アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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1-22「排除すべき変数」

 

 

 

 

夕暮れの空が茜色に染まり始めた頃、アネッテは見滝原から月影町への帰りの電車に揺られていた。窓から見える景色が徐々に都会から郊外へと変わっていく。田園風景が広がり始め、遠くには山々のシルエットが夕陽に浮かび上がっていた。

 

車内は閑散としており、数名の乗客が思い思いの時間を過ごしている。老紳士は新聞を広げ、女子高生はイヤホンで音楽を聴き、中年女性は小さな編み物に集中していた。誰もが自分だけの小さな世界に浸っていた。

 

アネッテは窓に頬を寄せ、ほんのり温かいガラス越しに流れる景色を眺めながら、数時間前のマミの部屋での光景を思い出していた。五人の魔法少女たちが円卓を囲み、お互いの願いや能力について語り合った時間。マミの入れてくれた紅茶の香り、さやかの元気な笑い声、まどかの優しい眼差し、そしてほむらのわずかに緩んだ表情。

 

「今日はいい一日だったな。」

 

アネッテはエメラルドグリーンのソウルジェムを手のひらに乗せ、その光沢を見つめながら小さく微笑んだ。

 

(みんな、すごくいい人たちだったな。特にほむらちゃん、少しは心を開いてくれたみたい。)

 

彼女はポケットから取り出した小さなメモ帳を開き、今日の会議でまとめた内容を確認した。魔法少女チームの結成、役割分担、パトロールのローテーション、グリーフシードの共有システム——これまで一人で戦ってきたアネッテにとって、仲間と力を合わせるという考えは新鮮で、心が温かくなった。

 

「移動手段の開発も急がなきゃ。みんなのために、わたしにしかできないことをしないと。」

 

彼女は既に頭の中でグライダー型の移動装置の設計図を描き始めていた。電磁推進システムと魔力変換機構を組み合わせれば、月影町から見滝原までの距離を30分以内で移動できるはずだ。

 

そのとき、視界の隅に白い影が映り込んだ。彼女が顔を上げると、向かいの座席に見覚えのある姿が座っていた。白い毛皮に覆われた小さな体、長い耳、そして赤い瞳。

 

「キュゥべえ...?こんな電車の中で何してるの?」

 

アネッテは驚きのあまり、思わず声に出して言った。彼女は慌てて周囲を見回した。数名の乗客はそれぞれ携帯を見たり、本を読んだりしており、白い生き物の存在に誰も気づいていないようだった。

 

「あ、そうか。キュゥべえは一般人には見えないんだった。」

 

最近は人前でキュゥべえと会うことがなくなり、その事実をすっかり忘れていた。アネッテは小さく息をついて体の緊張を解きながら、視線をキュゥべえに戻した。

 

〈やあ、アネッテ。〉

 

キュゥべえは赤い目をまっすぐに彼女に向け、尻尾を小さく揺らした。いつもと変わらない無感情な声で話しかけてくる。その声はテレパシーで直接アネッテの頭の中に響いた。

 

〈君たちが新しいチームを結成したようだね。興味深い展開だ。〉

 

キュゥべえの言葉にアネッテは僅かに身を引いた。思わず背中がシートに押し付けられる。

 

「見てたの?」

 

突然の登場に不信感を感じたアネッテは、声を低くして言った。マミのアパートでの会合は極めて私的なものだったはずだ。キュゥべえがそれを監視していたとなると、不快感を覚えずにはいられなかった。

 

「まあ、いいけど...何か用?」

 

彼女は腕を組み、警戒心を隠さずに尋ねた。キュゥべえと会うといつも感じる、科学者としての好奇心と魔法少女としての警戒心が入り混じった複雑な感情が湧き上がる。

 

キュゥべえは窓の外へと視線を移し、夕暮れの風景を見つめながらさり気なく言った。

 

〈魔法少女システムには、均衡というものが存在する。それを維持することが、私たちの使命だ。〉

 

その言葉は単純だが、どこか不穏な響きを持っていた。アネッテの科学者としての直感が警告音を鳴らし始める。

 

「どういう意味?」

 

