アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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2-11「砕かれた方程式」

 

 

赤い砂漠と化した結界内。

灼熱の風が砂塵を巻き上げ、空には巨大な風車が不気味な軋みを伴う不協和音を立てて回転している。

その絶望的な風景の中で、二人の魔法少女は三体の強力な魔女と対峙していた。

 

「――まだよっ!!!」

 

蒼春アネッテの魂の叫びが、戦場に木霊した。

計算を狂わせる魔女――その名はまだ知らぬが、明らかに自分を標的としている異形の存在から放たれた特殊な干渉波が、彼女の誇る電磁武装システム「マグ・アームズ」の神経回路とも言える精密な制御機構を侵食し、自動最適化機能を奪い去ろうとしていた。

ハンドコイラーの銃口からは不規則なエメラルドグリーンのスパークが迸り、照準は定まらず、魔力エネルギーの供給も不安定に揺らいでいる。

科学的思考と精密機械こそが彼女の力の源泉。それを根底から揺るがす異形の魔女の攻撃は、アネッテにとって物理的なダメージ以上に深刻な脅威だった。

 

(思考が…まとまらない…!計算が…できない…!まるで頭の中に直接ノイズを流し込まれているみたい…!)

 

なぜだろうか。

普段なら複雑な物理現象も瞬時に理解し、数式として捉えることができる彼女の脳が、今はまるで霧に包まれたかのように機能しない。

論理的な思考の連鎖が途切れ、最適解を導き出すための計算が、まるで泥沼にはまったかのように遅々として進まないのだ。

 

(これが…あの魔女の本当の力…?私の思考そのものを攻撃しているの…?)

 

アネッテの額に冷や汗が滲み、呼吸が浅くなる。

かつてマリエを失ったあの雨の日と同じ、どうしようもない、圧倒的な無力感が、冷たい手のように彼女の心を掴み、締め付けようとしていた。

 

しかし、彼女はまだ諦めてはいなかった。

左手首に装着された腕時計型の戦術デバイスを、震える指で、しかし確実な意志を持って操作する。

ディスプレイに表示される複雑なコマンドシーケンスを、彼女は血を吐くような凄まじい集中力で、一つ、また一つと入力していく。

 

たとえ高度な思考が妨害されようとも、これまでの戦いで培ってきた経験と、咄嗟の状況判断を下す直感が彼女の体を突き動かす。

科学者としての膨大な知識と、魔法少女としての本能が、彼女の魂の奥深くで生存への渇望を叫んでいた。「諦めるな!最適解は必ずある!」と。

 

彼女はハンドコイラーを握り直し、不安定な魔力の奔流を、荒れ狂う獣を手懐けるように強引にねじ伏せ、異形の魔女――計算を狂わせる魔女へと再び照準を合わせる。

その動きはぎこちなく、普段の彼女からは想像もできないほど精密さを欠いていたが、それでも魔法少女としての研ぎ澄まされた本能が、生き残るための最適行動を選択させていた。

 

上空では、炎の鳥の魔女が、アネッテの異変を的確に察知したかのように、さらに激しく、そして広範囲に炎のブレスを放ってきた。

赤い砂漠を焼き尽くさんばかりの紅蓮の業火が、巨大な波となってアネッテの頭上へと迫る。

 

「させないわよっ!」

 

アネッテは空中で無理やり体を捻り、熱風で肌が焼けるのを感じながらも、間一髪で直撃を回避。

爆風と熱波が彼女の栗色の髪を焦がし、エメラルドグリーンの戦闘服の端を黒く染める。

しかし、彼女は怯まない。

手動制御に切り替えたハンドコイラーから、断続的ではあるが、しかし確実に緑色の魔力弾を計算を狂わせる魔女へと叩き込んでいく。

一発一発の威力は自動制御時に比べて明らかに低下し、弾道も不安定だったが、その執拗なまでの攻撃は、魔女を確実に苛立たせているようだった。

 

(手動制御…!自動最適化アルゴリズムが使えない分、魔力制御も弾道計算も全て自分の脳で…!思考がこれほど阻害されている状況で、どこまでやれるか…!だけど、これならまだ…!)

