月見台公園の納屋に設けられた隠れ家の中、アネッテはマミとほむらの前に座り、弱々しい声で語り始めた。
緑色の光に満ちた空間の中で、彼女の顔色は徐々に取り戻されつつあったが、疲労の痕跡は依然として残っていた。
「昨日の電車事故のあと、何とか自分の傷を隠して家に帰ったの...」
アネッテは静かに話し始めた。白い指で自分のソウルジェムを撫でながら、彼女は昨日からの出来事を振り返る。
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一 早朝の蒼春家 一
春の柔らかな光が窓から差し込み、薄いカーテンを透かして部屋を淡いオレンジ色に染めていた。アネッテはベッドの上で目を開けた。夜の間、痛みで何度も目を覚ましており、ほとんど眠れていなかった。夜明け前にようやく微睡んだのも束の間、今は再び意識が冴えていた。
窓の外では小鳥のさえずりが聞こえる。いつもなら心地よいはずのその音も、今日は妙に耳障りに感じられた。彼女は体を起こそうとして、鋭い痛みに顔をしかめた。
(まだ完全には回復してない...)
アネッテは自分の身体を確認した。表面的な傷は魔力で一時的に塞いであるが、内部の損傷はまだ完全には治っていない。特に肋骨周辺が痛み、深呼吸をするたびに鈍い痛みが走った。
「あと数日あれば...」
彼女は小さく呟いた。ソウルジェムを見ると、グリーフシードで浄化したものの、すでに再び薄い濁りが生じ始めていた。回復のための魔力消費がその主な原因だろう。
時計を見ると朝の七時半を指していた。両親はおそらくすでに起きているだろう。彼女は土曜の朝の家族との朝食を楽しみにしていたが、今日はそれどころではなかった。
「アネッテ、起きてる?」
突然、父・健太郎の声が部屋のドアの向こうから聞こえた。緊急性を帯びたその声色に、アネッテは思わず背筋を伸ばした。
「うん...どうしたの?」
ドアが開き、眼鏡をかけた父の心配そうな顔が見えた。普段は落ち着いた表情を崩さない父だが、今朝はいつになく不安そうに見える。彼の背後にはドイツ人特有の金髪を持つ母・リーゼルの姿があった。彼女もまた、明らかに動揺している様子だった。
「ルカのことなんだが...朝食に降りて来ないんだ」
父の声には珍しく焦りが混じっていた。両親の不安そうな様子に、アネッテは痛みを忘れて体を起こした。
「ルカの部屋を見たけど、いないの」
母リーゼルがドイツなまりの日本語で補足した。彼女はいつもなら冷静沈着な研究者だったが、今は母親としての不安が顔全体に現れていた。白いエプロンを身につけた姿は、朝食の準備をしていたところだったのだろう。
「何時から?」
アネッテは痛みを押し殺して起き上がった。全身が悲鳴をあげる中、彼女は必死で平静を装った。普段の自分なら、すぐにベッドから飛び起きて部屋を飛び出していただろうが、今はそれもままならない。
「朝の六時に私が起きたときには、もう部屋にいなかったの」
母の声は心配で震えていた。
「窓が開いていて...」
「寝間着もベッドに置いたまま、外出着に着替えた形跡があったわ」
「学校でも知り合いの家でもないの?」
アネッテはゆっくりと立ち上がりながら尋ねた。痛みで冷や汗が流れるのを感じながらも、両親の前では平静を装う。
「もちろん電話したわ。学校も友達も、誰も見ていないって」
母がドアの枠を握りしめながら答えた。
「お父さんは警察に連絡しようとしているけど...まだ時間が経ってないから取り合ってくれないかもしれない」
父は眉間にしわを寄せて言った。
「ルカは前にも勝手に早朝散歩に行ったことがあるから...」
「学校に向かう途中かも...」
アネッテは言いながらも、何か不吉な予感がした。弟が魔女の口づけを受けている可能性...あり得なくもない。特に昨日の電車事故が仕組まれたものだと考えると、キュゥべえが次の一手として彼女の家族を狙う可能性は十分にあった。
