慣れないことをするものではない。自分の実家の方の墓もそうだけど、霊園は広大だ。電話で聞かされた区・側・番を頼りに、霊園の中を歩き回るのは、肉離れの体には辛かった。綾部の母の招待に応じて、素直に納骨の儀に参列すれば良かったのかもしれない。しかし家族でもない人間が一人だけ参列しても、邪魔者になるだけだろう。
筋肉痛とも肉離れともつかない脚の痛みをなだめつつ、今後の予定を確認する。綾部は2週間の競技活動停止処分に加えて、病院からの術後1か月間の運動禁止令。夏休み終わりまでは、競技指導は全てキャンセルだ。暇な日々が続くことになる。
定時出勤定時退勤というトレーナーらしからぬ日々が続き、9月下旬。夏休み最終週の月曜日の昼過ぎになり、綾部がご両親に連れられて学園に戻って来た。寮にそのまま戻れば良いのに、ご両親は挨拶をしたいからと、わざわざ菓子折りを持って
「それでは、夏休み明けからまたよろしくお願いいたします。高村トレーナー」
「こちらこそ、二度と娘さんを危険な目に遭わせないよう、細心の注意を払って指導します」
頭を下げ合い、両親は帰宅していった。トレーナー室に残された綾部がこちらを見て、深く頭を下げてきた。
「・・・迷惑をかけて、ごめんなさい。また、指導をお願いします」
「謝罪はもう良いって言ったろ・・・運動禁止中の身なんだから寮に帰れ」
「・・・はい」
退院しても、綾部は存在感が希薄なままだった。妹の遺骨を得て、火葬と納骨という『別れの儀式』を経ても、すぐにサバイバーズギルトが治るわけではない。渡辺スクールカウンセラーからは、『数週間から数か月をかけて精神状況は改善していく』という予想を伝えられている。プロが言うのであれば、そうなのだろう。そして、あくまでも競技指導者に過ぎない自分は、過剰な関与はできないし、しない。担当生徒が命の危機に瀕し、自分自身も救命センターに担ぎ込まれるというトラブルを起こしたばかりだ。今までよりも、個人指導契約相手との間の適切な距離感を意識して向き合う必要がある。綾部の精神問題は、スクールカウンセラーと、そして友人たちに任せるべきだ。
綾部が、ゆっくりとした足取りでトレーナー室を出ていく。その時――
「ハーハッハ、アヤベさん!退院おめでとう!」
耳をつんざくような大声と共に、茶髪の生徒が現れた。初対面時のカレンチャンより大きな声。はっきり言ってうるさい。誰かと思ったら、
「招待状を持ってきたよ!」
「・・・急に、なに?」
「アヤベさんのトレーナーも一緒だよ!何しろ、引率者が必要だと寮長に言われているからね!」
引率者というのは、疑問に思うまでもなく自分のことだろう。察するに、校外に行くらしい。しかし単に外出するだけで引率者が必要なわけがない。
「どこ行く気だ?」
歌劇少女は、当然のような顔をして大げさな身振りで目的地を伝えてきた。
「それはもちろん、夏合宿の舞台、
イタリア語と思しき単語を連発していて意味の解釈に困ったけれど、どうやら伊豆半島の下田市にトレセンが所有している合宿所に行こうとしているらしい。退院祝いの場としては遠すぎるし、大げさだ。それに、綾部は病院からの運動禁止令があと1週間残っている。中高生、それもウマが砂浜なんか見たら走り出すに決まっている。綾部がそれにつられて走り出さないとも限らない。転倒したら最悪はセカンドインパクト症候群を起こす。
「却下だ。だいたい今から行ったら着くのは夜になる」
「だから引率者が必要なのです!なぜなら我々は未だパトロンの庇護を必要とする齢なのだから!」
「行くにしても合宿所はダメだ。あそこに宿泊するには前日までの申請が必要だから今日はもう泊まれない。野宿はごめんだ。せめてロッジ着きキャンプ場とかにしてくれ」
キャンプ場の予約なんて全寮制女子中高一貫校の箱入り娘には無理だろう。そもそもどこにキャンプ場があって、どうやって予約するかを調べるだけで四苦八苦のはず。府中から行ける範囲で、ロッジに当日空室があるキャンプ場となると、探すのに数時間はかかる。その間にこちらの退勤時間が来るから、さっさと帰ってしまおう。
「・・・なるほど!ではしばしの幕間と致しましょう!お二人におかれてはご歓談頂きたい!」
「茨城の花立市にある天文台付きキャンプ場のロッジを抑えました!ここから車で2時間半の
引率申請書を書いているときに、体育科主任には同情された。
「大変だね、振り回されて」
「・・・同情するなら主任も来てください」
「ダメ、忙しいから。事故とか変なトラブル起こさないでね」
