2025年 警視庁公安部オフィス 朝
警視庁公安部のオフィスは、朝の忙しさが徐々に高まりつつあった。書類の山とコーヒーの香りが混じる中、鳰がデスクから立ち上がり、小さなテレビの電源を切った。彼女の手には、東兎角のウクライナ内戦での報道をメモした紙が握られている。
「ウチ、兎角の活躍にちょっとテンション上がっちゃったっスけど……神長管理官に報告しないとヤバいっスね」
鳰が軽い口調で呟き、一人称「ウチ」を織り交ぜながら、オフィスの奥へと向かう。彼女の足取りは軽やかだが、瞳には裁定者としての鋭さが宿っていた。
神長香子のデスクに近づくと、香子は書類に目を落としつつ、鋭い視線で鳰を迎えた。
「走り、何だ? また何か企んでる顔してるぞ」
香子の声は低く、管理官としての威圧感が漂っている。
「企んでないっスよ~! ウチ、ちゃんと報告に来ただけっス!」
鳰がニヤリと笑い、メモを香子のデスクに置いた。
「今朝のニュース見たっスか? 東兎角がウクライナ内戦でロシア兵を殲滅したって報道されてるっス。黒組の元メンバーっスよ」
香子がメモを手に取り、眉を寄せる。
「東兎角……一ノ瀬晴を守るために戦ってたあの兎角か。ウクライナで何やってるんだ?」
彼女の声には驚きと興味が混じり、書類から目を上げて鳰を見やった。
「そうっス! 報道だと、北朝鮮兵がロシア語分からなくて味方のロシア兵撃っちゃって、そのどさくさに紛れて兎角がロシア兵を片付けたらしいっス。晴ちゃんを守る決意が、こんな形で爆発したんスね~」
鳰が軽く肩をすくめると、香子が小さく息を吐いた。
「黒組の絆がまだ生きてる証か。だが、東がそんな動きを見せてるなら、RJにも影響が出るかもしれない。走り、詳しい情報は?」
香子が鋭く問うと、鳰が少し真剣な顔になった。
「ウチ、ニュース以上の情報はまだ掴めてないっス。でも、兎角が動いてるってことは、RJの連中が刺激される可能性あるっスよね。貝塚の次の計画が潰されたばっかだし、残党が何か企むかも」
鳰がメモを指差すと、香子が立ち上がった。
「なら、動く前に潰すしかない。杉浦美登里が湾岸でRJの構成員を押さえたばかりだ。東の動きがニュースで流れた今、連中が焦って行動を早める可能性もある」
香子の瞳に決意が宿り、鳰に視線を移す。
「走り、お前は公安部のネットワークで兎角の動向を追え。私が第四警戒班と第1独立警備班に連絡を取る」
「了解っス! ウチ、兎角のこと調べるの楽しみっスよ~。黒組の仲間がこんな活躍してるなんて、裁定者として誇らしいっス!」
鳰が敬礼し、ニヤッと笑う。
香子がデスクの電話を取り、第四警戒班に連絡を入れる。
「奈々か? 神長だ。東兎角って名前、剣持や武智に聞いてみろ。黒組の元メンバーだ。RJの動きに影響するかもしれない。すぐに報告しろ」
彼女の声は冷静だが、緊迫感が滲んでいた。
一方、鳰は自分のデスクに戻り、パソコンを起動する。画面に映るニュース映像を再生しながら、彼女が小さく呟いた。
「兎角、晴ちゃんを守るために戦ってたあの頃と変わらないっスね。ウチも負けてられないっスよ」
警視庁のオフィスに、朝の喧騒が響き始める。東兎角のウクライナでの行動が、遠く離れた東京でRJ残党への新たな警戒を引き起こしていた。香子と鳰の動きが、國鉄を守る戦いに再び火をつけようとしていた。
東京湾岸地区 RJのアジト 深夜
東京湾岸地区の廃倉庫を改装したRJのアジトは、薄暗い蛍光灯と海風の湿った匂いに満ちていた。コンクリートの壁にはひびが入り、床には武器や爆薬の入った木箱が無造作に積まれている。
その一角で、犬飼伊介が壁にもたれ、ピンクのロングヘアを指で弄んでいた。ヘソ出しの露出度の高いトップスとタイトなパンツが彼女の妖艶さを際立たせ、10センチのヒールが床を軽く叩く。彼女の手にはナックルダスターナイフが握られ、退屈そうに刃を磨いている。
「はー、マジだるいわ。あたし、こんなとこで待つの嫌いなんだけど?」
伊介がやる気なさそうに呟き、一人称「あたし」が軽やかな不満を響かせた。彼女の隣には、RJのリーダーである士幌邦夫が座り、煙草を燻らせている。無骨な顔に深い皺が刻まれ、冷徹な瞳が伊介を一瞥した。
