アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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2-10「三重苦の協奏曲」

 

 

 

アネッテの鋭い声が、灼熱の砂と錆びた鉄の匂いが混じり合う緊迫した戦場に響き渡った。

 

「佐倉さん、ここは危険よ! 一度体勢を立て直しましょう! あそこの岩陰…!」

 

アネッテは一瞬で周囲の地形を分析し、最も防御に適した退避場所を特定する。

彼女の目は、戦場のチェス盤を読むグランドマスターのように、数手先の状況まで見据えていた。

 

「距離およそ50メートル、あの崩れかけた巨大な風車の残骸…あそこの影になっているポイントまで全力で後退するわよ!」

 

言葉と同時に、アネッテは両手のハンドコイラーMk.IVから牽制の精密射撃を続けざまに数発放った。

エメラルドグリーンの魔力弾が、まるで意思を持っているかのように複雑な軌道を描き、あの忌々しい鎖を操る魔女の無数に蠢く触手のような鎖の根本を的確に撃ち抜いていく。

その目的はダメージを与えることではなく、魔女の注意を強引に自分へと引き付け、杏子の退避時間を稼ぐことだった。

魔女は甲高い、金属同士が擦れ合うような不快極まりない音波を上げ、アネッテの鼓膜を激しく震わせた。

 

その刹那の隙を突き、杏子は消耗しきった体に最後の気力と、新たに燃え始めた闘志を振り絞った。

ふらつく足取りながらも、アネッテが指示した風車の残骸の影へと、文字通り転がり込むように身を滑り込ませる。

背後でアネッテの放つ魔力弾の連続的な炸裂音と、鎖の魔女の怒号のような攻撃音が激しく交錯し、爆風が砂塵を巻き上げるのを感じながら、彼女は必死に前へと進んだ。

 

アネッテもまた、鎖の魔女の予測不能な鎖の波状攻撃を、まるで踊るように、あるいは未来予知でもしているかのような驚異的な反射神経と精密な射撃の連携によって巧みに捌ききった。

それは、彼女がこれまでの戦いで培ってきた経験と、科学的分析に基づいた最適行動パターンの賜物だった。

最小限の魔力消費で追撃を振り切ると、計算されたタイミングで一瞬遅れて杏子の隣へと合流する。

 

岩陰に身を隠すと、アネッテはすぐに腰の多機能ポーチから、黒く鈍い光を放つ数個の宝石を取り出した。

彼女自身のソウルジェムも、先ほどの使い魔掃討と鎖の魔女への牽制射撃で無視できない量の魔力を消費しており、エメラルドグリーンの輝きの中に、うっすらとだが黒い濁りが全体の三割ほどに広がり始めていた。

 

「これを使って。グリーフシードよ」

 

アネッテは息を切らしながらも、その声には不思議なほどの冷静さが保たれていた。

杏子に差し出されたグリーフシードは、彼女がこれまでの孤独な戦いの中で収集し、まさに命を繋ぐために大切に保管してきたものだった。

 

「あなたのソウルジェム、見ただけでも分かるくらい危険な状態だわ。魔力反応も著しく低下している。このままでは、魔女になる危険性すらある」

 

それは、アネッテがこれまでの戦いで収集してきた、文字通り命を繋ぐためのグリーフシードだった。

本来であれば、自身のソウルジェムの浄化と、開発中の新型武装のエネルギー源として最優先で確保しておくべき、極めて貴重なリソース。

しかし、彼女は一切の躊躇を見せることなく、その多くを初対面に等しい杏子へと差し出した。

彼女のソウルジェムも決して万全とは言えない状態だったが、今は目の前の仲間を救うことが最優先だった。

 

「…あんた、本気で言ってるのか? 正気か?」

 

杏子は、差し出された黒い宝石とアネッテの真剣な顔を交互に見比べた。

その表情には純粋な驚きと戸惑い、そして魔法少女としての長い経験からくる微かな不信感が複雑に入り混じっている。

 

「初対面の、どこの馬の骨とも知れねえアタシに、そんな虎の子のグリーフシードをこんな何個も渡しちまうってのかよ…? あんた、自分がどうなるか分かってんのか?」

 

魔法少女の世界の掟は非情だ。

グリーフシードは自らの命と力を繋ぐための唯一無二の手段であり、それを他人に、ましてや素性の知れぬライバルかもしれない相手に易々と譲り渡す行為など、自殺行為にも等しい。

杏子自身、グリーフシードを巡って他の魔法少女と争った経験は一度や二度ではなかった。

 

「今は仲間割れしてる場合でも、そんな詮索をしてる時間もないでしょう?」

 