 

アネッテは歯を食いしばり、脳内で必死に弾道を計算する。

風向き、風車の回転が生み出す不規則な気流、自身の移動速度、残り少ない魔力の残量、そして計算を狂わせる魔女から放たれる干渉波の周期と強度。

無数の変数を瞬時に処理し、その中から最適解を導き出そうとする。

それはもはや科学というより、極限状態における一種の芸術的な職人技に近い、直感と経験と知識の総力戦だった。

 

彼女は炎の鳥の魔女が放つ炎のブレスを、皮膚が焼けるような熱さを感じながらスレスレでかわしつつ、ハンドコイラーの銃口をミリ単位で微調整する。

指先の研ぎ澄まされた感覚だけを頼りに、ソウルジェムから流れ込む魔力の流量を繊細にコントロールし、不安定な弾丸の威力を少しでも最大化しようと試みる。

緑色の魔力弾が、不規則な軌道を描きながらも、計算を狂わせる魔女の巨体に着実に命中し始めた。

小さな爆発が連続し、魔女の周囲を覆う不可視のエネルギーフィールドがわずかに揺らぐ。計算を狂わせる魔女の動きが、ほんの僅かだが鈍ったように見えた。

 

「いける…!これなら…!」

 

アネッテの表情に、一瞬だけ、しかし確かな希望の光が差した。

しかし、その儚い希望は、計算を狂わせる魔女の次の一手によって、あまりにも無慈悲に打ち砕かれることになる。

 

計算を狂わせる魔女の中心部、あの禍々しい黒い球体が、まるで嘲笑うかのように不気味に脈動し、そこからさらに強力で、そして質の異なる干渉波が放たれた。

それは先ほどまでの制御システムへのソフトな干渉とは異なり、より直接的で、より物理的な影響を及ぼす、悪意に満ちた純粋な破壊の波動だった。

 

「なっ…!?」

 

アネッテのハンドコイラーから放たれた緑色の魔力弾が、銃口を離れた瞬間にその運動エネルギーを失い、まるで目に見えない粘性の高い液体に捕らわれたかのように失速し、軌道を大きく逸れて虚空へと力なく消えていく。

何度撃っても結果は同じ。

魔力弾は計算を狂わせる魔女に到達する前に、まるで意思を持った不可視の力に弄ばれるかのように、あらぬ方向へと弾かれ、あるいは虚無へと霧散してしまうのだ。

 

(弾道が…捻じ曲げられてる…!?そんな馬鹿な…!まさか、空間そのものの物理法則に干渉しているの…!?そんな芸当、ワルプルギスの夜クラスの魔女でもなければ…!)

 

アネッテの顔から血の気が引いた。

計算を狂わせる魔女の能力は、彼女の科学的知識と魔法少女としての経験則を遥かに超えていた。

単なる電磁兵装の無力化ではない。

魔力によって形成された物理的な投射物そのものを、空間ごと歪め、その存在を否定しているのだ。

 

「こんな…こんなのアリ…!?反則でしょう…!?」

 

アネッテは愕然としながらも、半ば自暴自棄にハンドコイラーを連射する。

しかし、緑色の閃光は虚しく宙を舞い、一発たりとも計算を狂わせる魔女に届かない。

それどころか、一部の魔力弾は計算を狂わせる魔女の作り出す歪んだ力場によって軌道を変えられ、あろうことかアネッテ自身に向かって、まるでブーメランのように高速で跳ね返ってきた。

 

「きゃあっ!」

 

咄嗟に身をかわすが、数発の魔力弾が彼女の腕や足を掠め、エメラルドグリーンの戦闘服に黒い焦げ跡と裂け目を残す。

自分の放った攻撃でダメージを受けるという屈辱的な状況に、アネッテの顔が怒りと絶望に歪んだ。

 

(飛び道具が…全く通用しない…!これじゃあ、手動制御に切り替えた意味すらないじゃない…!)

 

アネッテの最大の武器である遠距離からの精密射撃が、完全に封じられた。

それは、翼をもがれ、空を飛ぶ術を失った鳥にも等しい、底知れぬ絶望感だった。

科学的知識と精密機械を駆使する彼女の戦闘スタイルは、計算を狂わせる魔女の特異で理不尽な能力の前では、あまりにも無力だった。

 

地上では、佐倉杏子がその異変にいち早く気づいていた。

アネッテの援護射撃が完全に止み、上空の炎の鳥の魔女が再び勢いを増して、無防備になったアネッテに襲いかかろうとしている。

 

「おい、アネッテ!どうしたんだよ!しっかりしろ!」

 

杏子の必死の怒声が響くが、アネッテにそれを聞き入れる余裕はなかった。

彼女の心は、既に別の、より深刻な攻撃に晒され始めていたからだ。

 

(接近戦しかない…?でも、このマグ・アームズが正常に機能しない状態で、あの炎の鳥にどうやって…?)

