プロローグ「最適な道具」
雨が降り始めた。
蒼春アネッテの記憶の中で、あの日はいつも雨が降っている。
実際はどうだったか定かではないが、
彼女の中であの日は
永遠に
雨の日なのだ。
「マリエ!答えてよ!マリエ!」
14歳のアネッテは路上に膝をつき、血に染まった友人の体を抱きしめていた。
手のひらに伝わる温もりが
刻一刻と
失われていくのを感じながら、
必死に呼びかける。
マリエの制服は赤黒く濡れ、
広がっていく血の色に彼女の視界が
揺れた。
「お願い...目を開けて...」
彼女の声は震え、喉がかすれていた。
頭の中で計算が走る—
止血のためには圧迫が必要、
でも内出血なら、
頭部損傷なら、
脊髄損傷なら—
科学部で学んだ応急処置の知識が頭の中でバラバラになり、
何一つ
まとまらない。
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「救急車!誰か救急車を呼んで!早く!」
通りすがりの大人たちが慌てて携帯電話を取り出す。
誰かがアネッテの肩に手を置いたが、
彼女はその存在にすら気づかなかった。
今はただ
マリエしか
見えない。
たった数分前まで、二人は下校途中だった。
いつものように科学部の活動について話し合っていた。
マリエは生物班で、アネッテは電子工作班。
互いの研究について熱く語り合うのが日課だった。
「ねえアネッテ、あの道を渡ったら、新しく開店したクレープ屋さんに寄っていかない?チョコバナナ味があるんだって!」
マリエの目は輝いていた。
その輝きが消えるまで、
あと数秒しかないなんて—
青信号で横断歩道を渡り始めた時、
どこからともなく
現れたスポーツカーが猛スピードで曲がってきた。
タイヤの甲高い音。
アネッテは咄嗟に立ち止まったが、
前を歩いていたマリエは—
衝撃音。
鈍い音。
マリエの体が宙を舞う。
時間が引き伸ばされたような感覚。
そして、
アスファルトに叩きつけられる
音。
「マリエーーー!」
自分の声が遠くに響くのを感じながら、アネッテは走った。
膝をついた瞬間、彼女の制服も血に濡れた。
頭がクラクラする。
吐き気がこみ上げる。
でも、それを押しのけて、
彼女はマリエの頭を優しく持ち上げた。
「どうして...どうして...」
アネッテはマリエの体を抱きながらつぶやいた。
涙が彼女の視界を歪ませる。
マリエの胸からは大量の血が流れ出し、
呼吸が
浅く
なっていく。
アネッテの手が震えて止まらない。
何か言いたいのに、
言葉が
見つからない。
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救急車のサイレンが遠くに聞こえ始める。
「もうすぐ来るから!しっかりして!マリエ、聞こえる?私の声、聞こえる?」
アネッテは必死だった。
マリエが死ぬなんて、
マリエが消えるなんて、
そんなことあり得ない。
科学の法則に反している。
理屈が合わない。
だって彼女たちは明日も一緒に学校に行くはずで、
週末には一緒に新しいプロジェクトを始めるはずで—
マリエはかすかに目を開け、アネッテを見上げた。
その目は既に焦点が合って
いなかった。
「あね...って...」
「喋らないで!お願い、力を使わないで!すぐに救急車が来るから!」
アネッテの声は嗚咽で途切れ途切れになる。
彼女は何かできることを、
何か役に立つことを
必死に考えていた。
でも
何も
できない。
自分の無力さが彼女を押しつぶす。
マリエの唇が微かに動く。
「あねって…の…発明…見たかった…」
そして
彼女の目が
閉じた。
「マリエ!マリエ!嘘でしょ!目を開けて!お願い!」
絶叫が喉を引き裂いた。
アネッテは自分でも驚くほどの声で叫び続けた。
救急隊員が到着し、彼女からマリエを引き離そうとする。
「離さないで!彼女を離さないで!」
アネッテは必死に抵抗したが、
大人の力には勝てなかった。
彼女の腕からマリエの体が引き離される瞬間、
彼女の一部が永遠に失われた気がした。
救急隊員の声が水中から聞こえるように遠く感じられた。
「もう手遅れです」
その言葉が、
アネッテの世界を
