病室のドアが勢いよく開かれ、廊下の静寂を破るような息を切らした声が響き渡った。
「アニー!大丈夫なの?!」
顔を上げると、そこには心配で青ざめた表情の両親の姿があった。父・蒼春健太郎は普段は穏やかな瞳に不安を宿し、母・リーゼルの髪は慌てて結い直したのか乱れていた。二人は娘の姿を確認するとすぐに病室に駆け込み、アネッテのベッドサイドに急いで詰め寄った。
「パパ、ママ...」
アネッテは弱々しく微笑みかけた。窓から差し込む春の柔らかな光が、彼女の青白い頬を照らしていた。
「もう、どれだけ心配したと思っているの!」リーゼルは感情を抑えきれないように娘の手を両手で握りしめながら、ドイツ語と日本語が混ざり合った早口の言葉で感情を表した。「大学の研究発表会のために見滝原に来ているはずなのに、突然倒れて意識不明だって連絡が来て...心臓が止まるかと思ったわ!」
そうだ、とアネッテは思い出した。彼女が見滝原市にいたのは、母の研究発表会に合わせて家族で来ていたからだった。埼玉県月影町から電車で片道3時間ほどの距離を移動し、見滝原大学で行われる先端ロボット工学シンポジウムに参加するための旅行だったのだ。リーゼルはゲストスピーカーとして招かれており、ロボット工学における最新の研究成果を発表する予定だった。アネッテは母の研究に深い興味を持っていたため、春休みを利用して一緒に来ていたのだ。
「ごめんね、心配かけて...」アネッテはベッドに少し座り直し、点滴の管を気にしながら姿勢を正した。「シンポジウムはどうだったの?ママの発表、見逃しちゃったね...」
健太郎が優しく娘の肩に手を置いた。その大きな手は普段電子機器の精密な設計を手がける器用さとは対照的に、今は少し震えていた。
「お前のことがあったから、ママは発表の一部をビデオで済ませたんだ。研究仲間が助けてくれてね。今は君のことだけが心配だよ」父親の声には深い愛情と心配が滲んでいた。
「でも私の研究発表は無事終わったわ」リーゼルは娘を安心させるように付け加えた。その青い瞳には疲れと安堵が入り混じっていた。「特に自律型アシスト機構の部分は評判が良かったの。でも今はそんなことより、あなたが元気になることだけを考えましょう」
「弟は?ルカは大丈夫?」アネッテは少し体を起こして尋ねた。いつもは兄妹喧嘩も多い弟だが、こんな時には心配になる。
「ルカは中学校の授業があるから月影に残っているわ。おばあちゃんが面倒を見てくれているから大丈夫よ」リーゼルは娘の髪を優しく撫でながら答えた。「電話したら『姉ちゃんに早く元気になれって伝えて』って言ってたわ。もちろん、彼の言葉は『別に心配してないけど』って付け加えていたけどね」
アネッテはその言葉に小さく笑い、ほっとした表情を浮かべた。家族の心配をかけてしまったことに申し訳なさを感じながらも、穢れきったソウルジェムから回復した自分の体調について思いを巡らせていた。どうして自分だけが魔女化せずに済んだのか—その謎が頭から離れなかった。
「先生からは過労と栄養不足だって言われたけど」健太郎が眉をひそめ、娘の顔を真剣に見つめた。「アニー、本当のところどうだったの?シンポジウムの合間に何をしていたんだい?単なる観光で倒れるほど無理することはないだろう?」
実際には魔女MECHANICAとの激しい戦いで魔力も体力も極限まで消耗していたアネッテだが、そんなことは家族に言えるはずもない。彼女は一瞬、胸元のペンダントに視線を落とし、言葉を選んだ。
「あの...見滝原の街を色々探検してたんだ。特に駅前の電気街がすごくて、新しい電子部品のお店とか見つけて、気づいたら何時間も歩き回って...ちょっと夢中になりすぎたかも...」
その説明は半分は本当だった。魔女退治の合間に、彼女はこの街の電子部品街を訪れ、自分の武器「マグ・アームズ」の改良に使えそうなパーツを見つけては興奮していたのだ。何軒もの専門店を回り、月影町では見られない珍しい部品に目を輝かせていたことは事実だった。
「まったく」リーゼルは呆れたような、でも優しい表情で娘の頭を撫でた。彼女自身も研究に没頭すると周囲が見えなくなるタイプだった。「あなたは好奇心が旺盛すぎるのよ。それは素晴らしいことだけど、体を壊しては元も子もないわ。私たちロボット工学者は、システムのバランスを常に考えなければいけないでしょう?あなたの体もシステムなのよ」
「次回からは、街の探検は家族と一緒にね」健太郎が心配そうに付け加えた。彼の手は娘のベッドの縁をぎゅっと握りしめていた。「研究者として好奇心は大切だけど、自分の健康はもっと大切だよ。それに、知らない町で倒れるなんて、何があったか分からないじゃないか」
「分かった...ごめんね、パパ、ママ」アネッテは申し訳なさそうに頷いた。両親の心配をよそに、魔法少女として戦い続けなければならない現実が、彼女の心に重くのしかかった。
窓際の日差しの中、キュゥべえの白い姿がぼんやりと浮かび上がっていた。彼は無言で家族の様子を観察していた。アネッテには、両親が彼の存在に全く気づいていないことが分かっていた。魔法少女と契約した者以外には見えないのだ。
「あの...退院はいつになりそう?」アネッテは看護師が残したカルテに目を向けながら、話題を変えるように尋ねた。
「主治医の先生によると、あと一日様子を見て、問題なければ明日の午後には退院できるそうよ」リーゼルが髪を耳にかけながら答えた。「それから電車で月影に帰るわ。パパは大手電機メーカーの研究開発部での緊急の会議があって先に帰らないといけないけど、私とあなたは一緒に帰れるわね」
アネッテはゆっくりとうなずいたが、内心では複雑な思いがあった。見滝原を離れるということは、この街の魔女たちとの戦いも終わるということだ。そして何より、まだ解き明かせていないソウルジェムの謎を、この地で追究することができなくなる。でも、月影町にも魔女はいるはず。そこでまた戦いを続けなければならないし、研究も続けられる。
「ねえ、ママ...」アネッテは指先でシーツをいじりながら、少し躊躇いがちに尋ねた。「またいつか見滝原に来ることはできる?この街、なんだか特別な感じがするんだ...」
リーゼルは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに理解したように微笑んだ。「もちろんよ。私も見滝原大学との共同研究で時々来ることになるし、今度は夏休みにまた家族で来れるかもしれないわね。ルカも連れてくれば、きっと楽しいわ」
それを聞いて、アネッテの顔に安堵の表情が広がった。これでいずれまた見滝原に戻り、謎を解き明かす機会があるのだ。窓の外を見ると、春の陽光が優しく街並みを照らし、桜の花びらが風に乗って舞っていた。
彼女はまだ知らなかった—この街には自分以外の魔法少女たちがいることを。まどか、ほむら、さやか、マミ、そして杏子。彼女たちと出会い、運命が交錯することになるという未来を。彼女が魔女化しないという特異性が、この街の魔法少女たちの運命にどのような影響を与えるのかも。
キュゥべえはアネッテの表情を見つめながら、静かに尻尾を揺らした。そして、誰にも気づかれることなく、窓から姿を消した。彼の赤い瞳の中には、これから展開される数多くの可能性が映し出されていた。