アネッテは衣類棚から服を取り出し始めた。部屋を出て、痛む体に鞭打って弟を探すしかない。
「私が探してくる」
彼女は決意を込めて言った。
「ちょっと待って」
父が彼女の腕を掴んだ。
「お前、顔色が悪いぞ。熱でもあるのか?」
父の鋭い観察眼は、娘の異変を見逃さなかった。
「それに、その動き...足をかばってるな?」
研究者としての鋭い洞察力が、父親としての心配と混ざり合っている。
「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ」
アネッテは父と母に向かって無理に微笑んだ。その笑顔がどれだけ不自然に見えるかは、自分でも分かっていた。
「すぐに見つかると思うから、心配しないで」
彼女は気丈に振る舞いながら、下着入れの引き出しから密かにソウルトレーサーを取り出した。
「お願いだから無理しないで」
母が懸念を示したが、アネッテは小さく頭を振った。
「大丈夫。すぐ戻るから」
彼女は着替えのために両親に部屋を出るよう促した。ドアが閉まると、アネッテはすぐに床に膝をつき、痛みに耐えながら歯を食いしばった。制服に着替えながら、彼女は頭の中で最悪のシナリオを想定していた。
(キュゥべえ...もし弟に何かあったら絶対に許さない)
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一 月影町の住宅街 一
アネッテは両親に別れを告げ、家を出た。彼女は普段より明らかに遅いペースで歩きながら、周囲に注意を払っていた。春の朝の清々しい空気が町を包み、近所の家々からは朝の生活音が聞こえてくる。しかし彼女の心は穏やかではなかった。
「まずはいつも行きそうな場所から...」
彼女は小さく呟きながら、ポケットからソウルトレーサーを取り出した。小型ながらも精密な機械は、彼女の魔力に反応して淡い緑色の光を放っている。画面には月影町の簡易地図が表示され、魔力の波動を検知できるようになっていた。
「反応は...」
彼女は画面を確認し、眉をひそめた。弱いながらも明確な魔力の反応があった。それは町の西側、かつてルカが乗馬を習っていた丘の上の公園付近だった。
(やっぱり...)
アネッテは歯を食いしばり、その方向へと足を向けた。痛む体には辛いが、弟が危険な状況にあるかもしれないという思いが彼女を前進させた。
住宅街を抜けると、道は徐々に上り坂になっていく。桜の並木道を過ぎ、小さな雑貨店の前を通り過ぎる。普段なら立ち寄るはずの古道具屋も、今日は見向きもしなかった。
(なんでルカが...)
アネッテの頭には、昨日の電車事故との関連が浮かんでいた。キュゥべえが自分を排除しようと仕掛けた罠。それに対抗した彼女に対する、次の一手としてルカを利用している可能性が高い。
「許せない...」
彼女は低い声で呟いた。魔法少女が魔女化しないという「システムエラー」を排除するために、家族まで危険に晒すとは。
坂を上りきったところで、アネッテは一瞬立ち止まって呼吸を整えた。痛みで視界が歪む。彼女はポケットからハンカチを取り出し、額に浮かんだ冷や汗を拭った。
「大丈夫...ルカのためなら...」
彼女は自分に言い聞かせるように呟き、再び歩き始めた。
やがて視界が開け、小高い丘の上の公園が見えてきた。その隣には小さな馬術クラブの練習場がある。幼い頃、ルカが乗馬を習っていた場所だ。休日にもかかわらず、今日はひっそりとしていて人気がない。
アネッテがソウルトレーサーを確認すると、画面上の反応がより明確になっていた。魔女の結界の存在を示す特徴的な波形パターンだ。
「ここね...」
彼女は慎重に公園に足を踏み入れた。遊具や東屋が点在する静かな公園。朝早いこともあり、人影はほとんど見えない。しかし、園路の先、馬術クラブに続く小道に一人の少年の姿が見えた。
「ルカ!」
