星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

30 / 54
第四章第五節 "宇宙の晴れ上がり"

「高村さん!」

 

 名前を呼ぶ声に、思わず飛び起きた。周囲を見回すと、カーテンがかかっていた。天井に煌々と灯る蛍光灯が、容赦なく目を突き刺す。そして、薬品のような匂いが微かに漂っている。自分の体を見下ろすと、左腕にチューブが繋がれていた。目線でその先を辿ると、透明な液体が入ったバッグが、金属製のスタンドに吊るされていた。点滴されているらしい。

 状況に心当たりがなく、戸惑った。カーテンをそっと開け、周囲を伺う。自分の名前を呼んだはずの誰かの姿はどこにもなく、ベッドが並ぶ空間が広がっている。少し離れたところにあるドアは開け放たれ、その向こうに見える『スタッフステーション』という文字の下には、白衣を着た人が何人か居た。看護師のようだ。すると、ここは病院。状況を把握するため、声を掛けることにした。

 

「あの・・・」

 

 看護師たちは少し驚いたような顔をして、そのうちの1人がこちらに近づいてきた。

 

「目が覚めましたか」

「はい・・・あの、俺はなぜここに?」

 

 記憶が混乱していることは自覚しているけど、なぜ病院に居るかが分からない。

 

「ご自身のお名前、年齢、ご職業は分かりますか」

 

 こちらの質問は無視され、誰何の問いを投げられた。

 

「・・・高村啓一、24歳で、職業は中央トレセンのトレーナーです」

 

 目の前の看護師は安堵したような表情を浮かべた。

 

「問題なさそうですね・・・。高村さんは、脱水症状で救急救命センターに搬送されました。失神した生徒さんを担いだ状態で、高尾山の麓で倒れているところを発見されたそうです」

 

 その説明を聞いた瞬間、記憶が蘇った。確か、綾部を追跡して高尾山に入り、失神している彼女を麓まで運んだはず。思わず、大きな声が出た。

 

「あのっ!綾部・・・生徒は?!」

「お静かに。・・・生徒さんも、命に別状はありません。今は処置室に居ます。安心してください。高村さんは点滴が終わった後は、他に急患がなければそのまま朝まで経過観察です。朝になったら、先生から説明を受けてご帰宅頂いて結構です」

 

・・・どうやら、間に合ったらしい。安堵感が、体を満たしていく。

 

「分かりました・・・その、ありがとうございます」

「いえ、我々はこれが仕事ですので。では」

 

 全身が脱力し、ベッドへと勝手に体が沈んでいく。救助隊と合流できたのは、幻覚ではなかったらしい。朝になったら、綾部に何を言おう。命が助かったことを喜ぶべきか。それとも、指導からの逸脱の末にトラブルを起こしたことを叱責するか。・・・そして、自分にはどのような処分が下されるのか。今後のことを考えるうちに、いつのまにか意識を手放していた。そして次に気付いた時には、朝7時だった。

 


 

「脱水と、肉離れです。あと、擦過傷も」

 

 医師からは、簡潔な説明があった。確かに、両脚が筋肉痛のように激しく痛む。筋肉質の高校生を担いで何十分も下山を続ければ、この程度は仕方ない。むしろ軽傷で済んで良かった。

 

「脱水はもう治っていると思いますが、肉離れもあるので1週間程度は激しい運動は控えてください。しばらくは痛みがつづくと思います。・・・それにしても、人一人を抱えて何十分もよく歩けましたね」

「トレセンのトレーナーは、護身術と上級救命講習が必須です。多少は鍛えてますから」

「なるほど、それは知りませんでした。大変なお仕事ですね」

 

 医師は、微笑んでこちらを気遣ってくれた。彼に、教え子のことを訊ねることにした。

 

「それで、先生。僕が抱えていた子・・・生徒の状況は?」

「生徒さんは、私とは別の医師が対応しました。私は状況を知らないので、ナースにお訊き頂けますか」

「分かりました・・・先生、お世話になりました」

 

 帰り際、綾部と面会して状況を確認しようと思った。だけど、自分の体から強い汗の臭いが漂っていることに気付いた。汗臭いまま教え子の前に出たくはない。出直すことにした。

 受付で治療代金を払ってから自宅に戻り、脱いだ服を洗濯機に突っ込み、シャワーを浴びた。タンスから新しい服を取り出して着替え、再び病院へと戻る。正面玄関から院内に入り、面会受付に向かった。