 

アネッテは咄嗟にハンドコイラーを近接戦闘用の「バンドブレード」へと変形させようと試みる。

しかし、計算を狂わせる魔女の干渉波は、マグ・アームズの武装変形プロセスそのものにも深刻な影響を及ぼし、ブレードは不完全な、歪んだ形で実体化したかと思うと、次の瞬間には緑色の光の粒子となって、まるで砂の城のように脆くも霧散してしまった。

 

「嘘…でしょ…?変形すら…できないなんて…」

 

アネッテの瞳から、急速に光が失われていく。

万策尽きた。

もはや彼女にできることは何も残されていないかのように思えた。

 

そして、追い打ちをかけるように、計算を狂わせる魔女の思考干渉が、その勢いを増してアネッテの精神の深層を蝕み始めた。

それはもはやノイズではなかった。

明確な「否定」の意思が、彼女の脳髄に直接、冷たい楔のように打ち込まれてくる。

それは、彼女が最も信頼し、愛したはずの声によく似ていた。

 

〈アネッテ…どうして…?〉

 

不意に、脳内に直接響いた声。それは、アネッテの記憶の奥底に大切にしまわれていた、親友マリエの声だった。

しかし、その声色は、生前の彼女からは想像もできないほど冷たく、そして鋭い非難に満ちていた。

 

(お前の科学なんて、しょせん遊びだったんでしょ?)

(いつも難しいことばかり言って、結局、肝心な時には何もできないじゃない)

(あの時もそうだった…私が死んだ時も、あんたはただ見てるだけだった…!)

 

「違う…!そんなこと…!」

 

アネッテは頭を抱え、必死にその声を振り払おうとする。

しかし、声は容赦なく彼女の心の最も脆い部分を的確に抉り、彼女の自己肯定感を根こそぎ破壊していく。

 

〈アネッテの発明、見たかったな…でも、あんたの発明じゃ、誰も救えないよ〉

〈ルカだって、本当は怖かったはずよ。あんたのせいで、あの子まで危険な目に遭わせて…〉

〈あんたの力じゃ、誰も守れない。マリエも、ルカも、そしてあんた自身も…!〉

 

頭の中で、かつてのトラウマが、歪められた悪意に満ちた幻聴と共に、鮮明な映像となって繰り返し再生される。

マリエの血に濡れた、力なく垂れた手。

魔女の結界で恐怖に歪んだ弟ルカの顔。

そして、何もできずにただ立ち尽くす、無力な自分自身の姿。

 

「ああ…ああああ……やめて…!」

 

アネッテの口から、不成形の呻き声が漏れた。

膝から力が抜け、彼女はゆっくりと赤い砂漠へと崩れ落ちていく。

その瞳は虚空を彷徨い、もはや何の光も宿してはいなかった。

まるで魂を抜かれた美しい人形のように、ただそこに力なく横たわるだけ。

 

戦う意志も、思考する力も、生きる気力さえも、全てが魔女の無慈悲な精神攻撃によって、根こそぎ奪い去られてしまったかのようだった。

エメラルドグリーンのソウルジェムだけが、主の絶望を映すかのように、か細く、そして悲しげに明滅を繰り返していた。

アネッテの瞳から光が消え、彼女は全ての思考と行動を停止。まるで操り人形の糸が切れたかのように、その場に力なく膝をつき、虚空を見つめるだけの状態に陥る。

 

この瞬間、アネッテは精神的に完全に戦闘不能となってしまった。

 

 

―――

 

 

「アネッテ!しっかりしろ!何やってんだ、この天才科学者サマが!そんな声に耳を貸すな!」

 

地響きと共に、佐倉杏子の怒声がアネッテの鼓膜を打った。

お菓子の魔女の巨体を赤い槍で強引に弾き飛ばした杏子は、アネッテの惨状を目の当たりにし、血相を変えていた。

その赤い瞳には、焦りと、そして目の前の光景に対する理解し難い怒りが燃え盛っている。

 

「あんたがそんな腑抜けた顔してどうすんだ!あたしだって、まだ諦めてねえんだぞ!」

 

杏子の叱咤は、しかし、虚ろな瞳のアネッテには届かない。

彼女は、もはや外部からの刺激に一切反応を示さなくなっていた。

エメラルドグリーンの魔法少女衣装だけが、赤い砂漠の中で悲しいほど鮮やかに映えている。

 

(チッ…!あのイカレ魔女、アネッテの頭ン中を直接いじくりやがったのか…!?なんてタチの悪い能力だよ…!)

