星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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競走馬アドマイヤベガ号の死因となった胃破裂を盛り込んだ展開です。


第四章第七節 "別れの儀式"

 意識を取り戻した翌日。回復状況を確認するため、全身のレントゲン撮影と、MRI検査を受けた。所要時間は、合わせて2時間ほど。その後の診察室での説明では、骨折などはなく、脳にも異常なしとのことだった。ただし、一点気になるところがあると、重苦しい口調で伝えられた。

 

明里(あかり)さんの腹部・・・具体的には肝臓と胃の間に、腫瘍のようなものがあります」

 

 腫瘍と聞いて、少し怖かった。もしも腫瘍が癌なら、転移して、全身を蝕まれてじわじわと衰弱していくはず。走ることはおろか、普通の生活すら少しずつ出来なくなっていくのでは。

 

「このサイズだと、何らかの自覚症状があるはずです。例えば、体調不良があったり、体の一部が激しく痛んだり、激しく運動したときにお腹が痛くなるとか。心当たりはありませんか」

 

 ここ1年の記憶を探ってみる。そういえば、いくつか思い当たる節があった。

 

「左脚が・・・今年に入ってから痛みだすようになりました。あと。食欲がなくなったり、走るとたまに右わき腹が痛くなったりも・・・」

 

 医師は、微かに頷き、やはりという顔をした。

 

「左脚の痛みは、腫瘍が神経を刺激したことによる放散痛でしょうね。食欲不振も、腫瘍が胃か神経を圧迫して消化機能が低下したことが原因の可能性があります。右わき腹の痛みは、肝臓が腫瘍に押されて横隔膜を引っ張ったことが原因かもしれません。・・・そういった不調は、常にありましたか?それとも、断続的に?」

「・・・断続的です」

「・・・なるほど・・・腫瘍が多少は動くのかも知れませんね・・・」

 

 医師は、唸りながらパソコンで検査結果の画像を確認し始めた。

 自分の左脚を見下ろす。前に病院に行ったときは左脚だけを診てもらったから、原因が分からないのも当然だ。原因は、お腹にあったのだから。やっぱり、天罰は当たるのかもしれない。発見が遅れた癌が全身に転移していくのが先なのか、菊花賞で走るのが先なのか。・・・でも、こんな形で天罰が下るとは、想像もしていなかった。

 

「あの・・・娘は、癌なのでしょうか」

 

 お母さんが、震える声で訊ねた。

 

「レントゲンで見る限り転移はまだしていないので、少なくとも悪性である確証はありません。組織の病理検査をして、初めて癌かそうではないかが確定します。患者さんの年齢によっては針で一部のみ摘出して、良性であれば手術しないこともあります。しかし明里さんはお若いので、すぐにでも全摘出することをお勧めします。転移してからでは、遅い」

「分かりました・・・すぐに主人と相談します」

 

 お父さんとの相談の結果、手術が決まった。手術予定日は、5日後の週明け。

 様々な手術前検査を受け、5日はあっという間に過ぎた。そして手術当日、朝から食事はとれず、9時過ぎには水も飲めなくなった。お昼過ぎには手術衣に着替えさせられ、左腕に点滴の管を付けられた。14時に看護師さんに呼び出され、両親の付き添いの元、自分の脚で長い廊下を手術室まで歩いた。ストレッチャーで運ばれるイメージがあったけど、違うらしい。『中央手術室』と書かれた表示板の下、両開きのドアが開いた。両親の付き添いは、ここまでだ。入室すると名前の確認のあと、同姓同名の人物との取り違え防止のための本人確認、手術内容確認、そして最終同意確認。手渡されたキャップを頭にかぶり、手術台の上で横になった。酸素マスク、心電図モニター、血圧計、酸素濃度計が、体のあちこちに取り付けられていく。

 

「では麻酔を投与しますね。深呼吸してください」

 

 そこから先は、記憶がない。目が覚めると、病室に居た。手術は成功したと、母から告げられた。1週間経って退院の許可が下り、実家に戻った。

 

 競技活動停止処分を受け、何もすることがなくなってしまった。トレーナーの指導を受けることが出来ず、夏休みだから授業もなく・・・まるで私は、惑星みたいだ。それも、周るべき主星を持たない自由浮遊惑星だ。目標を失い、何をすれば良いのかさっぱり分からない。競技活動停止処分が明けて、トレーニングを再開しても、恐らく練習不足で菊花賞には勝てないだろう。・・・でも、それでも人生は続いていく。だから、退院から1か月が経って経過観察が終わり、運動禁止令も解けた頃、自分探しの旅に出ることにした。空っぽになった私が菊花賞の後もターフを走る目的と、その先の人生の目標が欲しかった。両親には反対されたけど、定期的に連絡するという条件付きで、1か月間あちこちを周ることを許された。