アネッテは思わず声をあげた。間違いなく弟の姿だ。ルカは白いシャツに青いジャケット、黒いズボンを身につけていた。しかし、彼は振り向かない。何か別のものに導かれるように、ゆっくりと練習場の方へ歩いていた。
アネッテは急いで近づこうとしたが、左足に鋭い痛みが走り、よろめいた。彼女は木の幹につかまりながら踏みとどまり、再び前に進んだ。
「ルカ!聞こえる?」
より近づくと、弟の様子がはっきりと見えた。彼の表情は虚ろで、まるで夢遊病者のように無表情だった。目は開いているのに、何も見ていないような空虚な瞳。そして、彼の足元には微かに魔女の刻印のような模様が浮かんでいる。
「やっぱり...!」
アネッテは歯を食いしばった。魔女の口づけを受けている弟の姿に、怒りと焦りが胸の中で燃え上がる。
「キュゥべえ...!」
彼女は辺りを見回したが、白い獣の姿は見えなかった。しかし、これが彼の仕業であることはほぼ間違いない。
アネッテは力を振り絞って走り、弟に追いついた。痛みで足が震えるのを感じながらも、彼女はルカの肩をしっかりと掴んだ。
「ルカ!目を覚まして!」
彼女は弟の肩を揺さぶった。ルカの瞳がわずかに揺れ、焦点が合い始める。
「お姉ちゃん...?」
弟の声が聞こえた。混乱と戸惑いに満ちた声だ。
「どうして...ここは...」
「よかった、意識が戻って...」
アネッテはほっとしかけたが、その安堵は一瞬で消え去った。弟の足元の刻印が突然強く光り始めたのだ。
「気をつけて!」
彼女は咄嗟にルカを抱きしめた。その瞬間、二人の足元の地面に魔女の紋章が大きく広がった。円形の模様が拡大し、その中心には馬の蹄鉄のような形が浮かび上がる。
「これは...!」
アネッテが警戒の声を上げた時には既に遅く、空間がねじれるように変形し始めた。彼女はルカをしっかりと抱きしめたまま、二人は魔女の結界の中へと引き込まれていった。
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一 魔女の結界内部 一
世界が変容し、二人の周囲に異様な景色が広がった。それは奇妙な競馬場のような空間。上空には逆さまの観客席が浮かび、その間を巨大な鞍や馬具が宙を舞っている。地面は果てしなく続く馬術コースのようになっており、土の感触が不自然に柔らかく弾力がある。
「ルカ、大丈夫?」
アネッテは弟の両肩をしっかりと掴み、顔を覗き込んだ。ルカの目はすでに正常に戻っており、そこには恐怖と混乱が浮かんでいた。
「姉ちゃん...ここどこ?」
彼の声は震えている。周囲の異様な光景に圧倒されている様子だ。
「聞いて、ルカ」
アネッテは落ち着いた声で言った。そう見せるのに最大限の努力が必要だったが、弟を安心させるためには冷静さが必要だった。
「ここは危険な場所よ。私の言うことを聞いて、絶対に私から離れないで」
「なんで...こんなところに...」
ルカは周囲を見回しながら混乱を隠せずにいた。観客席には人形のような使い魔が座り、彼らは機械的な動きで拍手を送っている。空には馬の形をした雲が浮かび、不自然に速い速度で動いていた。
「説明する時間はないわ」
アネッテは辺りを警戒しながら言った。遠くから、不気味な蹄の音が聞こえ始めていた。規則的なリズムで、しかしどこか歪んだ音色。それは徐々に大きくなり、二人に近づいてくる。
「姉ちゃん...その音...」
ルカの顔から血の気が引いた。彼は乗馬を習っていた頃から、馬の蹄の音には敏感だった。しかし今聞こえるそれは、どこか不自然で不気味なものだ。
「身を低くして」
アネッテは弟の肩を押し、二人で地面に身を屈めた。巨大な障害物の陰に隠れようとする。
蹄の音はさらに大きくなり、地面が微かに振動し始める。そして突然、遠くの馬術コースの端から巨大な姿が現れた。
「姉ちゃん...あれは...」