綾部とテイエムオペラオーの他に誰が来るのかと思っていたら、ナリタトップロードと、『メイショウドトウ』を名乗る生徒の合計4人が来ていた。
「あはは・・・急にすみません、高村トレーナー」
ナリタトップロードが、眉尻を下げて謝って来る。相変わらずの模範的態度だ。メイショウドトウは、気弱そうな口調で釈明をしてきた。
「実は私たちも急にオペラオーさんから招待状をもらいまして・・・アヤベさんも来るからと・・・」
歌劇少女らしい、自分が世界の中心だと思っているような行動。そして他者も、なぜかそれに逆らえない。
「大変だな・・・君たちも」
一度寮に戻り、一泊分の荷物を準備した。そして借りた学園公用車の後ろにバッグを放り込む。急な話だから普通自動車しか残っていなかった。校舎ロビーで待つこと30分、ようやく4人が来た。開腹手術後の綾部は別として、3人の荷物は自分でトランクに入れさせた。身体能力が高いのだからそれで良い。
綾部が学園に戻って来てから2時間、ようやく出発の準備ができた。車のエンジンをかけ、カーナビに目的地を入力していく。
「下田と同じくらい遠いじゃねえか」
カーナビの地図を見て驚愕した。同じ関東の茨城県だから、下田よりは近いと思っていたけれど、府中からはほぼ等距離。気付かないうちにテイエムオペラオーのペースに巻き込まれていた。混雑していて時間が読めない都心部を避け、東京外環自動車道経由で埼玉を通り、三郷からは常磐自動車道で水戸まで行き、そこからは下道というルート。カーナビの経路を見るだけでうんざりする。それも、箸が転んでもおかしい年頃の奴を4人も連れて。
キャンプ場の予約をしてから数時間が経過し、こちらの準備も済んでしまっている。もうキャンセルはできない。全てを諦め、出発することにした。4人、特に綾部がシートベルトを着用していることを確認してから、車を発進させた。
出発から1時間。大泉ジャンクションからようやく東京外環自動車道に入った。気の張る下道を抜けて余裕が出たので、念のためテイエムオペラオーに訊ねた。
「ちゃんと二棟予約したんだろうな」
「なぜですか?」
「女子生徒と男性トレーナーが同じロッジに泊まったら問題だろうが」
「おお、それもそうだ!今から予約するから待っててください!」
テイエムオペラオーは、車内で電話をかけ始め、無事にロッジを追加予約した。確認しておいてよかった。キャンプ場に着いてから一棟しか予約していないことが発覚していたら、ドライバーの自分だけテント泊か車中泊になるところだった。帰りに事故を起こすかもしれない。
「いやーハイランド氏はぬかりがない!」
「ハイランド?」
「高村トレーナーのことですよ!」
少しだけ考えて、理解した。『
「・・・ハイランドは『
バックミラー越しにテイエムオペラオーを見ると、彼女は笑顔で車窓を眺め出し、こちらを無視して女子高生らしい雑談を始めた。ラジオのようにそれを聞き流していると、テイエムオペラオーとメイショウドトウは中等部生徒だという情報が飛び出してきた。ということは、テイエムオペラオーは先輩2人に対して対等に接していることになる。徹頭徹尾、キャラクターづくりと演出が完璧だ。
かしましい女子トークを聞いていると、人間関係模様が少しは見えてくる。ナリタトップロードはやはり模範的優等生、テイエムオペラオーは最低限の礼儀と気遣いを持ちつつも自分が主役である意識を隠さない。メイショウドトウは謙虚というより気弱で、周囲の人間にやや過剰な敬意を払っている。そして三人とも、綾部のことを本名で『
途中何度かサービスエリアで休憩し、3時間のドライブでようやくキャンプ場に辿り着いた。時刻は18時直前。チェックイン時間ギリギリだった。
「全員俺の
テイエムオペラオーが、顔面に『なぜだい?』という疑問を浮かべて問うてくる。
「高村トレーナーだけで行かなくても、全員で一人ひとり書けば良いのでは?」
「お前ら全員有名人なんだから色々面倒だろ・・・俺が一括でやった方が楽なの」
テイエムオペラオーは表情だけで『なるほど!』と伝えてきた。声を出さなくても表情そのものがうるさい。Membersのグループチャットに4人の本名と現住所、電話番号が送られてきたのを確認してから車を降り、管理棟の宿泊記帳にそれを全て書き写していく。
ロッジに4人を送り込み、自分も隣のロッジに荷物を置いた後、自分だけでスーパーまで夕食と朝食の買い出しに行くことにした。
