PM20:27 寝台特急『北斗星』 宇都宮駅到着
宇都宮駅のホームに、寝台特急『北斗星』の重厚な車体が静かに滑り込んだ。汽笛が低く鳴り響き、乗客たちのざわめきがホームに広がる中、列車の影に潜む三人の姿がひっそりと動いていた。
ヒルダはフードを少し引き下げ、鋭い視線を周囲に走らせながら低い声で指示を出した。
「いいか。普通に振舞うんだ。普通にな」
その口調は冷静だが、どこか緊張感が滲んでいる。彼女の手は無意識にコートのポケットの中で拳を握っていた。
「おう」
ロザリーが気軽に頷き、肩を軽く回してリラックスした態度を見せる。彼女の顔には、危険な任務を前にしても動じない自信が浮かんでいた。
クリスは隣で小さく笑い声を漏らし、肩を震わせた。その軽い反応に、ヒルダが一瞬眉をひそめるも、何も言わず視線を戻す。
ロザリーが突然、ニヤリと笑って提案した。
「じゃ、あたしは運転席で電車動かすから」
ヒルダの目が一瞬丸くなり、思わず声を上げた。
「運転できるのか!?」
「任せろ!」
ロザリーは胸を叩き、まるで子供が自慢するような勢いで言い切った。その自信満々な態度に、ヒルダは一瞬言葉を失う。
「……わかった。アンタに託すよ」
ヒルダは深いため息をつきつつも、ロザリーの無鉄砲な勢いに賭けるしかなかった。彼女の目には、不安と期待が交錯する複雑な光が宿っていた。
ホームの喧騒の中、三人はそれぞれの役割を胸に秘め、列車に溶け込むように動き始めた。ロザリーの足音が運転席へと向かい、ヒルダとクリスは乗客の中に紛れ込む。普通に振舞う――その言葉が、危険な計画の幕開けを静かに告げていた。
PM20:27 寝台特急『北斗星』車内
宇都宮駅に停車した列車の中、車内の空気は一見穏やかだったが、あおいの鋭い勘がそれを切り裂いた。
「何かさ。あの女性公安隊員、怪しくない?」
あおいは眉をひそめ、ミランダを遠くからチラリと睨む。彼女の声には疑念が滲んでいた。
はるかが首を傾げ、優しく返す。
「そう? いい人そうに見えるけど」
「…………」
あおいは無言で顔をしかめ、不満を隠さない。
「どうしたの?」
はるかが心配そうに尋ねると、あおいは心の中で呟いた。
「(女性鉄道職員としては外人に見えるわね)」
そこへ、直人がのんびりした声で割り込んできた。
「どーした、桜井?」
「高山!」
あおいが振り向いた瞬間、突然現れたヒルダがニヤリと笑って近づいてきた。
「おや、お困りのようだね?」
「え?」
直人が目を丸くすると、ヒルダは彼の顔をじっと見つめて続ける。
「その顔はさ。『私は最も平和な一日でいますように』って顔してるわね」
「何故分かるんですか?」
直人が驚きを隠せない声で尋ねると、ヒルダは肩をすくめて軽く笑った。
「顔に書いてるぞ」
あおいが鋭く割って入り、ヒルダを睨みつけた。
「あなたは誰? 國鉄の職員には見えないわね」
「桜井! よせって!」
直人が慌てて制するが、ヒルダの目が一瞬輝いた。
「ほぅ……一発で分かったとはな。さすが警察官の娘と言いたいところ。だが、こいつはどうだ!」
ジャキッ!
ヒルダが素早く腕を動かし、軽機関銃を取り出した。
「!(軽機関銃!?)」
あおいの瞳が驚愕に見開かれる。
ジャキッ!
ヒルダが銃を構え直し、冷たく言い放つ。
「遅い!」
ズガガガガガガガガガガッ!
