星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第二章第八節 "メイクデビュー"

 12月4日、夕刻。

 奮発して購入した上質なスーツに身を包み、新横浜駅に滑り込んできた白地に青い二本線の新幹線に乗り込んだ。8号車、6番D席。教え子(アドマイヤベガ)には、隣の9号車8番A席のチケットを確保した。いずれもグリーン車だ。

 

「普通車で良いのに」

 

と彼女は言っていたが、トレセン学園の制服やウマ耳というのは有名人のアイコンのようなものであり、嫌でも目を引く。そして、彼女は夏の選抜レースで悪い意味で注目を浴びた選手でもある。余計なトラブル防止のためにも、グリーン車に座らせることにした。新任トレーナーと、新入生にその程度の裁量が許されているあたり、やはりトレセン学園は異質な組織だ。

実のところ、自分自身グリーン車に乗るのは初めてだ。車内に入ると、見慣れた普通車の白く明るい車内とは異なる、ベージュ主体の落ち着いた内装が目に入る。座席の質も明らかに高く、分厚い。前の座席の背面には、普通車には無い車内誌が収められていた。

手に取って誌面を開くと、ビジネス情報が主体で、あまり興味を引かれなかった。アテンダントが配布してくれるおしぼりを受け取りながら、車内誌を元の場所に戻した。

 

すっかり日も落ちかけている東海道を、列車は時速270kmで駆け抜ける。かつてはウマの早駕籠で1日かかった距離が、今では2時間半だ。背もたれに背中を預け、しばらく車窓を眺めることにした。列車に追われる西の太陽は、列車を待つことなく遥かな地平線へと徐々に沈んでいった。

 

新大阪駅に到着する頃には、すっかり夜だった。列車を降り、隣の車両からアドマイヤベガが降りてくるのを待つ。ホテルは駅近くのビジネスホテルだ。聞き慣れない関西弁が飛び交う中を徒歩で5分、それぞれ別々にチェックインし、翌日までしばしの別れとなる。

 

 翌朝、朝食会場に赴くとアドマイヤベガの姿があった。帽子で耳を隠している。遠目に彼女の姿を眺めながら、バイキング形式の朝食から欲しい物を選んでトレイに並べていく。といっても、緊張であまり空腹感が無い。トーストと目玉焼き、サラダ、そしてコーヒーだけを取り、テーブルに着いた。アドマイヤベガが朝食会場から出ていく姿が見えた。彼女は、しっかりと朝食を摂れたかが気になった。横目で彼女を見送りつつ、コーヒーをすする。

 

「・・・濃い」

 

普段東京でたしなむコーヒーより、ずっと濃かった。カフェインで目が冴える。アドマイヤベガがこれを飲んでいないかが心配になった。カフェインの過剰摂取はドーピング違反になるのではと思い、念のためルールブックを開いたら、カフェインは禁止薬物一覧に掲載されていなかった。安心して、朝食を続ける。

 

チェックアウトの10時まで、部屋で落ち着かない時間を過ごした。フロントまで降りると、既に彼女が待っていた。

 

「・・・遅い」

 

冷ややかな目線を送って来る。

 

「悪い」

 

そう伝え、チェックアウトを済ませた。阪神レース場へと出立する。

 

阪神レース場。

芝、ダート、障害を備えた複合レース場。府中の中央トレセンお膝元の東京レース場と同程度の規模だ。エリカ賞は芝、2000m、右回り。天候は晴れ。申し分ない。

懸念点は、普段練習に使用するトレセン内の競技場(ターフ)とは異なり、第一・第二コーナーの半径が130mと小さいこと、そしてトレセンの競技場(ターフ)には無い、坂があることだ。

事前に発表された出走者は8名。アドマイヤベガの出走枠は6番、選手番号6番。外側の枠。

控室で出走を待つアドマイヤベガと、最終確認を行う。

 

「第一コーナーと第二コーナーは練習よりカーブがきついから、普段より体を大きく内側に倒す必要がある。そして、スタート直後は下り坂で、カーブ前で上り坂になる。4番コーナーから下り坂が続いて、スタート地点に戻ったらもう一度同じ下り坂と上り坂を上って、ゴールだ」

 

何度も伝えた内容だ。アドマイヤベガは、黙って頷いている。

 

