第六章第一節 "温泉旅行"
トレセンの修学旅行は、独特なシステムだ。生徒数が多い上に年中レースが開催されているから、1学年まるごとスケジュールの都合がつくことはまずない。だから、スケジュールが合うグループごとに分割されて実施される。通常の中等教育に加え、レースとライブという多忙な学生生活を送っているからか、一般中高の修学旅行のような事前学習はなく、社会科学習の一環としての側面も薄く、純粋な観光旅行となる。行先は、中等部が京都で、高等部は東北地方。いずれも温泉宿に泊まるから、事実上の温泉旅行だ。
「良いなー生徒ども・・・事前学習も課題もなしの純粋な温泉観光旅行か・・・」
夏休み明けから何度もミーティングはしてきたから、修学旅行の概要は知っている。しかし修学旅行本番を翌日に控えた最終ミーティングの後、体育科教員棟の集合教員室で思わず杉崎先輩相手にぼやいてしまった。
高校の修学旅行を思い出す。行先は沖縄で、事前学習で太平洋戦争の沖縄戦についてかなり深く学習し、行先は旧帝国海軍司令部壕や慰霊碑、語り聞かせがメイン。あまり綺麗な海は見れなかった。クラスの女子の一部は戦争の悲惨さに泣き出してしまい、全体的に暗い雰囲気だった。大学のサークル合宿で再訪するまで、沖縄に苦手意識を抱いてしまっていたほどだ。
「再来年の参考のために体験レポート頼むな」
杉崎先輩は、去年既に修学旅行の引率をやっている。当時中学2年のカレンチャンの修学旅行に駆り出されていたはず。とはいえ、カレンチャンが競技を継続できれば、高校2年生でまた修学旅行がある。京都と東北では勝手が違うのも確かだ。
「分かりましたよ・・・」
「東北だと観光地も分散してるから教員側も動き周るけど、京都ほど混雑しないから一長一短だな」
先輩の声に、行程表を確認する。新幹線とバスを組み合わせての、東北3県観光地巡り。バスを降りた後は集合時間まで自由行動。
「まあそうですね・・・重要文化財に世界遺産・・・神社仏閣と自然地形巡りの2泊3日温泉旅行だ」
こんな旅行、教員の立場ではなくプライベートで行きたい。みちのく一人旅。自分と静かに向き合う時間というのは、とてつもなく魅力的だ。しかし現実は無情である。段取りの参考のため、杉崎先輩のほうの修学旅行引率の話を聞くことにした。
「どうでした?中等部の方の修学旅行」
「あいつら行動範囲広いから大変。走るなって言っても小走りで動き回るから、こっちはタクシーや電車や事前手配のレンタカーで追いかける。ある程度行先は予測して事前に教員を配置しておくんだけど、限界もある。一応行動計画は事前に出させるし、グループチャットで現在地報告もさせるけど、完全には位置を把握できない。ファンとの遭遇もあるから、トラブル防止に飛び回ることもある。最悪なのは警察沙汰だな。府中と違ってウマ専用レーンが無いから、道路を走れば道交法違反だ。補導されたら身柄を引き受けに警察署まで出向く羽目になる」
「うへぇ・・・」
思った以上に大変そうだった。教員からすれば、沖縄で戦争学習コースに集団行動させるのは管理の面では楽だろう。綺麗なビーチも限られているから、行先の想定もしやすい。東北で自由行動が多い修学旅行なら、教員は激務確定の2泊3日となる。行く前から気が滅入ってしまった。
修学旅行当日は、朝4時半に起床。5時過ぎには出勤し、1日の段取りの最終確認を会議室で行う。6時過ぎに旅行代理店の人を校内へ案内し、そこから間もなくやって来た4台の貸切バスを校内へと誘導していく。集合を済ませた生徒たちを7時30分にバス3台へ押し込み、引率責任者を除いた教職員たちは残ったバス1台へと乗り込む。7時45分には東京駅へ向けて出発となった。
国立府中インターチェンジから中央自動車道に入り、首都高4号線を通って都心部へ。新宿、永田町、皇居を横目に曲がりくねった首都高を進み、出発から1時間20分で東京駅八重洲地下バスターミナルに辿り着いた。バスターミナルから地下道で直結している東京駅へと入構し、東北新幹線改札前の広場で一度点呼を取った後、団体改札を通る。
21番線の端で待機すること約20分。入線してきた列車の車内清掃が終わり、ドアが開いた。貸し切りとなっている1~3号車に生徒を押し込んでから教員も乗車していく。乗り遅れが無いかを何度も確認して一息ついたころ、列車は静かに出発した。
