星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第三章第二節 "協力者獲得"

 教え子が『ヘアサロン』に行っている間に、三冠レースへの出走登録を済ませることにした。ついでに、上司への週報も書きあげたい。まずは出走登録だ。クラシック三冠レース登録期限が迫っている。今は1月中旬。第二次登録締め切りは1月末。焦るほどではないが、放置する余裕もない。

URA公式サイトにアクセスし、クラシック三冠レース出走登録ページを開く。まず、メールアドレスの入力を求められた。数分後、業務用メールアドレスにURAからアカウント登録の案内が届いた。アクセスし、個人ページの有効化を進める。

画面の指示に従い、トレーナー資格情報を入力していく。研修時に発行されたトレーナーIDの他、個人情報を入力していく。これでクラシック三冠レース限定の個人ページが有効化された。

次に、出走選手の情報の入力だ。競技登録名(ターフネーム)、本名、生年月日、年齢、住所、緊急連絡先、国籍、現時点のレース実績のほか、医療情報についての入力も求められた。エリカ賞直前に受診させた精密検査の結果が必要そうだ。精密検査結果表は本人が持っているから、すぐには入力できない。トレーニング後に持ってこさせるか、明日でも良いと考え、一時保管を選択したあとブラウザを閉じた。最悪、第三次登録がある。念のため、カレンダーアプリのアラート設定を二次登録と三次登録期限前日に登録しておいた。

 

続いて、週報を書き上げていく。デジタル化が進んでいるこの学園でも、週報の雛形は表計算ソフトを原稿用紙として流用したものだ。作成日時、トレーナー名、担当生徒(ウマ娘)名を入力する。個人トレーナーだから、チーム名は空白だ。週報、といっても先週は報告できることが少ない。サバイバーズギルトの件は迂闊に他者には漏らせない。報告できるのは、せいぜいアドマイヤベガの過呼吸への対応と、三冠レースに向けた指導案策定のための調査くらいだ。

 

『1月6日週の実施事項は、次の通りです。

・担当生徒が1月5日に過呼吸を起こしたため、保健室と連携し、トレーニングは1週間見合わせる方針を決定

・本人の健康管理、メンタルケアの充実を図るため、保健室・スクールカウンセラーの予約枠の確保の実施、並びにインストラクターに連絡を取り、サポート体制の構築を実施

・クラシック三冠レースに向けた指導計画立案のため、コーチングハンドブック精読、及び過去のクラシック三冠レースのデータ整理を実施』

 

質素な内容だが、トレーニングをしていない以上は仕方ない。PDF化し、上司に提出した。毎週末、トレーナーが集合教員室に勢ぞろいし、体育課主任を囲んでの職員会議、通称『報告会』が開かれる。もし提出した報告書の内容に不足があれば、報告会前に指摘が飛んでくるだろう。

 

思いのほか事務仕事が早く終わってしまった。ToDoリストを確認して、他に事務仕事がないか確認すると、担当生徒(アドマイヤベガ)の体育成績記録、先週分の彼女の食事内容確認と栄養指導、目標体力値決定が残っていた。

念のため教員向け学内ポータルサイトを開くと、期末試験の体育教養1A、数学A、現国の試験監督業務、体育教養の採点業務、さらには2月中旬の入学試験の試験監督業務まで割り当てられていた。気を抜くとどんどん新しい業務が割り当てられていく。これは、しばらくは忙しい日々が続きそうだ。

 

――しばらくは残業続きだな。だから裁量労働制なのか。

 

1年目から裁量労働制を適用されて40時間の固定残業代が出るなんて気前が良いと夏前には思っていたけど、当然それだけ働かせられるわけだ。今日は早めにトレーニングを終わらせて教え子には試験勉強を優先させ、こちらは事務仕事を消化したい。教え子(アドマイヤベガ)に、業務用チャット(Members)で連絡した。あまり時間は無駄にしたくない。

 

『ヘアカットが終わったら先にターフに行っててくれ。連絡くれればこちらからターフに向かう』

 

