大阪駅の喧騒は夜になっても収まることはなかった。
万博会場で起きた誘拐事件とその後の射殺事件を受けて、鉄道公安室は緊迫した空気に包まれていた。高山直人は机に広げた捜査資料を眺めながら、深いため息をついた。
「なぁ、桜井。この事件、なんかおかしくないか?」
隣で資料を整理していた桜井あおいが、ピタリと手を止める。彼女の鋭い視線が直人を捉えた。
「おかしいって……あんたも気付いてたの?」
「ああ。被害者が射殺された拳銃が警察の押収品だったって話、普通ならありえないだろ。それに、篁管理官が全部極秘扱いにしてるのもさ……なんか隠してるみたいで気持ち悪い」
あおいは小さく頷き、唇を噛んだ。彼女の中でも、同じ疑問が渦巻いていたのだ。
その時、鉄道公安室のドアが勢いよく開き、駒木咲代子が姿を現した。24歳の若さで副隊長に上り詰めた彼女の表情は、いつも以上に硬く引き締まっている。
「高山、桜井。捜査本部から新たな指示だ。大阪府警刑事課強行犯係と連携して、容疑者の任意同行に立ち会え。対象はこいつだ」
咲代子が差し出したのは、一枚の写真。そこには、30代半ばと思しき男の顔が写っていた。無精ひげを生やし、どこか疲れたような目をしている。名前は「田辺修」。職業は不明だが、大阪万博の会場で警備員として働いていた記録があるらしい。
「この男が犯人って証拠はあるんですか?」
あおいの質問に、咲代子は一瞬目を逸らした。
「……捜査本部が注目してるってだけだ。詳しいことは篁管理官に聞け。私は命令を伝えるだけだよ」
その言葉に、直人とあおいは顔を見合わせた。咲代子の声には、どこか苛立ちと諦めが混じっているように感じられた。
大阪府警刑事課の捜査本部は、異様な静けさに包まれていた。
篁唯依管理官が中央に立ち、集まった刑事たちを見渡す。彼女の隣には、京都府警の婦警・石見安芸が緊張した面持ちで立っている。先日の「ビール隠蔽事件」で上層部から叱責を受けたばかりの彼女は、どこか縮こまっていた。
「田辺修を任意同行し、事情聴取を行う。それが今回の目的だ。本庁に累が及ばないよう、現場を知る所轄の皆さんに信頼を置いている。だからこそ、貴様達に任せる」
唯依の言葉は穏やかだが、その裏に隠された圧力は誰の目にも明らかだった。大阪府警の刑事たちは渋々頷き、動き始めた。
直人とあおいは、強行犯係の刑事たちと共に田辺の自宅へと向かった。古びたアパートの一室で、彼は静かに暮らしていた。ドアをノックすると、すぐに田辺本人が姿を現す。
「警察か……何か用か?」
田辺の声は低く、どこか投げやりだった。直人が一歩前に出て、丁寧に説明する。
「田辺修さんですね。大阪万博の事件についてお話を伺いたいんですが、署まで同行していただけますか?」
「……分かった。別に逃げるつもりもないしな」
田辺は抵抗する様子もなく、素直に付いてきた。そのあまりの素直さに、直人は逆に違和感を覚えた。
捜査本部に戻った田辺への事情聴取は、異様な展開を見せた。
「貴様が万博会場で被害者を連れ去ったんだな? その後、拳銃で撃った。認めたらどうなんだ」
唯依の質問は、まるで結論ありきの尋問だった。田辺は目を丸くし、慌てて否定する。
「何!? 俺はそんなことしてない! 確かに警備員として会場にいたけど、誰かを連れ去るなんてありえない!」
「黙れ。証拠は揃ってるんだ。貴様がやったと認めれば、話は簡単になる」
唯依の冷たい声に、田辺の顔がみるみる青ざめていく。直人は隣でその様子を見ながら、胸の奥にモヤモヤが広がるのを感じた。
「(証拠って何だよ……さっきまで何も出てなかったじゃないか)」
その時、あおいが小さく呟いた。
「これ……おかしいよ。絶対におかしい」
彼女の視線は、唯依の背後でメモを取る刑事たちに向けられていた。彼らの動きはどこか不自然で、まるで事前に打ち合わせでもしていたかのようだった。あおいの心に、確信に近い疑惑が芽生え始めた。
「上層部が何か隠してる……この男、ただのスケープゴートなんじゃないの?」
その夜、あおいは一人で大阪駅のホームに立っていた。
事件の真相を確かめるため、彼女は独自に動き始めていた。手元には、田辺の警備員としての勤務記録と、万博会場周辺の監視カメラのデータをコピーしたUSBがある。これを解析すれば、何か手がかりが掴めるかもしれない。
「桜井、何してるんだ?」
背後から声をかけてきたのは、岩泉翔だった。彼は腕を組んで、あおいの隣に立つ。
「岩泉……あんたには関係ないよ。一人でやるから」
「バーカ。仲間が危ない橋渡ってるのに、見て見ぬふりできるわけないだろ。俺も手伝うよ」
翔の言葉に、あおいは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに小さく笑った。
「……ありがと。じゃあ、頼むね」
二人がデータを確認し始めたその時、遠くでサイレンが鳴り響いた。
「また何かあったのか!?」
翔が叫ぶと同時に、あおいの携帯に着信が入る。画面に表示されたのは、篁唯依の名前だった。
《桜井あおい、今すぐ捜査本部に戻れ。貴様の行動が問題になってるぞ》
冷ややかな声に、あおいの背筋が凍りついた。
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