「伊介、黙ってろ。お前の愚痴は聞き飽きた」
士幌の声は低く、RJの計画を絶対に成功させる決意が滲んでいた。
「ふーん、邦夫ってほんと真面目よね。りえはどう思う?」
伊介が視線を移すと、テーブルで地図を広げていた手宮りえが顔を上げた。ショートカットの髪と鋭い目つきが、彼女の計算高い性格を物語っている。
「伊介のグチはいつものことよ。けど、邦夫の言う通り、今は次の計画に集中すべきね。國鉄本社への攻撃はもうすぐよ」
りえが地図に赤ペンで印をつけながら答えると、伊介がニヤリと笑った。
「計画、計画って……あたし、邪魔な奴はさっさと殺せばいいと思うけど? ねえ、邦夫、最近ニュース見た? 東兎角がウクライナでロシア兵ぶっ倒したってよ」
伊介がナイフをくるりと回し、話題を振った。
「東兎角?」
士幌が煙草を灰皿に押しつけ、興味深そうに伊介を見やる。
「黒組のガキだろ? そんな奴が何で今さら出てくるんだ?」
「伊介、兎角ってあんたの知り合い?」
りえが地図から目を離し、伊介に視線を向ける。
「あたしと兎角は明星学園黒組の同期よ。まぁ、伊介って名前がカッコいいから覚えてて損ないわよ?」
伊介が髪を縦ロールに巻きながら笑う。一人称「伊介」が彼女の自信を際立たせていた。
「兎角ってさ、一ノ瀬晴って暗殺対象にベッタリだった子よ。晴を守るためにウジウジしてたけど、結局あたしを倒したんだから、なかなかやるわよね」
「倒した? お前が?」
士幌が鼻で笑うと、伊介がムッとした顔でナイフを振り上げる。
「ちょっと! 邦夫、舐めないでよ! あたし、黒組で兎角とガチでやり合ったの! あの時、晴を殺そうとしたら兎角に邪魔されてさ、結局あたしが負けたのよ。ま、純恋子からアイスランポピーの花もらったり、鳰が赤いカーネーション置いてくれたから、悪くなかったけど?」
りえが興味深そうに口を挟む。
「赤いカーネーションって、『母への愛』よね? 伊介、あなたのお母さんって――」
「ママのこと言うなら、りえも殺すわよ?」
伊介の声が一瞬冷たくなるが、すぐに笑顔に戻る。
「ママは犬飼恵介。あたしをネグレクトの地獄から救ってくれた人よ。パパと一緒に別荘建てるのがあたしの暗殺報酬だから、RJの仕事も頑張るってわけ」
「で、その兎角がウクライナで暴れてるってことは、RJに何か影響あるの?」
りえが本題に戻すと、伊介が肩をすくめた。
「さあね。あたし、兎角が動いてるとニュースで聞いて、ちょっと懐かしくなっただけよ。けど、邦夫、考えてみ? 兎角がこんな派手に動いてるなら、國鉄の公安隊もピリピリしてるんじゃない? 特にあの杉浦美登里とか、神長香子とかさ」
「杉浦美登里……杉浦総裁の血を引く女か。厄介な相手だな」
士幌が煙草を手に再び火をつけ、考え込む。
「兎角のニュースがRJの残党を刺激する可能性はある。計画を早めるべきかもしれない」
「早める? いいわね、あたし、動くの好きよ。素手で誰かぶっ潰したい気分だし」
伊介がナックルダスターナイフを握り、好戦的な笑みを浮かべる。彼女の瞳に、暗殺者としての修羅場を潜り抜けた狂気がチラリと光った。
「伊介、調子に乗るなよ。國鉄本社への攻撃は失敗できない。兎角がどう動こうと、俺たちの目的は変わらない」
士幌が冷たく言い放つと、伊介が軽く舌を出す。
「分かってるって、邦夫。あたし、ちゃんと仕事するわよ。春紀にマニキュアあげたいし、早く終わらせて帰りたいのよね~」
伊介が髪を揺らし、退屈そうに笑った。
倉庫の外で、海風が廃墟のようなアジトを揺らす。RJの刺客として暗躍する犬飼伊介と、リーダーの士幌邦夫、手宮りえの会話は、東兎角の存在によって新たな緊張感を生んでいた。國鉄本社への攻撃計画が加速する中、伊介の冷徹な笑みが闇に溶けていく。
「あたし、兎角ともう一回やり合いたい気分よ。晴を守るための兎角、どんな顔してるかな?」
伊介が呟くと、士幌が冷たく一瞥した。
「余計なこと考えるな。次の計画に集中しろ」
アジトの蛍光灯がチラつき、RJの次の動きが静かに始まろうとしていた。
東京鉄道公安隊第四警戒班詰所 昼下がり