アネッテはきっぱりと言った。

彼女の緑の瞳は、杏子の心の奥底まで見透かすように、真っ直ぐに彼女を射抜いていた。

 

「あなたがここで力尽きて魔女になったら、私一人でこの結界内の魔女たち…ドローンの分析では恐らく最低でも三体はいるわ…それを同時に相手することになるの。それはいくら私でも分が悪すぎる。合理的じゃないわ」

 

アネッテの言葉には一片の揺らぎもなかった。

それは冷徹な計算に基づいた判断であり、同時に、目の前の魔法少女を見捨てないという強い意志の表れでもあった。

 

「それに…」

 

彼女は、一瞬だけ言葉を切り、少し照れたような、しかし悪戯っぽい笑みを浮かべた。

その笑みは、この絶望的な状況下において、不思議なほどの安心感を杏子に与えた。

 

「さっき言ったでしょ? 『騎兵隊』なんだから、これくらいは当然の助け合いよ。それに、もしあなたがここで魔女になったら、私が後でグリーフシードを回収する手間が増えるだけだもの」

 

最後の言葉は冗談めかしていたが、その奥にはアネッテなりの優しさが隠されていた。

杏子はアネッテの言葉に一瞬呆気に取られたが、すぐにギリッと奥歯を噛み締めた。

差し出されたグリーフシードの中から、最も穢れの少なそうな、まだ微かに黒曜石のような光沢を残すものを一つひったくるように手に取ると、躊躇なく自らの赤黒く濁りきったソウルジェムへと押し当てた。

 

漆黒の穢れが、まるで飢えた獣のようにグリーフシードへと勢いよく吸い込まれていく。

杏子のソウルジェムが、徐々にではあるが、本来の鮮やかな血のような赤い輝きを取り戻し始める。

消耗しきっていた魔力が体の内側から力強く湧き上がり、深手を負っていた全身の無数の傷も、まるで早送り映像のように、目に見える速さで急速に癒えていく。

数秒後、彼女は完全な状態ではないものの、少なくとも再び戦場に立ち、その紅蓮の槍を振るうだけの力を取り戻していた。

ソウルジェムの濁りはまだ半分ほど残っているが、先ほどまでの絶望的な状態からは明らかに回復していた。

 

「…アネッテ、だったな? あんたには、とんでもねえデカい借りができちまったみてえだな」

 

杏子は槍を力強く握り直し、先ほどとは比較にならないほど鋭く、そして力強い光を宿した血色の瞳でアネッテを見据えた。

 

「この借りは、必ず返す。戦いが終わったら、利子をたっぷりつけてな!だから、あんたも無事に生き残れよ!」

 

「気にしなくていいの、佐倉さん。今は目の前の厄介事を片付けることに集中しましょう」

 

アネッテもまた、ハンドコイラーMk.IVを構え直し、不敵な笑みを杏子へと返した。

二人の魔法少女の間には、依然として張り詰めた緊張感が漂いつつも、極限状態の中で芽生えた奇妙な信頼と、生き残るための共闘意識が、確かに、そして強く存在していた。

 

「あの忌々しい鎖の魔女…ドローンのデータベースにも類似のパターンがない、全くの新種みたいね。厄介な能力を持っているのは確かよ」

 

アネッテは冷静に左手首のデバイスに表示される分析結果を杏子に伝える。

彼女の戦術デバイスは、既にあの鎖の魔女の魔力パターンとこれまでの戦闘データを高速で解析し、いくつかの有効な戦術オプションをホログラムで提示していた。

 

「あなたの槍でも決定打を与えられなかったのは、極めて高い再生能力か、あるいは本体が別の場所に隠れている可能性が高いわね。あの胸の赤い結晶体が核で間違いないと思うけど、そこを破壊しても再生するなら、もっと根本的な対処が必要になる。例えば、核を破壊した瞬間に、再生のエネルギー源を断つとか…」

 

「チッ…あの野郎、通りで何度ぶっ壊してもすぐに元通りになりやがるわけだ。しつけー女は嫌われるって、相場が決まってんだろーが!」

 

杏子は忌々しげに吐き捨て、槍を握りしめる手にさらに力を込めた。

 

「しかも、あの鎖、変幻自在で避けにくいったらありゃしねえ。まるで自分の意思を持ってるみてえにうねうねと追いかけてきやがる」

 

「私が攪乱しつつ、精密射撃で動きの基点となる関節部分を狙撃して、一時的に動きを止める」

 

アネッテは即座に最適と思われる作戦を提示する。

彼女の頭脳は、既に勝利への道筋をシミュレーションし始めていた。

 

