警視庁
警視庁の廊下は、夕暮れの光が窓から差し込み、静かで重厚な空気を漂わせていた。さくらはその中を、軽やかな足取りで歩いていた。彼女の制服はピシッと整い、髪は一つに結ばれて揺れている。交通総務課のバッジが、かすかに光を反射していた。
「剣持警視」
さくらの声は、廊下の静寂を破るように響いた。しえなは書類を手に立ち止まり、振り返った。彼女の目は鋭く、しかしどこか疲れが見え隠れしていた。
「? お前は交通課の……」
しえなの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。さくらは小さく微笑み、訂正するように言った。
「正確に言うと、交通総務課ですけどね」
「どっちでもいいだろ! で、何の用だ?」
しえなは書類を閉じ、さくらを睨みつけた。その視線に、さくらは一瞬たじろぎそうになったが、すぐに気を取り直して切り出した。
「武智さんと、どういう関係なんですか?」
「なっ……! 何を想像している!」
しえなの顔が一瞬で赤くなり、声が裏返った。彼女は慌てて手を振り、必死に否定する。
「ボクとアイツはただの友人に過ぎない!!」
さくらは目を細め、疑わしげに呟いた。
「へぇーっ……」
「何だよ。疑ってんのか!? このボクが嘘吐いていると言いたいのか!!?」
しえなはますます声を荒げ、さくらに詰め寄った。彼女の目には、怒りと焦りが交錯している。
「いいよ。だってアイツはボクを揶揄ったりするし、眼鏡を壊したりするサイコパスな女だ。それだけの事さ」
さくらは戸惑い、思わず言葉を失った。
「あの……え……?」
その時、廊下の向こうから警官Aが駆け寄ってきた。彼の顔は青ざめ、急を要する様子が伝わってくる。
「剣持警視」
しえなはイライラを隠さず、書類を脇に抱え直した。
「何だ? ボクはこれから事件に関する書類を……」
「それが……」
警官Aは言葉を濁し、しえなの顔を伺った。しえなは一瞬沈黙し、深いため息をついた。
「…………わかったよ。門田巡査、お前もついて来い! 交通課の出番あるかもな」
さくらは驚きつつも、すぐに姿勢を正した。
「はい……」
しえなは警官Aを先導し、さくらを連れて廊下を進み始めた。彼女の背中は、どこか重い決意を背負っているように見えた。さくらはその後ろ姿を見つめながら、胸に湧き上がる不安を抑えきれなかった。
夜の街を切り裂くような勢いで、しえなとさくらはそれぞれの車両をぶっ飛ばして現場へと急行した。車内の空気はピリピリと張り詰め、まるでこれからバトルでも始まりそうな緊張感だ。助手席に座るさくらはシートベルトをギュッと握りしめ、窓の外を流れるネオンの光をぼんやり眺めながら、ポツリと呟いた。
「(あれね……)」
ハンドルを握るしえなはチラッとさくらを一瞥。彼女の目に宿る鋭い光は、まるで獲物を狙うハンターのようだ。
「(あれか……! あれ……どっかで見たような……気のせいか)」
二人の視線の先には、駐禁道路のど真ん中でデカデカと居座る怪しげな屋台が目に飛び込んできた。まるで「捕まえてみろよ」と挑発しているかのようなその姿に、しえなの闘志がメラメラと燃え上がる。車を停めるや否や、彼女はドアを勢いよく蹴り開け、警官Bが駆け寄ってくるのも待たずにズカズカと現場へ踏み込んだ。
「剣持警視! ご苦労様であります!」
警官Bがビシッと敬礼するけど、しえなはチラッと見ただけで興味なさげに鼻を鳴らす。そして、屋台の前に立つガリクソンに眼光鋭くロックオン!
「で、こいつか?」
「はい、夜間に駐禁道路で違法営業ですよ。衛生面も悪いし」
警官Bの報告に、さくらが冷静に付け加える。
「多分常習犯ですよ」
しえなはフンと鼻を鳴らし、ドスの効いた声で言い放った。
「知ってるよ」
「え?」
さくらが一瞬目を丸くするけど、しえなはお構いなしにガリクソンに詰め寄る。彼女の迫力はまるで嵐のようだ。
「おい! ここは駐車禁止だ。早く移動しなさい!」
ガリクソンはビクッと肩を震わせ、関西弁丸出しで慌てて弁解を始めた。
「何やねんな~……あ、昨日の婦警さん」
その一言に、しえなの眉がピクッと跳ね上がる。彼女の声は氷点下並みに冷たく響いた。
「あのさ、道路のど真ん中でラーメン営業するバカが何処にいるんだよ! しかも駐禁で!!」
ガリクソンは困り果てた顔で、必死に言い訳を並べ立てる。
「最近、カレーにハマってて試行錯誤作ってるんけど」
その言葉に、しえなは一瞬だけ目を細めた。カレーの香りが脳裏をよぎったのか、ちょっと興味を引かれたみたいだ。
「カレーってカレーラーメンか。美味しそうだな……ってどうでもいいわ!! この馬鹿が!!さっさと移動しないとこの車燃やすぞ!」
「それだけは勘弁してや! これがないと営業でけへんのや~。勘弁してください! お願いします勘弁してくださいお願いします……」
ガリクソンは地面に這いつくばる勢いで懇願し始めた。その情けない姿に、しえなは深いため息をついて仕方なさそうに言った。
「わかった……但し罰金は払ってもらうわよ!」
