アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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2-12「反撃開始」

 

 

 

「まずは、状況を整理しましょう!」

 

巴マミの声が、張り詰めた戦場の空気をわずかに揺らした。

彼女の琥珀色の瞳は冷静さを失わず、目の前の三体の魔女と、そして背後で守るべき仲間たちの状態――特に、岩陰で虚ろな表情のまま膝を抱えるアネッテの姿を――瞬時に分析する。

金色の巻き毛が、まるで彼女の思考の速さに呼応するかのように、微かに揺れた。

アネッテのソウルジェムは、先ほどの精神攻撃の影響か、僅かに輝きを失い、黒い影が滲んで見えた。

 

「暁美さん、あなたは時間停止で攪乱と、アネッテさんと佐倉さんの保護を最優先で。まどかさんは遠距離からの精密射撃で魔女の動きを牽制。さやかちゃん、あなたは私と一緒に前線へ。まずはあの炎の鳥から集中して叩くわよ!」

 

マミの指示は的確かつ迅速だった。

長年のリーダー経験が、この絶体絶命の状況下においても、彼女に冷静な判断力を与えていた。

アネッテが機能不全に陥っている今、自分がチームの柱とならねばならないという強い意志が、その声に表れていた。

 

「了解!」

「わかったわ!アネッテちゃんのことは任せて!」

「っしゃあ!任せといてよ、マミさん!アネッテの分まで暴れてやる!」

 

ほむら、まどか、そしてさやかが、それぞれの持ち場で力強く応じる。

アネッテの危機的状況を目の当たりにし、彼女たちの間には、既に言葉以上の信頼と、仲間を救い出すという共通の決意が築かれつつあった。

 

「行くわよ!」

 

マミの号令と共に、反撃の狼煙が上がった。

彼女は両手に黄金色のマスケット銃を瞬時に具現化させ、炎の鳥の魔女へと狙いを定める。

その動きは、熟練の狩人のように無駄がなく、洗練されていた。

 

「ティロ・ボレー!」

 

数十発の魔力弾が、マスケット銃の銃口から螺旋を描きながら放たれる。

それは一点集中のティロ・フィナーレとは異なり、広範囲の敵を制圧しつつ、特定の目標にダメージを与えるための高等技術だった。

黄金色の弾丸は、炎の鳥が放つ炎のブレスを切り裂き、その巨体に次々と着弾。

爆炎と黒煙が上がり、炎の鳥は苦悶の叫びと共にわずかに後退した。

 

「今だよ、さやかちゃん!」

 

「よーし!見てなさいっての!」

 

さやかは、マミが作り出した一瞬の隙を逃さなかった。

青い闘気を全身に纏い、まるで蒼き流星のように赤い砂漠を疾走する。

彼女の手に握られた青い剣の切っ先が、お菓子の魔女第二形態の巨体へと一直線に向けられていた。

その瞳には、アネッテをあんな状態にした魔女たちへの怒りが燃え盛っている。

 

「あたしの剣の錆になっちゃえ!」

 

さやかの渾身の一撃が、お菓子の魔女の粘土のような体表に深々と突き刺さる。

しかし、お菓子の魔女は怯むことなく、その無数の多眼をさやかに向け、粘着性の体液を口から吐き出した。

 

「うわっ、きたな!ベトベトするじゃないのよ!」

 

さやかは咄嗟に後方へ跳躍し、体液攻撃を回避。

しかし、お菓子の魔女の再生能力は依然として厄介で、剣によって与えられた傷は瞬く間に塞がっていく。

 

(こいつ、何度斬ってもキリがない…!なら、もっと中枢を…!頭?それとも、あのキモい目玉!?アネッテなら、こういう時どうするんだろ…!)

 

さやかは剣を握り直し、お菓子の魔女の弱点を探るべく、その巨体の周りを高速で動き始めた。

彼女の戦闘スタイルは直感的で、時に無謀とも思える大胆さがあったが、それがこの予測不能な魔女との戦いにおいては、意外な活路を見出す可能性を秘めていた。

 

一方、後方では暁美ほむらが冷静に戦況を分析していた。

彼女の紫色の瞳は、三体の魔女の動き、仲間たちの位置、そして何よりも、岩陰で未だ微動だにしないアネッテの状態を常に把握し続けていた。

アネッテのソウルジェムの輝きは弱々しく、まるで生命の灯火が消えかかっているかのようだ。

 

(あの妙な球体の魔女…アレがきっとアネッテを完全に無力化した元凶ね。どんな能力であれ、ただ事じゃない。思考への直接攻撃…?まさか、そんなことが…だとしたら、アネッテがトラウマを刺激されても無理はない。私たちへの影響も考慮しないと…!)