「最初は周囲のペースに飲まれず、先頭選手の位置の確認だけしておく。最初の上り坂も必要以上に速度を出すな。あまりスピードを出すと第一・第二コーナーの急カーブに高速で突っ込むから、遠心力で外にはじき出される。ここは体力温存も兼ねて後方で控えても良い。第三コーナーあたりで外に出てから、下り坂を利用して徐々に加速してまくる。そのまま一気に追い込みをかけて上り坂を駆けあがって、ゴールだ。やれるな?」

 

そう訊ねると、ようやく返事を返してくる。

 

「・・・わかった」

 

さらに注意事項を続けて伝える。

 

「今回は8人立てになる。今まで2人での併走しかしてこなかった君にとって、大人数でのレースは選抜レース以来半年ぶりとなる。緊張しているか?」

 

アドマイヤベガは、しばしの沈黙ののちに口を開いた

 

「・・・別に」

 

これは、恐らく緊張を隠している。だが、その仮面を引き剥がすのは逆効果だと感じた。

 

「アドマイヤベガ」

 

「・・・なに?」と、アドマイヤベガが答えそうになった。その瞬間を狙い、握った手を振りかざす。

 

「・・・じゃんけん・・・ぽん」

 

チョキを出した。無言のまま応えた彼女はパーだ。

 

「あっち向いてホイ」

 

向かって右を差す。

 

「えっえっ」

 

と声を漏らしながら、アドマイヤベガは指の方向に向く。

しばしの沈黙が流れ、彼女はゆっくりとこちらに向き直る。

 

「・・・なに?」

 

困惑しながら、問うてくる。質問には答えず、言葉をつづけた。

 

「これは、本番のレースだ。勝負である以上、勝者がいれば、敗者もいる。だけどな、走ることを楽しいと思えた奴が、デビュー戦では本物の勝者だ」

 

そう伝えると、彼女はこちらの目を見返し、しっかりと頷いた。

その時、ドアが控えめにノックされた。

 

「どうぞ」

 

そう伝えると、トレセン学園の制服を着た少女が入ってきた。何度も併走練習に付き合ってもらった、ナリタトップロードだ。

 

「あっ、高村トレーナー!」

 

素直な彼女らしい、元気な挨拶をしてくる。

 

「・・・激励しにきてくれたのか?」

 

そう訊ねると、大きな声で

 

「はい!」

 

と返事をしてくれた。友人の激励は貴重な財産だ。邪魔をしないよう、外に出ることにした。

 

「しばらく外に出てる」

 

とだけ言い残し、廊下に出た。

 

5分後、ナリタトップロードが控室から出てきた。

 

「ありがとうございました」

 

とだけ言い残し、彼女は観客席の方に向かって走り出した。

控室に入る。14時30分。そろそろパドックに行く頃だ。ここから先は、選手は一人での行動となる。トレーナーは付き添えない。

立ち上がったアドマイヤベガに、最後の言葉を掛ける。

 

「・・・これまで君には、理論と理屈で指導をしてきたけど、最後にモノを言うのはメンタルだ。阪神というアウェー戦で、ライバルは既に一勝を積んだ連中。0勝なのは君だけだ。相手にとって不足なし、周囲に『東の一等星ここにあり』って見せつけてこい」

 

「・・・はい」

 

そう返事をしてきた彼女を、廊下へと誘う。控室に施錠し、選手専用エレベータへ送り出す。

 

「行ってこい」

 

扉の向こうに消えるアドマイヤベガは、口を真一文字に結んだまま、こちらの目を見返してきた。ドアが閉まる。踵を返し、関係者観戦席へと向かう。初の教え子の、デビュー戦だ。しっかりと目に焼き付けなければ。

 


 

『東の一等星』

 

その言葉に、内心少し笑ってしまった。お母さんがかつて『ベガ』という競技登録名(ターフネーム)で活動していたころ、『西の一等星』という称号を贈られていたからだ。それに、『東の一等星』という称号は既に何年か前の選手に贈られていたはず。高村トレーナーはそれを知っていたんだろうか?多分知らないだろうな。でも、嬉しかった。

 

エレベーターを降り、パドックに向かう。競技登録名(ターフネーム)を襲名した母と、半年間支えてくれた高村トレーナーの期待に応えないと。

 

パドックで受けた歓声は、想像以上のものだった。アナウンスを聞くに、私が今回の事前ファン投票の一番人気らしい。意外だ。

 