アネッテの眉が寄った。彼女は身を乗り出し、キュゥべえの表情を注視する。しかし、いつものように彼の赤い瞳からは何の感情も読み取れなかった。

 

〈君は...変数だ。〉

 

キュゥべえは再び彼女を見た。その赤い目が淡く輝いている。

 

〈君なら分かるだろう?通常の計算式に入らない存在。魔女化しない特性は予想外の結果をもたらしている。〉

 

アネッテの頭の中で、様々な仮説が閃光のように点滅した。魔女化しない自分の特異性が、ほむらのタイムラインと交差し、まどかの運命を変えている事実。彼女の存在が「システム」の中で予測不能な変化をもたらしているという認識。そして、キュゥべえたちにとって、それが「好ましくない」事態であるという結論。

 

アネッテは緊張感を覚えた。キュゥべえの言葉には何か不吉なものが感じられた。彼女の指先が僅かに震え始める。

 

〈システムの安定には時折...調整が必要になる。〉

 

キュゥべえの言葉は穏やかだったが、その意味するところは明らかだった。彼はアネッテの存在を危険視している。「調整」という言葉の裏に隠された意図が、彼女の脊髄を冷たい恐怖で満たした。

 

アネッテは深呼吸し、感情を抑えて科学者としての冷静さを取り戻そうとした。

 

「私を排除しようとしてるの?」

 

アネッテは静かに問いかけた。彼女の声は震えていなかったが、心臓は早鐘のように打っていた。

 

〈排除?そんな言い方はしないよ。〉

 

キュゥべえは頭を傾け、まるで人間の言葉の不正確さに困惑しているかのように見えた。

 

〈自然現象と言った方が適切かな。因果律の修正とでも言おうか。〉

 

その「因果律の修正」という言葉に、アネッテは背筋に冷たいものを感じた。科学者として彼女は因果律の重要性を理解していた。しかし今、キュゥべえの口から聞くその言葉は、冷酷な宣告のように響いた。

 

そう言うと、キュゥべえは立ち上がり、首を僅かに傾げて一瞬アネッテを見つめた後、電車の後方へと歩き始めた。その足音は全く聞こえない。

 

「キュゥべえ!待って!もっと話を聞かせて!」

 

アネッテが声を上げたとき、キュゥべえはすでに姿を消していた。まるで霧のように、あるいは幻のように消え去っていた。

 

彼女は慌てて立ち上がり、キュゥべえが歩いていった方向を見たが、そこには誰もいなかった。しかし、彼が座っていた場所には何かが残されていた。アネッテは恐る恐る近づき、それが何であるか確認した。

 

黒い球体—使用済みのグリーフシード—が座席に置かれていた。しかし、それは通常のものと違い、内側から微かな光を放っている。まるで生きているかのように、その表面が僅かに脈動していた。

 

「まさか...」

 

アネッテは息を飲んだ。彼女は理屈ではグリーフシードから魔女が生まれることを知っていたが、実際に目の前でその過程が始まろうとしている様子を見たことはなかった。科学者としての興味と、魔法少女としての恐怖が同時に湧き上がる。

 

アネッテが立ち上がったその瞬間、グリーフシードが不気味に振動し始め、黒い霧のようなものを放出した。霧は急速に広がり、電車の内部を満たしていく。まるで生きているかのように蠢き、触手のように伸びては縮む。

 

「みなさん、危険です!全員、この車両から避難してください!」

 

アネッテが叫んだが、乗客たちには彼女の伝えたいことが理解できていないようだった。霧は彼らを包み込み、そのまま通り抜けていく。しかし乗客たちは何も感じていないようで、アネッテの叫びに訝しみつつも、それぞれの活動を続けていた。

 

電車の車体が軋むような音を立て始めた。窓ガラスに細かい亀裂が走り、天井の照明が明滅する。アネッテはソウルジェムを握りしめ、その光が急速に暗くなっていくのを感じた。周囲の空気が重くなり、呼吸が苦しくなる。

 

「キュゥべえ、何てことを...」

 

アネッテのポケットのソウルトレーサーが激しく振動するのを感じた。その警告は明白だった—魔女が誕生しようとしている。しかも、閉鎖された電車の中で。

 

「これは...」

 