 

ほむらの脳裏に、過去のループで経験した、言葉では説明できないような精神攻撃を仕掛けてくる魔女の記憶が蘇る。

しかし、計算を狂わせる魔女のそれは、より洗練され、より悪質で、対象の精神の根幹を破壊するような底知れない恐怖を感じさせた。

ほむらはアネッテからマリエの話を断片的に聞いていた。彼女の最大の弱点がそこにあることを、この魔女は見抜いたというのか。

 

(迂闊に近づけない…でも、このままではアネッテが…いや、アネッテだけでなく、全員が危ない!)

 

ほむらは、まず杏子をアネッテの隣の比較的安全な岩陰に移動させ、アネッテを守るようにその前に立った。そして盾から複数の小型拳銃を取り出す。

彼女の得意とする時間停止と組み合わせた飽和攻撃。

しかし、相手は三体。

そして、そのうちの一体は、アネッテの科学兵器すら無力化する未知の能力を持っている。

 

(飛び道具は…あの球体の魔女には効かないかもしれない。でも、他の二体には…!時間を止めている間に、アネッテのソウルジェムを少しでも浄化できないか…いや、今は戦闘に集中すべき)

 

ほむらは、計算を狂わせる魔女の存在を強く意識しながら、まずは炎の鳥とお菓子の魔女の動きを止めることに集中した。

時間停止を発動させ、凍りついた時の中で、彼女は二体の魔女の周囲に無数の銃弾を配置していく。

それは、時間という名のキャンバスに、死の弾幕を描くかのようだった。

 

「…これで、少しは時間を稼げるはず」

 

時間が再び動き出すと同時に、炎の鳥とお菓子の魔女の巨体に、時間差で無数の銃弾が叩き込まれる。

爆炎と衝撃波が赤い砂漠を揺るがし、二体の魔女は苦悶の叫びを上げた。

 

その隙に、鹿目まどかの放ったピンク色の光の矢が、計算を狂わせる魔女の周囲に展開されていた不可視の干渉波力場の一部を正確に射抜いた。

力場が僅かに揺らぎ、計算を狂わせる魔女の動きが一瞬だけ鈍る。

 

「今です、マミさん!」

 

まどかの声は、戦場においてはか細く聞こえるかもしれないが、その中には揺るぎない勇気と、仲間を信じる強い心が込められていた。

彼女の弓術は、アネッテとの秘密特訓の成果もあり、以前とは比較にならないほどの精度と威力を増していた。アネッテの安否を気遣いながらも、彼女は自分の役割を必死に果たそうとしていた。

 

「ええ!」

 

マミはまどかの援護に呼応し、マスケット銃の銃口を計算を狂わせる魔女へと向ける。

しかし、マミが引き金を引こうとした瞬間、計算を狂わせる魔女の中心部、黒い球体が不気味な光を放った。

 

(まずい…!)

 

ほむらは直感的に危険を察知した。

計算を狂わせる魔女の能力は、アネッテのマグ・アームズのような高度な電子機器や、魔力で精密に制御された飛び道具に対して特に効果を発揮する。

マミのマスケット銃も、魔力で形成され、精密な照準と弾道制御が行われている。

それは、計算を狂わせる魔女にとって格好の標的だった。

 

マミが放った黄金色の魔力弾は、計算を狂わせる魔女に到達する直前で、まるで意思を持ったかのようにその軌道を大きく逸らし、虚空へと消えていった。

何度撃っても結果は同じ。

マミの精密な射撃は、計算を狂わせる魔女の不可解な能力の前では完全に無力だった。

 

「そんな…!私の攻撃が…当たらない…!?」

 

マミの表情に、焦りと困惑の色が浮かぶ。

彼女の最大の武器であるマスケット銃が無力化されるということは、チーム全体の戦術が根底から覆されることを意味していた。

 

「マミさん!危ない!」

 

さやかの鋭い叫び声。

お菓子の魔女が、マミの動揺を見逃さず、その巨体でマミへと突進してきたのだ。

マミは咄嗟にリボンで防御壁を形成しようとするが、お菓子の魔女の勢いは凄まじく、防御壁は一瞬で破壊され、マミの体は赤い砂漠へと叩きつけられた。

 

「マミさん!!」まどかの悲痛な叫びが響く。

 

「くっ…この…!」

 

マミは口から血を流しながらも、すぐに体勢を立て直そうとする。

しかし、お菓子の魔女の追撃は早く、その巨大な顎が再びマミに襲いかかろうとしていた。

 

「させるかァァァッ!!てめぇの相手は、このあたしだって言ってんだろ!」

 