パドックお披露目を終えてから、地下道を通っていよいよ競技場(ターフ)へと向かう。

薄暗い地下道を通り抜け、陽光の降り注ぐ地上に再度出る。デビュー戦だ。

 

朝食はトースト、ソーセージ、サラダ、そしてトマトジュース。昼食は仕出し弁当のご飯、焼き魚、漬物。そして、ここでもトマトジュース。カリウム多めの組み合わせは、神経伝達のナトリウム・カリウムバランスを整えてくれる。脳からの神経伝達が遅れたら致命的だと高村トレーナーは以前言っていた。よし、大丈夫。栄養は万全。これまでのトレーニングを思い出す。今まで通り走れば、トレーニング通り走れば・・・結果は、ついてくるはず。

 

ゲートに入る。目を閉じ、深呼吸。周囲の喧騒が、嘘のように聞こえなくなる。

目を開き、正面を見据える。吸った息を、吐く。右足に全体重を込め、前傾姿勢をとる。

 

――狙うは1着だけ。それ以外は、あり得ない。

 

ゲートオープン。

目の前が開け、光が飛び込んでくる。

 

緊張でスタートが遅れた。でも大丈夫、勝負は後半だ。これで良い。全体を俯瞰できる。

右側、1~5番の選手たちが一気にインへと殺到するのが見える。1番選手が後ろに追いやられていく。ややインに入り、5番選手の後ろについた。少しだけ、風の抵抗が弱まる。前方を見ると、4番がトップに出ていく。

脚が地面を蹴る力が、一歩ごとに脳を揺さぶる。練習では意識したことが無い。これは、本番だから緊張して強く意識しているのか、それとも本当に強い衝撃が来ているのかは分からない。

 

下り坂で、足が思ったより早く動く。8番選手を抜かした。ここから、さらに少しずつインへと入り始める。上り坂に入る。トレーナーの言っていた通り、無理な加速はせず、勢いと重力が均衡する自然な脚運びで駆け上る。

第一コーナー。体を大きく倒す。予想以上の遠心力を感じ、さらに体を内に倒した。脚をストライド走法からピッチ走法に切り替える。前方を、5人の選手がふさいでいる。体を前傾させ、腕を大きく振るう。

第二コーナー、そろそろコーナー出口に向かってのコース取りを始めるべきだ。徐々に、遠心力に任せて外に出る。風の抵抗が激しくなる。一歩一歩、脚に力を込める。

向正面(バックストレッチ)。目の前が開ける。大空が見える。そのまま吸い込まれそうな錯覚を覚える。5位選手を抜いた。次位集団の、一番外。少しずつ、右手の4位選手が横に並んでくる。

 

大きく息を吸って、吐く。ストライドを意識し、ピッチを上げ過ぎないようにする。腕を大きく振い、体を前へ運び続ける。スタートしてから何秒かは分からない。一分を過ぎたかもしれない。ゴールまで半分くらい来たはずだけど、確認する余裕はない。大きく上下する視界の端、右前方に第三コーナーが見えてくる。ここで勝負はまだ仕掛けない。体力を温存する。今は、次位集団に食らいつくことだけを考える。右目だけで、先頭の4番選手を見る。大丈夫、引き離されていない。2位の5番選手も、同じ相対位置を保っている。

 

第三コーナー直前から、少しずつ体を右に倒し始める。アウト・イン・アウト。高村トレーナーから教えてもらった言葉を思い出す。少しずつインに切り込むことで、遠心力を急に受けずに済む。3位の2番選手が少しずつ後ろに流れていく。自分の加速か、相手の減速なのかは分からない。うまくインに入れない。外側で余分な距離を走る覚悟を固め、大きく息を吸う。ストライドを一層大きくする。腕をストライドに合わせて、さらに振るう。第三コーナー出口で、抜かしたはずの2番選手が少しずつ視界に戻って来る。

 

――譲ってやるもんか

 

第三コーナーを抜け、少しずつ下り坂が始まる。脚が重力に絡めとられる。体を前傾させ、脚の主導権を奪い返したころ、第四コーナーへと入る。2番選手がまた後ろに追いやられていく。5番選手に食らいつくけど、なかなか距離が詰められない。相手もまた、重力の後押しを受けている。