「あなたは最大火力で奴の胸の中心、あの赤い結晶体を狙って。あそこに最も強い魔力反応が集中しているから、間違いなく魔女の核があるはずよ!一撃で仕留めるつもりで!」

 

アネッテの緑の瞳は、既にあの鎖の魔女の動きの僅かな隙、攻撃パターンの中のコンマ数秒のブレを見極めようと、鋭く細められている。

 

「了解した!だがな、アネッテ。あんた一人であの数の鎖の猛攻を完全に捌ききれるのか?アレは見てる以上に厄介だぜ。数も多いし、一本一本の動きも予測しにくい。それに、あんたのソウルジェムも結構濁ってきてるんじゃねえのか?」

 

杏子の問いかけには、純粋な懸念と、アネッテという未知の魔法少女の能力への興味、そして彼女自身の経験からくる冷静な分析が複雑に混じり合っていた。

 

「大丈夫。私のマグ・アームズは、こういうトリッキーな相手との集団戦を想定して設計されているんだから!魔力効率も計算済みよ!」

 

アネッテは不敵な笑みを浮かべると、両手のハンドコイラーMk.IVの銃口を、再び戦場へと姿を現した鎖の魔女へと正確に向けた。

次の瞬間、彼女の全身がエメラルドグリーンのオーラに力強く包まれ、その魔力量が急速かつ指数関数的に増大していくのが、杏子の肌をピリピリと刺激するほどの強烈な圧となって感じ取れた。

 

「行くわよ、佐倉さん!合わせなさい!」

 

アネッテは叫ぶと同時に、地面を強く蹴って鎖の魔女へと猛然と突進した。

その動きは、先ほどまでの疲労を微塵も感じさせない、驚異的な敏捷性と力強さに満ちていた。

 

「ハンドコイラー、精密照準モード!マルチ・ターゲット・ロックオン…全弾、ラグランジュ補正射撃、同時発射!」

 

アネッテの両手のハンドコイラーから放たれた複数の魔力弾が、それぞれ異なる複雑な曲線軌道を描きながら、鎖の魔女の全身に存在するであろう全ての鎖の連結部分や、動きの基点となるであろう関節部分を、寸分の狂いもなく正確無比に撃ち抜いていく。

緑色の閃光が戦場を走り、鎖の魔女の巨体が衝撃で大きくのけぞり、その複雑な多関節の動きが一瞬だけ、しかし確実に硬直した。

 

「今だよ!!」

 

アネッテが力強く合図を出した。

 

杏子はその千載一遇の好機を逃さない。

グリーフシードによって回復した魔力の全てを、魂を燃やすように、その深紅の長槍へと激しく注ぎ込む。

槍は眩いばかりの紅蓮の炎のようなオーラをまとい、その先端が三日月状の刃から、さらに鋭く、より長く尖った一本の巨大なクリムゾン・パイルへと変形を遂げる。

その槍先からは、凝縮された魔力が熱波となって周囲の砂を溶かすほどだった。

 

「喰らいやがれぇぇぇっ! これがアタシのとっておきの一撃だぁぁぁっ!!」

 

杏子の魂の咆哮と共に、紅蓮の槍が鎖の魔女の胸部、アネッテが精密射撃で正確に示した赤い結晶体へと、まるで吸い込まれるかのように一直線に突き進んでいく。

槍の先端が結晶体に触れた瞬間、凄まじい衝撃波が周囲の空間に同心円状に広がり、熱風がアネッテの髪を激しく揺らした。

結晶体に深々と亀裂が走り、そこから濃密な黒い霧のようなものが、まるで魔女の断末魔の叫びのように噴き出す。

鎖の魔女の巨体が激しく痙攣し、不成形の苦悶の音を上げた。

 

「まだだ…! まだ終わらせねえぞ! もっとだ!」

 

杏子は叫び、さらに魔力を槍へと注ぎ込む。

全身の魔力を絞り出すかのように、彼女のソウルジェムが限界まで輝きを増す。

紅蓮のオーラが一層強く激しく燃え上がり、槍は赤い結晶体をさらに深く、そして容赦なく抉り進んでいく。

結晶体の亀裂は瞬く間に広がり、内部から漏れ出す黒い霧は勢いを増し、鎖の魔女の体を内側から蝕んでいくようだった。

 

鎖の魔女は最後の抵抗を試みるかのように、残された数本の鎖を力なく振り回すが、もはやその動きに以前のような鋭さや殺意はない。

アネッテもまた、ハンドコイラーMk.IVの出力を最大にし、杏子が狙う結晶体周辺の魔女の本体へと、精密極まりない集中砲火を浴びせかける。

緑色の魔力弾が、鎖の魔女の体表を焦がし、その存在を分子レベルで希薄にしていく。

 