 

 思えば、生まれて16年と半年、実家のある東京と、お母さんの故郷の京都以外に行ったことが無い。いい機会だから、海外に行くことにした。まず最初にカナダへと飛んで、ホワイトホースに5泊した。1日目はオーロラは見えず、2日目はたなびく煙のように儚いオーロラを見た。目で見ると灰色だったけど、写真に撮ると綺麗な緑色になって歓声を上げてしまった。3日目はまた見れなくて、4日目は肉眼でも緑色に見える大規模なオーロラを見た。極北の空に、太陽風と大気が織りなす光の帳は、ただひたすらに美しかった。最後の5日目は、曇りだった。

 ホワイトホースを飛行機で後にし、エドモントンで飛行機を乗り継いでアメリカのシアトルに行った。エドモントンで出国審査が無いことに戸惑ったけど、カナダはそういう国らしい。

 シアトルでは、有名なコーヒーチェーン店の初号店や、飛行機工場の見学をした。地震が無い国だけあって、高速道路の脚や、建物の基部が華奢な設計になっていたのが記憶に残った。そして、鉄道でアメリカ西海岸をひたすら南へ。途中の街で宿泊しながら、ラスベガスに向かった。手ごたえのない乾燥した空気の中、荒涼とした砂漠に向かって己の繁栄を声高に誇る享楽の街は煌びやかで、どこか歌劇王(オペラオー)にも似ていた。

 

 もう少しアメリカを観光したい気もしたけど、アメリカは広いからきりがない。ロサンゼルスへと向かい、飛行機でペルーに飛んだ。自分がどのタイムゾーンに居るのか、今食べている機内食が朝食なのか昼食なのか夕食なのかも判然としないフライトを経て、ペルーの首都リマへ。空港内の観光雑誌を読んでいると、南米大陸の南端から南極まで定期クルーズ船が出ていると書いてあった。世界の南の最果て、南極に行こうと思い、南下を続けることにした。

 空港内で、日本人の大学生グループに出会った。彼らはマチュピチュ観光を終えてボリビアに行くとのことなので、ご一緒させてもらうことにした。ペルー南東部の小都市へと飛行機で飛び、そこからは陸路だった。大きな湖を横目にバスで陸上国境を越える頃、息苦しさと気怠さを感じた。大学生によると、この辺りは富士山より高い地域で、高山病になりやすいのだと言う。重い身体を引きずり、ボリビアの首都ラパスに着いた。すり鉢状の地形の底にある都心部に着くと、いくらか酸素が濃いらしく、体調も少しはマシになった。

 

 翌日の夜行バスに乗り、夜が明ける頃、ボリビアのとある村までたどり着いた。乾燥した希薄な空気が土埃を舞い上げ、赤茶色のレンガ造りの建物が並ぶ村だ。ここが大学生グループの目的地らしく、聞けば、世界で唯一の景色があるという。どんな景色なのか気になり、私もついていくことにした。ホテルにも空き部屋があるとのことだったので、同じところに泊まらせてもらうことにした。そして、大学生グループに連れられるがまま大柄な車に乗って辿り着いた景色に、目を奪われた。一面の真っ白な塩の大地に、薄く水が張り、青空を反射している。まるで、空を飛んでいるかのような感覚に陥った。この景色――天空の鏡――は、確かに世界でここでしか見れないだろう。

 ホテルは、塩の大地の中に建っていた。荷物を部屋に置いたあと、塩の大地を歩いた。六角形状に盛り上がったひび割れの縁が、足裏に地面の存在を主張してくる。乾いた風が吹くたびに水面がさざめき、風が凪ぐと上下対象の世界が姿を現す。音もなく、匂いもなく、ただ視覚情報だけが圧倒する空間。時間が経つのを忘れ、写真を撮るのを忘れ、息をするのも忘れた。

 

 大学生たちに名前を呼ばれ、我に返った。トリック写真を撮るらしい。あまりそういうのは得意ではないけれど、地球の裏側で出会った同胞だから、協力することにした。組体操をしたり、遠近法を利用した写真を撮ったりと、SNS映えするような写真をたくさん撮った。帰国したら、カレンさんに自慢しよう。

 部屋に戻りベッドに横になっていると、太陽が次第に地平線へと沈み行き、暮れなずむ空が見えた。そして夜になると、瞬きもしない星空が、頭上と、眼下に現れた。

 夕食の後、一人で部屋を出て、塩の大地の上に立った。頭上には、遮るものが何もない360度全方位の星空。足元には、水面に反射する星空。私が一歩踏み出すたびに生まれる薄い波が、足元の星空を瞬かせていく。宇宙空間に立っているみたいだ。頭上を見上げると、南十字星、コールサック、ケンタウルス座、ニセ十字、ダイヤモンドクロス、大マゼラン雲、小マゼラン雲、エータカリーナ星雲・・・南半球でしか見られない、憧れの天体が頭上いっぱいに広がっていた。夢中になって星空を見ている時、後ろから足音が聞こえてきた。