東京鉄道公安隊第四警戒班の詰所は、昼下がりの陽光に照らされ、穏やかな雰囲気に包まれていた。窓の外では列車がレールを走り、詰所内では高山直人がソファに寝そべり、桜井あおいが無線機をいじっている。小海はるかがお茶を淹れ、奈々が書類を整理していた。
そこへ、剣持しえなが詰所のドアを勢いよく開けて入ってきた。彼女の顔には緊迫感が浮かび、手には警視庁からの報告書が握られている。
「みんな! 大変なことになった!」
しえなの声に響き、全員の視線が彼女に集まった。
「剣持さん、どうしたんですか?」
奈々が穏やかに尋ねると、直人が眠そうな目をこすりながら起き上がる。
「何か事件か? またお茶飲めなくなるのかよ~」
「高山、寝ぼけてないで聞け! 神長から連絡があって、RJの刺客に犬飼伊介が動いてるって!」
しえなが報告書をテーブルに叩きつけると、あおいが目を丸くした。
「犬飼伊介!? 誰!? また知らない名前出てきたんだけど!」
しえながソファに座り、説明を始める。
「犬飼伊介は明星学園黒組の卒業生だよ。ボクの同期で、フリーランスの職業暗殺者。29歳で、ピンクのロングヘアにヘソ出しの派手な格好してる。素手で暗殺するのが好きで、ナックルダスターナイフとか小型拳銃使ってた」
「何!? そんなヤバい奴がRJに!?」
あおいが興奮して立ち上がり、はるかが心配そうに口を挟む。
「剣持さん、その伊介って人が黒組にいたなら、兎角さんとも知り合いなんですか?」
「そうだよ。伊介は一ノ瀬晴を殺そうとしたけど、兎角に撃退された過去がある。兎角が人を殺せない弱点を突いて追い詰めたけど、最後は兎角に負けて脱落したんだ」
しえなが苦笑いを浮かべると、奈々が小さく頷いた。
「剣持さんのお友達って、みんなすごいですね……」
その時、詰所のドアが再び開き、神長香子が颯爽と入ってきた。彼女の鋭い目つきが詰所を一掃し、管理官としての威圧感が漂う。
「剣持、遅れてすまない。犬飼伊介の情報が入った。RJの次の動きが早まる可能性が高い」
「神長管理官! やっと来た! ボク、犬飼のこと話してたとこだったよ」
しえなが香子に席を譲り、報告書を指差す。
「……犬飼がRJの刺客なら、國鉄本社への攻撃が現実味を帯びてきた。杉浦美登里が湾岸で残党を押さえたが、犬飼が動いてるなら別のルートで仕掛けてくる可能性がある」
香子が報告書を手に、全員を見回した。
「何!? 國鉄本社がまた狙われるの!? 私が射殺してやる!」
あおいが拳を握り潰すと、直人が慌てて制した。
「桜井、落ち着けって! また射殺とか言うなよ!」
「高山君、でも神長管理官の言う通りなら大変なことだよ。私たち、どうすればいい?」
はるかが心配そうに尋ねると、香子が冷静に答えた。
「第四警戒班は詰所の警備を強化しろ。剣持、お前はSATを動かして國鉄本社の周辺を固めろ。私は第1独立警備班の杉浦と連携して、犬飼の動きを追う」
「了解だよ、神長。ボク、犬飼とは黒組で戦ったことあるから、動きは読める。SATで叩くよ」
しえなが拳を握り、決意を固める。
「剣持さん、その犬飼って人はどんな人なんですか? 兎角さんみたいに強いんですか?」
奈々が穏やかに尋ねると、しえなが少し考え込んだ。
「彼女は好戦的で残忍だよ。やる気なさそうに見えて、修羅場は潜ってる。家族――特に養父の恵介って人を『ママ』って呼んで慕ってるから、暗殺報酬で別荘建てる金が欲しいみたいだ。でも、それ以外は冷徹で、邪魔ならすぐ殺すタイプさ」
「家族想いなのに冷徹って、複雑な人ですね……」
奈々が呟くと、香子が冷たく補足した。
「犬飼伊介は黒組で兎角に負けた後も生き延びて、RJに加わった。東兎角がウクライナで暴れたニュースが、伊介を刺激した可能性もある。過去の因縁が絡むなら、厄介だ」
「何!? 因縁なら私がぶっ潰すよ!」
あおいが再び立ち上がると、直人が頭を抱えた。
「桜井、お前ほんと落ち着けって……平和が一番だろ……」
詰所に緊張感が漂う中、香子が全員を見渡し、静かに言い放った。
「犬飼が動くなら、時間がない。第四警戒班、準備しろ。RJの刺客をここで終わらせる」
昼下がりの詰所に、犬飼伊介という新たな脅威が影を落としていた。黒組の過去とRJの現在が交錯し、國鉄を守る戦いが再び熱を帯びようとしていた。
To be continued