ついに、杏子の紅蓮の槍が、鎖の魔女の核である赤い結晶体を完全に貫通した。

甲高い金属音と、硬質なガラスが砕け散るような音が重なり合い、結晶体は内部から眩い光を放ちながら爆発的に四散した。

同時に、鎖の魔女の巨体もまた、その存在の核を失ったことで急速に崩壊を始める。

全身を覆っていたおびただしい数の鎖が、まるで生命を失った蛇のように力なく地面に落下し、黒い霧となって赤い砂漠の砂へと霧散していく。

 

蠍のような禍々しい下半身も形を失い、熱風に吹かれて赤い砂漠の砂塵へと還っていく。

最後に残ったのは、苦悶の表情を浮かべた少女の上半身のぼんやりとした残像。

それもまた、一瞬の幻のように揺らめき、掻き消え、後には不気味なほどの静寂だけが残された。

 

「…やった、のか…?本当に…倒したのか…?」

 

杏子は肩で大きく、そして深く息をしながら、紅蓮の槍を熱砂の地面に突き立てて辛うじて体を支えた。

ソウルジェムの濁りは再び濃くなっていたが、まだ戦えるだけの魔力は残っている。

目の前には、あの鎖の魔女が完全に消滅したことを示す、ビー玉ほどの大きさの黒いグリーフシードだけが、赤い砂の上に静かに転がっていた。

 

しかし、杏子とアネッテが束の間の勝利の余韻に浸る間もなく、戦場の空気が再び、今度はさらに不気味なまでに重く揺らめいた。

あの鎖の魔女がいた場所の背後、赤い砂漠の地面がまるで生き物のように激しく蠢き、突如として巨大な地割れが生じたのだ。

地割れの奥深くから、チェック柄の冷たく硬質な床タイルと、無機質な薬瓶が整然と並ぶガラス棚が、まるで悪夢が現実世界に侵食してくるかのように次々と湧き上がり、赤い砂漠の風景とは全く異質な、閉鎖的で清潔な病院の一室を思わせる歪な空間が、急速に二人を包み込み始めた。

 

そして、その清潔だがどこか狂気を孕んだ空間の中心から、メルヘンチックで一見すると可愛らしいキャンディのような頭部を持つ人形のような姿の魔女――杏子が以前、「お菓子みてえな魔女」と認識したものと酷似した個体が、その大きな円らな、しかしどこか虚無を湛えた無感情な瞳で二人を静かに、そして値踏みするように見据えていた。

その隣には、既に体勢を立て直し、何事もなかったかのように上空に滞空する、巨大な赤い鳥の魔女――杏子が「炎の鳥野郎」と認識した個体が、その風車の冠を不気味な金属音と共に回転させながら、新たな獲物を定めようとしていた。

 

「ちっ、やっぱりまだいやがったか!しつけーんだよ、この野郎ども!しかも、あのデカい焼き鳥もピンピンしてやがるとはな!」

 

杏子は忌々しげに悪態をつき、グリーフシードを素早く回収すると、再び紅蓮の槍を強く握りしめて構え直す。

先ほどの激しい戦闘でグリーフシードを一つ消費し、魔力はいくらか回復したとはいえ、まだ油断できる状況では決してない。

むしろ、脅威は増している。ソウルジェムの濁りは依然として半分以上を占めており、予断を許さない状況だ。

 

「佐倉さん、気をつけて!あのお菓子みたいな魔女、ドローンの初期探査データによれば、恐らく見た目に反して非常に危険な特殊能力を持っているはずよ!特に、形態変化には要注意!」

 

アネッテは左手首の戦術デバイスに表示される情報を基に、杏子に鋭く警告を発する。

彼女の科学者としての分析が、お菓子の魔女の潜在的な脅威を的確に指摘していた。

 

「ああ、知ってる。この結界に最初に入った時...アタシ以外の、どこかの街から来た魔法少女たちが、あいつに不用意に攻撃を仕掛けた途端、まるで脱皮でもするかのように出てきた”中身”の化け物に、一瞬で食い殺されるのを見たからな。あの光景は、忘れようにも忘れられねえ…」

 

杏子が、数日前の凄惨な記憶を思い返し、苦々しげに返答した。

その脳裏には、あの三人組の魔法少女たちの断末魔の叫びと、鮮血に染まる光景が焼き付いている。

 

「それに、あの鳥の魔女は上空からの広範囲制圧攻撃を得意としているはず!炎と熱波の複合攻撃は回避が難しいわ!」

 

