「自分」とは何か。ネビュラーにとって「自分」という意識は、大型個体と無数の群生体を一つにした大きな「集合体」であった。大型ネビュラーにとって足元の群生体たちは別の身体を有する他者でもあったし、しかし同時に、同じ意識を共有する同一存在……即ち「自分」とも言えた。それはまた逆も然り、だった。
ネビュラーとは、個体個体の名ではない。群れに属するすべての個体を包含して初めて「ネビュラー」なのだ。
ネビュラーは極めて攻撃的な生物群だった。彼らの生まれた星の環境は厳しかった。灼熱の日中、極寒の夜、絶えず降り注ぐ宇宙線や有毒ガス……。
そんな環境で生き抜くため、彼らは自分以外の生物を駆逐し、飲み込んだ。それに飽き足らず、やがて大地を覆いつくし、星を「作り変えた」。その星そのものを「ネビュラー」としたのだ。
しかし、問題は星を埋め尽くしてしまってからだった。彼らにとっても共食いは気持ちの良いものではない。母星ではこれ以上の繁栄は見込めない。となれば、方法はただ一つ。
生物種としての本能「繁栄」を求めて、ネビュラーは自身の一部を瓶に詰め、宇宙へ流した。無限の海を彷徨い、運良く新天地にたどり着いたら、その星を作り変える。彼らの故郷と同じように。「ネビュラー」へと。
ネビュラーの本質はその侵略性にある。新天地の環境に適応するのではなく、環境を自分好みに改編する。その過程で邪魔をしてくる者があれば殲滅するのみ。侵略し、敵を排除するために存在する生物群……共生や対話といった概念は存在しない。
彼らはただ、金属の洗礼を広める、宇宙の放浪者であった。
この惑星も、今まで彼らの同族がそうしてきたように、即座にネビュラーに占拠されるはずだった。しかし。札幌市内に展開していた小型個体が、迫りくる「何か」を察知した。そして、その「何か」に踏み潰された。
大型ネビュラーはこの時初めて、自分たちの楽園を破壊しようとする、最大の脅威を知った。
◇◇◇◇◇
俺たちは車を停め、見晴らしの良い高台から札幌市街地を見下ろしていた。吹雪と煙に覆われた市街地に佇む巨大な影はネビュラー。先ほどからじっと動かず、ただ一点、海の方角を見つめて動きを止めていた。
ドォォォン
断続的に聞こえる地鳴り。鈍い振動が伝わってくる。砲撃でもなければ地震でもない……しかし、俺たちは薄々察していた。アイツが、来た。
吹雪の中、ネビュラーと相対するように影が現れた。さらに一歩を踏み出したところで前進を停止したそれ。両者一定の距離を保ったまま動かない。
吹雪が少しだけ弱まったことでその全容が明らかになった。
赤い甲殻に身を包んだ大怪獣。両手の鋏を開き、黄色く光を発する眼球でネビュラーを威嚇するその姿は、勇ましく、また懐かしくあった。
やはり。アイツはまた現れた……いや、来てくれた。
隣で見守っていた桂木さんが、不意に足を踏み出した。手すりのぎりぎりまで前進した彼女は、少しでも近づきたいかのように身を乗り出した。突風が彼女の髪を乱す。後ろからでは分からないが、十分想像できる。おそらく…いや絶対に、彼女は笑顔だった。
「甲殻怪獣…ザリラ!」
その名を呼び、それっきり動かない桂木さん。その手には、ザリラと別れたあの日、一つだけ手元に残した「球」が、ぎゅっと握りしめられていた。
ネビュラーと相対した甲殻怪獣ザリラは、両手の鋏を開き威嚇する。怪獣の体組織すら簡単に裁断する凶器を構え、ネビュラーを牽制。しかしネビュラーも一歩も退こうとしない。互いに相手の出方を見極めるべく、両者はファイティングポーズのままジリジリと距離を詰めていく。
一定の距離に接近したところで両者は動きを止めた。この距離が間合いの限界だと本能で察したのだ。
風に靡くザリラの触覚以外動くものは無い。まさに一触即発。
ザリラはそっと後方に目を遣った。少し離れた丘の上。そこに守るべき人が居る。彼女に求められたから、ザリラはここに来た。もう人間との…彼女との関りは絶つつもりだった。でも。彼女はそう願わなかった。
迫る脅威に気づけたのも、ここに来られたのも、彼女の強い「意思」を感じ取ったからだった。相手が地球の侵略を目的としているのは明確だった。それならば、ザリラとしても絶対に退くことはできない。人々の……彼女の自由と幸せを守るために。
先に仕掛けたのはザリラだった。
ギィィィィ!!!!!!!!!!!!!!!
咆哮一番、突撃を敢行!2万5千トンの質量が地面を陥没させ、コンクリート片を飛散させながら駆ける。一気に距離を詰め敵に肉薄するザリラ。これこそがザリラの基本戦術、至近距離での殴り合いだ!
