星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第二章第六節 "事前精密検査"

 10月後半。出走登録を翌月に控え、レースに向けた本格的な体作りを始めることにした。栄養管理のため、Membersに食べたもの全ての写真を送付するよう指示を出した。今のところは律義に全て送ってくれているようだが、思春期女子というのは甘い物を好みがちだ。加えて、ウマ娘は高速走行のエネルギー源として糖質を好む傾向がDNAに刻み込まれている。隠れて間食をしている可能性もあるが、さすがに踏み込めない。疑ってかかると信頼していないと見なされて、関係構築が振り出しに戻る。大事なのは競技に必要な身体が出来上がっているか否かだから、仮に息抜きで甘い物を食べたとしても多少は黙認することにした。

 

 加えて、念のためURAと提携している病院で精密検査を受けさせることも決めた。検査項目は運動機能、循環器系、呼吸器系、運動筋密度、骨密度、血液などだ。その検査結果をもって、最終的な出走申請可否の判断を行うことにした。仮に彼女の身体が本番レースに耐えきれないと判断した場合は出走しない。不十分な身体でレースに挑んで骨折でもすれば、最悪の場合は命に関わる。そうなったら、親御さんと学園から生徒を預かる身としては責任の取りようがない。

 月曜日の午前に病院に電話をかけ、教室授業が午前中で終了する金曜日の午後の枠に予約を確保した。翌日火曜日の19時、アドマイヤベガが練習を終えたタイミングで声を掛けた。

 

「なあ、アドマイヤベガ」

「・・・なに?」

 

 練習に対する指摘を言われると思ったのだろうか、「何か指摘事項でもある?」と言いたげな表情で質問を返してきた。

 

「URA提携の病院に行って、念のため精密検査を受けてきてくれ。金曜日の15時から予約取ってあるから、授業が終わった後に行ってきて。予約票はあとで渡す」

 

 教え子からは、案の定の答えが返ってきた。

 

「・・・嫌」

「どうして」

「練習ができないから。レースも近いし、追い込みの時期なのだから練習に時間を割かないと」

 

 やはりか。だが、この手のやり取りにも慣れてきた。どう言えばこいつが指示に従うのかはなんとなく分かるようになってきた。

 

「・・・この精密検査は、君の運動機能、心肺機能、筋密度、骨密度とか、アスリートとして本番レースに耐えられるかを確認するためのものだ。万が一、君がレース中に故障を起こしてしまえば、最悪君は命を落としかねない。そうでなくとも、後遺症が残って一生走れなくなるかもしれない。仮に軽傷で済んだとしても、事前に精密検査を受けさせずに出走させた俺の責任問題にも発展しかねない。そうなると俺は懲戒処分、君との契約は強制的に破棄だ。当然、君はトゥインクルシリーズへの出場資格を失う。どちらに転んでも、いい結果にはならない。わかったか? 病院に、行くんだ」

「…分かりました」

 

 やっぱり。アドマイヤベガ(ひねくれ者)の説得にも手馴れてきたものだ。

 翌週水曜日、アドマイヤベガがトレーナー室に現れた。手には病院名が印刷された封筒が握られていた。

 

「精密検査の結果、出たか?」

「はい。トレーナーも確認してくれる?」

 

 胸を張り、堂々した態度で報告してくる。

 

「うん。見せてくれ」

 

 アドマイヤベガが封筒を差し出してくる。

 受け取った封筒から中身を取り出し、内容を素早く確認した。まず、1枚目。これは意思確認書だ。アドマイヤベガ自身が、指導者(トレーナー)へ内容を通知するか否かについて。ここには「自身の意思で提供します」にチェックが付いていた。安心して、2枚目に目を通す。結果は、確かに彼女の言う通り順調だった。

 

 まず、最大酸素摂取量(VO2Max)を確認する。数値は202ml/kg/分。2000mのエリカ賞を2分弱で走破できるだけの数値だ。ひとまず安心し、他の項目を確認していく。基礎代謝は2518kCal、最大心拍数は221拍/分、骨格筋率は体重比43%、おおむね基準値以上だ。ほかにも、乳酸性作業閾値、肺活量、筋繊維組成、筋密度、骨組成、骨密度、体脂肪率、TG値、血中コレステロール値、ALP値、ビルビリン値など、様々な数値が並ぶ。全て基準値を満たしている。最後の医師コメント欄には、次のように記載されていた。