アネッテの分析は的確だった。

ドローンからの映像とセンサーデータは、二体の魔女が既に何らかの連携攻撃を開始しようとしている危険性を示唆している。

お菓子の魔女が地上から、炎の鳥が上空から、完璧な挟撃体制を敷こうとしていた。

 

お菓子の魔女はアネッテの存在をその小さな、しかし底光りする瞳で捉えると、先ほどまでの無邪気で可愛らしい表情を一変させた。

その愛くるしい顔が、まるで紙を破るように裂け、内部から巨大な口を開けた、長く黒い芋虫とも大蛇ともつかない異形の姿――第二形態へと、ほんの一瞬でグロテスクな変貌を遂げた。

 

その勢いのまま鋭い牙を無数に剥き出しにしながら、猛然とアネッテへと襲いかかってくる。

その巨大な顎(あぎと)は、一瞬にしてアネッテの華奢な上半身を丸ごと飲み込もうと、凄まじい速度と質量で迫った。

同時に、上空の炎の鳥も翼を大きく羽ばたかせ、凝縮された灼熱の炎のブレスを、アネッテと杏子の二人を同時に薙ぎ払うように放ってきた。

 

「挟み撃ちか!厄介なことをしてくれる!」

 

杏子は鋭く舌打ちし、炎のブレスの直撃を回避すべく、爆風を利用して後方へ大きく跳躍する。

アネッテは右手のハンドコイラーを瞬時に防御形態である電磁拘束フィールド発生装置へと形成変化させ、間一髪で迫りくるお菓子の魔女の巨大な顎を、火花を散らしながら受け止めた。

 

「悪いけど、あなたみたいな単純な捕食タイプの魔女は、もう何度もシミュレーション済みよ!その動き、完全に予測範囲内!」

 

アネッテは叫び、お菓子の魔女の顎を力強くこじ開けるように押し返し、そのコンマ数秒の隙間から、まるで猫のようなしなやかさで後方へ脱出する。

 

「佐倉さん!プランBよ!あの空飛ぶ厄介者は私が引き受ける!空中戦なら私のマグ・アームズに分があるはず!広範囲の魔力ジャミングも同時に展開して、奴のステルス能力も一時的に無効化する!」

 

アネッテは杏子に鋭く指示を飛ばしながら、既に次の行動に移っていた。

彼女の頭脳は、この絶望的な状況下でも、常に最適解を模索し続けていた。

 

「あなたは地上に残って、そのお菓子の方を徹底的に叩きのめして!再生能力があるみたいだから、核を完全に破壊する必要があるわ!ドローンの分析によれば、核の位置は…おそらくあの不気味な多眼の中心!」

 

アネッテは脚部に魔力を最大限に集中させ、爆発的な推進力で一気に上空の炎の鳥へと向かって跳躍した。

エメラルドグリーンの魔力光が美しい尾を引き、夜空を駆ける緑色の流星のようだ。

 

「へっ!面白えじゃねえか!お菓子なら私の大好物だぜ、遠慮なくいただくとするか!任せとけ!」

 

佐倉杏子は、血のような赤い唇の端に、獰猛な肉食獣を思わせる不敵な笑みを浮かべた。

その紅蓮の槍の穂先を、お菓子の魔女第二形態へと鋭く、そして正確に向ける。

大蛇のように禍々しくうねる長い体躯、その表面を不気味に覆う、毒々しいほどカラフルな大小様々な多眼。

そして、全てを飲み込み、喰らい尽くさんとする巨大な顎(あぎと)。

その異形の姿は、およそ「お菓子」という愛らしい言葉の響きからはかけ離れた、純粋な捕食者としての凶悪さを濃厚に漂わせていた。

赤い砂漠の灼熱の風が、杏子の鮮血のように鮮やかなポニーテールを荒々しく揺らす。

 

「アネッテ!あのデカい焼き鳥、あんまり派手に焼きすぎんなよ!アタシにも少しは味見させろ!」

 

杏子の威勢の良い啖呵に応じるように、蒼春アネッテは既に空高く舞い上がっていた。

エメラルドグリーンの魔力光が彼女の全身から激しく迸り、その姿はまるで戦場を支配する緑色の彗星のようだ。

彼女の眼下では、巨大な赤い鳥の魔女が、不気味な金属音と共に風車の冠を高速回転させ、その広大な翼を威嚇するように大きく広げている。

 

「悪いけど、焼き鳥は今夜のメニューには入ってないのよ!あなたはここで終わり!」

 

アネッテは空中での姿勢を、まるで無重力空間を漂う宇宙飛行士のように瞬時に、そして精密に制御する。

両手に構えた電磁加速拳銃「ハンドコイラー Mk.IV」の銃口を、炎の鳥の弱点であると分析された風車の冠の基部へと正確に向けた。

 