 

「昨夜救急で搬送された高村です。私が背負っていた生徒・・・綾部明里というウマの子の面会に来たのですが」

 

 受付の事務員は、デスクのパソコンで情報を検索した後、申し訳なさそうな顔をしながら予想外の返答をしてきた。

 

「綾部明里さんは面会謝絶となっています。恐縮ながら、ご家族以外の方はご案内できません」

「・・・え?」

 

 昨夜の救急センターの看護師の説明では、命に別条はなかったはず。理由が分からない。

 

「その・・・面会謝絶の理由は」

「申し訳ありません。個人情報保護のため、理由も含めてお伝えできません」

「・・・そうですか」

 

 それ以上は何も言えず、ゆっくりと面会受付を後にした。受付ロビーの椅子に腰を掛け、綾部の面会謝絶の理由を考えてみるけど、手掛かりがない。精神的なダメージが大きいのか、それとも容体が急変したのか。スマートフォンで面会謝絶の理由について検索してみたけれど、出てくるのは当然ながら一般論で、確定的な情報は得られない。八方ふさがりだ。

 一度学園に戻り状況の報告をしようと考え、椅子を立ったその時。綾部の母親が、ロビーから病棟の方へと歩いて行くのが見えた。慌てて速足で追いかけ、声を掛けた。

 

「綾部さん」

 

 誰かに声を掛けられると予想していなかったのだろう。肩が小さく跳ね、一瞬の間の後にこちらへと振り返った。

 

「・・・高村トレーナー」

「あの、明里さんの容体は」

 

 その時の彼女の表情は、不安と、悲しみと、そして捨てきれない希望が混じったような、複雑なものだった。

 

「・・・高村トレーナーが、娘を助けて下さったと伺っています。ついてきていただけますか」

「・・・はい」

 

 彼女の後を、黙って歩いた。たどり着いたのは、5階の個室だった。個室の中には、綾部の父親も居た。そしてベッドには、昏睡状態の綾部明里の姿があった。

 


 

「私の指導力が不足していたばかりに、このような事態を招いてしまいました。申し訳ありません」

 

 深く頭を下げた。

 5階のデイルームで、これまでの経緯を説明した。綾部が、過剰な自主練をする傾向にあったこと。そして、指導力不足により、その自主練を制止しきれなかったこと。結果として、夜間のトレイルランという危険行動を許してしまったこと。そのすべてを話した。

 頭上から、罵倒が飛んできてもおかしくはないと思った。数秒の沈黙の後、父親のほうから声を掛けられた。

 

「・・・高村トレーナー、頭を上げてください」

「・・・いえ」

「いいから、頭を上げてください」

 

 ゆっくりと頭を上げた。綾部氏の目は、赤くなっていた。

 

「娘は・・・昔から自分を追い込み過ぎる子でした。トレーナーが悪いわけではありません。むしろ、ギリギリの所でトレーナーに助けて頂いて、命だけはどうにかなったのです。感謝しなければなりません」

 

 感謝されるに値するようなことは、していないのに。罵倒され、断罪されたほうが楽だった。耐えきれず、目を伏せてしまった。その時、母親のほうが口を開いた。

 

「私は、高村トレーナーが全力で娘を指導されていたことを知っています。左脚のことや、もう一人の娘のことを知ってなお、誠心誠意向き合ってもらったと認識しています。その高村トレーナーが、脱水と怪我まで負って命がけで娘を助けたのに、責めることなんて、私たちにはできません」

 

 最後の方は、涙声だった。自分に対する怒りもあるのかもしれないのに、それを微塵も見せずにこちらを気遣う言葉。どこまで人格のできた人たちなのだろう。もう一度、深く頭を下げた。

 

「本当に、申し訳ありません」

 

 そのまま、3人で数分間涙を流した。しばらくたって、母親の方から声を掛けられた。

 

「娘は、脳震盪で昏睡状態になっています。いつ目が覚めるのかは、お医者様にも分からないそうです。あの子が目覚めた時、独りにしたくはありません。息子もいるので、家を常に空けるわけにもいきません。高村トレーナーに、私たちと交代で、娘を見守って頂けませんか」

 

 担当トレーナーとはいえ、他人の自分がそのような役割を担っていいのか悩んだ。父親の方へと視線を向けると、彼も微かに頷いていた。

 