彼女が慌ててデバイスを取り出すと、画面には強力な魔女反応を示す赤い点が、まさに彼女のいる電車と重なっていた。まるでキュゥべえが意図的に計算し尽くしたかのような絶望的なタイミングと場所。

 

その時、車内灯が不自然に明滅し始めた。アネッテの持っていたラジオからは雑音が大きくなり、他の乗客のスマートフォンも突然大音量で鳴り始める。車内はノイズと混乱で満ちていった。

 

「不味い!ここで魔女が具現化したら...!」

 

アネッテの脳裏に即座に計算が走る。密閉空間、数名の一般人、逃げ場なし—最悪のシナリオだった。数時間前までチームの結成を喜んでいた彼女は、今、孤独な戦いを強いられている。

 

彼女は乗客たちの顔を見回した。老人、若いビジネスマン、女子高生、中年女性—彼らには何の罪もない。キュゥべえは確信犯的にこの場所を選んだのだ。アネッテを孤立させ、無関係な人々を巻き込むという、最も残酷な方法で。

 

運転士の声が車内放送で流れようとしたが、それもすぐに歪んだノイズに変わった。

 

『ご乗客の皆様、現在zzzzz...異常なzzzzz...しばらくお待ちzzzzz...』

 

車内の電子機器はますます狂いだし、スマートフォンの画面がグリッチのように歪み、ラジオからは意味不明の声が漏れ出してくる。乗客たちの間に動揺が広がり始めた。

 

「何が起きてるんだ?」

 

「スマホが壊れた!」

 

「この音、何なの?」

 

アネッテは焦りに似た感情を覚えた。

 

こんな逃げ場のない場所で、乗客もいる中で強引に事を起こされるなんて。魔女との戦闘経験は豊富だが、こんな状況は初めてだった。彼女は即座に行動を開始しようとしたが、電車が突然大きく揺れた。

 

「変身しなきゃ...でも、みんなの目の前で...!」

 

彼女が決断を迫られている間にも、状況は急速に悪化していた。窓の外を見ると、線路沿いの電柱や信号機が不気味に歪み始め、その形状が変わっていく。電車は異常な速度で加速し、レールの継ぎ目を越えるたびに激しく揺れるようになった。

 

乗客たちの顔から血の気が引き、パニックが始まろうとしていた。アネッテの胸に、今日の仲間たちとの暖かな時間が遠い記憶のように感じられた。彼女は孤独に、そして未知の危険に直面していた。

 

「みんな、床に伏せて!」アネッテが叫んだ。

 

その直後、車内のすべての電子機器が一斉に爆発した。小さな火花と煙が車内を満たす。乗客たちが悲鳴を上げる中、電車自体がさらに激しく揺れ始めた。

 

「これは結界が形成されてる!あと数秒で...!」

 

アネッテの警告の声は、轟音にかき消された。結界発生による現実改変により、レールはもとの形を維持できなりつつあり、当然のように脱線し始めていた。彼女は反射的にソウルジェムを握りしめたが、変身する時間はもうなかった。

 

「せめて近くの人だけでも...!」

 

アネッテは咄嗟に近くにいた老人と女子高生に飛びかかり、自分の体を盾にするように抱きかかえた。「伏せて!」

 

 

   その直後、世界が軸をずらした。

 

 

最初は鈍い震動。床が大きく揺れ、窓の外で線路が踊るように見えた。次の瞬間、耳をつんざく金属の悲鳴が車内を満たす。車輪がレールを外れる瞬間の、誰も聞いたことのない恐ろしい音。

 

「きゃああっ!」

 

時間が急に引き伸ばされたように感じた。アネッテの体が浮き上がり、重力が一瞬だけ消失する。

 

 

 

 

その後は地獄だった。

 

 

 

 

轟音と共に電車が横に大きく傾き、世界が90度回転する。目の前の座席が壁となり、天井が新たな壁になった。乗客たちが悲鳴を上げる暇もなく、重力に従って転がり落ちる。誰かの体がアネッテの横を通り過ぎた。

 

「うぐっ!」

 

