甲殻大怪獣ザリラvs宇宙怪獣ネビュラー   作:佐藤特佐

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第6話 傷跡

 

 廃墟と化した札幌市街地に、巨大な怪獣が横たわっていた。赤黒い体表に雪が降り積もり、周囲と同じ灰色に同化されようとしている。

 

 大規模な放電をもろに浴びたザリラ。高電圧は光弾発射のために開かれた口から体内に侵入し、内部機構を悉く焼いてしまった。電流の逆流。いかに強固な甲殻怪獣でも、予想外の電撃に成す術もなく。全機能を停止し――すなわち死にかけて――、こうして倒れることしかできなかった。

 ザリラの意識にあるのは、彼女のことばかりであった。彼女が願ったから。彼女が助けを求めたから、こうして戦いに来たのに。全く歯が立たなかった。そんな後悔ももはや薄れていた。意識が、感覚が、その思いが、遠のいていく。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 ドアを開けると、相変わらずの吹雪が吹き荒れていた。もうすぐ朝だというのに視界は灰色に染まっている。

 

 氷室准将の持っていた認識票の背景を悟ってから、自分が何を考えているのかわからなくなっていた。准将の心境を思うと胸を締め付けられる思いがする。彼は怪獣を憎んでいる。いや、憎むなんて言葉で表せないような感情を持っているだろう。

 過去の絶望に囚われている。彼も俺と同じなのだ。ただ、「怪獣」という存在が、絶望か希望か、その点だけを除いて。

 

 吹雪の中に赤い光がいくつか宿っている。隊員たちの焚火だ。寒風に吹かれながらも炎はかき消されることなく、周囲に群がる人間たちを暖め続けていた。

 俺もその輪に加わろうと、接近する。集団の端っこ、一番人が少ない焚火に近づくと、傍らに座っていた人が手を振ってきた。よく見ると、桂木さんだった。

 

 

 

 

 

「なるほど……彼にそんなことが。」

 

 俺の話を一通り聞いた桂木さんは、妙に納得したかのように頷いた。彼女は焚火の前に掌を突き出し、冷え性気味だという細い指を暖める。パチパチと薪の爆ぜる音が心地よい。

 

「あくまで俺の推測だ、他の人には言わないでくれよ。」

 

 俺の忠告に桂木さんは「もちろんですよ~」と答えるが、やがて彼女は炎の方を見たまま、静かに口を開いた。その口調から明るさは消えていた。

 

「さっき“俺と同じ”って言いましたよね。それはどういう意味ですか。」

 

「……っ」

 

 俺は小さく息を呑んだ。

 感受性が強くて、仲間思いで、どこか敏感な心を持っている桂木さん。彼女だから、俺の漏らした一言に気づいてしまったのか。

 

「あ、別に嫌なら言わなくても。でも岩崎さん、何かあったのか知らないけど、あなたを苦しめてる“何か”があるんじゃないですか?」

 

 図星。やっぱりバレていたか。でも、まぁこの人になら言ってもいいか。心底に蔓延り続けてきたモヤモヤの根源を、俺はぽつりぽつりと話し出した。

 

 

 

 

 20年ほど前。高校生だった頃である。

 

 あの頃の俺は、現在の様子からは想像もつかないような人物であった。小柄で、やせ形で、姿勢が悪く、大して勉強もできず。いつも教室の隅っこの方で、静かに過ごしているような人間だった。

 

 そんな中、転機となったのは、ある転校生がやってきた時だった。二年生の二学期中盤ごろだったか。

 

長瀬(ながせ) 綾香(あやか)です」

 眩しいほどの笑顔と、肩にかかる黒髪を掻き上げたその姿を、今でも鮮明に覚えている。きれいな人だと思った。そして隣の席になって、心の中でめちゃくちゃに喜んだことも、鮮やかに記憶している。

 

 彼女とは思いの外早く打ち解けた。俺は手先が器用で、折り紙やら紙細工やらが得意だった。授業中、プリントの切れ端で極小サイズの折り鶴を折っていたところ、長瀬さんに発見された。彼女は咎めるでもなく、ただ純粋に「すごい」と褒めてくれた。それからというもの、退屈な授業中こっそり展開される俺の折り紙ショーを、いつも隣から鑑賞していた。熱心な、心から楽しんで見ている目だったと思う。

 

 でも、長瀬さんとの絡みはそれ以上はなかった。休み時間に多少話すことがあっても、放課後になれば言葉を交わすこともなく。いつも友達に囲まれて、楽しそうに談笑している彼女は、やはり自分とは違う次元の存在なのだろう。俺はそう思って納得することにした。

