寝台特急『北斗星』の喫煙8号車。
直人は慎重に4番客室のドアを見つめ、静かに呟いた。
「4番客室……ここか。」
あおいが小声で呼びかける。
「高山。」
直人は無言のまま、ドアを軽くノックし、声を掛けた。
「すみません、鉄道公安隊です。少々お話を伺いたいのですが。」
しかし、応答はない。
直人が首を傾げる。
「? 誰もいない?」
あおいが呆れたように返す。
「んなわけないでしょ!」
そう言うと、あおいは拳銃を構え、ドアノブを撃って壊そうと試みる。
直人が慌てて制止した。
「おい、何をする気だ?」
あおいが不満そうに答える。
「何って、ドアを壊すのよ!」
その時、背後から控えめな声が聞こえた。
「あの……。」
あおいが苛立ちを隠さず続ける。
「大体ね、高山はやる事が小さすぎるのよ!」
直人が声を荒げる。
「だからって、拳銃でドアノブを壊す事ないだろ!!」
再び、背後から声がする。
「すみません……。」
あおいがようやく振り返り、声の主に気づいた。
「今、取り込み中……あれ? あなたは?」
そこに立っていたのは、若い女性だった。彼女が口を開く。
「はい、確か鉄道公安隊の……。」
直人が確認する。
「4番客室のお客様ですか?」
女性が微笑みながら頷いた。
「はい、初めまして。一ノ瀬晴です。」
寝台特急『北斗星』の8号車、喫煙室前の狭い通路に漂う緊張感。直人とあおいは、4番客室のドア前で足を止めていた。そこに、一人の女性――一ノ瀬晴が現れた瞬間だった。
「一ノ瀬晴……何処かで聞いたような名前ね」
あおいは眉を寄せ、記憶の糸を手繰り寄せるように呟いた。彼女の鋭い視線が、晴の穏やかな微笑みにぶつかる。
「知ってるのか、桜井?」
直人が横から冷静に尋ねると、あおいは少しイラついたように髪をかき上げた。
「記憶が曖昧だから言うけどさ、確か……とある有名大学の講師してたような気がするのよね。名前だけ引っかかってる感じでさ」
その言葉を聞き終わる前に、晴がふわりと二人に向き直った。彼女の声は柔らかく、それでいてどこか芯のある響きを帯びていた。
「高山さん、桜井さん。飯田さんからお話を伺いました。晴を護衛してくれるんですか?」
直人は即座に背筋を伸ばし、キリッとした表情で答えた。
「はい、お客様を最優先するのが鉄道公安隊の仕事ですから」
その真面目すぎる返答に、あおいは思わず呆れ顔で肩をすくめた。
「おいおい、アンタがそれ言うの? どの口で言ってんのよ」
直人の眉がピクリと動く。ムッとした顔で反撃に出た。
「桜井だってさ、前回のベルニナ襲撃事件の時に遅れて合流したじゃないか! あの時は俺がフォローしたんだぞ!」
「あれはあれよ!」
あおいは声を張り上げて言い返し、拳を握りしめた。
「とにかくさ、前回の二の舞には絶対させないんだから! 今回こそ阻止してやるわ!」
その勢いのまま、あおいの手が無意識に腰のホルスターに伸びかけた。だが、直人の冷静な声がそれを遮る。
「その前にさ、桜井。拳銃はしまった方がいいぞ。他のお客様が迷惑するし、ビックリするって」
「……っ」
あおいは一瞬言葉に詰まり、唇を尖らせた。だが、渋々といった様子で拳銃をホルスターに戻すと、小さく吐息をついた。
「……わかったわよ! ったく、細かいんだから」
直人はそんな彼女を横目で見ながら、微かに口元を緩めた。一方、晴は二人のやり取りを静かに見守りつつ、どこか楽しげに微笑んでいるようだった。この奇妙な三人の出会いが、これからどんな波乱を巻き起こすのか――その予感が、列車の揺れと共に静かに広がっていく。
To be continued