ルカが震える指で指し示した先に、異形の存在があった。それは、巨大な馬の頭部と六本の足を持つ怪物だった。馬の頭部は通常の3倍以上あり、目は赤く輝いている。背には金色の鞍があり、手綱は触手のように生きているかのように伸び縮みしていた。全身は漆黒で、時々異様な模様が浮かび上がっては消えていく。
「あれが...魔女...」
アネッテは小さく呟いた。この姿から判断するに、明らかに馬や乗馬に関連した魔女だ。
「魔女...?」
ルカは姉の顔を見上げた。恐怖と混乱が入り混じった表情。
「あとで説明するわ」
アネッテは彼を近くの障害物の陰に押しやった。障害物はかつての乗馬クラブの道具を模したもののようだったが、不自然に曲がり、歪んでいる。
「ここから動かないで。何があっても」
彼女は厳しい口調で言った。
「姉ちゃん、どうするの?」
ルカの声は震えていた。彼の目には涙が浮かんでいた。
魔女が彼らの方向に顔を向けた。六本の足が一斉に地面を蹴り、轟音とともに魔女が突進してきた。周囲の空間が振動し、上空の観客席の使い魔たちが奇妙な声を上げて喝采を送る。
「仕方ない...」
アネッテは決断した。弟の前で変身することになるとは思わなかったが、もう選択肢はない。彼女は一歩前に出て、ルカと魔女の間に立った。
「ルカ、驚かないで」
アネッテはエメラルドグリーンのソウルジェムを取り出し、胸の前に掲げた。宝石は彼女の意思に応えるように鮮やかに輝いた。
「マグ・アームズ!」
緑色の光が彼女の身体を包み込む。眩しい輝きの中で、アネッテの姿が変わっていく。学校の制服はエメラルドグリーンのフリルドレスに変わり、白いアンダースカートが広がった。胸元から裾にかけて銀色の回路模様の刺繍が走り、それは淡く光を放っている。頭にはグリーンの宝石を中央に配した銀色のティアラが現れ、右耳には小さな銀のイヤリングが輝いていた。
変身が完了すると、アネッテは弟の方を振り返った。彼の顔には言葉にならない驚きが浮かんでいた。
「姉ちゃん...?」
ルカの声はかすれていた。彼の目は見開かれ、信じられない光景を目の当たりにして呆然としている。
「説明は後でするから!」
アネッテは毅然とした声で言った。彼女が手を伸ばすと、魔力が集まり始めた。光が形を成し、「ハンドコイラー Mk.III」が彼女の手の中に出現する。拳銃型の電磁加速武器は、側面にエメラルドグリーンの魔力回路が浮かび上がっていた。
しかし、その武器の形成は通常よりも遅く、完全に形になるまでに時間がかかっていた。アネッテは眉をひそめる。まだ身体が完全に回復していないため、魔力の流れも不安定なのだ。
魔女が咆哮し、触手のような手綱を二人に向かって伸ばしてきた。それらは蛇のように空中を泳ぎ、アネッテとルカに襲いかかる。
「下がって!」
アネッテは弟を庇いながら、ハンドコイラーを構えた。引き金を引くと、緑色の光弾が魔女に向かって発射される。弾丸は魔女の体に当たるが、ほとんど傷をつけないようだった。魔女はさらに近づき、今度は地面を激しく踏み鳴らした。その衝撃で地面が波打ち、二人は足元を崩した。
「チッ...効かない」
アネッテは素早く武器を切り替えることにした。電磁武器よりも物理的な攻撃が効果的かもしれない。
「バンドブレード Mk.II!」
彼女の手に伸縮自在の短剣が形成された。刃先と柄に電磁パルスコイルが内蔵されている武器だ。刃は緑色に輝き、鋭い切れ味を示している。
魔女の手綱がムチのように二人を襲う。アネッテは素早く身をかわし、ブレードで手綱を切り裂いた。傷ついた手綱が痛みに反応するように引き締まり、魔女が悲鳴のような音を上げる。
「ルカ、もっと後ろに下がって!」
アネッテは弟に叫んだ。ルカは震える足で後退するが、目は姉から離せないでいた。
「効くわね...」
アネッテは手綱の反応を見て判断した。馬の魔女にとって、手綱は弱点の一つのようだ。
しかし切断された手綱はすぐに再生し、今度は複数の方向から二人を襲った。それは鞭のように空気を切り、アネッテの周囲に迫る。
「くっ...」