対するネビュラーは接近するザリラを迎撃する。間合いに入ってきたザリラに対し、即座に腕を振るった。他の三本の「脚」と違い、一番先頭についている脚は「腕」の役目を果たすことができるよう、体重を支える役割とは無縁の構造になっている。カウンター攻撃。鋼鉄の如く硬い鞭が宙を滑る。
間一髪、ザリラはしゃがんで打撃を回避。標的を見失ったネビュラーの腕は、付近の高層ビルを木っ端微塵に粉砕した。
かくしてザリラは敵の間合いに侵入することに成功した。超至近距離ではネビュラーの腕は脅威にならない。懐に入り込んだザリラは、右手を浅く引き……。
バシュッッ!!!!!!!!!!!!!!!
撃ちだされた鉄拳がネビュラーの胸部に突き刺さる!シャコパンチの要領で敵をぶん殴る技、通称「ザリラパンチ」が炸裂した。周囲の空気は瞬間的にプラズマ化して鈍い光を放ち、加熱され膨張した空気が衝撃波として拡散。ザリラの体格からは想像もできないような打撃が炸裂したが……ネビュラーを倒すには至らない。
もう一撃。ザリラは今度は左手を引き、二発目のパンチをお見舞いしようとするが、刹那、その視界が半分になった。
ザリラの右目に“槍”が突き刺さっていた。小型群生体と同様、大型ネビュラーも口(と思われる器官)から槍を発射できたのだ。
グォォォ⁉⁉⁉⁉
網膜を貫き、視神経まで達した槍。あまりのショックにザリラは反射的に目を押さえる。攻撃の構えを解いてしまった。
その隙を見逃すネビュラーではない。ネビュラーは圧倒的な体格を活かし、体当たりを喰らわす。軽々と弾かれるザリラは、宙を舞い、数百メートルにわたって地面を転がった。
「ザリラっ!!」
桂木さんの叫び声が響き渡る。あれは相当痛いやつだ。目を押さえてのたうち回るザリラを、俺たちはただ見つめることしかできない。
奴は強敵だ。しかしザリラは絶対に諦めないと俺は知っている。信じている。
「ザリラ、立って……!」
彼女の声に応えたのだろうか、ザリラが立ち上がる。体を震わし、瓦礫を払い落とすと、赤黒い甲殻が露わになった。これほどのダメージを受けても、甲殻に傷はついていない。
ギシャァァァ……
再び睨み合う両者。束の間の静けさが支配する中、ザリラはネビュラーの巨体を見上げていた。
敵の体高は自身の1.5倍ほどある。まともに格闘戦を仕掛けても、さっきのように返り討ちにされてしまうだろう。ならば。この距離から必殺の一撃で仕留めるしかない。
ザリラの甲殻に蒼白のオーラが纏わりつく。美しさすらある輝きは、必殺の一撃の予感。体内のエネルギーはやがて口に集約され、カッと開かれた口から閃光が覗く。
大気を切り裂いて発射される「閃熱光弾」。周囲の空気を発火させ、余剰なエネルギーをプラズマに変え、太陽と見違えんばかりの閃光が辺りを昼間に変えた。
しかし。
次の瞬間、巨大なスパークが巻き起こった。発射直後の閃熱光弾が空中炸裂したのだ。四方八方に向かう放電が発生し、一帯が青白く染まる。一瞬遅れて青は赤へ変化した。爆発だ。熱波と炎がザリラに襲い掛かった。逃げられない、回避できない。ザリラの目に炎の壁が映った。
ザリラとネビュラーを飲み込む火球が出現。一帯に火災を引き起こした。
「ザリラっ!!」
「いったい何が……。」
身を乗り出しでザリラを案ずる桂木さんと、あまりの出来事に呆然とする氷室准将。熱波がこちらまで到達し、あまりの熱量に狼狽えてしまう。
電子レンジでアルミ箔を加熱すると、放電現象が発生する。これはアルミニウムに存在する自由電子が、レンジのマイクロ波により激しく運動し、アルミ箔の外に飛び出してしまうことが原因だ。この飛び出した電子が「放電」として観測されることになる。
それと同じことが大規模に発生した。ザリラの閃熱光弾は発射の際に強力な電磁波を伴っている。ネビュラーの散布した金属粒子にその電磁波が当たり、自由電子が飛び出す。飛び出した電子が別の金属粒子の自由電子を弾き、さらにその電子が……という反応が連鎖した結果、大規模な放電現象を引き起こしたのだ。
大電力に襲われた二大怪獣は、両者反対方向に弾き飛ばされた。そのエネルギーは市街地にも襲い掛かる。黒焦げたビルが傾き、黒煙を噴き上げる。過大電圧の負荷がかかり溶けた電線は、バチバチと青白い火花を散らしながら断線した。
廃墟と化した街で、巨大な影が再び動き出す。その振動が、轟音が、大気と地面を轟かす。立っているのは果たして。
ネビュラーだ。