車内に銃声が轟き、乗客たちの悲鳴が一斉に上がった。
その瞬間、ミランダが息を切らせて駆け込んできた。
「何が起きたの!? ……ヒルダ! あんた何でここに!? それにその格好は!?」
ヒルダはミランダを見て一瞬動きを止め、驚きと嘲笑が混じった声で応じた。
「―――ミランダか? まさか生きてたとはな。ウクライナの内戦で死んだと思ってたわ」
「お陰様で無事生き延びたわよ」
ミランダが冷静に返すと、ヒルダの目が険しくなる。
「で、今度は日本の鉄道公安隊の犬か!?」
「アンタに言われたくないわよ」
ミランダが言い返すと、ヒルダは声を荒げた。
「私は好きでこんな格好してるわけじゃねぇ!!」
「……」
ミランダが無言で見つめ返す中、ヒルダが銃を振り上げた。
「死んでもらう!」
「させないわよ!」
あおいが素早く反応し、ヒルダに飛びかかる。
「ちぃっ! ロザリー!」
ヒルダが叫ぶと、通信機からロザリーの慌てた声が響いた。
《悪いヒルダ、こっちは精一杯なんだ! これどー操作するかわかんねぇよ!》
続けてクリスの声が混じる。
《私も。車の運転と戦車やヘリの操縦とは訳が違うからごちゃごちゃして……》
「……」
ヒルダの顔が一瞬にして真っ青になり、言葉を失った。
「どーしたの?」
ミランダが冷静に尋ねると、あおいも畳みかける。
「どーしたのよ?」
直人が首を傾げて呟いた。
「顔が真っ青になってますけど」
「うるせー!! ちょっと考え事してただけだ!」
ヒルダがムキになって叫び返すが、その声には動揺が隠しきれていない。
「どーする?」
あおいが直人に尋ねると、彼は即座に状況を整理した。
「まだ仲間の構成員がいるかもしれない。桜井は構成員を捜索して拘束。ミランダさんは……」
「分かってるわよ。誘導ね」
ミランダが頷き、直人の指示に即応する。
「あ、逃げたわ!」
あおいが叫ぶと、ヒルダが慌てて走り出した。
「こらー! 逃げるな!」
ミランダが追いかけながら叫び、車内は一気に混乱の渦に巻き込まれた。
PM20:27 寝台特急『北斗星』運転室
寝台特急『北斗星』の運転室は、薄暗い照明の下で緊張と混乱が交錯していた。パネルに並ぶ無数のスイッチとレバーが、素人にはまるで異世界の装置のようだ。ロザリーはその中央に立ち、額に汗を浮かべながら叫んだ。
「レバーを引くんだ!」
クリスが隣で眉をひそめ、不安げに手を伸ばす。
「こうかな?」
「違う! 逆だ!」
ロザリーが即座に叫び返し、クリスの手元をガッと掴んで正しい方向に導こうとした。
「……ふぅ」
クリスは深いため息をつき、疲れ果てたように肩を落とした。
その時、運転室のドアが勢いよく開き、メアリーが飛び込んできた。
「ロザリーお姉さま!」
彼女の声は切羽詰まっていて、小さな体が震えている。
「お? どうした?」
ロザリーがメアリーに目を向けると、そこへヒルダがドカドカと入ってきた。
「オイ」
ヒルダの低い声が響き、ロザリーがムッとした顔で振り返る。
「何だよ、今シミュレーション中で――」
「今更後悔しても遅いけどさ」
ヒルダが冷たく遮り、ロザリーの言葉を封じた。
「何だよ、突然」
ロザリーが苛立ちを隠さず言い返すと、ヒルダは淡々とした口調で続けた。
「一人ぐらい生かしたときゃよかったな」
「確かにそうすればこうならなかったはず」
クリスがポツリと呟き、ロザリーをチラリと見る。その視線に、ロザリーの顔が一瞬歪んだ。
「ぐぐ……!」
ロザリーが歯を食いしばり、悔しさに拳を握り潰しそうになる。
そこへ、ノンナが毅然とした声で割って入った。
「こーなれば覚悟を決めるしかありません!」
彼女の瞳には、状況を受け入れる強い決意が宿っていた。
「……だよな」
ロザリーが小さく頷き、肩の力を抜く。
「私も出来る限り手伝います!」
マリカが控えめに、しかし力強く声を上げた。彼女の手は震えていたが、目を逸らさないその姿勢に仲間への信頼が滲んでいる。
ロザリーは皆を見回し、深い息を吐いて頭を下げた。
「皆、すまない!」
その声には、仲間への感謝と、自分への苛立ちが混じっていた。
運転室の中、列車が次の目的地へと動き出す準備を進める中、彼らの間に新たな決意が芽生えていた。だが、この即席チームが本当に『北斗星』を動かせるのか――それはまだ誰にもわからない。
To be continued