 

「お姉ちゃん」

 

 同じ部屋に泊まっていた妹だった。寝ていたから気を遣って起こさなかったけど、双子の姉妹だけあって、考えることは同じらしい。

 

「綺麗だね」

 

 妹と、この絶景を共有できていることが、たまらなく嬉しかった。こんなに幸せなことはないと思った。

 

「うん、綺麗だね――ところで、お姉ちゃん」

「なに?」

「手術受けて、どう?脚の痛みとか、食欲不振とか、治った?」

 

 明海(あけみ)に問われて、自分の体に注意を向ける。手術を受けて以来、左脚の痛みは完全に消え、食欲が急に失せることも無くなった。全力疾走は止められていたけど、飛行機の乗り継ぎで軽く走った時に痛む事は無かった。

 

「うん、全部治ったみたい」

 

 妹は、にっこりと微笑んだ。

 

「そっか、良かった!」

 

 それからしばらくは、星空を一緒に眺めた。時折流れ星が流れるたびに歓声を上げた。一しきり星座を数え終わった後、明海が口を開いた。

 

「この間、これからのお姉ちゃんを導くのは私じゃないって伝えたよね」

 

 確かに、そんなことを言われた気がする。でも、急にどうしてそんなことを言い出したのかが不思議だった。

 

「実は、まだ私にも役目が1つ残ってるんだ――『運命』を、持っていかないと」

「運命?」

「そう、運命。私の魂と、お姉ちゃんの魂は、2つで1つ。だから、そこに刻まれている運命も同じ。ちょうどこの、反射した星空みたいに」

「・・・」

「だけど、これから先は、もう違う。私が運命を持っていくから、お姉ちゃんに悲劇が降りかかることもない」

 

 明海は、あっけらかんと言い放つ。その言葉の重みを感じさせない、明るい口調。

 

「でも、それだと・・・あなたが・・・」

「私は良いの。競技も、高校生活も、十分楽しんだから。だから、これはお礼」

「・・・もう、行くの?」

「そろそろ時間だから。ありがとう、またね・・・私の大好きなお姉ちゃん」

 

 その言葉を最後に、妹の気配は消えた。

 しばらく動けずにいた。そして、現実を受け入れるのと同時に、両目から涙が溢れ出した。頬から落ちた涙が、足元の水面をさざめかせ、星空をかき消していく。ずっとこの宇宙に妹と居たかったのに、他には何もいらないのに、それが叶わない。仕方のないことだと自分を納得させても涙が止まらず、誰も居ない広い塩湖の上で泣き続け――気付くと、朝になっていた。

 

 南極に行くのは止めた。大学生たちは妹が居なくなっていることに驚き、心配してくれていたけど、気にする事は無いと伝えた。その日の夜に村を出る夜行バスに乗って、翌朝には首都ラパスに着いた。都心部から都市交通ロープウェイとバスを乗り継いで郊外の空港に向かい、アメリカで飛行機を2回乗り継いで、日本に帰国した。

 

 トレセン学園の生徒寮に戻り、翌日からの準備を済ませて就寝した。翌朝目覚めると、病室のベッドの上だった。

 


 

 また何か事故に遭ってしまったらしい。トレセンの寮で就寝したあとの記憶が全く無い。長い海外旅行の疲れが出て、トレーニング中に倒れてしまったのかもしれない。両親が反対していたのは、こういったことを心配してのことだったんだ。

 ベッド脇にいる両親に謝った。そして、駆け付けてきた看護師さんに、帰国後何が起きたのかを訊ねた。すると彼女は不思議そうな顔をした後、合点がいったという顔をした。

 

「多分、術後譫妄(せんもう)ですね」

 

 全身麻酔の影響で、現実としか思えない疑似記憶が発生することがあるのだという。北米と南米を旅行した記憶は鮮明で、夢とは思えない。カナダで見たオーロラの動きも、アメリカの空港の消毒剤の匂いも、南米の高地で高山病になった時の体の重さも、明海の声も、機内食の味も、克明に思い出せる。それなのに、この記憶は偽物らしい。時計を見せてもらうと、腫瘍摘出手術から1日しか経っていなかった。昨日の夜遅くに手術が終わり、病室に戻ってそのまま朝を迎えたと聞かされた。スマートフォンを見ても、旅行中の写真は一枚もなく、日付は手術日の翌日だった。記憶との食い違いに、ただ混乱するしかなかった。

 数日後、医師から診察室に呼び出された。

 

