遠坂桜が『鋼の精神(メンタル)』持ちでヤバい女な模様   作:恐るべきサクラ

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 今回は割とシリアスで重めの話だけど、遠坂葵を描写するには避けて通れないので……
 それと鋼メンタルの桜だけど、別に情緒が無い訳じゃない。
 


葵さんの歪みと弱さ

 

「ここでいいかしら」

「ああ。俺は構わないよ、葵さん」

 

 病院の建物を出て、中庭まで訪れた雁夜と葵。中庭の面積は広大とまではいかないが、ちょっとしたウォーキングが出来るぐらいあった。

 遠坂家が選ぶ病院だけあって、設備だけでなくこういった土地の使い方も余念がない。

 

 時間帯の関係か、周囲に人は殆どいなかった。

 

 中庭にあるベンチを見つけ、そこへ腰掛ける雁夜と葵。二人で並んで座るが、隣の葵とどれぐらい距離を空けるべきか、雁夜は悩んでしまう。

 

(これじゃあ、まるで密会だな……桜ちゃんから『時臣と腹を割って話し合え』と言われた後にこんな事して、本当に良いのかよ……)

 

 思わずそんな不安に襲われるも、葵からの申し出であり、かつ夫の時臣から承諾は貰っているため──もちろん時臣本人は渋面だったが──、雁夜としては受けるしかない。

 

「…………」

 

 ベンチに座ってからの葵だが、中々口を開こうとしない。しばしの間、沈黙が流れる。

 そんな空気に耐えかねて、雁夜の方から口を開く。

 

「えーと……葵さん?」

「……ごめんなさい。ちょっと、切り出し方に悩んでしまって」

 

 幼馴染に対して、迷いのこもった返事を返す葵。そんな彼女に対し、雁夜は出来るだけ安心させるように促す。

 

「俺の方は大丈夫だ。それで……話って、何かな」

 

 もし桜の件が起こる前の雁夜や、精神的に追い詰められた雁夜──例えば長い間臓硯に蟲責めをされるとか──なら、葵が自分に振り向いてくれる可能性を妄想しただろうが……

 流石に今の雁夜は、そこまで現実が見えない男ではなかった。

 

「……そうね。いつまで迷っていても、仕方ないわよね」

 

 息を吐き、迷いを振り払う葵。

 勇気を振り絞って、続ける。

 

「私は、雁夜君に謝らなければいけないの」

「え?俺に謝るだって?」

 

 自分から謝るのならともかく、葵から謝られるような心当たりなど、雁夜には全く思い至らなかった。

 

 そんな雁夜の戸惑いを前に、葵は己の本心を打ち明ける。

 

「桜が間桐で受けた、酷い仕打ちについて知らされて……

 

 

 私は、あの人──時臣ではなく、()()()()()()()()()()()()()の」

 

 

 罪の意識に苛まれた顔で告解する葵に……雁夜は、言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今ごろ、二人は話している最中でしょうか……」

 

 病室のベッドの上で、桜は読んでいた本を閉じる。

 父が用事で席を外している間、遠坂の魔導書に目を通していたが、今はあまり気持ちが乗らなかった。

 もちろん、魔導書には一般人が読めないよう認識阻害の術が掛けられているし、病室には簡易的な人払いの結界が張られている。

 

 魔術書を保管用の鞄──こちらも一般人が開けられないようになっている──に仕舞い、簡易的な人払いの結界を解除した桜は、ベッドに上体を倒して仰向けになった。

 

 桜の病室は建物の外側に面しており、中庭が見える内側ではない。そのため、葵と雁夜が話している様子を伺う事は出来なかった。

 まあ、遠くから覗き見るつもりは無かったが。

 

 天井を眺めながら、彼女は呟く。

 

「あれは、言い過ぎだったなあ……」

 

 

 

 

 

 桜が病院に運ばれた当初、母親である葵は当然ながら取り乱していた。しかし、運び込まれる前に時臣がある程度の治癒を済ませており──桜の時臣への文句が()()()()()()()()のはこれが理由でもある──命に別状は無く、後は安静にしていれば良いとわかった事から、ある程度の落ち着きを取り戻す。

 

 それでも葵は精神的な疲労を残していたため、桜は母を元気付けようと積極的に言葉を交わしていた。

 一度手放した次女との会話を続ける事で──失った時間を取り戻すかのように──、葵は徐々に活力を取り戻していった。

 