その瞬間、赤い閃光がお菓子の魔女の側頭部を強打した。

佐倉杏子が、折れた槍の柄を棍棒のように振るい、お菓子の魔女の注意を自分へと引き付けたのだ。

彼女の赤い瞳は怒りに燃え、その表情は手負いの獣そのものだった。アネッテにもらったグリーフシードのおかげで、まだ戦える。

 

「なっ…!?」マミは驚きに目を見開く。

 

杏子は、消耗しきった体にも関わらず、お菓子の魔女の前に立ちはだかる。

その姿は、絶望的な状況下においてもなお、最後まで戦い抜こうとする魔法少女の誇りに満ちていた。

 

「佐倉さん…!無茶よ!あなた、もう魔力が…!」マミが叫ぶ。

 

「うるせえ!あんたらが見滝原の魔法少女か知らねえが、あのアネッテとかいう奴にはとんでもねえ借りがあるんでな!それに、こんなところでみすみす食われるのは、あたしの性に合わねえんだよ!」

 

杏子は槍を両手に握りしめ、お菓子の魔女へと再び突撃する。

 

この予期せぬ杏子の介入と、計算を狂わせる魔女の特異な能力。

戦場はますます混沌とし、見滝原の魔法少女たちは、かつてないほどの困難な戦いを強いられることになる。

アネッテの科学の光が消えた今、彼女たちはそれぞれの直感と勇気、そして仲間との絆だけを頼りに、この絶望的な三重奏に立ち向かわなければならなかった。

 

ほむらは、計算を狂わせる魔女の能力の特性に気づき始めていた。

アネッテは依然として岩陰で小さくうずくまり、時折マリエの名前を呼ぶかのようなうわ言を漏らしている。そのソウルジェムの輝きは弱々しく、まるで生命の灯火が消えかかっているかのようだ。

 

(アネッテのマグ・アームズ、マミさんのマスケット銃…どちらも魔力による精密な制御が前提の飛び道具。それが無力化されるということは…やはり、あの球体の魔女の能力は、高度な技術や複雑な魔力制御を伴う攻撃ほど、その効果を打ち消す、あるいは利用者の意図から逸脱させるもの…!)

 

(ならば…単純な、直感的な攻撃なら…!?さやかや杏子みたいな、考えるより先に体が動くタイプの方が、むしろ有効かもしれない…!アネッテが目を覚ますまで、なんとしても時間を稼ぐ!)

 

ほむらの視線が、お菓子の魔女と激しく打ち合うさやかと杏子に向けられた。

二人の戦い方は、マミやアネッテとは対照的だ。

緻密な計算や戦術よりも、その場の状況判断と、感情の赴くままの直感的な攻撃。

 

「さやか!佐倉さん!あの球体の魔女の能力は、精密な飛び道具ほど効果が高いみたい!接近して、直接叩き込むのよ!」

ほむらの鋭い指示が戦場に響く。

 

「へっ!言われなくても、そのつもりだよ!こいつのグミみたいな腹、ぶち抜いてやるぜ!」

 

杏子が血に濡れた顔で、不敵な笑みを浮かべる。

 

「単純な方が得意なんでね!うりゃああああ!」

 

さやかもまた、青い剣を握り直し、その瞳に新たな闘志を燃やす。雄叫びと共に、お菓子の魔女の巨体に斬りかかっていく。

 

まどかは、ほむらの指示と二人の反応を見て、自らの役割を瞬時に理解した。

 

(あの球体の魔女の注意を、私たちが引き付ける…!さやかちゃんたちが、魔女に近づけるように…!アネッテちゃんを早く助けないと…!)

彼女は光の弓を天に向け、無数の光の矢を、まるで流星群のように放った。

それは計算を狂わせる魔女を直接狙うものではなく、彼女の周囲の空間を飽和させ、その意識を分散させるための陽動だった。ピンク色の光の雨が、赤い砂漠に降り注ぐ。

 

「マミさん!援護をお願いします!」

 

「ええ!わかったわ!」

 

マミもまた、マスケット銃による直接攻撃が無効化されたことを理解し、戦術を切り替える。

リボンを無数に展開させ、計算を狂わせる魔女の周囲に複雑な網を張り巡らせ、その動きを封じ込めようと試みる。

飛び道具ではない、物理的な拘束。それならば、計算を狂わせる魔女の能力の影響を受けにくいかもしれない。

黄金色のリボンが、まるで生きているかのように宙を舞い、計算を狂わせる魔女の周囲に美しい、しかし危険な罠を仕掛けていく。

 

赤い砂漠の戦場で、四人の魔法少女の新たな連携が生まれようとしていた。

アネッテという最大の科学的戦力を失った今、彼女たちはそれぞれの個性を最大限に活かし、この絶望的な状況を打開する道を探り始める。

 