「ええ~っそんな……殺生な……もういやや~」
ガリクソンが絶望の声を上げる中、しえなは呆れ顔でさくらに視線を移す。
「はぁ……」
さくらが静かに尋ねた。
「どーします?」
「お前の仕事だろ? 後処理は自分でしろ」
しえなは肩をすくめてさくらに仕事を押し付けると、サッサと車に戻ってしまった。さくらは小さく頷き、諦めたように「はい……」と呟くしかなかった。夜風が吹き抜ける中、彼女はガリクソンと向き合い、淡々と違反切符を切り始めた。その目にはほんの少しだけ同情が浮かんでいたけど、やっぱり職務は職務。さくらの手は止まらない。
さくらが淡々と違反切符を切っている間も、ガリクソンは泣き言を並べ続けていた。
「ほんま勘弁してや~……わしも生活かかっとんねん……」
「でも、違反は違反ですから」
さくらの声は冷静そのもの。彼女はガリクソンの免許証と営業許可証を確認しながら、必要事項を書き込んでいく。
「チッ……ええわ。罰金払うしかないんやな……でもな!」
ガリクソンは急にガバッと顔を上げ、さくらの目をじっと見つめた。
「せめて、一口だけでええから食べていってくれへんか?」
「……は?」
「僕の魂込めたカレーラーメン!これ、うまいで!こんな夜中に違反切られて金取られるんや、せめて食べてもらわな、やっとられへん!」
さくらは一瞬、戸惑った。
「(……なんでこの状況で食べさせようとするんだろ)……私は遠慮します」
「ええやん! 一口だけや! 味見のつもりで!」
ガリクソンの必死の押しに、さくらは眉をひそめた。
「じゃあ……一口だけ」
渋々、割り箸を手に取ると、湯気の立つカレーラーメンをすくい上げた。夜風に乗ってスパイスの香りがふわりと広がる。
「……ん?」
口に運んだ瞬間、スパイスの刺激とコクのあるスープが舌の上に広がった。意外にも……いや、かなり美味しい。
「……悪くないですね」
「やろ!?せやろ!?これ、絶対売れる思うねん!」
ガリクソンが満面の笑みを浮かべた瞬間だった。
「お前、まだ営業する気か?」
突然の低い声に、さくらもガリクソンもピクリと肩を震わせた。
振り向くと、そこには腕を組んだしえなが立っていた。
「……先に戻ったんじゃ」
「……カレーの匂いにつられた」
「……」
さくらは思わず額を押さえた。
「ほら! しえなちゃんも食べてみ! うまいで!」
ガリクソンが得意げに差し出したラーメンを、しえなはジロリと睨みつけた。
「……まあ、味は気になるけどな」
結局、しえなも一口すする。次の瞬間、目を見開いた。
「……ちょっと待て、これ普通に美味いじゃないか!」
「せやろ!? ほらほら、もう営業許してや!」
「ダメに決まってんだろ!」
しえなが怒鳴ると、ガリクソンは肩を落とした。
「やっぱあかんかぁ……しゃあない、撤収するわ……」
トボトボと屋台を片付け始めるガリクソンを見つめながら、さくらは小さくため息をついた。
「……もったいないですね」
「は?」
「これだけ美味しいなら、ちゃんとした店舗で営業すればいいのに」
さくらの何気ない一言に、ガリクソンは目を丸くした。
「……ほな、出資してくれる?」
「しません」
「ですよね~!」
ガリクソンがふざけたように肩をすくめる。
しえなは腕を組んで考え込んでいたが、やがてフッと笑った。
「まあ、今度からはちゃんと営業許可のある場所でやれよ。次見つけたら、容赦なく店じまいさせるからな」
「うぅ……わかりました……」
こうして、ガリクソンは屋台を片付け、しえなとさくらは再びパトカーに乗り込んだ。
エンジンをかけるしえなが、ふと呟く。
「……本当に美味かったな」
「そうですね」
「今度、普通に食いに行くか」
「……あの人がちゃんと店を持てたら、ですけどね」
二人の乗る車が夜の街に消えていく頃、ガリクソンは空を見上げ、ポツリと呟いた。
「……よし、本気で店出したるか!」
その夜、違法屋台の取り締まりは終わったが、新たな物語の始まりだった。
PM20:00
夜の帳が降りた列車の中、窓の外を流れる景色は闇に溶け込み、ただ遠くの灯りがチラチラと瞬くだけ。車内の静寂を破るように、低い声がポツリと響いた。
「そろそろ着くな」
その声はどこか落ち着いていて、まるでこれから始まる何かを予感しているようだった。影に隠れたその人物は、フードを深く被っていて顔が見えない。
隣に立つもう一人の影が、短く相槌を打つ。
「ああ、どうするんだ?」
その声には少しだけ焦りが混じっていて、手元の鞄を無意識に握り潰しそうなくらい力が入っていた。
「うんうん」
最初の声が小さく唸るように呟き、考え込む。車輪の軋む音が一瞬だけ間を埋めた。
そして、突然、その人物がピタリと動きを止めた。フードの下から鋭い光が覗き、口元がニヤリと歪む。
「待て。良い考えが浮かんだわ」
その一言に、空気が一変した。まるで闇の中で何かが蠢き始めたような、不穏な予感が車内に漂い始める。二人の視線が交錯し、次の瞬間を待つように静寂が深まった。列車は無情にも進み続け、彼らの企みを乗せて夜の彼方へと走り去っていく――。
To be continued