しく言う時臣。そこには自分への甘さなど全くない。
己を律して厳しく生きてきた彼にとって、当主として全ての責任を負うのは至極当然であった。
父のそういう所は尊敬できると思いながら、桜は呟く。
「ただ……あの言葉を聞いたら、黙っていられなくて」
「…………そうか」
……この件について、時臣は事が終わった後で桜から教えられた。
葵の弱さを、彼は思い知らされた。
遠坂の家系に対する敬意がある桜。実はこれ、魔術師的な感性というよりも藤丸君的な感性で言ってたりする(もちろん全く同じじゃないけど)
さて、これで英雄王から『もっと自由になれよ~己を解放しようぜ~』的なアプローチをされる可能性は、果たして消えただろうか?