星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第六章第二節 "進路"

 進路を考えるため、クラスメイトと一緒に大学のキャンパスツアーに足を運ぶことにした。最初は女子大が良いかなと思って、実家のある世田谷区の世田谷女子大や、文京区の大和女子大に足を運んだ。周囲を塀に囲まれて、出入り口は正門のみの『閉じた町』のようなキャンパスは、トレセンとよく似ていた。安心感のある場所ではあるけど、ここじゃないと思った。もう少し、世界に開かれた場所が良い気がしたから。共学の大学にも足を向けてみると、近所の人が散歩に来ているような広いキャンパスで、大きな門がいくつもあって、こちらのほうが私には合っていると感じた。キャンパスツアーの研究紹介や部活見学を通して、自分がどんな大学生活を送りたいのか、どんな学問に興味があるのか、そして自分が将来何になりたいのか、考える日々が続いた。

 

 年末年始は帰省して、毎年恒例の東海道駅伝と箱根駅伝を見た。弟が少し大人になっていて、びっくりした。もう小学5年生で、春には6年生。来年には中学生。当然かもしれない。

 

 帰省を終えて学園に戻ってすぐ、高村トレーナーの指示で通院することになった。靭帯の修復のため、体外衝撃波(ESWT)治療という治療を受けさせられている。それ以外には、筋トレメニューと食事に関してくらいしか指導をされない生活が続いた。

 トレーニングもダンスレッスンもない高校生活というのは本当に暇で、進路について考えるか、ルームメイトの後輩の面倒を見るか、試験勉強をするくらいしかやることがない。ルームメイトのカレンさんは京都の伏見ステークスに出走して、3位を獲得していた。期末試験直前の時期にレースがあるなんて大変だ。レースは、色んな団体との調整で決まるから、たまにこういう事が起きてしまう。だから、時間に余裕がある私が、カレンさんの試験勉強の面倒を見てあげた。私自身も試験勉強にたくさん時間を割いたから、期末試験はこれまでで一番良い成績を取ったと思う。

 期末試験明けには、また病院でESWT治療と月一回の健診を受けた。繋靭帯の状況はよくなっているけれど、まだ完治はしていないらしい。残念。春休みが、本当に春休みになってしまった。普通の高校生なら、塾に通うか、クラスメイト達と遊んだりするものなんだろうけれど、トレセンという環境では少数派。また、独りになってしまったように感じた。ジムでの筋トレも、目標レースが白紙の状態だとあまり身が入らない。なんとなくターフに行って他の生徒たちが走る様子を眺めたりしているとき、一昨年の秋の天皇賞で左足を骨折してリハビリ中のサイレンスズカさんと顔を合わせるようになった。お互い競技活動停止中の身ということで、将来のこと、身体のこと、競技のこと、互いのトレーナーのこと、色んな話をした。そして思った。この子は、どこか私と似ている。

 

 2月中旬には、カレンさんはまた京都に遠征して、山城ステークスで優勝していた。だから、部屋でお祝いをした。ルームメイトが中学最後のレースを優勝で終えられて、良かった。

 高村トレーナーと衝突した去年6月の東京優駿以降も、天体観測だけは続けていた。星は好きだし、9月以降は明海のことを普段は感じなくなったけれど、やっぱり星空の下では、妹の存在を感じるから。これは、一種の墓参りなのかもしれない。

 トレーナーから借りている赤道儀を使って撮影した天体写真も、ずいぶんな数になった。新月の時期だけじゃなく、天文現象がある時期にも観測するようになって、流星群の時期には流れ星の撮影にも成功した。土星と木星が、星空の中を彷徨うような軌道を描いていることも記録できた。『(まど)(ぼし)』という名の通りの動き。でもそれは、地球との相対的な位置関係によって生み出される、見かけ上の動きに過ぎない。

 3月中旬。高村トレーナーから赤道儀を借りて1年が経ち、星空は一周した。そして、この月の診断で、ようやく繋靭帯が完治していると診断された。診断書をもらい、急いでトレーナーに報告することにした。やっと、競技に復帰できる。やっと、走れる。病院から、電車にも乗らずに延々と走って学園まで戻った。

 


 

 繋靭帯の軽度な炎症の診断から、4ヶ月。即時の休養決定とESWT治療のおかげか、教え子の脚は想定の最短期間で完治を見せた。もしも完治しないまま高校3年生に進級していたら、引退レースに出られずに消化不良のまま競技引退を迎えていたかもしれない。競技復帰の見込みがたったことに、ひとまずは胸をなでおろす。

 しかし、4ヶ月近く筋トレのみを続け、走り込みを止めていたアドマイヤベガが出られる前期のレースは限られる。これまで芝しか走っていない事も考えると、候補は春の天皇賞、安田記念、宝塚記念の3つ。しかし天皇賞は3200m(長距離)で、アドマイヤベガの適性・体力的な上限を超えている可能性が高い上に開催が4月後半だから準備が間に合わない。安田記念は1600m(マイル)だから、選抜レースの失敗の件から見ても避けたい。となると、2200m(中距離)の宝塚記念が第一候補となる。出走権がファン投票という不確定要素に掛かっている点が不安ではあるものの、仕方がない。他の2戦はレース実績が要求されるから、出走権獲得はさらに厳しい。

 次に、後期のレースについても考えた。大学への推薦入学を狙う生徒や、少数の就職希望生徒であれば、年末ごろまではレースに出走を続ける。アドマイヤベガがこの進路を取る場合、秋の天皇賞、ジャパンカップ、そして有馬記念が有力な出走レース候補となる。しかし、彼女が進路をどう考えているのかは聞いていない。一般入試での大学進学を目指す場合は、前期で引退するのが一般的だ。