「摘出した腫瘍を調べたのですが・・・これは、腫瘍ではありませんでした。50万出生につき1回しかない極めて稀な症例です。医学用語でFiF、日本語では『封入胎児』と言いまして、母体の胎内で双子の片方がもう片方の体内に吸収されて、そのまま成長してしまったものです。内部には、成長した背骨の一部と、歯がありました」

 

 最初は、意味が分からなかった。私の体内に、胎児?身に覚えがない。混乱する私の横で、お父さんが医師に訊ねた。

 

「つまり・・・腫瘍ではなくて、明海・・・明里の、双子の妹ということですか?」

「・・・はい。その通りです」

 

 そのやり取りを聞いて、ようやく理解した。私の体内にあったのは、生まれてくることが無かった双子の妹、明海だった。明海は、消えたのではなく、ずっと私のそばに居てくれていた。生まれた時から、ずっと。

 

――そっか・・・ずっと一緒に、居てくれたんだね。

 

 幻覚でも、妄想でも、イマジナリーフレンドでも、何でもない。幼いころから近くに感じていた『誰か』は、本当に妹だった。・・・でも、腫瘍でないのなら、摘出しなくても良かったのではと思った。疑問は、説明を聞いている中で解消された。

 

「もし仮に摘出しなかった場合、明里さんの成長とともにFiFも成長して、運動機能に影響が出たり、放散痛や体調不良が悪化していたはずです。場所が肝臓と胃の間ですから、最悪の場合、将来的に肝臓や胃が破裂する恐れもありました」

 

 明海が言っていた『運命』というのは、私の体内の明海が成長することで、私の身体を傷つけてしまうことだったのかもしれない。

 

「大変貴重な症例なので、医学の発展のために、学会で発表させて頂けないでしょうか。プライバシーにはもちろん配慮し、個人の特定はできない形といたしますので」

 

 私は、学会発表されても良いと思った。明海が、確かに私のそばにいてくれたことの証明になるから。お父さんを見ると、少し固まっていた。そして数秒の沈黙ののちに答えた。

 

「・・・お願いします。娘がこの世に存在した証を、残してあげたい」

 

 医師は、感謝の言葉とともに本人・保護者同意書類を手渡してきた。

 その日の午後、高村トレーナーが病室を訪ねてきた。6週間ぶりに見る気がするけど、実際は1週間だ。彼に懲戒処分が下ると聞いて契約解除を覚悟した。だけど軽い処分で済んだらしく、契約は継続となった。そして私は、2週間の競技活動停止と反省文。当然だ。いろんな人に、迷惑をかけたのだから。

 

 手術から一週間経って、退院の許可が下りた。ただ、退院後3週間は激しい運動は禁止とのことだった。開腹手術だから、仕方がない。荷物を家に置いてから病院に戻り、棺桶に入った明海を受け取った。両手に収まる、軽くて小さな棺桶。そのまま斎場に直行して、火葬をした。左右隣の火葬炉では遺影を掲げていたけど、明海の遺影は無かった。2階の控室で待つ間、誰も口を開かなかった。

 火葬は40分で終わった。医者の言う通り、残った遺骨は背骨と、小さな歯だけ。だけど確かに、明海はこの世に存在した。存在することを、許されていた。

 火葬の3日後、東京都小平市にある霊園へと納骨に訪れた。霊園入口から、徒歩20分。『綾部家之墓』と書かれた墓石の傍らにある花立てには、真新しい菊の花が添えられていた。

 

「・・・誰が?」

 

 私が首をかしげる横で、お母さんは、微笑んでいた。そして、独り言のようにつぶやいた。

 

「あの人らしい」

 

 心当たりがあるのか尋ねてみたけど、お母さんは微笑むばかりで、教えてくれなかった。

 諦めて、お墓を見る。このお墓が示す明海の存在は、墓誌に刻まれていた名前だけだった。だけどこの日、墓石の下の納骨スペースに骨壺が納められた。納骨が終わったあと、墓石の前でお坊さんのお経を聞き、手を合わせた。そして帰り際、お父さんとお母さんと3人で、少しだけ泣いた。その横で一人、明海をほとんど知らない弟だけが不思議そうな顔をしていた。そして霊園を出る頃には、4人とも少しだけ笑っていた。久しぶりに、家族で手を繋いで駅まで歩いた。

 




用語解説
封入胎児
別名は胎児内胎児。医学用語では"Fetus in Fetu"の頭文字から"FiF"とも呼ばれる。母体の胎内で双生児の片方がもう片方の体内に取り込まれた状態で成長したもの。発生確率は50万出生につき1度程度で、世界的にも珍しい。封入箇所は一定せず、アドマイヤベガ/綾部明里のように腹腔内のこともあれば、筋肉部、脳内などの例もある。※実在の症例です
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