星間境界 -アドマイヤベガの道標-   作:茶園真

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第六章第六節 "高村トレーナー"

 トレーナー室を自習室として利用し始めて、気付いたことがある。高村トレーナーは私が居る時、常にドアを開け放っている。最初は気のせいかと思ったけれど、偶然じゃない。私がそれとなくドアを閉めても、トイレに行くだの集合教員室に行くだの理由を付けては部屋を出て、戻っても必ずドアを開けたままにする。季節は秋で、冬も近い。足元が寒くて、集中力が削がれる。遠回しに『出ていけ』と言われているような気がして、トレーナーに理由を尋ねてみた。

 

「・・・高村トレーナーって、なんでいつもドア開けっぱなしにしてるの」

 

 執務デスクの向こうにいるトレーナーの目が、こちらを向く。

 

「・・・気のせいだろ」

 

 絶対嘘だ。何か誤魔化されている感じがする。

 

「嘘。私が居る時、トレーナーいつもドア開けてる」

 

 トレーナーの目が、モニターの方に戻っていく。何かを隠そうとしている目の動きだ。

 

「・・・教員マニュアルに書いてあるから」

 

 奥歯にものが挟まったような言い方だ。高村トレーナーは、そんなマニュアル人間じゃないはず。気になって、追及を深めることにした。

 

「どういう意味?」

「・・・生徒と密室で二人っきりになるのは教員として避けるべきことなんだよ」

 

 もっともらしい理由だ。でも、今までトレーナー室での指導なんて何度もされてきた。過去2年間のことを思い返していて、ふと気付く。そういえば、トレーナー室のドアは、私が居るときはいつも開いていた。滞在時間が短いから気にならなかっただけだ。

 高村トレーナーが気にしているのは、多分トレーナー室で私たちが変なことをしていると勘違いされる可能性だろうけど、私は女子とは言えウマだ。考えすぎじゃないかと思う。

 

「私の方がトレーナーより力強いけど」

「だからだよ。俺は生徒想いだからな、生徒が暴行罪で補導されて欲しくないんだ」

 

 その瞬間、東京優駿の後の控室でのことを思い出してしまった。トレーナーに暴言を吐いてしまった時のことだ。あの時のトレーナーは、確かに怯えていたように見えた。

 

「・・・ごめんなさい」

「・・・あ〜・・・今のは冗談。生徒と密室で二人になるのは教員として避けるべき行動だっていうのは実際に教職課程で習うことなんだよ。本当にそれが理由でドアを開けてる」

 

 あまりに下手な冗談だ。今までトレーナーに冗談を言われたことがないから、てっきり本当だと思ってしまった。

 

「トレーナー、冗談が下手・・・!」

「悪いな」

 

 高村トレーナーは、こちらも向かずに謝罪の言葉を口にした。

 

「とにかく、ドア開いてると寒いから自習に集中できない。なんとかならないの」

「・・・何か考えておく」

 

 三日後、再びトレーナー室を訪れた時、ドア横に見慣れないものを見つけた。

 

『在室確認票』

 

 そう書かれた小さなホワイトボードが壁に掛かっている。トレーナーと私の名前が書かれていて、トレーナーの名前の下には、在室を示す小さな磁石がくっ付いている。そして、私に用意されたらしい磁石は、ホワイトボードの隅にあった。

 

「何これ」

 

 思わず声に出た。チームトレーナーのトレーナー室にはよくある物だけど、個人トレーナーのトレーナー室に設置されているのは見たことが無い。あの人らしいと言えばあの人らしいけど、やっぱりかなり警戒されている感じはする。とはいえ、これに文句は言えない。快適な自習室と、トレーナー室に出入りする理由を、失いたくないから。

 ホワイトボードの磁石をつまんで、私の名前の下に移動させた。磁石が、小さな音を立てた。

 


 

 物理学系の学科を志望することは夏に決めた。星空が好きで、宇宙のことを勉強したいと思ったからだ。ただ、6月までずっと競技メインの高校生活だったから、受験勉強は分からないことだらけだ。塾の先生や、トレセンの一般科目の先生たちに質問攻めをする日々が、ずっと続いている。