 それでも嫌だとは思わなかった。毎日開催される秘密の折り紙パフォーマンスは一日も欠かさず見てくれたし、好きな折り紙について雑談したり。そうやって「次元の違う人」と関りを持てているだけでも嬉しかったし、純粋に楽しかった。退屈な日常を過ごすささやかな意味にもなっていた。

 

 しかし、これはそんな甘酸っぱい思い出になってくれなかった。甘酸っぱいどころか、まるで底なし沼の泥水のように、俺の心を溺死させることに繋がってしまう。

 

 

 長瀬さんが転校してきてから二か月経った頃だろうか。放課後、忘れ物を取りに戻った時だった。明日は生物のテストがあるのに、教科書をロッカーに置いてきてしまった。勉強しないと厳しいかもしれない。そう焦っていて、教室の前に辿り着くまで、その“声”に気づかなかった。

 

「やめ……やめてってば!」

 

 長瀬さんの声だった。おとなしい雰囲気の彼女とは思えない、悲鳴に近い声だった。何か危険な雰囲気を察し、数センチ開いた入口の隙間から教室を覗き込んだ。その時目に映った光景は。

 

 五人が長瀬さんを取り囲んでいた。あまり関わりたくない人……粗暴なタイプの男子や派手な女子……たちが長瀬さんに詰め寄っている。良くない状況なのは目に見えている。

 

 

「なぁ、お前ほんと目立ちたがりだよな。この筆箱とかさ。イキってんの?」

「それサメの筆箱…旅行に行った時の……返してよ!」

「そんなの要らないでしょアヤ~」

「目立ちたいんだったら俺が付き合ってやるからさ、ね?」

 

 言葉だけにはとどまらず、女子生徒がシャープペンシルの先端で長瀬さんを突く。大柄な三年生の男子が逃げ道を塞いだ上で。刺突をなんとか防ごうとした彼女の腕に、二つ三つと刺し傷ができる。

 

 

 その時初めて気がついた。暖かい日でも彼女が長袖を着続けていたのは、腕の傷を隠すためだったのだ。授業中や休み時間に話しかけてきたのは、助けを求めるきっかけを作ろうとしていたんだ、と。

 

 苦痛に喘ぐ長瀬さんがこちらに視線を向けた。ドアの隙間から覗く俺と目が合ってしまった。助けたい。助けなければならない。

 でも、できなかった。怖くて、苦しくて、わからなくて。俺は逃げた。夕日の差す廊下が憎いほど眩しかった。教科書を取りに行ったのに、それすら忘れていた。

 

 

 その夜は自力で生物学の勉強をしようとしたが、内容が全く頭に入ってこなかった。布団に入っても眠れなかった。助けを求める長瀬さんの目が、頭から離れなかったから。

 翌日、学校に行くと、いつも「おはよう」と声をかけてくれる長瀬さんは、机に突っ伏したまま顔を上げなかった。折り紙ショーは久々の無観客だった。生物学のテストは、彼女の横顔を眺めるのが主で終わった。左手首の赤い跡が視線に入ったが、一瞬後には袖の中に隠された。

 

 その日は初めて、長瀬さんと一言も言葉を交わさなかった。目を合わせすらしなかった。

 嫌われただろうか。そりゃそうだろう。見捨てて逃げたのだから。後悔に苛まれた俺は、何を思ったか、学校の裏口から帰ることにした。グラウンドから聞こえてくる野球部の声がうるさい。その喧騒から逃れるように校舎の角を曲がった所で、俺は“彼女”に再会することになる。

 

 血だまりの中に、人が倒れていた。不思議と焦りや衝撃はなかった。校舎の屋上かどこかから飛び降りたのだろうか。藍色の制服が赤黒い液体を吸収して、黒っぽく変色していた。血の海から唯一はみ出していた左手に、少し塞がった刺し傷が見えた。

 それを見た途端、まさか、と思った。途轍もない悪寒を感じた。それが間違いであることを確認すべく、倒れる彼女の顔が見える方へと移動し……。

 その微かな期待は打ち砕かれた。

 

 見間違うはずがない。長瀬綾香さんだった。

 

 俺は彼女に駆け寄った。血だまりに足を踏み入れ、倒れた彼女の肩を揺する。返事をしてよ。目を開けてよ。ねぇ⁉彼女の顔から血の気が失せていた。普段から色白なのに輪を掛けて、雪のように白く。