電池が切れたように倒れ落ちるザリラを一瞥し、ネビュラーは咆哮した。勝利の雄叫びだった。
再び激しい吹雪が降り始めた。ネビュラーの巨体が、雪の中の影に変わっていく。
ザリラが、負けた。こんなにもあっさりと。
俺は信じられなかった。どこか楽観的に考えていた節があったのかもしれない。ザリラは無敗だった。強かった。結果的にとは言え、古代文明の脅威から俺たちを守ってくれた。怪獣をすべて葬ってくれた。
だが思い返してみれば、ザリラもまた怪獣なのだ。人工的とはいえ生物だ。勝てない相手もいるし、場合によっては……。
視線を上げると、固まったまま動かない桂木さんの姿が映った。頭に、コートに、雪が積もっている。彼女は愕然としていた。何か声をかけたい。
「なぁ、」
言いかけた言葉は、喉に引っ掛かって出てこなかった。
彼女の寂しそうな背中と、その先で燃え上がる札幌が、ひどく目に焼き付いた。
◇◇◇◇◇
国防陸軍北部方面隊は、札幌市街戦において甚大な被害を被った。展開した部隊の大半が撃破され、そうでなくとも弾薬が尽き、もしくは通信が隔絶されていた。まともに戦える状況ではなかった。
そんな中でも一部の部隊は札幌を脱出し、小樽市に再集結していた。小樽にはネビュラーが出現しておらず、通信障害も軽微なものであった。しかし吹雪は容赦なく降り続いていた。
小樽市内に設置された特設の対策本部(実態は通信車両を中心に兵士と兵器が終結しただけである)に、岩崎と氷室の姿もあった。彼らはプレハブの小屋に入っていく。
◇◇◇◇◇
「大佐、率直に聞こう。あなたは甲殻怪獣ザリラが我々の味方だと思うか?」
氷室准将の研ぎ澄まされた視線が突き刺さる。二人っきりの部屋の中、俺は目を背けることもできない。俺の一言でこの後の展開が変わる。だからこそ、本音で話さねばならない。
極寒の寒さなのに滴る冷や汗を拭い、答えた。
「味方です。アイツは、桂木さんの意思が行動原理です。」
「なぜそう断言できる?奴もまた怪獣だ、軍の攻撃対象に含まれているのは知っているだろう。それに……」
「信じているからです。」
准将の言葉を遮ってしまった。彼は目を細めた。何か見極めようとしているかのように見えた。
「自分は桂木さんを、そして彼女の信じるザリラのことを、信じています。親友ですから。」
そう続けた俺の言葉に、准将は小さくため息を吐いた。
「親友……個人的感情をこの場に持ち込むのか。」
もっともである。何の根拠にもなっていない、ただの感情論であった。指摘されるまで気づかなかった自分に嫌気がさす。しかし、それでも。桂木さんを、ザリラを、信じていることに変わりはない。
「とは言え」
と氷室准将。
「こんな議論は無意味かもしれんな。甲殻怪獣ザリラは大規模放電に巻き込まれて活動停止、一方のネビュラーは南に侵攻中。悪天候も電波障害もネビュラー由来の公算が大きい。となれば我々が優先すべきは、ネビュラーの殲滅だ。」
意外な言葉に顔を上げる。もっと追及されるかと思っていた。軍の“敵”である怪獣の情報を隠し持ち、なおかつ個人的感情で行動していたというのに。
思わず「しかし…」と声を漏らすと、准将は振り向きざまに言った。
「大佐への追及は事態が済んでからだ。まず、我々が向き合うべきは、ネビュラーをどうするか。そうだろう?」
それだけ言うと、氷室准将は席を立った。ジャラリ、と金属のような音がした。彼はそれを気にも留めず……いや、気にしていないように振舞いながら、小屋を出て行った。
あの金属の音には聞き覚えがある。認識票だ。兵士は、死傷した際に備えて、自らの情報を記した小さな金属のプレートを持ち歩いている。俺はこれが好きではない。自分の命の重さのように感じてしまうから。
音からして、かなりの数だった。それだけの数の隊員の認識票を持っているとすると。
「まさか。」
声を出してしまった。小屋の中で一人ぼっちになった後で幸いだった。
氷室准将は過去の何かしらの任務で、大勢の仲間を失っている……?そして我々世代の大損害と言えば、2年前の怪獣襲来事件しかない。
だから彼は、怪獣に、ザリラに対してあれほど……。
申し訳なさと、同情と、それでも感じる反発と。いろんな感情が同時に芽を出した。感情の芽は、刈り取る暇もなく、乱雑に葉を伸ばす。
「……氷室准将。あなたは」
どうしたいのですか。閉じたまま沈黙するドアに向かって、しかし、言葉を続けることはできなかった。
第6話「傷跡」に続く