微かな加速が、背中を座席に押し付ける。列車はビル街の中を縫うように走り、秋葉原付近で地下に入り、上野駅を出てから再び地上へと上がる。通勤電車より少し早い速度で大宮まで走り、それ以降は一気に速度を上げていく。
出発から約1時間半後、郡山駅に着いた。そこからは再び貸切バスに乗り換え、猪苗代湖や会津市に散在する観光スポットで生徒たちを放牧する。教職員はトラブル防止と監視のために動き回る。この時、卒業アルバム掲載用に行動中の写真も撮影する。プロカメラマンも居るけれど、教員が撮影した自然な表情の写真も必要らしい。バスへの集合時には、迷子防止のため毎回点呼を取る。教員同士で役割分担を事前に決めていても、思った以上に忙しかった。
その日の夕方、福島駅でバスから新幹線に乗り換え、仙台駅経由で宮城県松島町の宿へ向かった。宿ではビールを飲みたいけれど、昨今はコンプライアンスが厳しいし、夜間の見回りもあるから禁酒だ。男性教員が生徒の部屋に入るわけにはいかないから、廊下や屋外の見回りがメインとなる。労働時間が、積み重なっていく。
翌日も似たような動きが続いた。午前中は松島での自由行動で、教員は監視、トラブル仲裁、迷子捜索を行う。昼前にバスに集合し、点呼の後に南三陸へ。リアス海岸観光と昼食に生徒を送り出す。教職員はやることが多いから、昼食は携帯食だった。生徒たちは海鮮丼を食べているというのに。
南三陸での観光が終わり、午後2時。岩手県平泉町へとバス移動して中尊寺観光となる。そして夕方に新幹線で盛岡に向かい、再び貸し切りバスで宿にようやく辿り着く。たった2泊とは思えない業務密度の一方、裁量労働制だから残業代は出ない。一律の出張手当のみだ。
一泊目の宿もそうだけど、高い学費を取っているだけあって、良い温泉宿に宿泊している。市街地からは離れた温泉街にあり、湖を望む絶好のロケーション。大規模な宴会場、ゲームコーナー、レストラン、売店、バーまである大規模な温泉ホテルだ。客室は和室主体で、広縁もある伝統的な形式。大浴場は2階と3階にあり、どちらも内湯と露天風呂を備えている。
つくづく、こんな良い宿に引率教員の立場で泊まりたくなかった。プライベートで、静かに、ゆっくりと宿泊したい。
生徒たちに部屋割り表を渡してから、教職員たちも部屋割りに従って各自の部屋へと移動していく。割り当てられた客室に荷物を放り込み、すぐに夕食準備の時間となる。宴会場に急いで向かい、段取り確認。その後、ホテル側が用意してくれていたテーブルを並べていく。
高村トレーナーも修学旅行に来ているけれど、結局一度も会っていない。駅やバス乗り場、ホテルで遠目にちらりと見えるだけだ。でも、それで良いのかもしれない。クラスメイト達が居る前で、あの人とどう接すれば良いのか、よく分からないから。
ご飯の後、先生たちから事前に案内があったスケジュールに従って、グループごとに割り当てられた時間にお風呂場へと向かう。旅館の長い廊下を歩きながら、日中のことを思い出していた。
少し前まで、修学旅行なんて煩わしいだけだと思っていた。けれど、トップロードさんや、最近仲良くなったクラスメイト達が居てくれたおかげか、思っていたよりもずっと、楽しいと感じた。ずんだ餅や、ゆべし、牛タン、三陸の海鮮を、友達と笑いながら食べるなんて。自分がそんな風になるとは、思ってもみなかった。中学の時の修学旅行では、班の人たちについていくだけだったから。
お風呂に入る前、脱衣所の鏡で自分の体を確認した。お腹の切開手術跡は、だいぶ薄くなってきたと思う。ただ、夏頃までははっきりと見えていた腹筋が、少しぼやけていた。修学旅行中に食べた分は、どうにかして落とさないといけない。走らずに。
脱衣所から浴室に入り、身体を洗ってから露天風呂へ。冷たい外気に包まれて、私という人間の輪郭を明瞭に意識させられる。震えながら体を湯船に沈めて、空を見上げた。東京から500km弱離れた岩手の星空は、どこまでも透き通っていて、輝いていた。そこに温泉の湯気がたなびき、空へと消える。まるで、天の川が流れているかのようだった。