 そんな穏やかな日々を過ごす中。

 会話の流れが不穏な方向に傾いたのは、桜が間桐の次男について触れた時であった。

 

「そういえば、雁夜おじさんは今頃どうしているでしょうね……私の事を知ったら心配かけてしまうでしょうから、その時は元気な姿を見せて、安心させてあげたいです」

 

 桜が何気ない調子でそう言った直後。

 葵は視線を落とし……俯きながら呟く。

 

「桜はあんな目にあって……雁夜君の事、なんとも思わないの?」

「───は?」

 

 葵からそう告げられた時、桜は何を言っているのかすぐ理解出来なかった。

 より正確には、脳が理解を拒否したと言える。

 

「いや、お母様……どうしてそこで、そんな言葉が出てくるんですか……?」

 

 戸惑った様子を見せる桜であったが、遅れて理解が追いついてくる。

 

(お母様は、私が間桐へ養子に出された事の責任を、雁夜おじさんに求めるの?)

 

 そんな桜の嫌な予想を確定させる言葉が、葵の口から放たれる。

 

「だって……彼が間桐の事を早く打ち明けてくれていれば、桜が辛い目に遭う事なんてなかったのに」

 

 負の感情が籠った母の言葉に、桜は即座に反論する。

 

「お母様、それは雁夜おじさんに要求し過ぎです。私が間桐へ養子に出されるだなんて、魔道に関わらない人生を選んだ雁夜おじさんに予想出来る筈がありません。未来の予想は、言うほど簡単な事ではないですから」

 

「でも、間桐の魔術の悍ましさを知っていたのなら、もう少し危機感を私達に共有してくれてもよかったじゃない。そうすれば、時臣は……貴女のお父様は、正しい判断を下せた」

 

「……私は確かに、『雁夜おじさんから事情を話してもらっていれば』とお父様に言いました。でも、それはあくまで()()()()()()()()()()にです。間桐の家を出奔し、臓硯から逃れた雁夜おじさんにじゃありません」

 

 その経緯から、間桐の闇を自発的に打ち明けるのは難しかっただろう。

 遠坂の方から、『盟友相手の交流』という名目で顔を合わせて聞き出すべきだった。

 

「私はこれ以上、お父様にアレコレ言うつもりはありませんが……それでも、責任の所在を求めるなら……それは養子の決断を下した、お父様にあるでしょう」

 

 父に対して申し訳ない気持ちを抱きながらも、筋論でそう述べる桜。

 この理屈は、当事者たる時臣自身が認めているものだ。遠坂の当主として確固たる自負と責任を抱いているため、自らの失態から目を逸らすような真似はしない。

 

 だが、葵は肯定的に受け取らなかったようだ。僅かではあるが、反射的に顔色を険しくし、咎めるような口調で言ってくる。

 

「桜は、あの人を責めるの?桜を助けてくれたのに」

「お父様が瀕死の私を治してくださったのは感謝しています。そのご恩を忘れてなんかいません」

 

 桜の言葉は全く偽りの無いものであったが、同時に葵のいい草に苛立ちを覚えたのも事実だった。

 

(私を間桐へ養子に送った事を棚に置いて、助けた行為にだけ言及するのはどういう事?)

 

 そんな桜の内心に気付かず、葵の口調は強まる。

 

「だったらっ……どうして桜は、あの人ではなく雁夜君の肩を持つの?そんなの、おかしいじゃない……!」

「お母様……」

 

 ……母の『夫を優先する』という考えは、本来なら至極当然の考えだ。幼馴染であっても家族でない人間を優先するのは、確かにおかしい。

 だがそこには……その当人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という重要な前提がある。

 

 今回の件は、その前提が成り立たないのだ。

 

(見誤った……!まさかお母様が、()()()()お父様に傾倒してるだなんて……!)

 

 ……遠坂の家に嫁いでからずっと、葵は淑女として振る舞ってきた。自分の主張を決して前に出さず、当主たる時臣を支える事に徹してきた。

 それは義務感だけでなく、時臣への深い愛情があってのものだ。何よりも優先するくらいの、深い愛情が。

 

「雁夜君じゃなくあの人を責めるだなんて、やってはいけない事よ……!」

「繰り返しますが、私はこれ以上お父様にアレコレ言うつもりはありません。あくまで、物事の筋論を話しているのであって───」

 

 そんな彼女にとって……夫に異論を提示するなど、以ての外なのだろう。

 ましてや、夫の失態を批判するなど、あり得ない事だった。

 

