星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第四章第三節 "追跡"

 状況から見て、周囲に隠れて自主トレをしている可能性は濃厚で、放置すれば重大事故に繋がる。しかし、証拠もなく指導はできない。そんなことをすれば、信頼関係は修復不可能になる。このような場合、重要なのは事前準備と綿密なリサーチだ。

 重大事故が本当に起きてしまった際のための準備を進め、それと同時並行で自主トレ疑惑の裏取りを進めることにした。

 

 翌日のトレーニング終了後の体育科教員(トレーナー)棟。普段は立ち入らない4階の休憩エリアへと足を運んだ。ターフが見える位置だ。パソコンをテーブルの上で開き、業務をしているフリをしながらターフを確認する。教え子は、ターフに姿は見えない。プールかジムで自主トレをしているか、指示通り帰寮しているかのどちらかということになる。そのまま1時間ほどターフを見ながら19時まで業務を続けたけど、その日は収穫が無かった。

 さらにその翌日、念のためプールとジムの利用履歴を確認すると、教え子はジムで自主トレをしていた。しかし、利用時間は夕食前の1時間半。過剰な自主トレとは言えない。

 その後も何日間か自主トレの監視を続けたけど、プールかジムでの筋トレも、ターフでの走り込みも、常識的な範囲内だった。生徒寮の食堂が開く17時30時以降には、プールにも、ジムにも、ターフにも居る形跡がない。

 

 何も収穫が無いまま1週間が過ぎ、トレーニング量の偽造報告・過剰練習の疑惑は考えすぎだったのかも知れない、と考え始めたある日の夜のことだった。

 20時過ぎに退勤し、離れたところにあるスーパーマーケットで遅い買い物を済ませて教職員寮6階の自宅と歩みを進めている途中、廊下からふと道路の方を見た。視線の先では、ウマ娘らしき人物が一人、生徒寮の門の内側へ入っていく姿が見えた。遠いから、誰なのかは分からない。ジャージを着ているようには見えなかったから、練習後とも思えなかった。しかし、胸騒ぎがした。

 次の日の、早めに退勤した後の18時、学園と道路を挟んで反対側にある喫茶店に入った。窓際席を確保し、コーヒーと軽食を頼む。ガラス窓の反射越しに生徒寮の方を見ながらコーヒーを飲んでいると、一人の生徒が走り去るのが見えた。後ろで結んだ黒髪、長い耳、そして涼やかな顔立ち。間違いない。アドマイヤベガ(教え子)だ。私服姿で、大きなリュックを背負っている。

 思わず、舌打ちが出た。カレンチャンを伴っていないのに、夕方以降に外出していることが確認できてしまった。この外出が自主トレ目的で、トレーニングメニューは毎日同じで、さらに教職員寮から昨夜見かけた生徒がアドマイヤベガである、という3つの仮定が全て成立する場合、彼女が帰宅するのは21時前後。ウマ娘の脚なら、市街地であることを考慮しても行動半径は50km近い。ウマならざる身には追跡は不可能だし、タクシーなどで追跡すると今度は速過ぎて追い越してしまい、やはり追跡は困難。どうにかして、アドマイヤベガが夜間に3時間近く校外トレーニングしている証拠を掴みたい。この日の目的は達したから、会計を済ませ、退店した。軽食とコーヒーだけで今から21時まで居座ると、店に迷惑がかかる。

 

 翌日、カレンチャンにチャットで連絡を入れた。

 

『今日アドマイヤベガが夕方に外出したら、必ず教えて欲しい。』

 

 カレンチャンは、すぐに返事をくれた。

 

『いいですよ。分かりました!』

 

 その日の夕方のトレーニング終了後、いつものようにトレーナー室へと向かった。指導日誌作成、菊花賞に向けた指導計画立案、週報作成などを行い、休憩を取っていた18時17分。カレンチャンから、連絡が来た。

 

『いま先輩が出かけていきました。映画を見に行くそうです。私服姿だったので嘘ではないと思います』

 

 今はまだ証拠がないのも事実だ。こちらが強い疑念を抱いていることを伝えてしまえば、カレンチャン経由でそれがアドマイヤベガに伝わる可能性もある。礼だけ送信した。

 

『分かった。連絡ありがとう。』

 

 その後しばらく残業をし、20時。パソコンの電源を切って、退勤する。昨日と同じ喫茶店に赴き、コーヒーと夕食メニューを注文した。夕食をゆっくりと口に運び、食後のデザートも頼み、時間を稼ぎながら窓の外を睨み続ける。

 そして21時08分。一人の生徒が、生徒寮に向かって歩いて行く姿が見えた。後ろ姿でも、はっきりと分かる。あれは、間違いなくアドマイヤベガだ。

 会計を済ませ、街灯が照らす夜道を教職員寮へと歩く。教え子が夜に3時間近く外出していることは分かった。あとは、外出の内容という最後のピースを掴めば、過剰な自主練であるか否かがはっきりとする。

 


 

 翌日18時。学園前の歩道で、アドマイヤベガが通りかかるのを待つ。最後のピースだけは、本人に直接訊ねてしまおうと考えた。

 腕時計を睨みつづけること30分。晩夏の太陽が、西に残照を残して沈みゆくころ、一人の生徒――アドマイヤベガ――が、歩道を歩いてきた。

 

「よう。こんな時間からどこ行くんだ」

 

