夜の大阪駅は、まるで嵐の前の静けさのように不気味だった。
桜井あおいは、鉄道公安手帳を奪われた悔しさで震える拳を握りしめていた。目の前には、警視庁の神長香子警視が立つ。28歳とは思えない落ち着きと、どこか哀しみを帯びた瞳があおいを捉えている。
「桜井、私と一緒に動かないか? 君の力を貸してほしい」
その言葉に、あおいは一瞬言葉を失った。辞職勧告を受けたばかりの自分に、なぜこんな申し出を?
「……神長警視、私、もう手帳も持ってないんです。捜査に参加する資格なんて――」
「資格なんて関係ない。お前が正義を信じてるなら、それで十分だ。私には君の目が必要なんだ」
香子の声は静かだが、確かな力強さに満ちていた。あおいは唇を噛み、迷いを振り払うように頷いた。
「分かりました。私、やります。札沼まりを救うためなら、何だってします」
同じ頃、捜査本部では新たな動きが始まっていた。
篁唯依管理官が机に広げた資料を眺めながら、冷たく指示を飛ばす。
「札沼まり、18歳。ジャパン食堂の従業員で、北斗星の食堂車勤務。誘拐現場は大阪駅構内の資材置き場付近。犯人の要求はまだ不明だが、早急に捜査を進めていくぞ」
室内に集まった刑事たちは頷き、それぞれの役割へと散っていく。しかし、その中に一人の異質な存在が混じっていた。
「ウチ、やっと面白くなってきたっスねぇ! この事件、なんか裏がありそうっスよ~」
走り鳰警視が、ニヤニヤと笑いながら唯依の横に立つ。彼女の手には、リィズ・ホーエンシュタインに関する報告書が握られていた。
「走り鳰、また余計な口出しか? 公安部の仕事ならそっちでやってくれ」
唯依の苛立ちに、鳰は肩をすくめて笑う。
「まぁまぁ、そう言うなっス。ウチ、リィズって女がこの辺でうろついてる気配感じてるんスよ。毒殺のプロが絡んでたら、面白いことになるっスよねぇ?」
その不気味な笑顔に、唯依は一瞬眉を寄せたが、すぐに無視して指示を続けた。
あおいと香子は、大阪駅の裏手にある資材置き場へと向かっていた。
そこは、札沼まりが最後に目撃された場所だ。薄暗い街灯の下、香子が冷静に周辺を見渡す。
「監視カメラの死角になってるな―――――ここで連れ去られた可能性が高い。お前はどう思う?」
あおいは地面に残されたわずかな足跡に目を凝らし、答えた。
「足跡が二種類ある……一人じゃない。犯人は複数かもしれないです。それに、この近くで何か変な臭いが――」
「臭い?」
香子が顔を上げた瞬間、あおいの目が鋭く光った。
「毒だ! 神長警視、気を付けて!」
二人が飛び退いた瞬間、資材の影から小さなガラス瓶が転がり落ち、割れると同時に白い煙が広がった。あおいは咄嗟に袖で口を覆い、香子と共に物陰に身を隠した。
「これは……リィズ・ホーエンシュタインの仕業か?」
香子の呟きに、あおいの心臓が跳ねた。鳰が言っていた暗殺者。その名前が現実のものとして迫ってきたのだ。
その時、暗闇の中から低い笑い声が響いた。
「ふふっ、見つかったか。まぁいいわ。どうせあなた達じゃ私を捕まえられないよ」
現れたのは、金髪を無造作に束ねた長身の女性だった。リィズ・ホーエンシュタイン。彼女の手には、もう一つの毒瓶が握られている。
「札沼まりはどこ!? 何のために誘拐したの!?」
あおいの叫びに、リィズは薄く笑った。
「ただの仕事よ。誰かに頼まれただけ。まぁ、その『誰か』が誰かは教えないけどね」
「ふざけないで!」
あおいが飛び出そうとした瞬間、香子が彼女の腕を掴んだ。
「待て、桜井。挑発に乗るな。彼女を追えば、まりの居場所が分かるかもしれない」
冷静な香子の判断に、あおいは歯を食いしばって頷いた。リィズは二人の様子を見て、嘲るように肩をすくめると、闇の中へと消えていった。
一方、鉄道公安室では高山直人と駒木咲代子が動き出していた。
「桜井が神長警視と一緒に動いてるって!? しかも新しい誘拐事件まで起きてるなんて……!」
直人が焦りを隠せない中、咲代子が冷静に指示を出す。
「高山、岩泉。私たちも動くよ。桜井をサポートする形で現場に合流する。準備して」
「了解!」
岩泉翔が装備を整えながら呟く。
「ったく、桜井って奴はいつも無茶しやがるな……」
その言葉に、直人は小さく笑った。
「それが桜井だろ。俺たちで支えるしかないよ」
その頃、鳰は一人、暗闇の中でリィズの足跡を追っていた。
「ウチ、やっと見つけたっスよ、リィズちゃん。さてさて、どんなゲームが始まるか楽しみっスねぇ!」
不気味な笑みを浮かべる彼の瞳に、冷たい光が宿っていた。
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