(お父様が失態を犯した事を、分かってない訳ではないだろうけど……)

 

 むしろ()()()()()()()()()()、葵の中でこれまでの生き方と軋轢を起こしてしまい、ここまでムキになってしまっているのだろう。

 桜が間桐で過酷な目にあった事に対する悲しみや怒りが、養子の決定を下した時臣に向かず、養子の遠因()()()()()雁夜に向けられてしまうのは、そういう事なのでは。

 

(だったら、どちらも責めなければ良いのに……)

 

 悔しくなって、奥歯を噛み締める桜。

 

 時臣を責めないのなら、雁夜も責めるべきではない。それが筋というものだ。

 なのに、雁夜への怒りだけ表に出てしまうのは……葵が自分の負の感情に耐えられてないからだ。分かりやすい矛先を求めてしまうからだ。

 

 遠坂葵の歪さであり、弱さであった。

 

 感情的になる母と噛み合わない会話を続ける中、桜は憂鬱な気持ちで判断する。

 

(ダメだ、これは埒があかない)

 

 別に桜は、葵の価値観を正そうなどと大それた事を考えている訳ではなかった。

 葵は長い間この歪な生き方をしてきたのだから、その生き方を短時間で変革できる筈はないし、またそれを望むほど桜は傲慢ではない。

 

 

 ただ……()()()()()()()()()()()()()()()()としては、葵の言葉を見過ごす事など出来なかったのだ。

 

 

 桜は、こんなところで母と言い争いなんてしたくなかった。せっかく間桐から生き延び、再び顔を合わせ、言葉を交わせるようになったのだから。

 彼女はただ、『責めるのをやめて欲しい』と母に言っているだけなのだが……どうやら無理そうだった。

 

 仕方ないので、桜は妥協して『せめて雁夜の前ではその感情を出さないで欲しい』という方針にシフトする。

 

 声の調子が感情的にならないよう、自制する桜。普通の幼子ならまず不可能な事だが、今の桜なら問題なく実行可能だ。

 

 大丈夫だ、あの蟲の大群に耐える事と比べたら、この程度はとても簡単な事───

 

 

 

「そもそも!雁夜君が()()()()()()()()()()、こんな事にならなかったのに!」

 

「─────────」

 

 

 

 葵のその言葉を聞いて。

 桜は、()()()()()()()()()

 

「だから───」

 

 

 

 

「いい加減にして」

 

 

 

 

「───!?」

 

 恐ろしく鋭い、娘の声に。

 葵の糾弾は、強制的に止められる。

 

「さ……さく、ら……」

 

 口を震わせながら、葵は……

 娘が自分に向ける鋭い眼光に、恐れ慄く。

 

 

 

 ……忘れてはいけない。

 

 幼子であっても、桜は()()()()()()()()()のだ。

 あの、500年という長きを生きた翁であり、邪悪な妖怪とでも言うべき存在を。

 

 そんな相手に、()()()()()()()()()が圧倒されるのは当然の事だった。

 

 

 

 いつもなら、恐れ慄く母を気遣う桜であったが。

 葵が口にした『間桐から逃げなければ』という言葉だけは、許せなかった。

 

「さっきから聞いていれば……お母さんは一体、間桐の恐ろしさを何だと思っているの?」

 

 怒りが込められながらも、決して荒らげる事なく放たれる桜の言葉。

 彼女は()()()()、その口調を()()()()()()()()()()()へと切り替えている。

 

「あの蟲蔵を見てないから、お母さんはそんな事が言えるのよ。あれを目にして、恐怖を抱かないはずがない。

 

 私はそれを……よく知っている」

 

 

 

 あれは、間桐へ養子に出されて、幾らかの日数が経った後。

 新たな住処に、私が慣れ始めた頃だった。

 

 家族と離れて寂しさを覚えながらも、魔術師として研鑽を積まなければと、自分なりに決意を抱いていた。

 もし魔術師として大成すれば、遠坂と間桐の間で結ばれた相互不干渉をなんとか出来て、また大切な遠坂の家族に会えるのではと、そんな希望まで持っていた。

 

 そんな自分を見ながら……あの臓硯は不気味に呟いたんだ。

 

 「ふむ……そろそろ、()()()かのぉ」

 

 ……当時の自分は、あの翁の呟きに『一体何の事か』と思ったけれど。

 同時に、とても不吉な予感を覚えた。

 これまで一度も感じたことがない程の、不吉な予感。

 