歪な歯車と振り子が不規則に回転する異空間の中心で、計算を狂わせる魔女は、その黒い球体を不気味に脈動させ、戦場全体に不可視のプレッシャーを放っている。

アネッテのマグ・アームズを無力化し、巴マミの精密なマスケット銃の弾道すら捻じ曲げたその能力は、従来の魔法少女の戦闘経験則を根底から覆すものだった。

 

「さやか!佐倉さん!あの球体の魔女の能力は、精密な飛び道具ほど効果が高いみたい!接近して、直接叩き込むのよ!」

 

暁美ほむらの鋭く、しかし冷静さを失わない声が、戦場に響き渡った。

彼女は計算を狂わせる魔女の特異な能力のパターンを瞬時に分析し、最も効果的と思われる戦術を即座に味方に伝達する。

時間停止という絶対的なアドバンテージを持つ彼女だからこそ可能な、戦況の俯瞰と的確な判断だった。

その視線の先には、依然として意識を取り戻さないアネッテの姿があった。彼女のソウルジェムは、か細い光を放っているものの、危険なほど濁りは進行していなかった。精神的なダメージが主であることの証左だろう。

 

「へっ!言われなくても、そのつもりだよ!こいつのグミみたいな腹、ぶち抜いてやるぜ!」

 

佐倉杏子は、口元に浮かんだ血を乱暴に手の甲で拭いながら、不敵な笑みを浮かべた。

彼女の赤い瞳は、計算を狂わせる魔女の黒い球体を、まるで宿敵を睨みつけるかのように鋭く射抜いている。

アネッテから受け取ったグリーフシードによって魔力は回復しつつあったが、全身に刻まれた無数の傷と疲労は依然として重くのしかかっていた。

しかし、今の彼女の心には、死への恐怖よりも、この理不尽な状況を打開することへの渇望と、そして何よりも、自分を救ってくれたアネッテへの「借り」を返すという強い意志が燃え盛っていた。

 

「単純な方が得意なんでね!うりゃああああ!」

 

美樹さやかもまた、ほむらの指示に即座に呼応した。

青い剣を握り直し、その切っ先を計算を狂わせる魔女へと向ける。

彼女の青い瞳には、恐怖を振り払うかのような決意の光が宿り、全身から蒼き闘気が立ち昇っていた。

アネッテが倒れ、マミの攻撃も通用しないという絶望的な状況。

しかし、だからこそ、自分が前に出て道を切り開かなければならない。

その純粋な正義感と仲間への想いが、彼女の背中を強く押していた。

 

二人の魔法少女が、赤い砂漠を蹴った。

さやかと杏子。

一人は見滝原の正義の味方、もう一人は風見野から来た孤高の一匹狼。

普段ならば決して交わることのなかったであろう二つの魂が、今、共通の敵を前にして、一つの目的のために疾走する。

 

計算を狂わせる魔女は、接近してくる二人に対し、即座に反応を示した。

その黒い球体の周囲に浮かぶ無数の歯車や振り子が、まるで意思を持ったかのように高速で回転を始め、物理的な障壁を形成する。

金属同士が激しくぶつかり合う甲高い音が響き渡り、火花が散る。

それは、計算され尽くした完璧な防御陣形だった。

 

しかし、さやかと杏子の突撃は、その計算された防御をものともしない。

 

「邪魔だ邪魔だ!どけってんだよ、このワケわかんねえ魔女が!」

 

さやかは、もはや戦術や効率など微塵も考えていない。

ただ、目の前の障害物を力任せに排除するという、単純明快な意志だけで剣を振るう。

青い剣が空間の歪みを強引に切り裂き、高速回転する歯車を次々と叩き落としていく。

その動きは荒々しく、洗練されているとは言い難いが、純粋な破壊衝動と仲間を守りたいという願いが込められた一撃一撃は、計算を狂わせる魔女の計算された防御を確実に崩していく。

 

「チッ!こいつ、直接攻撃してこねえ分、余計にタチが悪ぃな!だが、懐に入っちまえばこっちのもんだ!」

 

杏子もまた、さやかの切り開いた道を巧みに利用し、計算を狂わせる魔女の防御網の僅かな隙間を縫うように突き進む。

彼女の槍術は、さやかの力任せの攻撃とは対照的に、極めて洗練され、効率的だった。

最小限の動きで歯車の回転を読み、振り子の軌道を見切り、まるで流れる水のように障害物を回避していく。

その赤い槍の穂先は、常に計算を狂わせる魔女の本体である黒い球体へと正確に向けられていた。

 

計算を狂わせる魔女は、二人の予期せぬ猛攻に、わずかながら計算のズレを感じ取ったのかもしれない。

黒い球体の脈動が、ほんの一瞬だけ不規則に乱れた。

そして、次なる一手として、より悪質な精神攻撃を仕掛けてくる。

 