 驚いたことに、高村トレーナーも受験勉強の質問に対応してくれる。それも、文理科目両方。対応可能範囲を聞いてみると、数学はA・B・CとⅡまで。国語は現文と古典が出来て漢文はダメ。英語は四技能全て。理科は有機化学、生物、力学、そして基礎的な電磁気。社会は地理と日本史・世界史。

 正直、文系なのか理系なのかよくわからない。トレーナーだからスポーツ科学系の可能性が高いけど、指導中によく数学や物理の用語が出てきていたから、理工系学部の可能性もある。でも、数学Ⅲと無機化学と電磁気の応用がダメだから、少なくとも数学科・物理学科・化学科・電気科ではなさそう。そして、教員という事は教育学部の可能性も捨てられない。それか、競バに親しみがあるということは社会学部かもしれない。公民がダメというあたりからすると、政治経済系の学部や法学部は違いそうだ。漢文がダメだから文学部でもなさそう。

 私のことはトレーナーに知り尽くされているのに、私はトレーナーのことを何も知らないのがなんとなく嫌で、探りを入れてみることにした。

 

「歴史の質問なんだけど・・・人類にウマが生まれたのっていつ頃?」

「それ生物史だろ・・・今から約15万年前のリス氷期が有力だけど、仮説の域を出ていない」

 

 さすがにトレーナーだけあってウマには詳しい。生物系の学科かなと思って、さらに質問を重ねた。

 

「私たちウマの脚を長くしてる遺伝子って?」

「HOX遺伝子群」

 

 即答だった。生物を専攻していた可能性が高そう。

 

「・・・じゃあ髪の色が普通の人よりバリエーションが多いのは」

「MC1R遺伝子の変異が原因だな」

「じゃあ瞳の色は?」

「・・・さすがにそこまでは知らない。杉崎トレーナーだったら大学で生物を専攻してたから知ってるかもな・・・生物選択だっけ?この間化学と物理の質問してこなかったか?」

 

 この反応からして、どうやら生物系ではなさそうだった。そして、質問の意図を怪しまれているらしい。慌てて答えた。

 

「クラスメイトと勉強してて気になったから」

「ふーん・・・」

 

 高村トレーナーは興味なさげに答えたので、安堵して次の質問に移った。

 

「じゃあ日本史。日本での競バの始まりは?」

「えーっと、確か19世紀の西洋人居留地・・・横浜だな」

「なんで競バって走った後に踊るの?」

「確か起源は太平洋戦争後の慰問興行だったかな。それが競走と合体した後にアイドル文化と結びついて定着した。それ以上詳しくは知らない」

 

 ウイニングライブは競バの一部として定着してからアイドル文化に取り込まれたはず。高村トレーナーの答えは微妙に間違っている。

 あまりウイニングライブやアイドルには詳しくないということを見ると、社会学部や文学部ではなさそう。やっぱり、理系だ。

 

「物理の力学の質問なんだけど、加速度が変化する場合の運動ってどう考えれば良いの」

「・・・高校の物理は等加速度運動以外を扱わないだろ」

 

 体育の教員なのに、他の科目にも詳しい。大人ってそういうものなんだろうか?

 

「そうだけど、気になるから」

「・・・基本的に力学は微積分を使った方が考えやすくなる。高校だと習わないけどな。位置の時間変化率、つまり時間微分が速度で、速度の時間微分が加速度だ。だから、加速度を時間積分すれば速度になるし、さらに時間積分すれば位置になる。加速度が変化するなら、加速度を表す式をそのまま時間積分するだけで良い。・・・今日の質問はやけに科目が多いな」

 

 言われて気付く。確かに、教科書に書いてある式を見ると、加速度、速度、位置は時間での微積分関係にある。こんなことを知ってるってことは、ほぼ確実に理系だ。

 そして、完全に怪しまれ始めたから、この日の質問はここまでにすることにした。思いがけず、物理の分かりやすい解き方も知れた。

 次の週、高村トレーナーに進路相談をしてみた。といっても、本格的な進路相談はクラス担任の先生にしているし、オープンキャンパスやキャンパスツアーにも既に足を運んで志望大学はある程度固めてある。どちらかというと、高村トレーナーの出身大学を探るのが目的だ。

 トレーナーは綺麗な標準語を話す。ということは、東京生まれ東京育ちで、大学も東京近辺のはず。そして、中央のトレーナーということは難関大学の出身の可能性が高い。いくつかあたりをつけた大学の名前を出していくことにした。