 だけど……私がどう思おうと、臓硯に逆らうという選択肢はなかった。

 

 相手は魔道の家の支配者であり、当時の私には養子として来た弱い立場……つまり下っ端。

 明確に害すると宣言されてない以上、反抗する訳にはいかなかったし、また具体的な対抗手段も()()()()()()()()()()

 

「では、桜よ。儂に付いてこい。

 いずれこの家を継ぐお前に、間桐の真髄を見せてやろう」

 

 どこか嗜虐的な表情を浮かべ、自分を先導する臓硯。選択肢のない私は、あの翁に付いていくしかなかった。

 足を進める度に、膨れ上がっていく不安感。

 

 屋敷の地下へと降りる暗い階段に辿り着き、そこを臓硯の後を付いて降っていく。

 そして、暗い階段を降りた先で……

 

 

 自分は、あの醜悪な蟲の大群を目にしたんだ。

 

 

 かつて感じた事がない凄まじい恐怖で、体を震わせる私。

 体中から止めどなく汗が流れ、呼吸が激しく乱れる。

 

 そんな自分に対し、臓硯は愉快げに告げる。

 

「さあ、桜よ。お前はこれから、あの蟲達と交わるのだ」

 

 絶望の宣告が、私に下された。

 

 

 

「あの時の恐怖は、よく覚えている……きっと、一生忘れない」

 

 そう、忘れる筈がない。

 忘れられる筈がないんだ、あの光景は。

 

 自分は最初から覚悟が決まっていた訳じゃない。最初から異常なまでの精神力を備えていた訳じゃない。

 

 蟲に蹂躙される中で、こんな家で終わりたくないという渇望と、自分を嬲って楽しんでいる外道への反骨心が、生きる活力を与えてくれた。

 

 異常な精神力と年齢不相応の思考力は、あの凄まじい地獄を味わったからこそ得られたものだった。

 

「今の私の在り方が、あの蟲蔵の恐ろしさを表してると……お母さんにはわからないの?」

「だ、だったら……」

 

 恐怖の記憶を落ち着いて語る娘に気圧されながら、葵はなんとか言葉を絞り出す。

 

「尚の事……雁夜君が間桐から逃げなければ、そんな目には───」

「そんな目にあったからこそ、私は言ってほしくないんだよ。お母さん」

 

 葵の言葉を静かに遮り、桜は告げる。

 

()()()()()()()()()()()、私には分かるの。

 かつて臓硯に初めて蟲蔵を見せられた時の、()()()()()()()()()()

 

「あ……」

 

 桜に告げられ、葵はようやくそこに思い至る。

 そんな母の気付きを目にした桜だが、口調を変える事なく続ける。

 

「遠坂の娘である私と違って、初めから間桐の人間である雁夜おじさんは、蟲で肉体を調整する必要はなかったけど……

 もし間桐から逃げなければ、家督を継ぐ事になっていたから……いつか蟲蔵に入れられていたとしても、決しておかしくなかった」

 

 雁夜が全く魔術の資質を持たなければ……間桐の血筋が完全に枯れてしまえば、臓硯は蟲蔵に放り込む必要性を覚えないだろう。

 だが、雁夜本人にとって不幸な事に、彼はまだ()()()()()()()()()()()()()

 それ故に、間桐の家督を継いで魔術師になる場合、蟲蔵へ入れられる未来を否定出来なかった。

 

(もっとも……あの臓硯の事だから、必要がなくても戯れに蟲蔵へ放り込む可能性は、決して捨てきれないんだけれど)

 

 自分が葬った翁の悪辣さを想像する桜。

 本人の思考回路を完全にトレースできる訳がないので、本当のところはわからないが。

 

「それは逃げるよ、あんな家。逃げられるのなら、逃げるに決まっている。

 雁夜おじさんだけでなく、あの鶴野さんだってそう。逃げられるなら、逃げて良かったと思っている……現実的には無理だったけど」

 

 名目だけの当主に据えられ、何不自由のない暮らしが与えられたと()()()()()()()()()、養子先の父を思い浮かべる桜。

 蟲を操る臓硯に怯え、そんな人外に言われるまま自分を調教し、ストレスと恐怖や罪悪感と無力感に苛まれていた。

 その立場上、臓硯が存命でいるうちは間桐の家から逃れられなかった人物だ。

 

 雁夜とは仲が良くなかったようだけれど……あの翁の支配下で、兄弟の絆を育み相手を優先するなど、極めて困難だった筈だ。

 