停止させた。
時間が止まり、
音が消えた。
彼女の心に穴が開いた。
そこから全ての感情が流れ出ていくような感覚。
残されたのは、
ただ虚無と
「もしも」という言葉だけ。
雨が彼女の頬を伝う。
それが涙なのか雨なのか、
もはや区別がつかなかった。
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「もし…もし適切な医療機器があれば、彼女を救えたかもしれない」
どれだけの時間が経過したのだろうか。
もはや彼女には分からなかった。
雨の中、アネッテは一人、横断歩道に立ち尽くしていた。マリエの血が雨で薄まり、道路を赤く染めながら流れていく。
彼女の頭には様々なアイデアが浮かんでは消えていた。携帯型止血装置、自動緊急通報システム、ポケットサイズの人工呼吸器…もし彼女がそんな道具を持っていたら、マリエを救えたかもしれない。
「どんな状況でも最適な道具があれば…」
雨の音にかき消されそうな声で、アネッテはつぶやいた。
「道具が欲しいのかい?」
突然の声に、アネッテは振り返った。そこには白い不思議な生き物が立っていた。赤い目が夕暮れの中で妖しく光っている。
「あなたは…」
「僕はキュゥべえ。君のような少女に興味があってね」
キュゥべえは尻尾を揺らしながら、アネッテに近づいてきた。
「君の願いがあれば、僕は叶えることができる。その代わり、君は魔法少女として戦うことになる」
雨の中、白い生き物の言葉にアネッテは耳を傾けた。魔女という存在、魔法少女の使命、そして願いを叶える契約について。
普段なら科学的思考で疑問を投げかけるアネッテだったが、今の彼女にはそんな余裕はなかった。頭の中はマリエのことでいっぱいだった。
「わたしの願い…」
アネッテは空を見上げた。雨粒が彼女の頬を伝い落ちる。それが涙なのか雨なのか、もはや区別がつかなかった。
「どんな状況でも最適な道具を作れる力が欲しい」
キュゥべえの赤い目が輝いた。「その願い、叶えよう」
眩い光がアネッテを包み込み、彼女の胸の前に緑色の六角形のクリスタルが現れた。ソウルジェム。
「これから君は魔女と戦う使命を背負うことになる。覚悟はいいかい?」
アネッテはソウルジェムを両手で受け取り、しっかりと握りしめた。
「マリエのために。そして、誰かを救えるように」
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それから1年。
16歳になったアネッテは埼玉県月影町の高校1年生として、また一人の魔法少女として成長していた。
電子機器設計者の父・健太郎とドイツ人ロボット工学者の母・リーゼルの間に生まれた日独ハーフのアネッテは、両親から豊かな科学的知識と創造力を受け継いでいた。幼い頃から電子工作やロボット設計に触れ、その才能を開花させてきた彼女の部屋は、常に新しい発明品やアイデアスケッチで溢れていた。
クラスメイトからは「天才少女」と呼ばれ、先生からは「次世代の科学者」と期待されていたが、アネッテ自身は単純に「モノづくりが楽しい」と感じているだけだった。13歳の弟・ルカとは時折言い争うこともあったが、互いに深い絆で結ばれていた。
彼女の魔法少女としての能力「マグ・アームズ」は、彼女の願いを体現するかのように、電磁武器や装置を即興で創り出す力となった。緑色に輝く魔力で構成された武器は、彼女の想像力と科学的知識を具現化する強力なツールだった。
月影町で魔女と戦うようになって1年、アネッテは様々な装置を開発してきた。
「ハンドコイラー Mk.III」は洗練された自動拳銃型の電磁武器で、魔力によって生成される特殊合金の弾丸を秒速350mで発射できる。通常の使い魔なら一撃で倒せる信頼性の高い装備だ。
「バンドブレード Mk.II」は伸縮自在のバトン兼短剣で、高周波振動と電撃機能を備えている。近接戦闘用の防御兼攻撃装備として重宝していた。
「コイルライフル Mk.II」はより精密な狙撃が可能な小銃型武器。魔力透視スコープを備え、魔女の弱点を正確に狙い撃つことができる。