目には見えない特殊な干渉波が、さやかと杏子の思考に直接作用し始めた。

平衡感覚が狂い、視界が歪み、足元がおぼつかなくなる。

さらに、互いの姿が、まるで憎むべき魔女のように見え始めるという、悪質な幻惑。

仲間同士を誤認させ、同士討ちを誘うという、計算を狂わせる魔女の最も得意とする戦術の一つだった。

 

「なっ…!?杏子…?お前、なんでそんな禍々しいオーラを…!?」

さやかの目に映る杏子の姿が、赤いオーラを纏った巨大な魔女へと変貌していく。

その手には血に濡れた槍が握られ、自分を嘲笑うかのような歪んだ笑みを浮かべていた。

 

「てめぇこそ、何だその青っちろい気味の悪ぃ姿は…!まさか、てめぇも魔女だったってのか!?」

杏子の目に映るさやかもまた、青白い冷気を纏った、氷の魔女のような姿へと変わり果てていた。

その瞳は冷酷な光を宿し、自分を裏切った仲間を断罪するかのような憎悪に満ちていた。

 

(まずい…!あの魔女の精神攻撃…!お互いが敵に見えるように…!アネッテと同じ罠に…!)

 

後方で戦況を見守っていたほむらは、二人の異変に即座に気づいた。

このままでは、最悪の場合、同士討ちが始まってしまう。

彼女はアネッテの側に駆け寄り、その肩を軽く揺さぶった。

「アネッテ!しっかりして!あなたの仲間が危ないのよ!」

しかし、アネッテの瞳は虚ろなまま、何の反応も示さない。

 

「二人とも、惑わされないで!それはあの魔女が見せている幻よ!」

ほむらの切迫した声が飛ぶ。

 

しかし、計算を狂わせる魔女の精神攻撃は強力で、さやかと杏子の疑心暗鬼は増すばかりだった。

二人は互いに武器を構え、一触即発の状況に陥る。

 

「さやかちゃん!佐倉さん!しっかりして!お互いを信じて!」

まどかの必死の叫び声。

彼女は光の弓を引き絞り、計算を狂わせる魔女に向けて威嚇の矢を放つが、その矢もまた、魔女の力場によって虚しく逸らされてしまう。

 

「私たちの声が…届かない…!」マミもまた、リボンで二人を引き離そうと試みるが、計算を狂わせる魔女の干渉波がそれを阻む。

 

絶体絶命。

仲間同士の殺し合いという、最も悲惨な結末が現実のものとなろうとしていた。

 

しかし、その時だった。

 

「…あたしは…」

さやかの震える唇から、か細い声が漏れた。

彼女の目に映る杏子の姿は、依然として恐ろしい魔女のままだった。

しかし、その奥の奥に、先ほどまで共に戦っていた、あの不敵な笑みを浮かべた赤い魔法少女の面影を、彼女は必死に探していた。

 

「あたしは…!アネッテを助けに来たんだ!こんなところで…仲間割れなんかしてる場合じゃないだろ!アネッテが目を覚ました時、こんな無様な姿見せられるか!」

さやかの魂からの叫び。

それは、計算を狂わせる魔女の精神攻撃が生み出す偽りの憎悪よりも、はるかに強く、そして純粋な意志の力だった。

 

その言葉は、杏子の心にも届いた。

彼女の目に映るさやかの姿もまた、冷酷な氷の魔女のまま。

しかし、その叫び声は、紛れもなく、先ほどまで背中を預けて戦っていた、あの真っ直ぐな青い魔法少女のものだった。

 

(…そうだな…今は、こんなところで道草食ってる場合じゃねえ…!あのアネッテって変な奴に、笑われるわけにはいかねえからな!)

 

杏子の心の中で、何かが吹っ切れた。

たとえ目の前の相手がどれほど恐ろしい魔女に見えようとも、自分たちが今為すべきことはただ一つ。

計算を狂わせる魔女を倒し、アネッテを救い出すこと。

 

「行くぞ、青いの!あのタマッコロ、ぶっ壊すぞ!」

「望むところだよ、赤いの!アネッテが言ってた『核』ってやつを狙う!」

 

二人の魔法少女は、互いにそう叫び合うと、計算を狂わせる魔女が生み出した幻影を振り払い、再びその本体である黒い球体へと猛然と突撃を開始した。

もはや彼女たちの目に、互いが魔女に見えるという幻惑は存在しなかった。

あるのはただ、共通の敵を打ち破るという、揺るぎない決意だけ。

 