 ふと、手に生暖かい感覚を感じた。両手が赤く染まっていた。それを見た途端、急に恐怖を感じ出した。大切な人が倒れていて、血が溢れ出していて、命の灯が消えそうになっていて。目の前で人が死のうとしている事実が、長瀬さんが居なくなる未来が、何もせず逃げ出した過去の自分が。たまらなく恐ろしく、でもどうしようもなくて。

 灰色の空から、初雪が降ってきた。彼女の肌が冷たくなっていく感覚は、今でも身に沁み残っている。

 

 そのあとのことはよく覚えていない。誰かが救急車を呼んで、長瀬さんは緊急搬送されていったのだと思う。それから彼女は学校に来なくなった。隣の席が、俺の心が、ポッカリと穴が開いてしまった。何日経っても何週間経っても、季節が変わっても、その空虚感は埋まらなかった。風の噂で、長瀬さんが一命を取り留めたと聞いた。事実かは分からない。知る権利もない。

 

 

 でも確実なのは、この一件が俺の人生を変えたということだ。もう誰も失いたくない。大切な人を守りたい。その強い思いを胸に、俺は国防陸軍に入隊することを決意した。長瀬さんを助けずに逃げた自分を変えるために、もう二度と後悔しないために。それがせめてもの償いなのだと自分に言い聞かせてきたし、心の底からそう信じていた。

 

 

 なのに。

 

 

「俺はまた、大切な人を守れなかった。」

 

 向き合って座る桂木さんの肩に目を遣る。応急手当は済んでいるとはいえ、その傷は痛々しい。

 

「俺は何もできなかった。また何も守れなかった。あなたの親友としても、軍人としても失格だ。」

 

「岩崎さん、そんな……」

 

 失格。自分で言っておいて、改めてそれを実感した。

 そもそも、俺はいつから彼女の「親友」だったのだろう。ただ隣にいるだけで、ただ一方的な思いを向けて、親友とは言えるんだろうか。

 ずっと秘めていたモヤモヤとその根源を言語化したことで、その歪な形が明るみになった。綺麗な形だと思っていた“心”は、実際にはボコボコした醜い形だった。

 

 俺は桂木さんの「親友」なんかではなかった。ただ長瀬さんの件を償おうとして、自分の心を慰めるため、なんとか傷を埋めるために、桂木さんの「親友」として無意識に振舞っていただけ。軍人になったのも、同じく贖罪のためだけだった。そんなものが本当の親友、本当の相棒、本当の兵士であるはずがない。

 桂木さんに、長瀬さんの幻影を見たのだ。儚く、不器用で、しかし自分を慕ってくれた人。いつか消えてしまいそうな人。そんな共通項だけで幻影を感じ、桂木さんではなく“幻影”の方に情を注いでいた。

 その結果がこれだ。何も守れやしない。

 

「すまない。」

 

 そんな謝罪だけで、罪を償いきれないのは見え切っている。罪。桂木さんに怪我させてしまったこと、歪んだ愛情であったこと、そしてその“幻影”すら守り切れなかったこと。ありとあらゆる罪が、罪悪感として圧し掛かってくる。

 

 責任の取りようはない。彼女たちにしてしまったことに償いなどない。

 しかし、区切りを付けることはできる。

 

 俺は腰を上げた。こちらを見上げる桂木さんに何か言おうと思った。「今までありがとう」「本当にごめんな」といったところだろうか。でも、その声は喉に引っ掛かって出てこなかった。言えなかった。俺に言う資格なんてないのだと悟った。

 

 

 彼女に背を向け、歩き出した。ブーツで雪を踏みしめる。あの日、長瀬さんが乗せられた救急車を追いかけようとした、初雪の感覚が舞い戻ってきた。俺は、まだあの日に居る。もう一度救急車を追って、今度は走り出す。

 

 不意に肩を掴まれた。振り向くと、そこには桂木さんが居た。“幻影”ではなく、確かに桂木さんだった。彼女は荒く白い息を拡散させる。

 

「岩崎さん。私は……」

 

 

 彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。極寒の北風も、皮膚に突き刺さる雪も、遠くから呼びかけてくる同僚の声も、全て感じなかった。ただそこにあったのは……。

 

 

 俺は深呼吸して踵を返した。肺の中に冷たい空気が充満するが、そこまで苦痛には感じなかった。桂木さんの視線を背に感じながら、臨時の作戦本部へと歩みを進める。雪に残る足跡。いつかはかき消されてしまうこの足跡は、しかし、俺の中では絶対に消えることがない。なぜか、そう確信できた。




第7話「夜明け」に続く
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