 

杏子は瞬時に状況を把握した。

アネッテは物理的なダメージではなく、精神的な攻撃によって戦闘能力を奪われたのだ。

こうなっては、外部からの呼びかけで簡単に回復するものではない。

 

(こうなったら、あたし一人で全部ぶっ倒してやるしかねえ!アネッテが時間を稼いでくれた分、無駄にはしねえ!)

 

覚悟を決めた杏子の瞳に、再び不屈の闘志が宿る。

アネッテという強力な戦力を失った今、この絶望的な状況を打開できるのは自分しかいない。

彼女は深紅の槍を握り直し、三体の魔女へと改めて向き直った。

その姿は、まるで手負いの獣。

傷つき、追い詰められながらも、なお牙を剥くことをやめない、孤高の戦士。

 

上空からは炎の鳥の魔女が、風車の冠を不気味に回転させながら降下し、地上ではお菓子の魔女第二形態が新たな外皮を形成し終え、不気味な多眼を杏子へと向けている。

そして、その二体の背後には、全ての元凶である計算を狂わせる魔女が、歪な図書館のような空間の中心で静かに、しかし確実に、戦場全体を支配するかの如く佇んでいた。

 

「三対一か…上等じゃねえか!まとめてかかってきやがれ、このクソ魔女どもがァァァッ!!」

 

杏子は魂の底から咆哮を上げ、赤い砂漠を蹴った。

その動きは、先ほどまでのアネッテとの連携時とは比較にならないほど荒々しく、そして捨て身の覚悟に満ちていた。

彼女はまず、最も厄介な空中戦力である炎の鳥の魔女へと狙いを定める。

 

「まずはあのデカい鳥からだ!空を自由に飛ばれるのが一番厄介だからな!」

 

杏子は槍の柄を短く持ち、その先端に全魔力を集中させる。

槍の穂先が深紅の炎のようなオーラを纏い、螺旋状に渦を巻き始めた。

彼女は地面すれすれを滑るように疾走し、炎の鳥が放つ炎のブレスと火炎弾の嵐を、最小限の動きで回避していく。

その体捌きは、もはや人間の域を超えていた。

赤い砂塵を巻き上げながら、彼女は炎の鳥の巨体の真下へと潜り込む。

 

「これでも食らいやがれ!地獄の底まで焼き尽くしてやるぜ!」

 

炎の鳥の死角から、杏子は槍を天へと突き上げた。

紅蓮のオーラを纏った槍は、まるで逆巻く竜のように螺旋を描きながら上昇し、炎の鳥の腹部装甲の僅かな隙間を正確に捉え、深々と突き刺さった。

甲高い金属音と、炎の鳥の苦悶の絶叫が結界内に響き渡る。

巨大な翼がバランスを崩し、炎の鳥は黒煙を噴き出しながら赤い砂漠へと墜落し始めた。

 

「まずは一体!」

 

杏子は墜落する炎の鳥を一瞥し、即座に次の標的へと意識を切り替える。

しかし、彼女が体勢を立て直すよりも早く、お菓子の魔女第二形態の巨大な顎が、背後から音もなく迫っていた。

その口内には、獲物を瞬時に溶解させるであろう、粘着性の強酸性の体液が滴り落ちている。

 

(しまっ…!速ええ!)

 

回避が間に合わない。

杏子は咄嗟に槍を盾のように構え、お菓子の魔女の牙による直接攻撃を防ごうとする。

強烈な衝撃が槍を伝い、彼女の全身を打ち据える。

骨がきしむ音と共に、杏子の体は数メートル後方へと吹き飛ばされ、赤い砂漠に叩きつけられた。

 

「ぐっ…はぁっ…!このヤロウ…!」

 

口の端から血が流れ、視界が一瞬霞む。

全身を襲う激痛に、意識が遠のきそうになる。

しかし、彼女は奥歯を強く噛みしめ、無理やり意識を繋ぎ止めた。

 

(まだだ…!まだ…終わらせるわけにはいかねえんだよ…!アネッテの奴が、あんな腑抜けた顔のまま死なせるわけには…!)