この土壇場での精神的な克服と、予期せぬ連携。

それは、計算を狂わせる魔女の計算をわずかに、しかし確実に狂わせ始めていた。

さやかと杏子。

性格も戦い方も正反対の二人が、今、一つの目的のために、その魂を共鳴させていた。

直感と感情の赴くままに戦う彼女たちの姿は、論理と計算で全てを支配しようとする計算を狂わせる魔女にとって、最も理解し難く、そして最も厄介な存在だった。

 

計算を狂わせる魔女が生み出す精神攻撃の幻惑を、魂の奥底からの叫びと仲間への信頼で打ち破ったさやかと杏子。

二人の魔法少女の瞳には、もはや迷いも恐怖もなかった。

ただ、目の前の元凶である計算を狂わせる魔女を打ち破り、アネッテを救い出すという、純粋で強靭な意志だけが燃え盛っていた。

 

「行くぞ、青いの!合わせろよ!」

杏子の鋭い声が飛ぶ。彼女は赤い槍を高速で回転させ、計算を狂わせる魔女の周囲を固める歯車や振り子といった物理的な障壁を、力任せに、しかし的確に破壊していく。

その一撃一撃は、先ほどまでの消耗を感じさせないほど力強く、赤い闘気が彼女の全身から迸っていた。

 

「言われなくても!あんたこそ、あたしの邪魔しないでよね、赤いの!」

さやかもまた、青い剣を逆手に持ち替え、杏子が切り開いた道を疾風のように駆け抜ける。

彼女の動きは、杏子の破壊的な攻撃とは対照的に、流れる水のようにしなやかで、計算を狂わせる魔女の予測不能な防御パターンの僅かな隙間を縫っていく。

青い閃光が赤い砂漠を切り裂き、その軌跡は計算を狂わせる魔女の本体である黒い球体へと確実に迫っていた。

 

二人の動きは、まるで長年コンビを組んできたかのように完璧に連携していた。

杏子が大振りの攻撃で計算を狂わせる魔女の防御をこじ開け、さやかがその瞬間に生まれた隙を突いて内部へと斬り込む。

言葉を交わさずとも、互いの意図を正確に読み取り、補い合う。

それは、論理や計算では説明できない、極限状態における魂の共鳴が生み出した奇跡的な連携だった。

 

計算を狂わせる魔女の中心部、黒い球体の奥で揺らめく曖昧な女性の顔が、初めて明確な困惑と焦りの表情を浮かべた。

彼女の最大の武器である精神攻撃が、この二人の魔法少女には通用しない。

それどころか、攻撃を仕掛けるたびに、二人の絆はより強固なものへと研ぎ澄まされていくようだった。

直感と感情。

それは、計算を狂わせる魔女が最も理解できず、そして最も恐れる力だった。

 

「見えたぜ!あのキモい顔が浮かんでる、黒いタマッコロが本体だ!」

杏子の赤い瞳が、計算を狂わせる魔女の核を正確に捉えた。

彼女は地面を強く蹴り、赤い砂塵を巻き上げながら、最後の突撃を開始する。

槍の穂先が深紅のオーラを極限まで凝縮させ、一点集中の破壊力を秘めた紅蓮の矢と化していた。

 

「あたしも続く!これで終わりにしてやる!」

さやかもまた、杏子の背後から、青い剣にありったけの魔力を込めて跳躍する。

彼女の剣は、まるで蒼き彗星のように鋭い光を放ち、計算を狂わせる魔女の核へと吸い込まれるかのように迫っていく。

 

「「今だ!!!!」」

 

二人の魔法少女の声が、戦場に高らかに響き渡った。

さやかの青い剣と、杏子の赤い槍が、計算を狂わせる魔女の本体である黒い球体へと、寸分の狂いもなく、同時に突き立てられた。

 

グシャァァァッッ!!!

 

鈍い破壊音と共に、黒い球体の表面に巨大な亀裂が走る。

それはまるで、硬い卵の殻が内側からの力で砕け散るかのようだった。

亀裂から、眩いばかりの白い光と、無数の数式や記号、そして意味不明な言語の断片が、奔流のように溢れ出し、結界内の空間を満たしていく。

計算を狂わせる魔女の計算された世界が、二人の魔法少女の純粋な破壊の意志によって、今まさに崩壊しようとしていた。

 

「やったか…!?」

「これで…終わりか…!?」

 

さやかと杏子は、肩で激しく息をしながらも、互いに顔を見合わせ、一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。

しかし、その安堵は、次の瞬間に戦慄へと変わる。

 

黒い球体の亀裂から溢れ出した白い光は、消滅するどころか、さらに勢いを増し、結界内の空間そのものを侵食し始めた。

赤い砂漠の風景が、まるでデジタルノイズのように乱れ、歪み、徐々に白い光に飲み込まれていく。

歪な図書館を思わせる計算を狂わせる魔女の固有空間もまた、その構造を維持できなくなり、歯車は砕け、振り子はあらぬ方向へと吹き飛んでいく。

 