教員は夜になっても仕事が続く。消灯時間前になると館内をくまなく回り、談話スペースなどに生徒がいれば帰室を促していく。高校2年生だった7年前は、教員たちのことを『楽しい思い出を邪魔する鬱陶しい大人』と思っていた。それが今では自分がその立場になっている。教員職というのは皮肉なものだ。そして、この立場になって分かったのは、生徒の青春を邪魔したいのではなく、単に翌日のスケジュール遅延が怖いだけだ。少なくとも自分は。説教臭くならないように帰室を促し、それでも不満そうな顔をして帰室していく生徒の後ろ姿に、心の中でだけ謝る。杉崎先輩あたりだと、部屋での女子会用に差し入れでもするんだろう。「他の奴らには黙っておけよ」などと言いながら、女子受けするお菓子をこっそり渡しそうだ。でも、自分はそういうキャラじゃない。柄でもないことをすると不気味がられそうだ。それとも、意外がられるかな。生徒たちの反応を想像しながら、廊下をゆっくりと歩く。
夜の温泉ホテル内というのは、独特な雰囲気だ。柔らかい照明が温かく照らす廊下を歩いていると、自分も高校生の頃に戻ったような感覚に陥る。大学生の頃はよく旅行したけれど、こんなに良い宿に泊まったのは、やはり高校の修学旅行が最後だ。廊下の各所に設置されている談話エリアに生徒が居ないか確認し、無関係の一般客が居れば怪しまれないように素通りする。薄暗い階段を上り、次の階へ。そして同じように確認を繰り返していく。
見回りの最後に、広い館内の最上階の端の談話スペースへとたどり着いた。照明は点いていないけれど、人影が一人。窓を通して、空を見ていた。頭を見ると、耳が頭頂部にある。ウマ・・・おそらくは生徒。足音に気付いたらしく、人影がこちらを向いた。
「高村トレーナー?」
声からすると、アドマイヤベガ。照明が柔らかく照らす廊下から切り離されたように夜闇に沈む談話スペースの中から、目だけがじっと見つめてくる。思わず、足が止まった。
「アドマイヤベガか・・・そろそろ消灯だから部屋に戻りな」
「・・・分かった。もう少し、星を見てから。ちょうど今、ふたご座流星群の時期だから」
修学旅行先に来てまで、天体観測。そういえば、奇しくもこの日は新月。東京から離れた岩手県、それも盛岡市街地から離れた湖畔の温泉街であれば、確かに星空は綺麗なはず。自分も星空を見ようかと一瞬思ったけれど、談話スペースを満たす夜に足を踏み入れることはできなかった。拒絶と和解を経ているは言え、告白されてから4週間も経っていない。それに、さっさと生徒を帰室させて自分も寝たい。その一方、事務的に帰室を促すだけの融通の利かない思考停止教員でありたくもないとも思った。特に、担当生徒相手には。
「・・・アドマイヤベガって、なんで星が好きなんだっけ?」
「・・・きっかけは、妹と繋がれると思ったから。妹と話したくて、暇さえあれば、実家のベランダから空を見上げた。それで、星そのものにも興味を持って、いろいろ本を読んだり、調べたり、プラネタリウムに行ったりした。星座の神話や、歴史と星の繋がり、宇宙の大きさ、構造・・・知識をつけて、それでまた、妹に話した」
アドマイヤベガは、窓を向いた。そして、遠い目をして呟いた。
「人は、イマジナリーフレンドだと言うかもしれないけど、私にとっては大切な、楽しい思い出」
単に綺麗だという理由だけで星を見ていた自分とは違う、深い意味。彼女の心の内を知っている以上は意外でもないけれど、目の前の教え子が生きて来た17年の重みに改めて触れたような気がした。
「そうか・・・」
浅い言葉しか、出てこなかった。
「だから、私は星が好き。もう話せないけど、今も、星は私と妹の絆」
アドマイヤベガにとって、今も星空は鎮魂の象徴として機能している可能性が高い。ただ、担当トレーナーとしては、やはり未来に目を向けて欲しい。天体観測の意味のすり替えは継続中だし、赤道儀もずっと貸したままだ。何を観測対象にしているのか、あるいは観測したいのかを聞き出して、意識をそちらに向けさせようと考えた。
「・・・アドマイヤベガは、お気に入りの星座とかってあるのか?」
「・・・ふたご座は、思い入れが深くて・・・」
少しだけ、胸が痛んだ。死別した双子の妹を思うアドマイヤベガの心理としては不自然ではないけれど、そろそろ死を悼むのは終わらせて欲しい。長期間に渡って死を悼むのは避けたい事態だと、臨床心理学の本にも書いてあった。
「あとは、みなみじゅうじ座。全天八十八の星座で、最小の星座。だけど、大航海時代から南を目指す船乗りたちの