『今から夕食と朝食の買い出しに行くから、何か欲しいものがあればここに書いておいてくれ』
4人からは、好き勝手な内容のリクエストが飛んできた。ビデオ通話で棚を見せろだの、豚キムチを買えだの、夜の女子会用のお菓子が欲しいだの、朝食用にサンドイッチの材料とローズティーが欲しいだの。仕方がない。これも引率教員の務めだ。
キャンプ場に戻ると、4人は天文台の方で天体観測をしていた。自分の買い出し品だけ運んだあと、4人に残りを運ばせた。
ロッジに入り、ようやく一息つく。一人で定員6人のロッジを独占するというのも、なかなかに悪くない。木造り、ロフト付の2階建て構造で、1階にはテレビとこたつを備えたリビングと、冷蔵庫と電子レンジ付のキッチンがあり、風呂トイレも完備している。一人で宿泊するにはもったいない。ビールを飲みながら一人バーベキューでもしたいところだけど、明日のドライブに響くのは避けたいから買ってきていない。料理酒は買ってきたから、スーパーで買い込んだ厚切りステーキをフランベし、サーモンソテーもフランベし、冷凍ピザを焼き、最後にペスカトーレを作った。食欲が赴くままのメニューだ。別棟を予約させておいて良かった。こんなのをあいつらに見つかったら、絶対に食われる。あいつらはあいつらで大盛りのハヤシライスを作るらしい。食事に関しては相互不可侵で行きたい。
さんざん暴食した後の、夜11時。ロッジのバルコニーに出ると、秋に変わり行く星空が見えた。北の空には、カシオペア座。東の空には、土星と木星。西の空には、沈みゆく
目が覚めると、朝7時。太陽も上りきっている。シャワーを浴び、スーツに着替えた。
チェックアウトは、3時間後の10時。どうせ4人は天体観測で明け方まで起きていただろうから、テレビを見つつのんびり朝食を作り、食べ、片付け、荷物をまとめることにした。ローカルテレビ局が放送する地元のニュースやバラエティというのは、旅行者としては結構面白いものでもある。
9時半になり、チェックアウトの準備ができたという連絡がMembersに来た。ロッジを出て、荷物を車のトランクに放り込み、鍵を管理棟に返却した。
帰りの車内では、案の定全員が寝ていた。居眠り防止のガムを噛みながら、関東平野をひたすら南下していく。そして東京外環自動車道に入ったころ、助手席の綾部が目を覚ました。時刻は、昼11時。スモークがかかっていない助手席の窓から入り込む日光に、綾部が目を細めているのが横目に見えた。
「・・・高村トレーナー」
「・・・何」
「楽しかった・・・こうやって、友達と泊まることが・・・。それに、走ることも」
それを聞いて、心配になった。運動禁止令を破ったのだろうか。
「昨日走ったのか?」
「そういう意味じゃない・・・。今までのレースやトレーニングのこと。そして・・・走る意味も、目的も、全部失ったのに、やっぱり私は、まだ走りたいって、そう思う」
「そうか。なら走れ」
「だけど・・・自分のために走ったら、あの子を・・・」
そこまで言われて、ようやく理解した。そして、『人は二度死ぬ。 一度目は肉体が滅んだ時。二度目は人々の記憶から消え去った時』という言葉を思い出した。綾部は、妹のことを忘れてしまうことを恐れているのかもしれない。サバイバーズギルト患者特有の思考でもある。
バックミラーを見た。後席の3人は、寝息を立てている。
「大丈夫だ。『あの子』を覚えているのは、綾部だけじゃない。ご両親も記憶している。・・・それに、前にも言っただろ。君が妹さんの立場だったらどうなんだって。勝負に全力で臨む妹さんを、君は呪うのか。それとも、誇るのか」
「・・・私は・・・誇る。妹を」
「なら、そうしろ。妹に誇れる姉であれ」
下を向いていた綾部が、こちらを向くのが分かった。
「・・・褒めてくれるかな。たくさん走って、勝ったら。妹は、私を・・・」
「綾部が逆の立場で褒めるなら、妹さんも褒める。双子なんだろ」
「・・・ふふっ、何、それ」
綾部の声が、少しだけ柔らかくなった。
それから2時間後、トレセン学園に着いた。4人を生徒寮前で下ろしたあと、学内の駐車場へと車を戻しに行く。バックミラーを見ると、綾部は真昼の光の中で笑っていた。
登場人物 No.04
中央トレセン 体育科所属
高村の2歳年上の先輩。東京都練馬区出身。高村とは大学からの付き合い。
大学付属高校から教育学部理学科生物学専修に進学し、新卒でトレセンにトレーナーとして着任。
1年目では指導契約生徒を獲得できず、2年目に転入生のカレンチャンと契約。