「な、何だよこれ…!?まだ何かやらかすつもりか、あのイカレ魔女は…!?」

杏子は忌々しげに吐き捨て、後退しようとするが、既に遅かった。

白い光の侵食は凄まじい速度で広がり、さやかと杏子、そして後方で戦況を見守っていたマミ、ほむら、まどか、さらには岩陰で心神喪失状態のアネッテをも、瞬く間にその奔流の中へと飲み込んでいった。

ほむらは咄嗟にアネッテの体を抱きかかえたが、強烈な光と衝撃に抗うことはできなかった。

 

視界が真っ白に染まり、全ての音が消え去る。

重力も、方向感覚も、時間さえも意味をなさなくなるような、絶対的な虚無。

魔法少女たちは、なすすべもなく、その白い光の奔流に翻弄される。

 

どれほどの時間が経過したのだろうか。

一瞬のようでもあり、永遠のようでもあった。

 

やがて、白い光がゆっくりと収まり始めると、彼女たちの目の前に、信じられない光景が広がっていた。

そこはもはや、赤い砂漠でも、歪な図書館でもなかった。

 

月影高校の、アネッテが通う二年B組の教室。

窓からは、どこか見慣れない、しかし記憶の片隅にあるような、夕暮れ前の柔らかな陽光が差し込み、机の上にはアネッテが使っていたものとよく似た教科書やノートが置かれている。

黒板には、アネッテの得意な物理の数式が、まるで授業の途中で中断されたかのように書きかけで残されていた。

あまりにも日常的で、あまりにも平和な光景。しかし、その日常感こそが、この状況における最大の違和感だった。

 

「…ここ…は…?」

さやかが、呆然と呟いた。見滝原中学校とは明らかに異なる、少し古風な机と椅子。壁に貼られた学級目標の習字。

 

「私たちの学校じゃ…ない…?でも、どこかで見たような…」

まどかもまた、信じられないといった表情で周囲を見回している。彼女のピンク色の瞳が不安げに揺れ、小さな手がぎゅっと握りしめられた。

 

マミとほむらは、警戒心を解くことなく、周囲の状況を慎重に分析していた。

ほむらは抱えていたアネッテをそっと床に横たえる。彼女は依然として意識がなく、顔は青白いままだ。

そのアネッテのソウルジェムは、依然として虚ろな光を放ち、主の精神状態を反映するかのように弱々しく明滅している。

教室のどこを見ても、魔女の気配も、結界の痕跡も見当たらない。

まるで、先ほどまでの死闘が、全て悪夢だったかのように。

 

「どういうことだ…?あのタマッコロ魔女は倒したはずじゃ…?なんで学校の教室にいやがるんだ…?」

杏子は、未だ状況が飲み込めないといった様子で、赤い槍を握りしめたまま、荒々しく周囲を威嚇するように立ち尽くしていた。

彼女のソウルジェムの濁りは依然として危険な領域に達しており、全身の傷からは絶えず血が滲み、立っているのがやっとの状態だ。

 

その時だった。

 

教室のドアが静かに開き、一人の少女が姿を現した。

その瞬間、床に横たわるアネッテの虚ろだった瞳が、ほんのわずかに、しかし確かにその少女の姿を捉え、これまで見せなかった激しい反応を示した。

指先が痙攣し、浅い呼吸がさらに乱れる。

 

雨に濡れた月影高校の制服姿。肩まで伸びた、太陽の光を反射して輝くような明るい金色の髪。優しげなアーモンド形の瞳。

それは、アネッテがかつて、マミとほむらにだけ写真で見せた、彼女の親友――渋谷マリエの姿と瓜二つだった。

 

「マ…リエ…?」

 

アネッテの唇から、か細い、信じられないといった、ほとんど音にならないような声が漏れた。

彼女の虚ろだった瞳に、一瞬だけ激しい動揺と、信じられないものを見たかのような絶望の色が走る。

その反応を見て、マミとほむらは確信した。この少女こそが、アネッテが魔法少女になるきっかけとなった、亡くなったはずの親友なのだと。

そして、これが新たな、そしてさらに悪質な精神攻撃であることを。

 

「アネッテちゃん…!しっかりして!」

まどかがアネッテに駆け寄ろうとするが、マミがその肩を強く掴んで制止した。

「待ちなさい、まどかさん!あれは…普通じゃないわ…!アネッテさんの様子を見て!」

マミの声には、普段の冷静さからは考えられないほどの緊張と警戒が滲んでいた。

 

杏子だけは、その少女が誰なのか分からず、ただ訝しげに眉をひそめていた。

「なんだぁ…?アネッテの知り合いか?にしても、タイミングが悪すぎるぜ…それに、何か雰囲気が気味悪ぃ…」

 