「雁夜おじさんが逃げずに間桐の家督を継いでいればだなんて、口が裂けても言えない。そんな事が言えるのは、あの恐怖を知らない安全な場所にいる人だよ。

 『心折れずに責任を果たせ』だとか『幼子のために身を犠牲にしろ』だとか、『蟲の責苦を味わっても誠実さや責任感を失うな』だとか……そういった類の言葉を聞くの、私は嫌だ」

 

 話しているうちに、桜の中の怒りは収まってきて、口調も和らいできた。

 葵に向けていた射抜くような視線も和らげ、桜は続ける。

 

「お母さんが、お父さんと私を優先するのを……否定はしないよ。それは家族として、当然のことだから。

 ……私はあまり、言葉として口には出したくないけど……

 それでも敢えて言うなら、雁夜おじさんは()()()()()()()()()()()()()。だから、お母さんの優先順位自体は、間違っていない。

 けれど……」

 

 そこで一拍置いてから、言葉を繋げる。

 

「だからといって、幼馴染の雁夜おじさんを……そんな()()()()()()()()()()()()()()

 

「ち、違う……違うの、桜……

 私はっ、そんな、つもりじゃ……っ」

 

 ようやく、自分が何を言っていたかの自覚が追いついてきて、葵は狼狽する。

 

「私は、あなたを、あの人を慮ってっ……決して、雁夜君の事を否定していた、訳じゃ……!」

 

 言ってから、言葉に詰まる葵。

 いま口走っている事が、言い訳にすらなっておらず、見苦しい醜態を晒していると、気付かずにはいられなかったから。

 

「私は、私はっ……!」

 

 なんとか言葉を絞り出そうとするも、言葉が出てこない。

 雁夜を否定せず、それでいて、時臣を否定せずに済む言葉を必死で探すが……混乱した頭では、見つからない。

 

「わたしは……わた、し…は………」

 

 ただ、『誰も責めなければ良い』という至極単純な事を、受け入れれば良いだけなのに……そこに思い至れない。

 

 

 そんな葵の姿を見て……

 桜は、自分の中に残っていた怒りが急速に鎮火し、むしろ申し訳なさを覚えた。

 

 流石にやり過ぎたと反省し、自分の方から引き下がる事にする。

 

「……私が言い過ぎたようです。ごめんなさい」

 

 口調を現在のそれに戻し、桜は葵に頭を下げる。

 これ以上言っても、ただ母を追い詰めるだけだろう。彼女はそんな事がしたい訳ではなかった。

 

「お母様は心労が溜まって、色々と限界だったのに……私の気遣いが、足りなかったです」

 

 実際、いくら葵が時臣に傾倒しているとはいえ、今回のような偏った見方をしてしまったのは、かなり精神的に参っていたからだろう。

 

「桜……」

 

 頭を下げてそう言ってくる桜に、葵は呆気に取られる。

 まさか……娘の方から矛を収めてくるとは、思ってなかったから。

 

 呆然とする母を前に、桜は顔を上げて苦笑を浮かべる。

 

「子供が偉そうな事を言ってしまいました。全く……たかが5歳の小娘が、一体なにを言ってるんだか。

 お母様には、私が経験した事のない親としての苦労があるというのに」

 

 そう自嘲する桜を前に……

 葵の中で、至らない自分への情け無さが猛烈に込み上がってくる。

 

 

 間桐で酷い目に遭った娘にここまで言わせて、かつ気を遣われるだなんて。

 本来なら自分こそ、まだ幼い娘を気遣わなければいけないのに。

 

 自分は一体、なんなんだと。

 これで母親だと、胸を張って言えるのか。

 

 親は、子供を慈しむだけでなく、道標にもならなければいけないのに。

 

 

 遠坂葵は───

 衝動的に、ベッドの上の桜を抱きしめた。

 

「お、お母様?」

 

 驚きの声を上げる桜。

 突然の母の行動に戸惑いを隠せない。

 

 そんな娘に、葵は肩を震わせながら小さな声を漏らす。

 

「ごめんね……桜……」

「お母さん?」

 

 今度は意図的にではなく、無意識に以前の呼び方をしてしまう桜。

 

「本当にっ……ごめんねっ……!」

 

 そして、その声が嗚咽混じりである事に気付く。

 

「駄目な母親で、本当にごめんなさいっ……!」

「お母、さん……」

 