炎の鳥が翼を一度力強く羽ばたかせると、その全身から凝縮された灼熱の炎のブレスが、巨大な火炎放射器のように広がり、アネッテの退路を断つかのように空を紅蓮に染め上げた。

同時に、炎を纏った高密度の羽毛が、まるで誘導ミサイルの雨霰(あめあられ)のように、アネッテめがけて無数に射出される。

 

「甘いわね!その程度の攻撃パターン、既に解析済みよ!あなたのステルスも、この広範囲魔力ジャミングの前では意味がないわ!」

 

アネッテは空中で体を独楽(こま)のように高速回転させ、炎のブレスの中心を紙一重で回避。

降り注ぐ火炎弾の嵐を、まるで未来が見えているかのように最小限の動きで的確に見切り、その弾幕の合間を縫ってハンドコイラーMk.IVから精密極まりない反撃の魔力弾を連続して叩き込む。

彼女の周囲には、彼女自身が発生させた微弱な電磁フィールドが展開されており、それが炎の鳥のステルス機能を妨害し、その動きをデバイスに補足させていた。

 

緑色の魔力弾が炎の鳥の翼の付け根や、風車の冠の回転軸部分といった、ドローンによる事前分析で特定された構造的弱点を正確に捉え、小さな爆発と共に黒煙を上げさせる。

炎の鳥は甲高い金属音のような怒りの咆哮を上げ、さらに激しい炎の追撃を繰り出すが、アネッテの三次元的な高速機動と予測不能な回避運動は、その猛攻をことごとく無力化していく。

彼女の動きは、まるで重力を無視した緑色の妖精が舞う空中バレエのようであり、その複雑な飛行軌跡は緑色の閃光となって、血のように赤い砂漠の空を美しく、しかし 致死的に彩った。

 

一方、地上では杏子とお菓子の魔女第二形態との、より原始的で、しかし壮絶な近接戦闘が展開されていた。

 

お菓子の魔女の巨大で不定形な体躯が、まるで津波のように地響きを立てて突進し、そのおぞましい巨大な顎が杏子の華奢な体を丸ごと飲み込もうと迫る。

体表に無数に存在する多眼の一つ一つが、異なる角度から杏子の動きを精密に捉え、予測不能なタイミングと軌道で襲いかかってくる。

 

「遅えんだよ、このグミみてえな色のデカブツ野郎が!アタシをナメてっと、痛い目見るぜ!」

 

杏子は地面を強く蹴り、お菓子の魔女の鋭い牙を、まるで闘牛士が牛の角をかわすように寸でのところで回避。

そのまま魔女の側面へと滑るように回り込み、紅蓮のオーラを纏った赤い槍を、嵐のような勢いで横薙ぎに一閃する。

槍の穂先がお菓子の魔女のゼリーのように柔らかそうな体表を深々と切り裂き、毒々しいネオンカラーの体液のようなものが、まるで噴水のように勢いよく飛沫を上げて周囲に飛び散った。

 

しかし、お菓子の魔女は痛みを感じる様子もなく、怯むことなく、今度は長く太い、粘液に覆われた尻尾を巨大な鞭のようにしならせ、杏子の足元を薙ぎ払わんとする。

 

「おっと!そんな単純な攻撃が、このアタシに何度も通用すると思ってんのか!」

 

杏子はそれを軽やかなバックステップと跳躍で華麗にかわし、空中で体勢を反転させると、落下しながらその勢いを利用して、紅蓮の槍をお菓子の魔女の背中の中央部分に深々と突き立てた。

深紅のオーラを激しく纏った槍の一撃は、確かに魔女の不定形な体組織を貫通したが、その手応えは奇妙なほど軽く、まるで綿菓子か何かを突いたかのようだった。

 

「こいつ、中身はスライムみてえにスカスカか!?それとも、わざと手応えを消してやがるのか!だが、核はどこだ!」

 

杏子の予想通り、お菓子の魔女の体は極めて柔軟で不定形であり、通常の物理的な打撃によるダメージがほとんど通用しない。

槍を引き抜いた瞬間、抉られた傷口はまるで生きているかのように蠢き、みるみるうちに再生し、ほんの数秒で何事もなかったかのように完全に元通りになってしまう。

 

それどころか、お菓子の魔女はまるで脱皮でもするかのように、古いカラフルな外皮をずるりと脱ぎ捨て、一回り大きく、そしてさらに凶悪な形相となって杏子に再び猛然と襲いかかってきた。

その口からは、新たに鋭い酸性の溶解液を撒き散らし始めた。

 