 

『本格化の兆候があると認められます』

 

 息を吐いた。とりあえず、肉体面の基準はクリアしているようだ。ナリタトップロードとの初の併走練習以降、彼女は明らかに筋トレやインターバルにも力を入れるようになった。その成果が出ているようだ。残るは精神面だけど、その後も何度か実施したナリタトップロードとの併走練習風景を見る限りは大丈夫だと感じる。だいぶ戦略的なペース配分、コース取りができるようになり、1回だけだが勝ったこともある。アドマイヤベガに、結果表を返しながら伝える。

 

「見せてくれてありがとう。大丈夫そうだな。エリカ賞とホープフルステークス、出よう。まずエリカ賞に登録しておく」

 

 アドマイヤベガの顔が輝くのが分かった。

 

「・・・やった!」

 


 

 エリカ賞とホープフルステークスへの出走を決めたため、必要になったことがある。

G1レースであるホープフルステークスでは、特注のレーススーツ・シューズがセットとなった勝負服の着用が必須となる。デザインは基本的に本人が原案を作成し、それをもとにデザイナーが採寸・調整を行い最終デザインが完成する。原案提出から勝負服自体の完成までは1か月かかる。

 

「勝負服デザインシートを渡すから、君が描いて事務室に提出しておいてくれ。デザイナーとのスケジュール調整は事務職員がやってくれる」

「・・・勝負服?」

 

 なんだか反応が薄い。勝負服といえば、ウマ娘たちの憧れの的。もっと興奮してもいいはずだ。

 

「ああ、エリカ賞は陸上ユニフォームだけど、ホープフルステークスはG1だから勝負服が必要になる。ホープフルステークスは12月26日開催だから、11月前半までに発注しないと間に合わない」

 

 そう伝えた瞬間、彼女の顔がやや紅潮したように見えた。

 

「・・・分かった!」

 

 アドマイヤベガは力強くデザインシートを受け取ると、トレーナー室の外へと駆けていった。年相応の少女らしい姿をあまり見せないだけに、少し安心したような気持になった。

 

 アドマイヤベガが校舎の方へと去っていく足音を聞きながら、業務用スマートフォンを取り出した。電話アプリを立ち上げる。相手は装蹄師だ。

 

「もしもし、お世話になっております。中央トレセンの高村です。はい、ええ、ご無沙汰しております。実はですね、再来月のエリカ賞に教え子のアドマイヤベガを出場させることにしまして」

 

 電話の向こうから、寡黙そうな声が返って来る。

 

「それはおめでとうございます。活躍をお祈りします。・・・それで、本日はどのようなご用件でしょう」

 

 話が早くて助かる。新任教員というのは周囲が年上ばかりだから気を遣う。

 

「実はですね、本番に向けて競技靴を新調しようと思いまして。それで、蹄鉄を複数枚購入したいんですよ、練習用と本番用を兼用で。既製品だと頻繁な調整が必要なので、本人が簡単に装着できるようオーダーメイドのものをお願いしたくて」

 

 本題を伝えると、電話の向こうで装蹄師さんがうなる声が聞こえた。

 

「・・・何枚ほどでしょうか」

 

 一応は引き受けてくれそうだ。

 

「とりあえず10セット、20脚ほどを考えています」

 

 そう伝えると、装蹄師さんの声がやや硬くなった。

 

「10セットですか・・・素材にも依りますが、10セットだと3週間ほどかかりますね。ちょうど今の時期は新入生のデビュー戦が多いですから、仕事が立て込んでおりまして」

 

 風向きが変わってきた。連絡が遅かったかもしれない。

 

「なるほど・・・素材はアルミ合金を考えています。まず最初に1セットだけ納入していただいて、後から完成した分のみ順次納入というのは可能でしょうか」

 