 

お菓子の魔女が、勝利を確信したかのように、ゆっくりと杏子へと近づいてくる。

その眼が、獲物を嬲るような愉悦の色を浮かべていた。

 

「なめるなよ…この…クソ駄菓子がァァァッ!!アタシはまだ、食い足りねえんだよ!」

 

杏子は最後の力を振り絞り、地面に突き立てた槍を支えに立ち上がった。

その赤い瞳は、絶望の淵にあってもなお、諦めを知らない獣のような光を宿していた。

彼女は口元に滲んだ血を手の甲で乱暴に拭うと、再び槍を構え、お菓子の魔女へと突進する。

 

もはや戦術も何もない。

ただ、生き残るためだけに、そして、あの緑髪の変な魔法少女に借りを返すためだけに、本能の赴くままに槍を振るう。

突き、薙ぎ払い、回転撃。

彼女の槍術は、荒々しさの中に洗練された技を秘めており、その一撃一撃がお菓子の魔女の巨体に確実にダメージを与えていく。

 

しかし、お菓子の魔女の再生能力は驚異的で、杏子が与えた傷は瞬く間に塞がってしまう。

 

「こいつ…!どんだけしぶといんだよ…!?キリがねえ!」

 

杏子の顔に焦りの色が浮かぶ。

魔力の消耗も激しく、ソウルジェムの濁りはもはや限界に近い。

視界の端が黒く霞み始め、呼吸も荒く、肩で息をするのがやっとだった。

手足の感覚も鈍くなり、槍を握る力さえ弱まっていくのを感じる。

 

(ダメだ…このままじゃ…ジリ貧だ…!魔力が…持たねえ…!)

 

お菓子の魔女が、杏子の動きが一瞬鈍ったのを見逃さず、その長い尻尾を鞭のようにしならせ、杏子の胴体を強かに打ち据えた。

 

「がはっ…!!」

 

肋骨が数本折れる鈍い音と共に、杏子の体は再び赤い砂漠へと叩きつけられる。

口から大量の血を吐き出し、意識が朦朧としていく。

赤い槍が手から滑り落ち、砂の上に力なく転がった。

 

(ああ…やっぱり…ダメだったか…結局、アタシは一人で…また…)

 

薄れゆく意識の中で、杏子は自嘲気味に微笑んだ。

結局、自分は誰一人救うこともできず、こうして一人で無様に死んでいくのだ。

家族の顔、マミの顔、そして…アネッテの顔が、走馬灯のように脳裏をよぎる。

 

(アネッテ…あんただけは…生き残れよ…あんなところで、突っ伏してんじゃねえ…)

 

それが、佐倉杏子の最後の願いだったのかもしれない。

彼女の赤い瞳から、ゆっくりと光が失われていく。

ソウルジェムの赤い輝きも、風前の灯火のように弱々しく明滅し、やがて完全に黒く染まろうとしていた。

 

三体の魔女が、力なく横たわる杏子を取り囲む。

炎の鳥の魔女は墜落のダメージから回復し、再び炎を纏って上空を旋回している。

お菓子の魔女は、最後の止めを刺すべく、その巨大な顎をゆっくりと開いた。

そして計算を狂わせる魔女は、静かに、しかし確実に、この絶望的な光景を計算し尽くされた結果として受け止めているかのようだった。

 

(ここまでか…?結局、あたしは一人で死ぬ運命なのかね…だが、簡単には食われねえぞ、クソ魔女どもが…!道連れにしてやる…!)

 

薄れゆく意識の中で、杏子はかつての家族の顔を思い浮かべた。

そして、最後に脳裏をよぎったのは、アネッテからグリーフシードを渡された時の、あの悪戯っぽい、しかしどこか寂しげな笑顔だった。

 

(…馬鹿な女だぜ、全く…初対面のあたしなんかに…あんな大事なモンを…)

 

杏子の体が力なく砂漠に崩れ落ちようとした、その瞬間――。

 

 

 

 

閃光。

 

 

 

 

黄色い魔力の奔流が、戦場を切り裂いた。

それはまるで、絶望の闇を打ち破る希望の光。

 

 

 