「チッ、やっぱり面倒くせえ不死身の再生能力持ちかよ!こういう正攻法が通じねえタイプが、一番うんざりするんだ!アネッテの言ってた通り、あの目玉のどれかが核か!」

 

杏子は忌々しげに舌打ちしながらも、その血色の瞳の奥の闘志は少しも衰えていない。

彼女は槍を構え直し、お菓子の魔女の絶え間ない変幻自在な攻撃の嵐の中を、まるで戦場を舞う赤い疾風のように駆け抜ける。

 

鋭い牙による噛みつき、粘液に覆われた尻尾による薙ぎ払い、巨体そのものを利用した体当たり。

それら全てを、長年の経験で培われた卓越した体捌きと野生動物のような反射神経で見切り、槍による目にも止まらぬ連続突きや、周囲の砂塵を巻き上げるほどの強力な回転薙ぎといった、多彩な近接戦闘技術を次々と叩き込んでいく。

一撃一撃はお菓子の魔女の再生能力によって致命傷には至らないものの、確実にその巨体にダメージを蓄積させていた。

時折、お菓子の魔女が体表の多眼から一斉に放つ、精神を錯乱させる効果のある催眠光線を、経験則からくる直感で巧みにかわしながら、杏子は一切の油断なく、しかし大胆に攻め続ける。

 

戦いは熾烈を極めた。

赤い砂漠は二人の魔法少女と二体の魔女が織りなす死闘の舞台と化し、爆音と閃光が絶え間なく夜空を染め上げた。

 

アネッテの放つ緑色の高エネルギー魔力弾の閃光と、杏子の紅蓮の槍が描く炎のような破壊の軌跡が、赤い砂漠と化した絶望的な結界内を縦横無尽に交錯する。

ハンドコイラーMk.IVの連続発射音、杏子の槍が空気を切り裂く鋭い風切り音、お菓子の魔女の巨体が地面を揺るがす轟音、炎の鳥の翼が起こす灼熱の爆風、そして二体の魔女が上げる不成形の不気味な絶叫にも似たおぞましい音が、絶え間なく赤い砂漠の夜空に響き渡っていた。

 

アネッテは炎の鳥の執拗な追撃と、広範囲に撒き散らされる炎の羽を振り切りながら、時折地上で奮闘する杏子へと精密な援護射撃を送り、杏子もまた、お菓子の魔女の攻撃の隙を巧みに突いては、上空のアネッテに反撃の機会を作るための陽動を行う。

二人の間には、まだ言葉による明確な意思疎通はなくとも、互いの戦況を瞬時に理解し、補い合うという、戦闘経験豊富な魔法少女同士ならではの暗黙の連携が、この極限状況の中で急速に生まれつつあった。

 

しかし、二人の魔法少女が二体の強力な魔女と互角以上に渡り合っているその時、結界の空気が三度、今度は心臓を鷲掴みにされるような、不気味なまでに重く、そして冷たい静寂と共に揺らめいた。

 

それまで赤い砂漠だった地面の一部が、まるで悪性の腫瘍が音もなく急速に蝕むように、黒く、そして冷たく光る幾何学的な模様へと変貌を始めた。

その模様は、アネッテが設計図で描く電子回路のパターンに酷似していたが、どこまでも歪で、法則性を嘲笑うかのような不協和音を奏でているかのようだ。

そこから現れたのは、無数の歯車と振り子が、まるで狂った時計の内部のように、数学的な秩序を完全に無視して不規則に、そして永遠に回転を続ける、巨大な図書館か、あるいは悪夢の中のカラクリ部屋を思わせる異次元空間だった。

そして、その空間全体が、アネッテのマグ・アームズから放たれる魔力の波長と、不快なほど共鳴するような、微細な振動を伴って空気を震わせていた。

 

そして、その歪な空間の中心に、まるで宇宙の深淵から直接引きずり出されたかのような、禍々しい存在がゆっくりと姿を現した。

それは、複雑怪奇な数式と青白い回路の光が、まるで生きている血管のように絡み合いながら明滅する、巨大な黒い球体。

その球体を核として、無数の金属片やガラスの破片が衛星のように周囲を漂い、時折、アネッテのソウルジェムと同じエメラルドグリーンの光を一瞬だけ、嘲るかのように放っては消える。

この異形の魔女――アネッテが「計算を狂わせる何か」と直感的に認識した存在は、他の二体の魔女とは比較にならないほどの圧倒的なプレッシャーと、まるでアネッテという個を特定し、その存在自体を否定するかのような、明確な敵意を放っていた。