偽マリエは、アネッテの弱々しい声に気づいたのか、ゆっくりと、しかし確かな足取りで教室の中央へと歩みを進める。

その足取りは、まるで亡霊のように音もなく、生きている人間の温かみを一切感じさせない。

そして、彼女の瞳には光がなく、まるで深淵を覗き込んでいるかのように虚ろで、口元にはアネッテを、そしてその場にいる全ての魔法少女を嘲笑うかのような、冷たく歪んだ笑みが浮かんでいた。

その笑顔は、生前のマリエが決して見せることのなかった、どこか人形めいた、不自然な硬直を伴っていた。

その手には、アネッテがマリエの死の直前にプレゼントし、マリエがいつも大切に身に着けていたはずの、手作りの小さな銀色のロケットペンダントが、まるで戦利品のように握られていた。

 

「アネッテ…あなたは、いつもそうだったわね」

偽マリエの声は、生前のマリエの声そのものだった。しかし、その声色には、かつての明るさや優しさは微塵もなく、代わりに、底知れない冷酷さと、全てを見下すかのような傲慢さが、粘りつくように込められていた。その発音は完璧だが、どこか抑揚がなく、まるで録音された音声を再生しているかのような不気味さがあった。

 

「いつも口先ばかりで、肝心な時には何もできない。私の時もそうだったじゃない。見てるだけだったものね、アネッテ」

偽マリエは、アネッテを見下ろし、その言葉の一つ一つを、まるで毒針のように彼女の心に突き刺していく。

 

「ちが…う…マリエ…私は…助けたかった…本当に…」

アネッテは、か細い声で何かを言おうとするが、言葉にならない。

彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出し、頬を伝って床に染みを作った。

ソウルジェムの輝きが、さらに弱々しく、そして急速に濁っていく。

 

「な、何なんだよ、お前は…!アネッテに何てこと言いやがる!アネッテはアンタのこと、ずっと…!」

杏子が、アネッテのあまりの取り乱しようと、目の前の少女の異常な雰囲気に、我慢しきれずに怒鳴りつけた。

たとえ相手が誰であろうと、仲間が侮辱されるのを見過ごせるほど、彼女は大人しくない。

 

偽マリエは、杏子を一瞥すると、さらにその嘲笑を深めた。その瞳は一瞬、アネッテがアルゴニアに見せた黒い球体の奥の顔と同じ、冷たい光を宿したように見えた。

「あら、佐倉杏子。あなたもアネッテに絆されたクチ?本当に物好きなのね。こんな役立たずのどこがいいのかしら。結局、誰も救えないのに」

 

「てめぇ…!いい加減にしろよ!」

杏子が槍を構えようとするが、マミがそれを手で制した。

「待って、佐倉さん!相手の挑発に乗ってはダメよ!あれは…恐らく、あの計算を狂わせる魔女の最後の悪足掻き…アネッテさんの心を折るための罠だわ!アネッテさんの記憶を利用しているのよ!」

マミの分析は冷静だったが、その声には隠しきれない怒りが込められていた。

 

偽マリエは、マミの言葉をせせら笑うかのように鼻を鳴らした。

「罠?いいえ、これは真実よ。アネッテが心の奥底でずっと恐れていた、本当の気持ち。彼女自身が生み出した絶望の形よ」

そして、彼女はゆっくりと右手を上げた。

その手のひらに、暗緑色の禍々しい魔力が渦を巻き始める。

それはアネッテが使うエメラルドグリーンの清浄な光とは似ても似つかない、絶望と憎悪を凝縮したかのような、不吉な色合いだった。

 

「さあ、始めましょうか。アネッテが一番見たがらなかった、絶望の授業、第二時限目をね。今度は、あなたたち全員で、アネッテの無力さを、その目に焼き付けてあげるわ。彼女がどれだけ足手まといで、どれだけ仲間を不幸にするのか、たっぷりとね」

 

偽マリエの姿をした悪夢が、魔法少女たちに襲いかかろうとしていた。

その標的は、物理的な肉体ではない。

人の心の最も脆く、最も大切な部分――希望と信頼、そして愛する者を守りたいという願いそのものだった。

 

五人の魔法少女たちは、再び、見えざる敵との新たな戦いに直面することになる。

今度は、物理的な力だけでなく、心の強さが試される戦いに。

そして、床に倒れたままのアネッテは、この悪夢から、自らの力で目を覚ますことができるのだろうか。

彼女のトラウマそのものである偽マリエを前にして、彼女は再び立ち上がることができるのだろうか。

物語は、さらに深い絶望と、そこから生まれるかもしれない僅かな希望の狭間で、大きく揺れ動こうとしていた。

 

 

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