アネッテは次々と手綱を切り払うが、その数があまりに多い。魔女の遠吠えとともに、さらに新たな手綱が生え出してくる。それに加え、まだ回復していない体では動きが思うようにならない。
彼女は一つの手綱を切り払ったが、別の手綱が背後から迫っていることに気づくのが遅れた。
「姉ちゃん、気をつけて!」
ルカの警告の声。しかしアネッテが振り向いた時には遅かった。背後から伸びた手綱が彼女の左足に絡みつき、強く引っ張り始めた。
「うっ!」
アネッテは地面に倒れ、魔女に向かって引きずられていく。粗い土の感触が彼女の体を擦り、まだ回復していない傷を刺激する。痛みで顔がゆがむ。
「やめろ!姉ちゃんを離せ!」
突然、ルカが叫んだ。彼は立ち上がり、地面から石を拾って魔女に向かって投げつけた。小さな石ころは魔女の巨体にはほとんど効果がなかったが、その行動は魔女の注意を引いた。巨大な頭部がルカの方へと向き、赤い目が彼を捉える。
「ルカ、何してるの!逃げて!」
アネッテは必死で叫んだ。魔女が方向を変え、今度はルカに向かって突進してきた。六本の足が地面を激しく踏み鳴らし、土煙を上げながら近づいてくる。
「いやだ!姉ちゃんを放っておけない!」
ルカは恐怖で足が震えながらも、その場から動かなかった。彼は姉のためにここで踏みとどまる決意をしていた。
「バカ!」
アネッテは足に絡みついた手綱をバンドブレードで切断し、すぐさま武器を切り替えた。
「『コイルライフル Mk.II』!」
彼女の手には細身の半自動小銃が形成された。緑色の魔力回路が銃身に沿って流れ、スコープには特殊な照準システムが組み込まれている。アネッテはスコープを覗き込み、魔女の頭部にある宝石のような突起部分を狙った。それは鞍の前方、馬の額に当たる位置にあり、他の部分よりも鮮やかに輝いていた。
「今しかない...」
アネッテは全神経を集中させ、自分の体の痛みを無視して狙いを定めた。彼女の指が引き金に触れる。一瞬の静寂の後、緑色の光弾が発射された。弾丸は空気を切り裂き、魔女の額の宝石に直撃する。
魔女は悲鳴を上げ、突進の勢いを失った。巨大な頭部が宙を揺れ、六本の足がばらばらの動きを見せる。その姿はまるで暴れ馬が手綱を失ったかのようだった。
「ルカ、こっち!」
アネッテは弟に手を伸ばした。ルカは急いで彼女の元へ駆け寄り、二人は結界の端に向かって走り出した。しかし、まだ足を引きずるアネッテのスピードは遅く、完全に逃げ切ることはできなかった。
魔女はすぐに体勢を立て直し、今度は怒りに満ちた咆哮を上げた。その声に呼応するように、空から小さな木馬の使い魔が降り始める。それらは実物の馬の10分の1ほどのサイズだが、数が多い。使い魔たちは二人の周囲を飛び回り、進路を遮った。
「囲まれたわ...」
アネッテは息を切らしながら言った。ルカを守るように前に立ち、周囲を警戒する。使い魔たちは徐々に円を狭め、二人を中心に回り始めた。そして魔女自身も再び近づいてきた。今度は直接突進するのではなく、高く跳躍し、二人の上空に達しようとしている。
「これが最後の力!」
アネッテは残された魔力を全て集中させた。彼女の胸のソウルジェムが強く輝き、緑色の光が周囲に広がる。
「『マグネティック・スパイラル』!」
アネッテの全身から電磁波が螺旋状に放出され始めた。彼女の周囲の空気が歪み、緑色の渦が形成される。その渦は徐々に大きくなり、使い魔たちを巻き込んでいく。木馬の形をした使い魔たちが渦に飲み込まれ、次々と粉砕されていく。
上空から落下してきた魔女も、この螺旋の力に巻き込まれた。巨大な体が空中で止まり、力強い電磁場によって締め付けられる。魔女は苦悶の叫びを上げるが、その声も緑色の渦の中に吸い込まれていった。
「これで...終わり...」
アネッテの声は弱々しかった。最後の魔法を使い切った彼女の魔力は限界に達していた。ソウルジェムの輝きも弱まり、緑色の光に黒い濁りが混じり始めていた。