この魔女の出現は、偶然ではありえない。その存在自体が、まるでアネッテの能力を完璧に封じるためだけに、何者かによって用意周到に配置されたかのようだった。

アネッテの脳裏に、キュゥべえの冷たい赤い瞳と「調整」という言葉が不吉に蘇った。

 

「このタイミングで三体目だとぉ!?どこまでふざけた真似をしやがるんだ、このクソッタレども!いい加減にしろよ!」

 

杏子の怒りに満ちた、しかしどこか疲労の色も滲む絶叫が、結界内に虚しく響き渡った。

 

「計算を狂わせる魔女」は、その中心に存在する黒い球体でアネッテの姿を捉えると、内部にぼんやりと浮かぶ、常に表情を曖昧に変え続ける捉えどころのない女性の顔の輪郭を、まるでアネッテの存在そのものを嘲笑うかのように、冷たく、そして残酷に歪めた。

次の瞬間、目には見えない、しかしアネッテのソウルジェムとマグ・アームズの魔力回路に直接干渉するような、強力無比な指向性を持った特殊な干渉波力場を、明確な殺意を持ってアネッテめがけて放った。

 

「なっ…マグ・アームズのメイン制御システムに、強力なノイズ干渉が…!?精密照準システムが…ダウンする!魔力変換効率も、急激に低下していく…!まるで、私の魔力そのものに直接作用しているみたい…!この魔女、私の能力を完全に理解している…!?」

 

アネッテの操るハンドコイラーMk.IVが、突如として激しい不規則な電磁パルスを放ち始め、精密な照準システムが完全に機能を停止し、コントロール不能な状態に陥り始める。

魔力による手動照準は可能だが、彼女の武器の真価である超精密射撃と、それを支える高度な演算機能が封じられてしまった。

「計算を狂わせる魔女」の持つ、対高性能電子兵装・対魔力制御システム特化型妨害能力が、アネッテのマグ・アームズの根幹を成す精密武装システムを、的確に、そして無慈悲に無力化しにかかっていたのだ。

 

上空から炎の翼で迫る灼熱の巨鳥。

地上で変幻自在の巨体と再生能力で牙を剥くお菓子の魔女。

そして、アネッテの最大の武器である科学的思考と精密機械の連携を根底から封じにかかる、計算を狂わせる魔女。

 

三体のそれぞれ異なる凶悪な特性を持つ強力な魔女による、完璧なまでに計算され尽くした連携攻撃。

それは、いかなる魔法少女であろうとも、確実に絶望の淵へと叩き落とすためだけに巧妙に設計されたかのような、悪夢の三重奏(テルツェット)だった。

 

(どうする私!? この三重苦の絶望的な状況で、私に一体何ができる!?私のマグ・アームズが…精密機械としての強みが封じられたら…!これは、キュゥべえの言っていた「調整」…私を排除するための罠なのね…!でも、ここで諦めたら、マリエに顔向けできない…!)

 

アネッテの脳裏に、一瞬だけ、しかし抗いようのないほど強烈に、あの雨の日のマリエの最期の光景と、何もできずにただ友の死を見つめるしかなかった自らの無力さに打ちひしがれる絶望の二文字が、鮮明に蘇りかけた、まさにその時――。

 

「――まだよっ!!!諦めるわけには、いかないんだからっ!!!こんな所で、死んでたまるもんですか!」

 

アネッテは、心の奥底から、魂そのものから湧き上がる不屈の闘志と共に、血を吐くような魂の叫びを上げた。

左手首に装着された戦術デバイスを、まるで自分の体の一部であるかのように、しかしどこか荒々しく、本能的に操作する。

マグ・アームズのメイン制御システムを、通常の自動最適化モードから、全ての安全装置を解除し、魔力変換効率のリミッターも全て外した、極めて不安定だが瞬間的な高出力を可能にする完全手動制御モードへと、半ば強制的に切り替える。

それは、精密な電子制御が失われた代わりに、魔法少女自身の魔力と意志の力で直接的に武装をコントロールする、極めて原始的かつ危険な賭けだった。

 

「電磁気操作を精密にコントロールできなくても、私の知識と経験があれば…!精密機械がダメなら、もっと原始的な、でも確実な方法で戦うまでよ!魔力の流れを、私の意志で直接制御する…!やってやれないことはない!」

 

彼女の深緑色の瞳が、絶望の闇の中で希望の光を掴み取ろうと、極限の集中力と共に激しく、そして美しく燃えるように輝き始めた。

その輝きは、もはや単なる魔法少女の魔力の光ではなく、不屈の人間精神そのものの輝きだった。

この窮地を乗り越えるための新たな「方程式」を、彼女の科学者としての魂が、今まさに導き出そうとしていた。

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