窓ガラスが内側に向かって爆発し、鋭い破片が雨のように降り注ぐ。アネッテは全身を丸め、守っている二人を自分の下に置いた。彼女の背中に鋭い痛みが走る。

 

次の瞬間、電車は完全に横転し、土手を転がり始めた。

 

世界が洗濯機の中のように回転する。上下左右の概念が消え去り、アネッテの意識はただ二人を守ることだけに集中していた。彼女の体は宙に舞い、次の瞬間には何かに激しく叩きつけられる。座席か、天井か、他の乗客か、もはや判別できない。

 

「がはっ!」

 

肋骨が折れる鈍い音と共に、激痛が胸部を貫いた。呼吸が一瞬止まる。それでも彼女は両腕の力を緩めなかった。

 

金属が引き裂かれる耳をつんざく音。車体が変形する悲鳴。人々の叫び声と祈りの言葉。全てが渦を巻いて混ざり合う。

 

「あっ…」

 

アネッテの頭が何かに強打され、一瞬意識が途切れた。血の味が口に広がる。

 

車体は依然として回転し続けていた。彼女の脚に鋭利な何かが突き刺さり、筋肉を引き裂いていく感覚。「ぎゃあっ!」悲鳴が自分から出たのか、誰かから出たのか、もはやわからない。

 

混沌と痛みの中、アネッテはひたすら二人を守り続けた。彼女の視界が赤と黒に染まっていく。

 

遠くから聞こえる金属のきしみ。いつしか電車は止まっていた。最後の衝撃でアネッテの体は座席とドアの間に押し潰されるように挟まれ、そのまま意識が闇に飲み込まれた。

 

「うっ...あぁっ...!」

 

何度目かの衝撃で、アネッテの視界が真っ白になった。数秒、あるいは数分の空白。意識の底に沈んでいく感覚。そこには痛みも恐怖もなく、ただマミたちと交わした約束の記憶だけが、かすかに浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 

 

「...っ...」

 

意識が戻った時、世界はまだ回転していた。いや、回転していたのは彼女の頭の中だけだった。体を起こそうとして、激痛に歯を食いしばる。

 

「大丈夫...ですか...」

 

かすれた声で抱きかかえていた二人に問いかけるが、応答はない。ようやく視界が定まってくると、横転した電車の中の惨状が目に入った。

 

座席は剥がれ、窓はほとんど砕け散り、床と天井の区別もつかなくなっている。そして乗客たちは—アネッテは息を飲んだ。

 

彼女が守っていた二人は意識こそないものの、命に別状はなさそうだった。しかし他の乗客たちは...

 

「...」

 

言葉が出ない。アネッテは体を起こそうとしたが、左脚に激痛が走った。見ると、太ももに深い裂傷があり、血が滲み出ている。さらに呼吸するたびに胸に鋭い痛みを感じる—肋骨が何本か折れているようだ。

 

「どれくらいの時間が...」

 

彼女がつぶやいた時、不自然な電子音が車外から聞こえてきた。まるで古いラジオのダイヤルを高速で回すような音。そして金属がねじれる音。

 

アネッテは魔力を使って一時的に痛みを抑え込み、よろめきながらも身を引きずって窓の外を見た。

 

そこに現れたのは、歪にねじ曲がった鉄塔だった。その全身には様々なアンテナ—古典的な八木アンテナやヘリカルアンテナといったアナログ時代の通信機器—がくちゃくちゃに付着している。塔の頂点には古いラジオ受信機のようなものがあり、そこからは歪んだ人間の顔が透けて見えた。

 

「ラジオ塔の魔女...」

 

アネッテは状況を理解した。グリーフシードから生まれた魔女は、電磁波を操る能力を持っていた。それが電車の制御システムを狂わせ、脱線事故を引き起こしたのだ。

 

「変身しなきゃ...」

 

彼女がソウルジェムを取り出そうとしたとき、自分の体の状態にようやく気が付いた。左足には深い裂傷があり、骨までもが露出している。呼吸するたびに胸部から痛みが走る—肋骨が何本も折れているのだ。それでも彼女は魔力で感覚を鈍らせ、何とか立ち上がった。

 

アネッテは決意の表情で、魔女と対峙する準備を始めた。

 

