アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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1-4「監視」

病室を包む夕暮れの静寂の中、アネッテと両親の会話は穏やかに続いていた。健太郎の軽妙な冗談に、リーゼルの流暢ではあるがわずかにアクセントの残る日本語で返される言葉、そしてアネッテの明るい笑い声。窓から差し込む夕陽が病室を柔らかなオレンジ色に染め、家族の団欒に温かな光を投げかけていた。しかし、その平和な光景を、誰にも気づかれることなく、一人の少女が冷徹な視線で見つめていた。

 

暁美ほむらは病院の向かいにある古いオフィスビルの屋上から、時間を止める能力を使わず、軍用グレードの高性能双眼鏡でアネッテの病室を監視していた。風が吹くたびに彼女の黒い長髪が優雅に舞い、夕日に照らされて紫がかった光沢を放っていた。しかし、その美しさとは対照的に、ほむらの表情は氷のように冷たく硬く、深い紫の瞳には疑念と警戒の色が宿っていた。

 

「あり得ない...物理法則に反する現象...」

 

ほむらは小さく、ほとんど聞こえないほどの声で呟いた。唇の動きがかすかに見える程度だ。彼女は廃工場でのアネッテと魔女の戦いを最初から見ていた。夕闇に紛れるように建物の陰から、この不思議な魔法少女「蒼春アネッテ」が強大な魔女MECHANICAと戦う様子を観察していたのだ。そして彼女は目撃した——アネッテのソウルジェムが完全に穢れ、漆黒に染まるまでの全過程を。

 

ほむらは何度も、何十回も、いや、もはや数え切れないほど同じ光景を見てきた。ソウルジェムが完全に穢れた魔法少女は、例外なく、絶対的な法則として、魔女へと変貌する。マミもさやかも杏子も、そして知り合うことのなかった無数の魔法少女たちも、全て同じ運命をたどった。それは変えようのない、残酷な真実だった。

 

しかし、アネッテだけは違った。

 

彼女のソウルジェムは確かに限界まで、百パーセント穢れたのに、爆発的な魔女化の兆候は見られなかった。代わりに彼女は単に意識を失い、通りすがりの人に発見され、救急車で病院に運ばれた。そして驚くべきことに、三日後、魔法少女としての記憶と力を完全に保ったまま目覚めたのだ。

 

「どういうことなの...あり得ないはずよ...」

 

時間を何度も遡り、同じ月を繰り返し生きているほむらは、何百、何千という魔法少女の末路を目の当たりにしてきた。マミ、さやか、杏子...そして無数の名もなき魔法少女たち。それぞれの願いは違えど、彼女たちの最期はいつも同じだった——絶望という名の暗闇に飲み込まれ、自らが戦っていた魔女へと変貌する。だがアネッテは、その不変の法則を、その絶対的な因果を破ったのだ。

 

「彼女は何者...?なぜ例外となり得たの?」

 

ほむらは黒い革の手帳を取り出し、これまでに収集した情報を再度整理した。ペンが紙の上を滑る音だけが、屋上の静寂を破る。

 

蒼春アネッテ、16歳。身長163cm、栗色のショートヘアに深緑色の瞳。キュゥべえと契約した銃器らしきものを操る能力を持つ魔法少女。

 

一般的な意味では特殊な家庭環境かもしれないが、魔法少女としては特別な要素は見当たらない。それなのに、なぜ彼女だけが例外となり得たのか?

 

「もしかして...」

 

ほむらは一瞬、思考を巡らせた。瞳が僅かに広がり、そこに希望の光が灯る。この特異な現象が、魔法少女システムを根本から変えるヒントになるかもしれない。魔女化という宿命から逃れる手段が存在するかもしれない。それはつまり——まどかを救う方法につながるかもしれないのだ。

 

だがすぐに彼女は首を小さく、しかし決然と振った。過去のどのループでも見たことのない魔法少女の存在自体が既に大きな異常だった。これはどういう意味を持つのだろう?このタイムラインには何か特別な要素があるのか?それとも、アネッテという個人に何か特別な要素があるのか?あるいは...彼女の願いに何か関係があるのだろうか?

 

「徹底的に調査を続けるべきね...」

 

ほむらは静かに立ち上がり、夕焼けを背景に彼女の黒髪が風に優雅に舞った。彼女はアネッテが翌日には退院し、数日中に月影町に帰るという情報をすでに入手していた。まだ時間の余裕はあるが、調査は急ぐべきだ。魔女が出現する可能性も高く、まどかを守るという最優先事項も忘れてはならない。

 

病室の窓越しに見える光景では、アネッテが両親と談笑していた。彼女の明るい笑い声は窓ガラスに遮られ、ほむらの耳には届かない。笑顔の裏で、アネッテはまだ自分の異常性、自分の特異性に気づいていない。自分が魔女化せず、ただ眠りに落ちただけだと純粋に思い込んでいる。

 

そして病室の窓辺には再びキュゥべえの白い姿が映っていた。彼もまた、アネッテという特異点に強い関心を抱いているようだった。ほむらの鋭い視線は、キュゥべえがアネッテを観察する不気味な様子も見逃さなかった。

 

「まどかを救うためには...あらゆる可能性を探るべき。そのためなら...」

 

ほむらはそう決意を新たにし、最後にもう一度アネッテの姿を双眼鏡で確認すると、静かに屋上から姿を消した。明日また、調査を続けるために。彼女の細い足音が階段を下りていく音だけが、空っぽになった屋上に残された。

 

アネッテもほむらも、そしてまどかさえも、この偶然の邂逅が彼女たちの運命を大きく変えることになるとは、まだ知る由もなかった。時間という名の、残酷な綾取りの糸が、すでに三人の少女たちを結び始めていることにも。

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