みなみじゅうじ座。日本では、小笠原諸島か先島諸島で水平線上に辛うじて見える程度で、北半球からでは観測しにくい。約2年前、大学の卒業旅行で訪れたオーストラリアで見た星座でもある。その時に撮影した写真は、今も業務用パソコンの壁紙に設定している。1年前、アドマイヤベガがその壁紙を食い入るように見つめていたことを思い出し、理由に納得した。
「高村トレーナーは、大学生の時に見たんだっけ・・・。あの写真、今もたまに見てる。私も、いつかこの目で見に行ってみたい」
彼女の横顔が、少しだけ穏やかに微笑んだ。そして、『いつか』という言葉。未来に、意識を向けてくれている。
「あ、流れ星。やっと見れた。・・・もう寝るから。おやすみなさい」
「・・・おやすみ」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、部屋へと戻る浴衣姿のアドマイヤベガを見送る。廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、談話スペースに足を踏み入れた。窓から外を見る。暗さに慣れた目に、点々と輝く星々と、薄い天の川が見えた。先ほどのアドマイヤベガの言葉を思い出す。自分の口から、妹にまつわる思い出を詳しく語ってくれたということは、少しは信頼関係を取り戻せているのかもしれない。『薄氷の上の絆』とでも言うべきものではあるけれど、それが再び揺らぐような事態はあってほしくない。正直、これ以上の精神的負担は抱えきれないから。星空を眺め続けているうちに、気付くと10分も経っていた。
生徒全員を部屋に帰したところで、ようやく教員も入浴となる。冷えた体を、熱い湯がほぐしてくれる。露天風呂は、満天の星空に覆われていた。星座を数えているうちに、いつの間にか露天風呂で30分も過ごしてしまっていた。見回りのシフトが近いはず。慌てて風呂から上がり、教員の宿泊室へと走って戻った。
その後深夜2時頃まで館内の見回りが続き、束の間の就寝。朝6時前には起床し、準備を進めていく。朝食の後、雫石町にある大規模農場の観光に生徒を送り出し、昼過ぎにようやく帰京の途についた。帰りの新幹線の車内では、修学旅行の常として疲れ切った生徒はほぼ全員が寝る。それなのに、睡眠不足の教員は寝ることを許されない。遅延や事故などのトラブル時に備える必要があるからだ。
盛岡駅発車から約2時間半後、時刻通りに列車は東京駅に到着した。その先は、往路とは逆のルートで学園への帰路を辿っていく。退勤ラッシュが始まる前に都心部を抜け、予定から10分の遅れで学園へと戻ることができた。
生徒たちを解散させてから荷物を教員室などに返却整理し、ようやく教員も退勤が許された。寮の自室に戻ると、シャワーも浴びずに床で泥のように眠ってしまった。
私の人生最後の修学旅行が終わって、目先のイベントは全て無くなってしまった。競技活動無期限停止の身というのは、本当に惑星みたいだ。それも、回るべき主星を持たない自由浮遊惑星。
『少なくとも春休みまで』とは言われたけど、春休みになっても繋靭帯が治っていなかったら、そのまま高校3年生になり、レースに出ないまま引退して、翌春には卒業。活動停止期間の終わりは見えないのに、卒業だけは無慈悲に迫ってくる。焦りばかりが募るけれど、焦ってばかりもいられない。この体で走ったら、繋靭帯炎を起こしてしまい、確実に選手生命の終わりを迎える。まだ、競技を引退したくはない。それに、人生はトレセン卒業後も、長く続いていく。これから先も、健康を保って生きていかないといけない。脚以外の筋トレは続けつつ、卒業の後のことを考えることにした。
第六章第二節はお盆明け(8月下旬)掲載予定です
アドマイヤベガの告白を苛烈に拒絶する理由として、高村の高校時代の経験は
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強い説得力がある
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説得力がある
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どちらでもない
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あまり説得力がない
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全く説得力がない