教え子が『ヘアサロン』に向かってから2時間後、彼女から連絡が来た。

 

『ヘアカット終わったからターフに居る』

 

背中まであるロングヘアだ。3~4時間ほどはかかると思っていたから、むしろ予想より早い。ちょうど先週分の栄養確認はキリが良い所に来ている。終了分を保存し、ターフへと向かった。

 


 

教え子は少し垢抜けていた。髪には艶があり、さっぱりした印象になっていた。一瞬だけ目を奪われたけど、瞬きを利用して無理やり目を引き剥がす。彼女は伏し目がちに「・・・どう?」と聞いてきたけど、これは答えるべき質問なのか数舜だけ逡巡した。しかし、余計なコメントはリスクのもとだ。あとでセクハラ扱いされたら一気にこちらが不利になる。現状アドマイヤベガがそんなことで騒ぐとも思えないけど、トレーナーと教え子の関係を逸脱した発言は慎むべきだと判断した。

 

「いいんじゃないか。練習するぞ」

 

それだけ伝えると、少しだけ表情が引っ込んだ。いつもの顔だ。まずはケガ防止の準備運動(ストレッチ)から。続いて軽い走り込みをさせた後、本格的な練習に入る。といっても、『ヘアサロン』に既に2時間を費やしているし、病み上がりに近い状態で、期末試験前だ。練習量は抑えめにする。時計を見ると15時。17時前には練習を終らせて、こちらは事務仕事の続きに取り掛かりたい。

 

800m20本のインターバルの平均タイムは57秒19。年末までの最速タイムと比較して1.5秒遅い。やはり過呼吸から体力が回復しきってはいないらしい。念のため、15分休憩を挟んだのちに2000m走をやらせてみた。タイムは126秒15。ホープフルステークスより2秒遅くなっていたけど、複数人で走る本番レースと、一人で走る練習のタイムは単純な比較ができるものではない。PCで過去の練習時のタイムを確認すると、一人の時は126秒21、併走練習時は122秒98が平均だった。早くなっているとも遅くなっているとも判断しがたい。とりあえず、大幅な体力低下はしていない分よしとする。

カレンチャンは『綺麗にしたそばから本当に走るなんて』と呆れていたけど、今までの教え子の態度からすると不思議なものではない。一方で、過剰な自主練のブレーキ役の一端を担ってくれている点から考えても、カレンチャンの呆れも妥当だ。

 

「そろそろ期末試験が近いし、綾部の過剰な自主練、なんとか抑えてくれるか?」

 

と、アドマイヤベガに聞こえないように話しかけた。カレンチャンは、

 

「もちろんです!アヤベさんの髪や尻尾のケアも任せてください!」

 

と快諾してくれた。そこまでは頼んでいないけど、やってくれるなら頼もしい。髪も尻尾も他人が軽々しく触れて良い場所ではない。異性ならなおさらだ。ルームメイトだからこその働きを買って出てくれるカレンチャンはありがたい存在だ。いつか何かの形でお礼をする必要があるかもしれない、と考えていた。それを見透かされたのか、カレンチャンは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 

「高村トレーナー、貸し一つですよ」

 

思わず苦笑いしてしまった。担当でもない生徒に過剰な関与をするのは避けたいが、教え子の支援体制の一員同士としてできる範囲のことはあるはずだ。

 

「分かったよ。何か希望があったら、教員として可能な範囲でなんとかする」

 

カレンチャンの口角がますます上がるのが分かった。

 

時計を見ると16時45分だった。練習のキリも良いし、そろそろ終了にしたい。アドマイヤベガを観客席(スタンド)に来させた。

 

「今日はここまで。まだ体力も本調子じゃないし、期末試験も近い。自主練せずにこのまま帰寮してくれ。あと、エリカ賞前に受けた精密検査の結果を、後でトレーナー室に持ってきてほしい。忙しいなら明日でも良い」

 

用件を一気に伝えると、教え子は

 

「分かった」

 