最も新しい「重コイルガン Mk.I+」は、強力な一撃を放つための大口径武器。魔女の外殻を貫通する爆発性魔力弾を発射できるが、再チャージに時間がかかるため、戦闘の決定打として使用していた。
アネッテの性格は明るく前向きで、失敗しても「まあいっか!」と切り替えが早かった。創造的でひらめきが豊かな反面、計画より即興を好む傾向があり、時に周囲を振り回すこともあった。しかし、その親しみやすさと人懐っこさで、誰とでもすぐに打ち解けることができた。
魔法少女としての彼女は、常に科学的なアプローチで魔女と戦ってきた。戦闘データを細かく分析し、次の戦いに活かす。魔女の特性を研究し、最適な対策を講じる。そんな彼女の強みは、その卓越した分析力と適応能力にあった。
しかし同時に、彼女には悩みもあった。月影町では自分一人しか魔法少女がおらず、他の魔法少女との交流がなかったのだ。孤独な戦いを続ける中で、彼女は同じ境遇の仲間に会いたいと思うようになっていた。
その願いが叶う時が、ようやく訪れようとしていた。
「見滝原か...他の魔法少女がいるかもしれないな」
母親のリーゼルが招かれた見滝原大学の先端ロボット工学シンポジウムへの同行が決まった時、アネッテは密かに期待していた。キュゥべえから、他の地域にも自分のような魔法少女がいることは聞いていたからだ。
「新しい魔法少女と出会えたら、一緒に研究してみたいな!ソウルジェムの構造とか、魔法の発現メカニズムとか...」
科学者としての好奇心と、孤独な戦いを続けてきた魔法少女としての期待が、アネッテの胸の中で膨らんでいた。
週末を利用して見滝原を訪れる準備をしながら、アネッテは自分の最新の発明品「ソウルトレーサー」もバックパックに詰め込んだ。魔法少女や魔女の魔力波動を検知できるこの装置は、未知の地での探索に役立つはずだった。
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見滝原に到着して初日の夜。母のリーゼルがシンポジウムの準備で忙しい中、アネッテはホテルの窓辺に立ち、夜の街並みを見つめていた。
「この街にも魔法少女はいるのかな...」
彼女はそっとソウルジェムを手のひらに乗せた。緑色の六角形が淡く輝き、まるで彼女の問いに対する答えのように、微かに脈動する。
「せっかく来たんだから、ちょっと探索してみよう」
アネッテはバックパックからソウルトレーサーを取り出し、電源を入れた。緑色のディスプレイが明るく光り、見滝原の地図が表示される。そして—
「え?この反応...」
画面上に強い魔力波動を示す点が現れた。アネッテは驚いて目を見開いた。
「見滝原の魔女、強いな...レベル4〜5くらいかも」
それは彼女がこれまで月影町で遭遇してきた魔女よりも強い反応だった。正確な位置を確認すると、それは市の郊外にある廃工場のあたりだった。
「よし、行ってみよう」
アネッテは素早く魔法少女の姿に変身した。エメラルドグリーンのフリルドレスに身を包み、背中に小さなケープを翻す。胸元には緑色の六角形のソウルジェムが輝いている。
「初めての見滝原魔女退治...ちょっと緊張するな」
彼女はホテルの窓から飛び出し、夜の屋根伝いに素早く移動した。ソウルトレーサーの示す方向に向かって走りながら、心の中で戦術を練っていく。
「未知の魔女だから、まずは観察から始めよう。特性を分析して、それから最適な武器を選定」
15分後、アネッテは廃工場の前に立っていた。古びた建物からは明らかに魔女の気配が漏れ出している。空気がわずかに歪み、奇妙な金属音が聞こえてくる。
「この感じ...機械的な魔女かも」
アネッテはハンドコイラーを具現化させ、慎重に工場の入り口に近づいた。そこには確かに、魔女の結界への入り口が開かれていた。歪んだ歯車のような模様が空間に浮かび、ゆっくりと回転している。
「面白そうだな...」
彼女は緊張と好奇心が入り混じった表情で、結界の入り口を見つめた。これが見滝原での最初の戦いとなる。新しい土地での新しい挑戦に、アネッテの血が騒ぐのを感じた。
「行くよ...!」
アネッテは深呼吸すると、勢いよく結界の中へと飛び込んだ。未知の魔女との対決が、今まさに始まろうとしていた。