「おいで!マグ・アームズ!」

 

緑色の光に包まれ、アネッテは魔法少女へと変身した。

エメラルドグリーンの戦闘服が彼女の身体を覆い、傷はまだ治っていないものの、魔力が一時的に痛みを抑え込んでいる。

科学者の眼差しで魔女を注視しながら、彼女は得意の武器を呼び出した。

 

「『ハンドコイラー Mk.III』!」

 

彼女の手のひらに魔力が集中し、いつものように輝き始めた。しかし、何かが違った。通常なら形を成すはずの魔力が、まるでジャミングを受けているかのように乱れ、不安定に揺らいでいる。

 

「何…?」

 

アネッテは動揺しながらも冷静さを保とうとした。彼女は再度集中し、魔力をより強く、より精密に注ぎ込んだ。今度こそ武器は形になりかけたが、完成直前で突然崩れ去った。緑色の光が四散し、彼女の手には何も残らなかった。

 

「干渉されてる…!」

 

アネッテは瞬時に状況を理解した。ラジオ塔の魔女は電磁波を操る能力を持ち、彼女のマグ・アームズの機能を妨害しているのだ。彼女の武器は基本的に電磁気を応用したものであり、その制御系統が魔女の影響を受けている。

 

「ならば別の武器を…『コイルライフル』!」

 

より大型の武器の具現化を試みたが、結果は同じだった。形になりかけた銃身がノイズのように崩れ、霧散していく。

 

「『バンドブレード』!」

 

彼女の近接戦闘用の刃も同様に形成に失敗した。

それでもめげずに、様々な武装を呼び出そうと試行錯誤する。

 

失敗。

 

失敗。

 

......そして失敗。

 

武装構築を試みては失敗する度に、アネッテの声はだんだん高く、切迫したものになっていく。彼女の両手は震え始めていた。

 

「な、なぜ...」

 

彼女はもう一度試みる。

 

「『ハンドコイラー』!!

お願い、お願い形になって—!!」

 

しかし彼女の懇願も空しく、緑色の魔力は不規則な波紋を描いて消えていった。

 

「なぜ? なぜ!? なぜなのっ!?」

 

彼女の額から冷や汗が流れ落ちる。目には初めての恐怖と混乱が浮かんでいた。アネッテの最大の強みであるマグ・アームズの武器群—彼女が何百時間もかけて設計し、改良し、自分の誇りとしてきた発明品たち—が全て使えないのだ。

 

「こんなことって...」

 

 

 

---------------------------------

 

 

 

アネッテの心に急激な空虚感が広がった。

 

まるで自分の一部が

 

奪われたような

 

感覚。

 

彼女は自分の両手を見つめ、震える指先に視線を落とした。

 

科学者として、

発明家として、

魔法少女として—

 

彼女のアイデンティティの核心部分が機能しなくなったことは、単なる戦術的不利よりもはるかに深刻な精神的打撃だった。

 

「私の武器が...

私の発明が...

私の存在意義が...」

 

その声には震えと喪失感が混じっていた。彼女の瞳から自信の光が消え、代わりに不安と絶望の色が広がった。瞳孔が拡がり、呼吸が浅く速くなる。

 

( マリエを救えなかった時のような )

( あの時と同じ )

( また... )

( 私は... )

 

無力感が彼女を襲う。

 

魔女は徐々に近づいてきていた。その巨体からは絶え間なく電磁波が放射され、アネッテのソウルトレーサーは過負荷で警告音を発し続けている。

 

「逃げるしかない?でも…」

 

アネッテは横転した電車内を見渡した。彼女が守った二人の乗客はまだ意識を失ったままだ。彼らを置いて逃げるわけにはいかない。

 

「このままでは...」

 

そのとき、使い魔の一つが突然ビームのような光線を放った。アネッテはとっさに身をかわしたが、動きが遅く、光線が左腕を掠めた。

 

「ぁぁっ!」

 

鋭い痛みと共に、彼女の左腕が感電したように痙攣した。突然の痛みが彼女を現実に引き戻した。

 

「どうして私は...」

 

アネッテは自分の弱さに一瞬だけ怒りを覚えた。混乱し、恐怖に屈するなんて、それは彼女らしくない。

 

 

 

「違う!!!」

 

 

 

彼女は頭を強く振った。

 

「考えるんだ...科学者として...魔法少女として...」

 

彼女は深呼吸し、心を落ち着かせようとした。頭の中で訓練された科学者の思考が徐々に戻ってくる。

 

「何が問題なのか...」

 

電磁波が彼女の武器を干渉しているという事実を客観的に分析する。問題が明確になれば、解決策はおのずと見つかるはず。それが科学の基本だった。

 

「魔女の能力は電磁波操作...

