PM20:40 寝台特急『北斗星』9号車
薄暗い車内の灯りが揺れる中、ミランダがスマホを手に持つと、指先がわずかに震えた。
「ココにLINE送ったわ」
その声は冷静を装っているが、かすかな不安が滲み出ている。画面を見つめる瞳には、親友の安否を気遣う光が宿っていた。
直人が隣で小さく頷き、優しく言葉をかけた。
「無事だと思いますよ」
穏やかな口調とは裏腹に、彼の握り潰した拳には緊張が刻まれている。
ミランダが小さく息を吐き、微笑みを浮かべた。
「そうね」
その笑顔は儚く、すぐに不安の影に飲み込まれた。
突然、あおいの鋭い声が車内に響き渡った。
「状況確認!」
彼女の目は獲物を追う鷹のようで、仲間たちに一刻の油断も許さない。
「あ、そうだった」
直人がハッと我に返り、慌てて時計に目をやった。時間は容赦なく進んでいる。
エルヴィラが腕時計を一瞥し、冷徹な声で呟いた。
「2059時……あと53分」
元GSG-9の隊員らしい冷静さで、彼女は状況を計算し尽くしているようだった。
直人が焦りを抑えつつ、指示を飛ばした。
「エルヴィラさんは食堂に戻ってください!」
だが、エルヴィラは首を振って拒否した。
「そうはいかないわ。あなた達に危険を晒すわけには」
その言葉には、かつての戦友を見捨てられない強い意志が込められていた。
その瞬間、直人のポケットからけたたましい着信音が鳴り響いた。
ピリリリリリリリッ!
ピッ と電話を取ると、スピーカーからヒルダの冷ややかな声が流れ出た。
《備えあれば憂いなしね。アンタの予備電話番号から掛けさせてもらったわ》
直人の顔が一瞬で青ざめた。
「(な……何故俺の番号を……)」
頭の中で疑問が渦巻き、声に焦りが滲む。
「要件は!?」
《そう焦るな。この客室乗務員が人質よ》
ヒルダの言葉に続き、電話の向こうから震える声が漏れてきた。
《エルヴィラさん、ごめんなさい……私が悪いせいで》
まゆかの声は涙に濡れ、怯えきっていた。
アネッサが優しく宥めるように言った。
《あなたは悪くないわ、まゆか》
続いて、まりの切羽詰まった声が響いた。
《ごめん高山君。暴力団の人達に見つからないように隠れてたけど、別の人が……》
ヒルダが冷たく話を遮った。
《そー言う訳だ。ま、私達は人質を傷つける主義じゃないわ。あのパンムンって男とは違うわ》
「(パンムン!? あの時の北朝鮮の……!?)」
直人の脳裏に過去の悪夢がフラッシュバックし、背筋が凍りついた。
《じゃ、要件言うわね。高山直人。アンタ一人で来な。もし余計な事したら分かってると思うけど、この人質を走行中の寝台列車に落として他の電車に轢死させるよ!》
プツッ!
電話が切れると、車内に重い沈黙が落ちた。
直人が深いため息をつき、呟いた。
「俺一人で来いって」
ミランダが静かに頷き、決意を固めた。
「どうやらそれしか方法ないわね」
「いや、まだあるはずよ。まだ」
エルヴィラが冷静に反論し、皆の視線が彼女に集中した。
あおいが鋭く尋ねる。
「どんな手段を?」
エルヴィラは目を細め、過去を振り返るように言った。
「ヒルダは私と同じGSG-9にいたのよ。多分他の部下も」
その言葉には、かつての仲間との因縁が滲んでいた。
はるかが心配そうに呟いた。
「高山君には敵わないんですね」
「俺が加勢するぜ」
翔が拳を握りしめ、力強く名乗り出た。
直人は一瞬迷ったが、決意を口にした。
「岩泉、ありがとう。でもこれは俺が与えられた試練なのかもしれない。だから行かせてくれ!」
「アンタ一人でどーする訳!?」
あおいが声を荒げ、直人の無謀さを咎めた。
ミランダが静かに、しかし力強く宣言した。
「私も行くわ。ココの安否も気になるけど、高山君が傷つく姿は見てられないわ!」
彼女の瞳には、仲間を守りたいという熱い想いが燃えていた。
エルヴィラが状況を整理し、分析を始めた。
「私達が現在いるところは9号車だから、主犯格のヒルダは11号車から掛けてきたわ」
「何故そう言い切れるんです?」
直人が疑問を投げかけると、エルヴィラは肩をすくめた。
「勘よ」
「そうですか……」
直人が苦笑いを浮かべると、ミランダが続けた。
「他の構成員は電源車。つまり運転席よ!」
「札沼達を救助しなければ!!」
直人が決意を新たにし、皆が頷いた。
エルヴィラが現実的な問題を指摘する。