 葵の謝罪に、桜は言葉を失う。

 すぐに『それは違う、自分はそんな事言ってない』と返そうと思ったが……寸前で飲み込む。

 慰めてあげたいのを、必死で抑える。

 

 葵は桜との言葉のぶつけ合いを通して、今の自分は母親として、娘にとっての模範にはなり得ないと痛感したからだ。

 それは葵の心に、大きな痛みをもたらしたが……彼女が成長する上で必要な過程だろう。

 

 ここで上っ面のやり取りをして、目先の慰めをするべきではないと、桜は思った。

 

 ただ───

 

(流石に、言い過ぎた……)

 

 内心でそう呟き、桜は己の未熟を恥じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そんな事があったのか」

 

 俯きがちな葵からの告解を聞き、雁夜はそう言葉を零す。

 

 最初に葵から打ち明けられた時は、衝撃で頭の中が真っ白になった。

 しかし、葵が最初から謝罪の姿勢であったため、雁夜は取り乱さず聞き役になる事が出来た。

 

(もし葵さんが責めるような口調で言ってきたら、きっと俺は醜態を晒していたんだろうな……

 はは、相変わらず情け無い男だな、俺って。

 桜ちゃんは俺を庇ってくれたけど……本当ならあの子からも、そして葵さんからも……恨まれて仕方のない男なのにさ)

 

 そんな自分の弱さに自嘲しながら、雁夜は桜が自分を庇ってくれた話の流れに思いを馳せる。

 

(最初から間桐の人間である俺は、桜ちゃんのように肉体調整のため蟲蔵には入れられていない。けれど……)

 

 それでも、あれを初めて目にした時の恐怖は一生忘れられないだろう。

 自分を庇ってくれた、あの子の言う通りだ。

 

 あの時の臓硯とのやり取りは、今でも思い出せる。

 

 

 

『ふむ、雁夜よ。どうした?一体何をそんなに震えておる?』

 

『お前の資質は鶴野より優れている。間桐の秘奥を継がせるのなら、それはお前であろう。考えるまでもなく分かる事だろうて』

 

『何?こんな蟲達に身を沈めるのは嫌だ?早くこの蟲蔵から出してくれだと?

 クク、カカカカカッ!そうかそうか!ただ蟲達の群れを()()()()というのに、お前はそう言うか、雁夜!』

 

『クク、可愛い息子からの必死の頼み、流石に無下にする訳にはいかんなぁ。出来の悪い息子ほど、親としては甘くなるというものよ、ククク』

 

『まあ、良い。枯れたとはいえお前は間桐の人間だ。肉体の調整を必要としている訳でもない。

 よって、お前に無理強いはせぬ。今日は、儂の蟲達を見せるだけにするとしよう。だが……

 

 

 この間桐に居続ける限り、これは決して逃れられぬ定めと知れ、雁夜よ』

 

 

 

 ……そう、本当に桜ちゃんの言う通りだ。

 あの光景は、忘れられる筈がない。

 

 それほどまでに、あの蟲蔵は恐ろしい光景だった。

 

(桜ちゃんは俺を庇ってくれただけでなく、臓硯と蟲蔵をこの世から消してくれた……あの子には頭が上がらないな)

 

 そのように雁夜が物思いにふけっていると、葵は恐る恐る聞いてくる。

 

「雁夜君……私に、怒らないの……?」

「……どうして、俺が葵さんに怒るんだ?」

 

 葵の言っている意味は分かっているが、雁夜はなんとなく疑問形の言葉を返す。

 

「だって、私はあなたが間桐を出奔した事ついて、その理由を本当の意味で理解してなかった……それで、あなたに向けるべきじゃない感情を、私は向けてしまった……」

 

 葵が続けた懺悔に、雁夜は正直な想いを口にする。

 

「怒るというよりも……どちらかというと、少しショックだったな……そう思われて、仕方ない事なんだけどさ」

「そう……やっぱり、ショックよね」

 

 幼馴染の女性の言葉に、間桐の次男は「いや、あくまでちょっとなんだけどさ」と宥める。この辺りは惚れた弱みだ。

 そんな彼の密かな想いに気付くことなく、葵は話し続ける。

 

「……私は、あの人を……時臣を愛している。この気持ちは絶対に譲れないし、あの人を支える事が、私の生きる目的……」

 

 雁夜としては、やはり葵から時臣への愛を聞かされるのは色々とクルものがあったが……現実は変わらないので、目を逸らすわけにはいかない。

 彼は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「けれど、桜との会話で……自分が母親として駄目なんだと、思い知らされたわ……」