 なんとかならないか、と考えての苦肉の策だった。しかし装蹄師さんの声は柔らかくなった。

 

「ええ、それならなんとか。アルミなら加工も簡単ですから、最初の1セットはすぐに出せます。ただ、アルミですと耐久性が低いから頻繁な買い替えが必要ですよ」

 

 ホッと息をつき、応答した。

 

「ありがとうございます。実は彼女、過剰な自主トレーニングをする傾向があるので、あえて摩耗しやすいアルミ蹄鉄を使わせたいんですよ。練習量も把握できますし、予算を盾に練習量を抑制できる」

 

 少しだけ愚痴っぽく話すと、装蹄師さんが笑った。

 

「ははは、高村さんは生徒想いですね。わかりました。最終的な調整はご本人の靴と脚を見なければできないので、来週の火曜日午後にそちらに伺います。レースで使用する競技靴を用意してお待ちいただけますか」

 

 生徒想い、と言われて面はゆい感じがした。思わず謙遜して応える。

 

「いえいえ、初担当の生徒に真っ当に競技して引退まで行ってもらって次のキャリアにつなげたいだけですよ。では、来週お待ちしております。ええ、失礼します」

 

 電話を切った。

 次は、アドマイヤベガが本番で使用する競技靴の仕様を考えなければならない。

1.5か月後に迫るエリカ賞を考えると、そろそろ本番用シューズでの慣らしを始めるべきだ。相変わらず体力を消耗するとヒールストライク走法に遷移しがちな彼女のことを考えると、自然とフォアフット走法で走らざるを得ないミドルヒールかハイヒールタイプが良いはず。2か月の間の過剰な自主練での消耗を考慮に入れると、2セット用意して毎日交互に使わせた方が良いだろう。蹄鉄10セットと合わせて2足購入しても10月の予算に収まる価格帯の競技靴となると、候補は絞られてくる。

 いくつかリストアップしたものを表にまとめ、プリントアウトする。プリンターは1階の集合教員室にしかないから、トレーナー室を出た。忍び寄る秋の空気に少し震えながら、階段を下った。

 


 

「これは本番・練習共用の競技靴の候補をリストアップしたものだ。そろそろエリカ賞に向けて本番用の靴での練習を始めたい。駅前にあるライトスポーツで、土日に似たようなやつ探して買ってきてくれ。価格は多少足が出ても良いけど、ミドルヒールタイプかハイヒールタイプは絶対に外しちゃダメだ」

 

 アドマイヤベガは意外にも素直に応じてくれた。

 

「はい。領収書は後で渡せばいい?」

「ああ、経費申請は俺が出すから、宛名は『学校法人私立中央トレーニングセンター学園 体育科 高村』で頼む。後でMembersで宛名は送っておくよ」

 

 アドマイヤベガははにかんだ。新しい競技靴が嬉しいらしい。

 翌週、約束の時間に装蹄師さんが学園に現れた。アドマイヤベガは、ミドルヒールタイプの競技靴を購入していた。装蹄師さんは、9月の時と同じように、注意深くアドマイヤベガの脚と靴を確認し、蹄鉄を工具で削り、叩く。何度か試着と試走を行うと、アドマイヤベガはまたも全速力で走り出し、ターフを一周し始めた。力強い足音が、他のチームの練習の喧騒を貫いて耳に届く。スタンドに戻ってきた彼女は頬を紅潮させ、

 

「走りやすい!」

 

と興奮気味に伝えてきた。

 

 装蹄師さんにお礼を伝えるついでに交換頻度について質問をすると、こんな答えが返ってきた。

 

「だいたい2~3週間ですが、練習量が多いと10日ほどで交換が必要になることもあります。次の納入は11月半ばなので、それまでなんとか練習量を抑えるか、今まで使っていた競技靴でしのいでください。次の納入は学園に宅配便で送っておきますね」

 

 アドマイヤベガの様子だと、確かに10日ほどですり減るかもしれない。インターバルトレーニングと筋トレの比重を増やすよう指示しておこうと考えた。

 

「分かりました。ご丁寧にありがとうございます。お待ちしております」

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