とだけ頷き、そのままカレンチャンと二人で更衣室の方へ歩いて行った。

体育科教員(トレーナー)棟に戻り、事務作業の続きに取り掛かる。まず、教え子の体育成績まとめ。各評価項目を採点し、一度100段階評価したのちに100〜90(A+)89〜80(A)79〜70(B)69〜60(C)59以下(F)の5段階評価にしていく。練習態度はまじめで、エリカ賞とホープフルステークスは優勝。A+評価をつけたいところだけど、指示に反して過剰な自主練を強行する癖がある。評定を1段階下げ、暫定的にAとした。後期期末試験の結果が出ても評価は変わらないだろう。担当教員コメント欄の言葉選びは慎重に行う。

 

『練習態度は真面目で、座学成績も優秀です。レース結果も優秀ですが、一方で担当教員の指示に納得できない際には、自分の考えを優先する傾向があります。まずは合意形成のため、相談をしてほしいところです。』

 

こんなものだろう。続いて、途中で終わっていた1月6日週の栄養確認だ。律義に毎日送信されてきていた食事内容の写真を、学生寮のメニュー表と照らし合わせてカロリー、栄養素を確認していく。

 

摂取カロリーは1日平均3598kcal。練習をしていないなら少々過剰だ。太っているかもな、なんて考える。これを直接伝えたら顔を真っ赤にして怒るだろう。保健室から『太り気味』という報告が来たら対処することにする。栄養成分比率は問題なさそうだ。鉄分、タンパク質、カルシウム、ビタミンB群、ビタミンD群は十分に摂取している。去年指摘された軽度の貧血と骨量成長の鈍化への対処は順調そうだ。

一方、PFCバランスは炭水化物(C)が多めだった。表にまとめた食事内容を確認すると、甘味やパン、白米がやや多めとなっていた。これはストレスが増えていることを意味する可能性が高い。やはり、年末年始に妹のことを思い出してストレスを感じたのだろうか。あるいは、期末試験に向けた勉強のために脳が糖分を欲しているのだろうか。今は触れないでおくことにする。期末試験が終わったら炭水化物摂取量を抑えさせよう。と、その時、遠慮がちなノックが響いた。

 

「はい、どうぞ」

 

こちらの声に応じて入室してきたのは、教え子だった。

 

「これ、精密検査の結果表、持ってきた」

 

仕事が早い。明日でも良かったけど、早いならそれはそれでありがたい。

 

「ありがとう。すぐに返すからソファで待っててくれ」

 

病院ロゴマークが印刷された封筒を受け取った。

PCでブラウザを立ち上げ、クラシック三冠レース出走登録ページにログインする。一時保管していた出走申請ページを呼び出し、続きから入力していく。

登録が求められていたのは、最大酸素摂取量(VO2Max)、骨組成、骨密度だった。過酷を極める本番レース中に失神、骨折などの事故を起こさないための事前審査に用いられるもののようだ。検査日時と共に数値を入力し、『申請』ボタンを押す。約1か月半の審査を経て、出走可能と認められるとメールで出走IDが送付されてくるはず。出走不可になるとも思えないけど、確証はない。トレーナーにできるのは、出走可能となることを信じてトレーニングを続けることだ。

 

「ありがとう。これでクラシック三冠レース出走申請完了だ。精密検査結果は返す。今日はもう帰って期末試験勉強しとけ」

 

アドマイヤベガは

 

「はい」

 

とだけ言うと、すぐに退室していった。

教え子の後ろ姿を見送り、ToDoリストからクラシック三冠レース出走申請を削除した。土日分の食事内容の栄養成分確認が残ってる。なんだか最近、料理を見ただけで即座にカロリーとPFC値が頭に浮かぶようになってきた気がする。最近は人工知能(AI)で食事のカロリーと栄養バランスを写真から解析する技術もあるらしいけど、天然知能(NI)とどっちが精度高いんだろう。そんなくだらない考えが頭をよぎる。管理栄養士の資格を取れるんじゃないか、と思ってweb検索をしてみると、思いのほか難しい内容だった。己の考えの甘さを恥じながら、業務の続きに戻った。

 

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