第四コーナーを抜けた。正面(ホームストレッチ)。前方には、大空。左手には、観客席(スタンド)。歓声が聞こえる気もするけど、風切り音が大きい。最後の直線だ。

カーブを抜けた今となっては、もうインに入る必要などない。脚の主導権を、さらに重力から奪い返す。脇腹が痛い。肺が痛い。全身が酸素を求めている。

いつの間にか、先頭の4番選手が見えなくなっていた。代わって5番選手が首位だ。

 

――ここだ

 

一気に全身に力を込める。酸素?必要ない。後で好きなだけ吸える。言う事を聞け、私の体。

 

コースが上り坂に転じる。重力加速で得た速度を、高度に変換していく。そこに、自力の加速を加えて5番選手を抜かす。左側から大きな足音が響く。抜かさせない。ゴールまであともう少しだ。

残り50m、景色が色を失う。

残り30m、四肢がもげそうになる。

残り10m、何の音も聞こえない。

 

ゴール板を通過したのが、辛うじて見えた。全身が脱力する。景色が色を取り戻し、音が聞こえてくる。第一カーブを過ぎたあたりで、ようやく立ち止まる。膝に手を突いて、酸素を吸う。確定板は見えないから、アナウンスに耳を澄ませる。

 

「先頭はアドマイヤベガです!タイム、2分6秒!」

 

拳を力強く握りしめた。

楽しかった。胸が躍るというのは、こういう事なのかもしれない。・・・赦された、そんな気がした。

 


 

優勝レイ贈呈のあとの記者会見の熱量はすさまじいものだった。事前ファン投票で一位を獲得していたアドマイヤベガが、期待通り新星としてデビューしたことを称え、普段のトレーニングの様子、競技登録名(ターフネーム)の由来など、様々な質問が飛び交った。写真撮影のフラッシュが視界を染める。今後の競技の方向についても質問も飛んできた。その中で、

 

「次はどのレースに参戦しますか」

 

という質問が来た。アドマイヤベガがこちらを見てくる。彼女に向かって頷いた。

 

「次は、年末のG1、ホープフルステークスに出ます」

 

彼女の宣言に記者席からどよめきが漏れた。

 

記者会見が終わり、控室に戻る最中、アドマイヤベガが関係者以外立入禁止エリアで急に立ち止まった。

 

「どうした?」

 

と訊ねると、

 

「・・・ありがとう」

 

と、はにかみながら感謝を伝えてきた。

 

「いや、君の成果だ。俺は裏方、支えただけだ」

 

とだけ返すと、彼女はより一層のまぶしい笑顔を向けてきた。

 

ウイニングライブは、ぎこちなかった。軍服と制服をモチーフとしたトップスとジャケットに、華やかなフィッシュテールスカート。赤・青・白のトリコロールデザイン。それに似つかわしくない、上ずった歌声と硬いダンス。初戦でいきなり優勝で、体力を消耗した後だ。当然かもしれない。

 

ライブ会場の関係者席には、彼女を担当している同期の歌唱ダンス指導教員(インストラクター)の姿もあった。彼女は少し苦笑しながら頭を抱え、

 

「まだまだ改善の余地あり」

 

と呟いていた。そして、俺に向かって、

 

「ボーナスが増えた」

 

とだけ言ってきた。ステージ上の教え子に目をやる。次位・三位選手は、笑顔の裏に悔しさを滲ませているようにも見えた。しかし、感情を抑えるスキルはプロ級だ。アドマイヤベガにあれができるかは分からない。

ふと、10年近く前を思い出す。府中で、親と見た姉のウイニングライブと、目の前の光景が被って見えた。

 


 

 

その日は土曜日だったので、そのまま新大阪駅前のホテルに泊まった。翌朝の新幹線で府中に戻る。座席はやはりグリーン車。8号車10番A席が自分、9号車6番D席がアドマイヤベガ。

緊張と興奮で、ホテルでは二夜連続してよく寝れなかったせいだろう。いつの間にか寝てしまい、気付いたら東京駅だった。業務用スマホを見ると、アドマイヤベガから何件かチャットが来ていた。

 

『どこ?』

『先に府中に帰ってるから』

 

「・・・」

やってしまった。寝過ごして東京駅に居ることだけを報告すると、

 

『呆れた』

 

とだけ返ってきた。改札で清算を済ませ、聞き慣れた標準語の喧騒に包まれながら中央線に乗り込んだ。

 

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