千代田区某所 アパート203号室
武智乙哉は窓からそっと外を覗いた。そこには、数人の刑事が張り込みをしている姿が。
「これじゃ、逃げられないか……」
何か策を考えようと頭を巡らせる。
「そっか、その手があったか。でもどうやって逃げる?」
ふと目についた自転車に目を付け、彼女は行動に移った。
アパート周辺
「おい、飯持ってきたぞ!」
刑事Aが紙袋を手に持つと、刑事Bが嬉しそうに受け取った。
「お、ありがとございやーす」
二人はアパートを見張りながら、軽い雑談を交わしていた。
「動き、見られないっすね」
その時、自転車に乗って逃亡を図る乙哉の姿が目に入った。
「ん? 奴が動き出したぞ。尾行するぞ!」
刑事二人は即座に覆面パトカー(日産・サニーB15型・前期型)に飛び乗り、追跡を開始した。
「船越警部、奴を見つけましたよ。これより追跡します」
刑事Aが無線で報告すると、船越の声が返ってきた。
《深追いするな。奴は鋏を上手く使うシリアルキラーだ》
「21世紀の切り裂きジャックなんて世間体には向いてないと思いますよ。今の彼女はただの可弱き女性です」
《……とにかくだ! 事が起こる前に奴を捕まえるんだ! どんな手段でも使っていい!》
「了解。警部」
一方、乙哉は自転車を必死に漕いでいたが、異変に気づいた。
「自転車に乗って逃げ出したのは良いものの、肝心なタイヤがもうすぐ空気が抜けていきそうだよ……」
実はこの自転車、他人の物置から盗んだ盗難品だった。刑事や警察に捕まれば、窃盗罪に加え、過去の殺人容疑での逮捕歴が明るみに出る。即アウトだ。
10年前、彼女は殺人罪で拘留され、東京拘置所で8年を過ごした経緯がある。それ以来、警視庁は彼女を指名手配犯同様のブラックリストに載せ、見逃すつもりはない。自業自得とはいえ、捕まれば再び刑務所行きは確実だ。
後ろから軽自動車のエンジン音が近づいてきた。
「そこの自転車、止まりなさい!」
警視庁交通部交通執行課の門田さくらが運転するミニパト――ただし、ただのミニパトではない。スバル・R1を特注でチューニングした高性能車両だ。
「やばっ、捕まったら最後だよ!」
乙哉はペダルを必死に漕ぎ、逃げようとした。
「逃がすか!」
さくらがアクセルを踏み込み、サイレンを鳴らし響かせながら猛追。近所中にその音が響き渡った。
「止まりなさーい!」
「嫌だ!」
その頃、剣持しえなは通常勤務で警備巡回中だった。寄り道にコンビニで缶コーヒーと菓子パンを買い、パトカーの中で小休憩を取っていた。
「全く……最近の学生は……!」
愚痴をこぼしながらコーヒーを一口飲むと、視界の端で異変を捉えた。
不良高校生3人が、中学生2人を囲んで虐めていた。理由は金目当てだろう。
「(ここは、ボクがビシッと言ってやるか)」
しえなは車を降り、毅然と不良たちに近づいた。
「こらーっ! いじめ許さない!!」
不良高校生たちは憮然とした態度で振り返り、しえなに言い放った。
「あぁ、何だ婦警のくせに!」
「野放ししときゃ良いものの、俺達を怒らせたらどうなるか体で教えてやるぜ。ヘヘッ」
「今のうちに逃げろ!」
しえなが中学生に叫ぶと、彼らは慌てて駆け出した。
「「あ、ありがとうございます!」」
「あ、逃げやがった!」
不良Aが悔しがる中、しえなは冷静に告げた。
「恐喝容疑で現行犯逮捕する」
「ほぉ……やれるもんならやってみんかい!」
不良高校生たちが一斉に襲いかかってきた。不良Aがジャブ、ローキック、右フック、左アッパーと連続攻撃を繰り出してきたが――
「!」
しえなは軽やかにそれをかわし、不良Aの手を掴んで背負い投げ!
「グッ……!」
不良Aが地面に叩きつけられると、不良Bが折り畳みナイフを手に襲いかかった。
「この……ふざけやがって!」
だが、しえなは一瞬でナイフを弾き飛ばし、逆に制圧。
「残りは君一人だね?」
最後に残った不良Cが、震えながら立ち尽くしていた。
「……」
「さあ、どうする?」
しえなが一歩踏み出すと、不良Cはビクッと肩を震わせた。
「お、おれは何もしてねえ! 関係ねえよ!」
必死に言い訳を並べるが、その顔は明らかに動揺している。
「君も仲間を助けようとしなかったね。つまり、共犯だ」
「ひっ……」
しえなが鋭い眼差しを向けると、不良Cはその場にへたり込んだ。
「やめてくれ……」
「抵抗しないなら、素直に大人しくして」
しえなは無線を取り出し、応援を要請。すぐにパトカーのサイレンが遠くから響き始めた。
「ふぅ……最近の学生は……ったく」
冷めた缶コーヒーを一口飲みながら、しえなは深く息をついた。
「ハァ……ハァ……あの婦人警官、どこまでしつこく追いかけるのよ!」
武智乙哉は盗んだ自転車を必死に漕ぎ、汗と焦りで息を切らしていた。ペダルを目一杯踏み込んで加速するが、後ろから迫るミニパトのサイレン音が一向に遠ざからない。
次の瞬間、後輪から異音が響いた。
パァン!