私のマグ・アームズは電磁気に依存している...

では、電磁気に依存『しない』方法は...?」

 

次々と放たれる電磁波ビームを避けながら、彼女は必死に思考を巡らせた。

科学者としての知識と、魔法少女としての経験を総動員して、打開策を探る。

 

「電磁波を...電磁波を...」

 

そこでアネッテの頭に一つのアイデアが閃いた。大学の物理学の講義で学んだ電磁気学の基本原理—ファラデーのケージ。

 

「そうだ!電磁波は導体の網目で遮断できる!」

 

彼女は物理学の基本法則を思い出していた。閉じた導体の殻の内部には外部の電場が侵入できないというファラデーの法則。雷が自動車を直撃しても、金属の車体がケージとなって中の人間を保護するのと同じ原理だ。

 

「『マグ・アームズ』の個別の武器は呼び出せなくても、もっと単純な構造なら…」

 

アネッテは魔力を新たな方法で具現化しようとした。電磁武器ではなく、電磁波を遮断するシールドを作り出す。彼女の手から緑色の光が広がり始め、それは網目状の構造を形成していった。

 

「『ファラデー・シールド』!」

 

彼女の周りに緑色の網目状のドームが展開された。それは金属製のケージのように見えるが、実際は魔力で作られた電磁波遮断構造体だった。

 

使い魔のビームが次々とシールドに当たるが、ほとんどが反射されるか、シールドの表面を伝って地面へと逃げていく。アネッテはほっと息をついた。

 

「効いてる…!」

 

しかし、すぐに彼女は新たな問題に気づいた。シールドは確かに高出力の電磁波攻撃を防いではいるが、完全に魔女の影響を排除できているわけではなかった。より微弱な電磁波がシールドの網目を通過し、内部へと侵入している。

 

「完璧なシールドを作るには、網目をもっと細かくする必要があるけど…」

 

そうすればするほど、魔力の消費も増大する。傷を負い、既に魔力を大量に使っている現状では、長時間の防御も難しい。さらに厄介なことに、シールドは防御には役立っても、魔女を倒す手段にはならない。

 

「防ぐだけでは勝てない…攻撃の方法を考えないと」

 

アネッテはシールドの内側から魔女を観察した。ラジオ塔のような本体の構造、アンテナの配置、電磁波の発生パターン—彼女はすべての情報を分析し、弱点を探っていた。

 

魔女が新たな攻撃を仕掛けてきた。今度は使い魔からではなく、本体のアンテナから強力な電磁パルスが放出された。シールドがその衝撃で大きく揺れ、アネッテは膝をつく。

 

「このシールドもそう長くは持たない…」

 

アネッテの科学者としての頭脳がフル回転する。電磁気学の知識、物理の法則、魔法の特性—これらを組み合わせた解決策はないだろうか。

 

彼女の目が横転した電車の残骸に留まった。特に目についたのは、車両連結器の金属部分と、車体を支える頑丈な金属フレーム。

 

「そうか...」

 

アネッテの頭に一つの考えが浮かんだ。

 

「『マグ・アームズ』が使えないなら...」

 

彼女はシールドを維持しながら、慎重に電車の残骸に近づいた。手を伸ばし、金属片の一つを掴む。重さを確かめるように、それを手に取りながら、思考を巡らせる。

 

「魔女の能力は電磁波の操作と増幅...つまり、エレクトロニクスや電磁力を基にした攻撃は全て干渉される」

 

シールドの内側で安全を確保しながら、アネッテは電車の残骸をより詳しく調査し始めた。破壊された車両は意外な材料の宝庫だった。頑丈な金属パーツ、特殊合金、断線した電気系統—彼女の科学者としての目はそれらの可能性を即座に評価していく。