 診断書を返しながら、尋ねてみた。

 

「アドマイヤベガは進路をどう考えてるんだ」

 

 教え子は、面食らったような顔をした。

 

「えっと・・・外部の大学にしようと思ってる」

「推薦か一般入試かは?」

「推薦・・・スポーツ推薦狙い」

 

 予想はしていた。しかしスポーツ推薦となると、体育の成績や生活態度が重視される。レース結果こそ上位陣ではあるものの、体育の成績はレース戦績だけではなく座学やトレーニング中の態度も含めた総合評価になる。サバイバーズギルトという事情を考慮しても、指導逸脱・偽装報告を重ねたアドマイヤベガに高い成績を付けることは難しく、成績は2年生前期がBで、2年生後期もBとせざるを得なかった。去年夏の事故の後に競技活動停止処分を下されている彼女は、生活態度の評価も下がっている可能性がある。仮に3年生前期でA+を獲得しても、推薦権獲得は難しいかもしれない。

 

「スポーツ推薦権を獲得できる見込みは?」

「・・・まだ確認してない。出願は後期だし」

「後期になってスポーツ推薦権が獲得できなかったらどうするんだ。ちゃんと学年主任に確認しとけ」

「・・・はい」

 

 アドマイヤベガはトレーナー室を出ていき、1時間ほど経ってから戻って来た。顔は、沈んでいる。

 

「・・・夏の事故で評定が下がったから・・・スポーツ推薦は、学内選考に通らない可能性が高いって・・・」

 

 ソファに腰かけた彼女の声は、低く弱々しい。想定していた事態ではあるものの、いざ担当生徒が本当に推薦権獲得選考に落ちる可能性が高い事実を突きつけられると、担当トレーナーとしても気持ちが沈む。原因が、やはり担当科目にあるのだから。自ら成績を付けた立場ではあるものの、生徒の人生を左右する人間としての責任を痛感した。しかし、動揺を生徒に見せると信頼を損なう。静かに深呼吸し、口を開いた。

 

「指定校推薦は?」

「・・・2年前期の成績が低いから、指定校推薦も難しいかもしれないって」

 

 懸念が的中していた。2年生前期は、精神状態が最悪だった時期。一般科目の成績も下がっているのではないかと、当時から心配していた。

 

「・・・なら、前期で引退して指定校推薦のために期末試験に全力を尽くして、夏休みから受験勉強を始めた方が良い。指定校推薦が取れればそれで良し。ダメなら一般入試に向けて受験勉強を継続。引退レースは宝塚記念だ。登録と引退手続きはこちらで進めておく」

「・・・ファン投票で選考に漏れたら・・・」

「残念だけど出走できない。そのまま引退だ」

 

 事実をありのまま伝えると、アドマイヤベガは悲痛な声を出した。

 

「そんな・・・!」

「念のため安田記念にも登録はしておく。ただ、この4ヶ月間レースに出てないから、安田記念の出走枠が取れる可能性は高くはない。ファン投票で出走が決まる宝塚記念のほうが期待できる。アドマイヤベガはクラシック一冠選手だ。俺なら投票する」

 

 アドマイヤベガは、微かに驚いたような顔をして、そのまま下を向いた。

 彼女の気持ちが落ち着いたころを見計らい、トレーニング方針を伝えた。トレーニング再開は翌週から。ただし、詳細メニューは未定なので、決定後に伝達することにした。

 アドマイヤベガが寮へと帰っていく後ろ姿を見送ってから、カレンチャンとの業務用チャット(Members)を開いた。

 

『アドマイヤベガの引退レースを決めた。少し気分が沈んでるかもしれないから、気を遣ってあげて欲しい』

 

 返事はすぐに来た。

 

『分かりました。代金は先輩の完治祝いと私の山城ステークス優勝祝いで良いですよ。またあのケーキ屋さんのケーキが欲しいです』

 

 これまで杉崎先輩の大学時代のエピソードばかり請求されてきたから、真っ当なプレゼント要求が却って新鮮だった。杉崎先輩に連絡するとケーキ贈呈の許可は得られたので、週末に実家近くのケーキ屋に行くことにした。3月なら春の新作ケーキが多いはず。カレンチャンが好みそうな女子中高生ウケ狙いのファンシーなケーキか、アドマイヤベガが好みそうなクラシカルなケーキのどちらを選ぼうか少しだけ考えて、すぐに業務に思考を切り替えた。

 4ヶ月間走ってこなかった選手を3か月後の宝塚記念で勝たせるためのトレーニングメニューを考えていく。脚以外の筋トレは続けていたから、脚力と持久力の回復が優先。3週間ほどプールトレーニングをさせてから、走り込み中心のメニューへと徐々に移行。繋靭帯の炎症の再発を防ぐため、保健室にはこまめなモニタリングを依頼した。食事指導はタンパク質・ビタミンC・亜鉛・オメガ3脂肪酸を重視した靭帯強化メニューを継続。引退を目前にして、過剰な自主練に再度走る危険も考えなければならない。頭が痛い。

 続いて、引退時の対応を考えた。クラシックで1勝を分け合う形になり、ナリタトップロード・テイエムオペラオーと共に三強と呼ばれているアドマイヤベガの競技復帰と引退は、相応に話題を呼ぶはず。年末の休養公表時にも世間はざわついていた。引退レース後の記者会見対応とファン対応を、勝利した場合と敗北した場合それぞれ想定しておかなければならない。頭の痛みが増した気がする。思わず、ため息が出てしまった。一方で、この苦悩もあと3ヶ月かと思うと、微かな寂しさも感じた。

 

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