「えぇっ!?」
道に落ちていた釘がタイヤに刺さり、あっという間にパンク。自転車は走行不能に陥った。
「くそっ!」
乙哉は即座に自転車を乗り捨て、走り出した。走る。走る。走る! 道が尽きるまで、全力で逃げ続ける。
「クソッ……まだついてきてる!」
やっとの思いでコンビニに辿り着いたが、そこには予期せぬ展開が待ち受けていた。
「!……覆面パト!! ここも回り込まれた!!」
乙哉の目に飛び込んできたのは、見覚えのある覆面パトカー。絶望が彼女を包み込む。もう終わりだ――そう思った瞬間、車内から婦人警官が降りてきた。
だが、その顔を見て、乙哉は目を丸くした。
「しえなちゃん!? 偶然だね……」
「武智、お前、この様子じゃ誰かに追われているようだな」
剣持しえなが鋭い視線で乙哉を見据える。
「ごめん。匿って!」
「はぁ、何でお前を匿わなきゃいけないんだよ! ボクは警察官だぞ!」
「そうだよね……しえなちゃんは警察官で、あたしなんか……」
乙哉がしょんぼりと肩を落とすと、しえなは一瞬迷った後、ため息をついた。
「……わかったよ! 何とかするよ! ……あのミニパトの婦人警官か?」
乙哉がコクンと頷くと、しえなは即座に決断。無理やり乙哉を車内に押し込み、手錠をかけた。
「何をするの!?」
「黙ってついて来い!!」
エンジンをかけ、アクセルを目一杯踏み込む。覆面パトカーがコンビニから勢いよく走り出した。だが、後ろからはミニパトが執拗に追跡してくる。
「そこの車、止まりなさい!」
門田さくらの声が響き、サイレンが再び唸りを上げた。
「くっ……あの婦人警官。まだ追いかけてくるぞ!」
「……」
乙哉が無言で縮こまる中、しえなは決意を固めた。
「こうなったら……」
突如、しえなは車を急停止させ、ドアを開けて降りた。そして、ミニパトに向かって堂々と合図を送る。
さくらが目を細め、しえなの姿を認識した。
「(あの人は……警備部の!?)」
ミニパトも停止し、サイレンが静かになる。
「警備部警備第一課の剣持しえなだ! 彼女の身柄はここに預かった」
さくらが一瞬硬直し、慌てて敬礼した。
「(警備部警備第一課……!!?)あ、はい! ご、ご苦労さまであります! あとは剣持警視に任せます!」
「よし、では元の業務に戻れ!」
「は、はい!」
さくらはあっけなく踵を返し、ミニパトで去って行った。
しえなが車に戻ると、乙哉がホッとした顔で呟いた。
「さて、この後どうするか?」
「あのアパートには戻れないし、別の隠れ家に……」
「匿ってくれる所が一つだけある。一つだけ」
「隠れる場所あるの?」
しえなが頷き、車を再び動かした。覆面パトカーは夜の街を切り裂き、どこかへと走り去った。
千代田区某所 アパート
刑事Aが無線を手に、緊張した声で報告した。
「すいません警部、逃げられました!」
無線越しに、船越の重い声が返ってくる。
《……奴の事だ! どっかに隠れているだろう》
「奴の行きそうな場所は全て捜査員が先回りし待機していますが、まだ進展はないです」
《…………奴の親戚、職場関係者、学生時代の友人を隅々まで調べろ!》
「了解です。警部!」
刑事Aが敬礼するように無線を切り、アパート周辺を見回した。夜の静寂の中、捜査員たちの足音だけが響く。
上野警察署 捜査本部
船越は会議室のホワイトボードに貼られた武智乙哉の写真を睨みつけた。彼女の不気味な笑みが写った顔写真が、彼の執念をさらに煽る。
「武智乙哉……今度こそ終わりだ!」
拳を握り潰さんばかりに力を込め、低く呟いた。
(10年前に逃したあの過ちを、二度と繰り返さん……)
船越の瞳には、刑事としての覚悟と怒りが燃えていた。捜査の網は確実に狭まりつつある。乙哉に逃げ場はない――はずだった。
To be continued