「そうなると武器が必要ね」
「そうですね」
ミランダが同意し、直人が困ったように言った。
「武器を持ってるのは桜井と岩泉しか」
「2人だけじゃ無理だわ。車掌室から武器になりそうなモノがあるはずだわ」
ミランダが提案すると、エルヴィラが即座にアイデアを出した。
「厨房にある包丁やキッチン鋏は?」
「何でもいいです!」
ミランダが切迫した声で応えた。
「私が持って行ってくる。あとの事は頼んだわよ」
エルヴィラが立ち上がろうとした瞬間、妖艶な声が車内に響き渡った。
「行かせないわよ」
直人が振り返ると、そこには伊介がニヤリと笑って立っていた。
「ここにもいたか」
あおいが警戒心を露わにした。
「この女もRJの仲間!?」
エルヴィラが冷静に否定する。
「いいえ。あれはただの殺し屋よ」
「刺客って訳ね」
ミランダが呟き、伊介が挑発的に笑った。
「伊介はね。アンタ達が大人しくしたら身を引いてあげてもいい訳よ♡」
「そうはいかない事情があるのよ」
ミランダが冷たく言い放ち、トカレフTT-33を抜いて伊介に銃口を向けた。
「この女は私が相手する」
「ミランダさん」
直人が心配そうに声をかけると、ミランダは彼を促した。
「行きなさい!」
「……」
直人は一瞬迷ったが、あおいに背中を押された。
「高山」
「……分かりました!後は任せます」
直人たちが走り去る中、伊介がレミントン・モデル95・ダブルデリンジャーを構え、2発撃った。
バン! バン!
だが、弾は壁に当たり、伊介が舌打ちした。
「チィッ、外れちゃったわ♡」
ミランダが挑発的に尋ねる。
「私を殺す?」
伊介が冷たく笑った。
「アンタを殺しても何も価値ないわ♡」
「そう。ならこちらから撃たせてもらうわ」
バーン! バーン!
ミランダが引き金を引くが、伊介は軽やかに身をかわし、予備の銃を取り出した。
「誰が一丁だけ持ってると言ったの~? 私はね、準備は万全だから予備の銃なんて持ってるの当然でしょ♡」
ミランダの顔が一瞬にして青ざめ、次の瞬間、銃弾が彼女の腹部を貫いた。
「ごめん……みんな……私が不覚だったわ……」
血を流しながら、ミランダは床に崩れ落ち、意識を失った。
「さて、あの邪魔なヤクザの連中でもやっつけに行きますか」
伊介が冷たく呟き、ミランダの横を通り過ぎて歩き出した。
PM21:15 喫煙8号車
寝台特急『北斗星』の喫煙8号車は、薄暗い照明の下で不穏な静寂に包まれていた。窓の外を流れる夜の景色が、車内の緊張を一層際立たせている。エルヴィラが足を止め、鋭い視線でドアのプレートを見つめた。
「ここね。一ノ瀬さんがいる部屋は」
彼女の声は低く、まるでこれから起こる事態を予見しているかのようだった。
直人が頷き、緊張した面持ちで確認する。
「4番客室のはずです」
彼の手は無意識に拳を握りしめ、心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
エルヴィラが静かに警告を発した。
「気を付けて。敵が近くにいるかもしれないわ」
その言葉に、皆の背筋がピンと伸びた。
あおいが一歩前に出て、毅然とした声で言った。
「私が開けます」
コンコン
ドアを軽くノックすると、すぐに内側からココの声が聞こえてきた。
「はい」
「ココさん? 無事だったんですね。今開けます」
あおいが安堵の息を漏らしつつ、ドアノブに手をかけた。
ドアが静かに開くと、晴が驚いた顔で一行を迎えた。
「あ、高山さんに桜井さん。どーしたんですか?」
彼女の声には戸惑いが混じり、状況の異常さを感じ取っているようだった。
あおいが急いで説明する。
「一ノ瀬さんも。それより早く別の部屋に」
「え? はい!」
晴が慌てて頷き、ココと共に部屋を出ようとした。
エルヴィラが腕時計を一瞥し、焦りを隠せない声で呟いた。
「2115時。急がなきゃ間に合わないわ!」
直人がふと周囲を見回し、首を傾げて言った。
「そー言えば、武智さんがいませんね」
エルヴィラの顔が一瞬青ざめ、声を震わせた。
「ごめん! すっかり忘れてた!! と言う事は……」
その言葉は途中で途切れ、彼女の瞳に恐怖が宿った。
車内の空気が一気に冷え込み、皆が息を呑んだ。武智の不在が何を意味するのか――その答えは、すぐそこまで迫っている危機を予感させていた。
To be continued