アネッテと希望の方程式   作:革新的甲殻類

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1-5「異なる時間軸」

見滝原中学校の教室には、春の柔らかな光が差し込んでいた。窓からは桜の花びらが舞い、教室内の床に淡いピンク色の影を落としている。朝のホームルームが始まろうとしていた。

 

「今日は皆さんに、転校生を紹介します」

 

早乙女和子先生の声に、教室内の私語が止んだ。ドアが開き、黒い長髪の少女がすっと入ってきた。その姿に、一瞬教室全体が静まり返る。

 

「転校生の暁美ほむらさんです」

 

長い黒髪が廊下からの風で僅かに揺れる。先生の紹介に続いて、少女は静かに一歩前に出た。その紫色の瞳は教室全体を見渡すことなく、ただ一点—鹿目まどかの席だけを見つめていた。その視線には何か言葉にできない重みがあった。まるで何度も何度も同じ光景を見てきたかのような疲労感と、どこか諦めに似た感情が混ざっている。

 

「暁美ほむらです」

 

その声は冷静で、どこか遠い場所から聞こえてくるようだった。クラスメイトたちの間に小さなざわめきが走る。黒板に書かれた「暁美ほむら」の文字と、その凛とした佇まい、どこか遠くを見つめるような視線に、誰もが一瞬息をのんだ。特に男子生徒たちからは小さな歓声も上がっている。

 

「えっと、暁美さんは病気で入院していたので、今日が久しぶりの学校なの。みんな仲良くしてあげてね」先生が説明を続けようとした時、ほむらは一歩前に出た。

 

「鹿目さん」ほむらの声が教室に明確に響いた。その目はまっすぐにピンク色の髪をした少女を捉えている。「保健委員でしょう?保健室に案内してもらえるかしら」

 

指名された鹿目まどかは、困惑した表情で顔を上げた。その大きな桃色の目には純粋な驚きが浮かんでいる。隣の席の美樹さやかも目を丸くしていた。

 

「え?あ、はい...」まどかは自分の胸元の保健委員バッジに目をやり、どうして転校生が自分の役割を知っているのか理解できない様子だった。

 

彼女の反応は初対面の人物に対するそれだった。当然のことながら、まどかにとってほむらは見知らぬ転校生でしかなかった。他の時間軸ならば、まどかの目にはほむらへの薄い記憶や親しみの色が浮かぶはずなのに、今回は完全に初対面の反応だった。

 

「じゃあ、鹿目さん、暁美さんを案内してあげてくれる?」早乙女先生は頭を掻きながら微笑んだ。「あら、そうそう、私の彼と別れた理由なんだけど、目玉焼きに何をかけるかで意見が合わなくてね...」

 

教室に響く先生の愚痴を背景に、まどかとほむらは静かに教室を出た。廊下では緊張した空気だけが二人の間を満たしていた。

 

---

 

放課後、見滝原の商店街は下校途中の学生たちで賑わっていた。ほむらは慎重にまどかの動向を追っていた。

 

いつものように美樹さやかと連れ立って、楽しげに話しながらCD店へ向かうまどか。二人の間には何の暗い影も見えない。あの無邪気な笑顔、軽やかな足取り—ほむらはその光景を見ながら、今までにないほどの違和感を覚えていた。

 

「おかしい...」

 

小さく呟きながら、ほむらは眉をひそめた。通りの向こうからのカラスの鳴き声さえ、何か異質に聞こえる。いつもならこの時間、この場所で、キュゥべえはまどかに接触するはずだ。時には魔女の使い魔からまどかを救うというきっかけで、時には直接声をかけるという形で。何度も繰り返してきた時間軸で、それは決して変わることのない定点だった。

 

しかし今回は違った。

 

キュゥべえの姿はどこにもない。魔女の気配すら感じられない。まるで脚本から重要な登場人物が突然削除されたかのような不自然さがあった。

 

「どういうこと...?」

 

ほむらは混乱していた。盾の中から双眼鏡を取り出し、もう一度周囲を丹念に探った。建物の陰、木々の間、屋根の上—キュゥべえが潜みそうな場所をすべて確認したが、あの白い獣の姿は見当たらない。何かが根本的に異なっていた。いつもならこの場所でまどかとキュゥべえが出会い、それを阻止するために彼女は何度も介入してきた。だが今回は、そもそもキュゥべえが現れる気配すらない。

 

街灯が点き始める頃、CD店に入るまどかとさやかを見ながら、ほむらは深く考え込んだ。風がほむらの長い黒髪を揺らし、彼女の瞳に一瞬の不安が過った。何が変わったのか?このタイムラインでは何が違うのか?それは良い兆候なのか、それとも新たな危険の予兆なのか?

 

彼女には知る由もなかったが、アネッテの存在が時間の流れに微妙な変化をもたらしていた。因果の糸が少しずつ別の方向に編み直されていたのだ。この世界線では、まどかは魔法少女になっても普通の力しか持たない、数ある候補者の一人に過ぎなかった。キュゥべえにとって、わざわざ積極的に契約を持ちかける必要のない存在だったのだ。

 

「妙ね...なぜキュゥべえはまどかに近づかないの?」

 

ほむらの疑問は深まるばかりだった。夕暮れの赤い光が彼女の表情を浮かび上がらせる。何度も同じ月日を繰り返し、いつも同じ結末に行き着いてきたほむらにとって、このわずかな変化は混乱以上のものだった。

 

今までのループと違い、キュゥべえがまどかを狙わないのであれば、彼女を守る必要はないのかもしれない。しかし、それは本当に幸運なことなのか、それとも何か別の、より巧妙な危険が潜んでいるのか、ほむらには判断できなかった。何百回も繰り返した日々の中で、初めて直面する状況だった。

 

彼女はこっそりと盾を回し、時間停止能力を使った。凍り付いた世界の中、ほむらはまどかとさやかに近づき、二人の会話を盗み聞きした。しかし、そこには魔法少女に関する話題は一切なかった。まどかの学校での出来事、さやかの好きな音楽、恭介のバイオリンの練習—ただの、日常を楽しむ中学生の他愛もない会話だけが記録されていた。

 

「マミの名前も出てこない...」ほむらは小さくつぶやいた。まるで魔法少女の世界そのものがこの町から消えたかのような錯覚さえ感じる。

 

石畳の上に立ち、再び時間を動かしたほむらは、夕日に照らされた自分の影を見つめた。

 

「このタイムラインは...何か違う...」

 

ほむらはそれだけを確信していた。そして彼女は、この変化の原因を探り出すことを決意した。新たな敵か、それとも思わぬ味方か—いずれにせよ、まどかを守るという彼女の使命は変わらなかった。

 

その頃、見滝原から電車で3時間ほど離れた月影町では、アネッテが自室で次の魔女退治のための新兵器「マグネティック・パルスウェーブ」の設計に夢中になっていた。壁に貼られた設計図や机の上に散らばる部品の間で、彼女は熱心に計算を続けていた。

 

「このコイルの配置を変えれば、出力が1.5倍になるはず...」

 

彼女のソウルジェムは再び鮮やかなエメラルドグリーンに輝き、今は穢れの痕跡すら見当たらない。窓の外では、キュゥべえが静かに月を見上げていた。

 

彼女は知らなかった—自分の特異な存在が、ある少女の運命を大きく変えていることを。そして、時間を遡り続ける少女の混乱の原因になっていることを。二人の魔法少女の運命が、やがて交わることになるとも。

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