結界の壁の一部が、内側から爆発的な力で砕け散り、そこから四つのシルエットが、逆光を背負って現れた。

 

「「「ティロ・ボレー!!!」」」

 

巴マミの凛とした掛け声と共に、彼女の周囲に展開された無数のマスケット銃が一斉に火を噴いた。

黄金色の魔力弾の雨が、炎の鳥の魔女とお菓子の魔女の巨体を正確に捉え、その動きを怯ませ、後退させる。

その威力は、アネッテのハンドコイラーにも匹敵する、あるいはそれ以上の破壊力を秘めていた。

 

「なっ…!?」

 

杏子は、信じられない光景に目を見開いた。

目の前に展開されたのは、圧倒的な救援の光景。

 

「さやか!まどか!暁美さん!行くわよ!」

 

マミの指揮のもと、三人の魔法少女が魔女たちへと突撃する。

 

「だ、誰なんだよ、あんたら…!?」杏子の掠れた声が、戦闘の喧騒にかき消された。

 

暁美ほむらは、一切の躊躇なく時間停止を発動。

凍りついた時の中で、彼女は倒れそうになる杏子の体を支え、安全な岩陰へと瞬時に移動させた。

その動きは、無駄がなく、冷徹なまでに効率的だった。

 

鹿目まどかのピンク色のリボンが風に揺れる。

彼女の瞳には涙が浮かんでいたが、その手は既に光の弓を引き絞り、計算を狂わせる魔女がアネッテに向けて放とうとしていた不可視の干渉波力場の一部を、見事な精密射撃で破壊していた。

 

美樹さやかの青い剣が、お菓子の魔女に怯懦することなく立ち向かい、その巨体に深々と突き刺さる。

彼女の動きは荒削りだが、その瞳には仲間を守ろうとする強い意志が燃えていた。

 

四人の魔法少女は、戦闘不能となったアネッテと、消耗しきった杏子を守るように、素早く陣形を組む。

彼女たちの背後で、アネッテは依然として虚ろな目のまま、何も反応を示さない。

その姿は、まるで魂を抜かれた人形のようだった。

 

「佐倉さん…!それにアネッテさんまで…なんてこと…!アネッテさん、しっかりして!」

 

マミは、目の前の惨状と、変わり果てたアネッテの姿に息をのむ。

アネッテから事前に「結界内に魔女以外の魔法少女の反応がある」と聞いてはいた。

しかし、それがかつて袂を分かった佐倉杏子であり、そしてアネッテ自身がこれほどまでに追い詰められているとは、想像だにしていなかった。

彼女の金色の巻き毛が、戦場の熱風に激しく揺れていた。

 

「なぜあなたがここに…?それに、この状況…アネッテが言っていたのはあなたのことだったのね」

 

ほむらもまた、杏子の予期せぬ存在に戸惑いを隠せない。

その紫色の瞳は、杏子の意図を測りかねるように鋭く細められた。

しかし、アネッテの惨状を目にした瞬間、彼女の表情から私的な感情は消え、ただ冷徹な戦士としての顔つきへと変わった。

 

「あ、あの人は誰…?アネッテちゃん、大丈夫!?」

 

まどかは、見慣れない赤い髪の魔法少女と、変わり果てたアネッテの姿に、大きなショックを受けていた。

それでも彼女は、アネッテを救いたい一心で、必死に弓を構える。

 

「こいつらがアネッテを…!絶対に許さない!よくもアネッテをこんな目に!」

 

さやかは、目の前の三体の強力な魔女を睨みつけ、怒りに燃えていた。

彼女の青い瞳は、アネッテを傷つけた魔女たちへの激しい敵意を映し出している。

 

「…ったく、どこのどいつかと思えば…マミ、お前かよ…お仲間までぞろぞろ引き連れちゃってさ...助かったぜ…本当に、ギリギリだった…」

 

杏子は、突然の救援に戸惑いながらも、かろうじて感謝の言葉を口にした。

彼女はアネッテから聞かされていた「仲間」の存在を思い出し、この絶望的な状況の中で、初めて一筋の光明を見たような気がした。

 

四人の魔法少女は、精神的に戦闘不能となったアネッテと、消耗しきった杏子を守るように陣形を組む。

目の前には、依然として強大な三体の魔女が立ちはだかっている。

見滝原の魔法少女チームにとって、かつてないほどの過酷な戦いが、今まさに始まろうとしていた。

 

 

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