 声を掛けると、彼女は初めてこちらに気付いた。

 

「・・・トレーナー・・・何?」

「質問してるのはこっちだ」

「・・・映画を観に行くだけ」

 

 嘘だと思った。一瞬だけ、彼女の目が泳いだからだ。嘘をつくのであれば、外出の目的は、やはり自主トレ。その場合、リュックの中身は、恐らくはジャージと運動靴。行先は分からない。だから、一か八か、最悪の行先を想定することにした。

 

「そうか・・・ところで、ヘッドライトは無いのか。夜の高尾山は暗いぞ」

「ライトくらい持っ・・・」

 

 彼女は、しまった、という顔をしていた。

 最悪の予想が的中した。夜に高尾山でトレイルランをしているのか、こいつは。ライトを持っていても危険すぎる。去年の夏は自分が転落した。次に転落して負傷するのが、教え子ではないという保証はどこにもない。

 彼女の顔を、じっと見つめる。夜、街灯の下ということを差し引いても、疲労の色が濃いように見える。

 

「そうか、映画を観に行くのになんでライトなんか持ってるんだ」

「・・・トレーナーが退勤しているなら、業務時間外。この時間は自由時間だから、私が何をしようと勝手なはず」

「まだパソコンの電源切ってないからな。退勤じゃなくて休憩扱いだ。それに、自由時間であっても、競技と体調管理に関わるなら俺の責任下の話になる。君が今から自主トレーニングに行くことを知ってしまった以上、放置はできない。何度も言ってきたけど、君が負傷すれば、それは俺の懲戒処分に直結する。過剰な自主トレを知っていたなら尚更だ。当然、契約は強制解除で、君はレース参加権を――」

「今まで、似たような脅しを散々されたけど、もう騙されないから」

 

 完全に開き直った態度で、公然と反抗してくる。手に負えない。

 

「私の邪魔をしないで。トレーナーは『勝手に支える』『独りで練習して良い』って、言ってたでしょ」

 

 1年以上前の、契約時の言葉を持ち出された。『勝手に支える』、『一人で練習して良い』。どちらも、確かに自分の言葉だ。

 

「確かにそう言った。だけど、こっちの指導範囲から勝手に逸脱されると支えようがない」

「・・・別に私は指導してなんて言ってない。『独りで練習していい』って言ったんだから、私の脚を止めないで。私は、自分が向かうべきところに向かってるんだから!」

 

 眉を吊り上げ、ひたすらにこちらを拒絶する姿からは、完全に信頼を失っていることは明白。だけど、その態度の原因は、東京優駿の後で声を荒げてしまった自分であることも事実だ。

 

「確かに君の目標は大事だけど、君自身のことも大事にしないと、目標どころじゃなくなる」

「もう、ほっといて!」

 

 彼女は吐き捨てるように言い残し、そのまま走り去ってしまった。

 追いかけても追いつけるわけがない。しかし、なんとしてでも止めなければならない。府中から高尾山に向かうなら、恐らくは西王線。ウマ娘なら自分の脚で向かうこともできるけど、さすがに時間がかかりすぎる。

 まず、高尾山口駅に電話した。今から1時間以内にウマの少女が現れたら、姿の確認をし、可能なら制止してほしいと伝えた。続いて、高尾口駐在所にも同様の電話を掛けた。

 それが済んだら、トレーナー室へと戻った。・・・ここ2週間、去年自分が高尾山で転落したときのように、アドマイヤベガの方が高尾山で負傷するという最悪の可能性をずっと考えていた。その場合に備えて、応急処置キットと簡易ネックコルセットを、経費で揃えていた。校外や合宿で事故が起きた際の手当用という言い訳だったけど、まさか本当に使うかもしれない日が来るとは。正直、来てほしくなかった。全てリュックに詰め込む。

 業務用パソコンをスリープから復帰させ、体育科主任にアドマイヤベガ追跡の旨を報告した。時間がないから、既読も了承も待たない。電源は落とさず、再度スリープさせるだけ。

 

 続いて、教職員寮の自室に戻り、スーツを脱いだ。本格的な運動着ではないけど、動きやすい外出用の服とランニングシューズがあるから、それに着替える。

 部屋を出て、府中駅へと向かう。府中駅から高尾山口駅まで、人気の少ない電車で40分。ひたすらに長く感じた。

 高尾山口駅に着き、駅員にアドマイヤベガの顔写真を見せて訊ねると、確かに40分ほど前にジャージ姿で一人、山の方へと歩いて行ったという。ただ、強権はないので制止はしなかったとのことだった。ジャージ姿ということは、駅の更衣室で着替えたのだろう。礼を言って窓口を後にし、駅構内のコンビニでヘッドライトとトレイルマップを購入した。

 続いて、高尾口駐在所に赴いた。しかし、こちらでは見かけなかったと言われた。入山届も無いということだ。

 

 ヘッドライトを頭に取り付け、トレイルマップを開く。去年6月の追跡時の記憶では、北高尾アプローチトレイルから城山天狗トレイルを経由して小仏城山頂上で折り返して戻るルート。手がかりが無い以上、同じルートを辿ることにした。

 顔を上げる。目の前に佇む高尾山は、全てを飲み込むかのような暗闇に包まれていた。蛍光灯が照らす背後の風景とは、明らかに異質な景色。意を決して、北高尾アプローチトレイルへと歩を進めた。

 

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