 

「こんな状況でも...最適な道具を作れる力...それが私の願いだった」

 

彼女は断固とした表情で、車両の残骸を解体し始めた。痛みを魔力で抑えながらも、重傷を負った体には大きな負担だ。しかし、彼女の目には科学者特有の冷静な光と、魔法少女としての決意が宿っていた。

 

使い魔の一つが興味深そうに首を傾げるが、攻撃の手は緩めない。

 

アネッテが作業に集中している間も、魔女の攻撃は続いていた。電磁パルスがシールドを叩き、亀裂が少しずつ広がり始める。時間はあまり残されていない。

 

「もう少し...」

 

彼女は汗を流しながら、金属片を組み合わせ、電車の部品を加工していく。その手つきは職人のようでありながら、同時に科学者の精密さも感じられた。

 

シールドの亀裂がさらに広がる。使い魔たちはその隙間から侵入しようと、小さな体を押し込んでくる。アネッテは作業の手を止めず、逆に速度を上げた。

 

「科学的には不可能な状況でも...」

 

彼女の手元で何かが形を成し始めている。金属の部品が組み合わさり、何らかの構造体が出来上がっていく。それは彼女のいつもの「マグ・アームズ」とは全く違う、より原始的で、しかし奇妙な説得力を持つ形状だった。

 

「電磁界に干渉されない攻撃手段...」

 

シールドがついに崩壊する。使い魔たちが一斉に侵入してきた。アネッテは身をかがめ、完成した「何か」を両手で抱え込むように守る。

 

「まだよ...もう少しだけ...」

 

使い魔からの攻撃が彼女を直撃する。痛みに顔をゆがめながらも、アネッテは最後の調整を行っていた。

 

「これが...私の答えだ!」

 

彼女は突然立ち上がり、完成した装置を構えた。それは電磁気学でも最新のテクノロジーでもなく、遥かに原始的でありながら、状況に対して恐ろしいほど適合した「何か」だった。

 

「魔法少女として...いいえ、科学者として...」

 

使い魔たちが再び彼女に殺到する。アネッテは一瞬だけ目を閉じ、静かに深呼吸をした。

 

「電磁波干渉に対抗する最適解は...」

 

彼女の目が開かれる。その瞳には科学者としての冷静な計算と、魔法少女としての闘志が燃えていた。

 

「...『非電磁的な物理衝撃』!」

 

アネッテの体が回転する。腕が大きく振りかぶられた。その動きには不思議な優雅さがあり、まるで古代の投擲競技選手のようだった。

 

瞬間、彼女の手から何かが解き放たれた。

 

それは空気を切り裂き、まっすぐに魔女へと向かっていく。電磁波の干渉を受けず、純粋な運動エネルギーとして、目標へと突き進む。

 

魔女がそれに気づくのは遅すぎた。

 

鋭い金属が魔女のアンテナを貫いた。衝撃に魔女が大きく揺らぐ。使い魔たちが混乱し、進路を失う。

 

アネッテの手によって作り出されたのは、二つの部品によって成り立つ、非常に原始的な装置だった。

 

一つは約100キロほどもある頑丈な金属ロッド—車両連結器の心棒と支柱を融合させた槍状の投射体。

もう一つは、それを投げるための補助器具で、てこの原理を応用した投槍器。

 

弓が発明されなかった古代アステカにおいて多用された、単純ながら効果的な遠距離攻撃武器。

 

 

『アトラトル』だった。

 

 

完成した武器をアネッテは右手に握りしめた。

投槍器は彼女の腕の延長となり、槍状の金属ロッドを支える溝と、投射力を増幅させるレバーの役割を果たす構造になっていた。

 

「別に電気技術に頼らなくったって、武器は作れるんだから!」

 

例え普段の戦い方を無効化されても諦めない。

理想の魔法少女がそこにはいた。

 

「甘く見ないでよキュウべぇ...いや、インキュベーター!」

 

彼女の表情には、科学者としての冷静な計算と、魔法少女としての戦いの決意が混在していた。

 




やっと物語が温まってきた
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