「私からもお願いします。親としては悔しいのですが・・・娘にとって、今最も信頼できる相手が、高村トレーナーでしょうから」

 

 両親からの信頼の末に頼まれている以上、断ることはできない。了承する他なかった。業務や家事の調整がついてから改めてスケジュールをすり合わせるということで話はまとまり、業務の調整のために学園へと一度戻った。

 体育科主任には、少し怒られた。

 

「無茶をするな。二人揃って死ぬかも知れなかったんだぞ」

「はい・・・すみません」

「生徒に対する責任感が強いのは結構だけどな、全てを自分でやろうとするな。状況が危険なら、複数の教員で分担して捜索したり、若いウマ教員を向かわせることだってできたんだ。結果として高村は軽傷で済んだから良かったけど、もしお前まで大けがをしてたら、事態はもっとひどいことになっていたんだぞ。去年の選抜レースの時もそうだけど、お前は周囲をもっと頼るべきだ」

 

 その通りだとは、確かに思う。でも、もしあの時他のトレーナー達が集まることを待っていたら、間に合わなかったかもしれない。自分が無傷であっても、もし綾部が手遅れになっていたら。想像するだけで、恐怖に身が震える。しかし、自分も救急に担ぎ込まれて心配をかけたのも事実だ。どうするのが正解だったのかは、分からない。

 

 病室で、昏睡状態が続く綾部を見る。一度退勤し、業務用パソコンだけを学外に持ち出してリモートワークでの勤務を続けつつ、病室での見守りをしている。高尾山での救助劇から3日が経ち、未だ覚醒の兆しはない。

自分の指導は、どこから間違っていたのか。この事態を避けられる最後の分岐点は、どこだったか。そもそも、契約自体が間違っていたのではないか。思考が、過去ばかり向いてしまう。今後のことを考えようにも、その『今後』が来るのかどうかすら、分からない。気を抜くと、文字通り頭を抱えてしまいそうになる。その時――

 

「う・・・」

 

 最初は、聞き間違いかと思った。しかし、再び同じ声が、綾部の口から漏れた。

 今まで呼びかけに何の反応もなかった綾部が、うなされているように顔を歪めながら、微かな声を出している。覚醒するかもしれないと思い、声を掛けた。

 

「綾部?」

 

 数秒後、彼女の目が、ゆっくりと開いた。思わず椅子を立ち上がり、ベッドに駆け寄った。

 

「綾部、分かるか?」

 

 その時、綾部の目から大きな涙が一筋、すっと流れた。彼女の目が、こちらを捉える。

 

「明海・・・」

 

 明確な言葉を発した。慌てて、枕もとのナースコールを押した。

 

「今、看護師呼んだから」

 

 次の瞬間、彼女はゆっくりと周囲を見回した。自分の状況を認識できていない様子だ。

 

「ここは病院だ。分かるか?」

 

 その声に反応し、顔だけがこちらを向いた。

 

「私・・・あの子にも見放されて・・・」

 

 両目には次々と涙が浮かび、それを拭うこともしない。落ちた涙が、枕にしみ込んでいく。そして彼女は、ナースコールを掴んだこちらの腕に縋り付くようにして泣き始めた。細い指のどこから、これほどの力が出ているのか分からないほど強い力で握りしめられた。

 次の瞬間、廊下から大きな足音が響いてきた。看護師だろう。自分の状況を客観的に見て、少しまずいと思った。両親から許可を得ているとは言え、見守りをしている男性の腕に女子高生が縋り付いて泣いているという状況を、他者がどう見るか。

 

「綾部、腕離してくれるか」

 

 泣き続ける彼女の耳に、言葉は届かない。少し無理にでも引き剥がそうとしたが――

 

「えっ、ちょっ・・・力強い・・・」

 

 彼女の指の間に、こちらの指を差し込んで引き剥がそうとしてもびくともしない。生物学的な身体能力の格差を、嫌でも実感させられる。

 

「なあ、離してくれ。看護師が来るって」

 

 その瞬間、個室のドアが大きな音を立てて開いた。看護師が1名、そこにいた。全力で走って来たであろう彼女は、肩で息をしながら数秒間こちらの様子を確認したのち、硬い声で言った。

 

「お邪魔でしたか?」

 

 妙な誤解をされないよう、看護師にお願いをした。

 

「・・・引き剥がしてもらえます?力、強くて」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。