 

 今まで疑う事などなかった生き方に、ヒビが入ったやり取りだった。

 

「今回の話だけじゃないの。桜が間桐へ養子に出される時……私は夫に対して、なんの意見も言わなかった。あの子の将来を左右する重大な決定なのに、私はただ従っただけ……

 それが、遠坂に嫁いだ女の役割で、あの人を支える事だと信じていたから」

 

 桜は決して言葉にしなかったが……葵が時臣へ向ける愛情は、()()と映っただろう。

 

「きっと……いや、間違いなく、私は人として歪んでいるんでしょうね……本来なら、桜から毒親だと思われても、全く反論出来ないわ……」

 

 時臣に直接的な責任があるのなら、葵には間接的な責任があった。

 それを差し置いて、雁夜を責める訳にはいかない。

 

 自信を失っている葵。あれから時間が経っているが、まだ持ち直せていない。

 彼女は、決して強い人間ではないのだ。

 

「葵さん……」

 

 密かな想い人にどのような言葉を告げるべきか、迷う雁夜。

 

(葵さんの在り方が歪んでいるのは、間違いないんだろうな……『お前が言うな』とかいう声が飛んできそうだけど)

 

 とは言っても、安易に『それを変えろ』と言うのも憚られる雁夜。言って簡単に変わるモノでもない事ぐらいはわかっていた。

 そもそも、今ここでアドバイスをしようとしても、そこには雁夜の願望が混じってしまう。

 

(それは、流石に駄目だろ……)

 

 ……以前の雁夜なら、ここで葵を慰めることで自分に気持ちが向くのではという、自分本位な願望を抱いたであろう。

 その欲望を叶えようと、見当違いな意見を言ってしまい、結局は葵になんの救いも齎さない結果になっていた筈だ。

 

 だからといって、葵に『自分の意見を主張して、時臣と二人三脚で頑張れ』といえば良いかというと……この夫婦にまかせっきりにするのは、雁夜的にとても不安を覚えてしまう。

 いや、改めて雁夜に『お前が言うな』とかいう声が飛んできそうではあるが。

 

(……桜ちゃんは、あのジジイを乗り越えた。なのに、俺がいつまでも自分本位なままでいい訳がないよな)

 

 ……きっと、頃合いなのだろう。

 自分と葵の関係から、()()()()()()()のは。

 

「そこは……俺だけじゃ葵さんの力になれないな。

 君の夫である……時臣のやつと、賢くなった桜ちゃんとも、話していく必要があるだろう」

 

 雁夜は自分でも驚くほど、利他的な心境で話すことが出来た。

 これは機会だと思い、さらに踏み込む。

 

「葵さん……これから会う時は、時臣がいる遠坂の屋敷で会おう」

「雁夜君?」

 

 これまで時臣との仲がよろしくなかった事は、流石に葵も察していた。

 それ故に、雁夜の提案は予想外だった。

 

「桜ちゃんに、時臣と腹を割って話し合えって言われたからさ。あの流れから、俺と時臣には拒否権がないし。

 ……あいつとは考えが合わないところが沢山あるだろうし、聞いても絶対に共感できない部分だって出てくるだろう。けれど、それでも折り合いは付けないといけない。

 臓硯を葬り、葵さんの元に帰ってきてくれた桜ちゃんのために」

 

 このような考え、雁夜だけでは絶対に抱かなかっただろう。

 むしろ一歩間違えれば、桜を苦しませた事と葵を悲しませた事から、時臣を深く憎悪していたに違いない。

 時臣が己の過ちを認めていなければ、雁夜は彼を許すことが出来なかった筈だ。

 

 だが、遠坂時臣は反省の意思を示した。

 例えそこに、間桐雁夜が嫌いな魔術師的な価値観が混ざっていたとしても……『私は間違っていない』などと愚かな態度を取らなかった。

 

(桜ちゃんがあんな提案をしたという事は、俺に()()()()()()()いう事だ)

 

 間桐の闇を消し去ってくれたあの子の意思を、逃げた自分が無駄にするのは決して許されない。

 これ以上、醜態を晒す生き方は許されないんだ。

 

 いい年した大人が格好悪いままじゃ、示しがつかないだろうが!

 

「葵さんと時臣だけでなく、俺や桜ちゃんと一緒に、色々と話していこう……それで、葵さんは母親として成長していけるんじゃないか?」

 

 結婚したことのない雁夜──本人にとって誠に不本意だが──には、『親はこうあるべき』等というアドバイスは出来ないが、桜が子供の立場から協力すればなんとかなるだろう。

 そもそも、時臣とは腹を割って話し合っても根本的に価値観が異なるから、仲良しこよしとはいかない筈だ。雁夜だけでなく、桜の助力は必ず必要だった。

 具体的な内容に乏しい提案で、自分の頭の悪さに雁夜は自虐的気持ちになるが、現状ではこれしか言える事がなかった。

 

 そんな提案を聞いた葵は……思わず笑みを零す。

 

「雁夜君、そこに凛を混ぜてあげないと、あの子拗ねるわよ」

「え!?いや、俺は別に凛ちゃんを除け者にした訳じゃないというか、話の流れというか……!」

 

 言われてみればその通りなので、雁夜は慌ててしまう。

 

「わかっているわ。今の桜は年齢不相応に賢くなっている。間桐で大変な目にあって……成長するしかなかったから。

 凛はそういう経験をしてないから、賢いと言っても子供のまま。私の愚かさと向き合うのは……まだ荷が重いと思う」

 

 もっとも、これは仕方のない事だろう。

 蟲蔵による責め苦など普通は体験しないし、()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「そうね。わかったわ。これから会う時は遠坂の屋敷か、時臣が同席している時にしましょう。

 でも、あの人と取っ組み合いとかしないでね?二人ともなんかいがみ合っているし」

 

「あー……桜ちゃんに『腹を割って話せ』と言われたから、そこは善処するよ……」

 

 このあと控えている宿()()に、今になって『大丈夫だろう』か不安になってしまう雁夜。

 

(……俺とあいつだけでなく、桜ちゃんにも同席してもらった方が良さそうだな……魔術師的な価値観を話されて、冷静に受け止められるか自信がない……)

 

 ヘタレと言われそうだが、再び拗れるような事態は避けなければならない。

 見届け人として、桜に同席してもらうのは有効な選択だった。

 

 話がまとまったところで、葵は話に付き合ってくれた雁夜に頭を下げる。

 

「今日はありがとう、雁夜君。こんな話のために時間を取らせてしまって」

「……別にいいさ。色々と話してスッキリしたから。これからも……よろしく」

 

 こうして二人の関係は……

 良い意味で、少し変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後10時を過ぎた頃。

 当然ながら、もう夜だ。

 

 消灯時間は過ぎており、病室は暗くなっている。

 

「…………」

 

 ベッドの上で、桜はなんとなく窓の向こうにある街の夜景を眺めていた。

 人の営みによって作られる灯りの数々に、どこか安らぎを覚える。

 

 しばらく眺めていると、彼女は軽く息を吐く。

 

「……臓硯を倒したからといって、私が子供であることは変わらない、か……」

 

 数日前の母とのやり取りを思い出しながら、桜は独り言ちる。

 

 他にどんな言い方があったのか、今の桜には分からなかった。

 もっと上手い言い方があったのか、あるいは、あの言い方だから母が自分の歪みに自覚できたのか。

 

 桜は右手を起こし、手のひらを開いて静かに眺める。

 

 小さな手だ。父や母とは、比べるべくもない。

 同時に、窓ガラスに薄っすらと映る自分の姿を見て、未だ幼子の身でしかない事を再確認する。

 

「思考回路が()()成長したからといって、まだまだ未熟ですね……」

 

 自分には、至らないところが沢山ある。

 どのような生き方をするにせよ──命ある限り、全力で励み研鑽を積んでいかなければ。

 

「もっと学んで、成長しないと」

 

 未来への意思をより強く固めて、桜は拳を握りしめた。

 

 

 




 途中まで『話が通じねぇ!』と内心頭を抱えた桜だけど、葵が失言をしたお蔭でなんとか着地点へ持っていけた。
 そして、一歩前に進めた雁夜おじさん。『コイツはもっとダメ人間だろ!』とお思いの方々はいらっしゃるかと思われるが、そこは桜のお蔭で奮起した模様。あと、原作本編みたいに蟲の拷問で精神的に追い詰められてないし。

 初めて蟲蔵を見た時は、流石に恐怖を抱いた桜。あんなの、最初から恐れるなという方が土台無理な話だから。
 そして恐怖を知らないよりも、知っていてそれを乗り越える方が、英雄王的評価ポイントは高そう。



 ……あれ?なんでだろう。
 まだ登場が先なのに、英雄王の影がチラつきまくって仕方ない()


 
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