 

「物理学科に進もうと思ってて、志望大学で悩んでるんだけど・・・東京科学技術大ってどう?何か内部事情とか知ってたら教えて」

「科技大は学術優先の気風があって研究に没頭できる良い大学だ。ただ、名前で損してる。難関国立なのに知名度がないから無名私立大と勘違いされたり、東京理数大と混同されたりする。あと、科技大も理数大も圧倒的に男子学生が多いから、女子は肩身が狭い。でもやりたいことがあるなら気にせず行ったほうがいい。キャンパスも綺麗だ」

 

 なんだか実感がこもった意見だ。科技大出身なのかと思って訊ねてみた。

 

「高村トレーナーって科技大出身なの?」

「いや違う。友達に居ただけ」

 

 それにしては詳しすぎる気もするけど、次の大学に話題を移すことにした。思いがけず高村トレーナーの口から出てきた大学について訊ねてみる。

 

「そう・・・東京理数大はどう?」

「理数大か・・・あそこはかなり大変だぞ。特定の科目の単位を落とすと即留年が確定する制度がある。授業も厳しくて、例えば情報学科の期末試験問題が暗号文で出されて、暗号を解かないと問題の内容すら分からないことがあった。期末レポートも難しくて、留年がかかった学生が泣きながらキャンパス内でレポート書いてたこともあるらしい」

 

 そんなことを外部の人が知ってるんだろうか?理数大の出身の可能性が出てきた。

 

「理数大出身?」

「違う。これも友達から聞いただけ」

 

 友達から聞いたにしては詳しい気がする。他の大学について訊ねてみて、詳しくなければ科技大か理数大で決まりだ。

 

「・・・じゃあ東京大学は?」

「当然だけど最難関。研究環境も整ってるし就職も最強だ。行けたら最高だけど、2年生までの教養学部は駒場キャンパスで、3年生進級時の進振り後はほとんどが本郷キャンパスに行くことになるから、2年生で単位を落としたらキャンパスを行き来することになって大変らしい。気が抜けないってよ。珍しく第二外国語が必修でウェイトも重いから、低い成績を取ると希望の学科に行きづらくなる。言語選択を間違えると大変だ」

 

 またしても詳しい内部事情が出てくる。東大卒の可能性まで出てきてしまったから、鎌をかけることにした。

 

「おすすめの第二外国語は?」

「・・・東大の二外に何があるか知らないし、人によって向き不向きがあるから答えられない」

 

 うまく躱された。東大の可能性は残ったままだ。最初の沈黙も怪しい。

 

「じゃあ早稲田は?」

「早稲田の理工もきつい。理工の学生全員が2年生でやる実験のレポートに共振レポートってのがあるんだけど、とにかく量が多いうえに内容も難解らしい。物理学科は数学の講義も難解だって聞いたな。キャンパスは高田馬場にあるから通学はかなり便利だし、文系学部のキャンパスにも近いから交友関係は広く持てる」

 

 やっぱり、妙に詳しい。でも語り口は伝聞だから、早稲田ではなさそう。慶応はどうだろう?

 

「慶応だとどうなの」

「慶応は2年生進級時に進振りがあるから、東大ほどじゃないけど気が抜けない。1年生は神奈川の日吉で、文系と医学系は進振りの後は都内だけど、理工系は日吉キャンパスの裏にある矢上キャンパスに行くことになる。駅から遠くて不便なうえに坂がきついから通学が大変だ。物理系行きたいなら1年生でやるフーリエ解析って実験のレポートが地獄らしい。あと施設が古い」

 

 5つもの大学の内情を知ってるというのは変だ。大学院で外部進学したのだとしても2校。学部課程で仮面浪人して複数の大学に行ったという可能性も含めて考えることにした。

 

「トレーナーって現役?大学院には行ったの?」

「現役だし院には行ってない」

 

 だとすると、通ったことのある大学は1校だけのはず。手掛かりを求めて、他の上位国公立大やマーチについても質問してみたけれど、同じように内部事情の話が出てきた。そして、どれも伝聞調だ。核心的な言葉は出てこない。 

 高村トレーナーの言う通り、友達が色んな大学に居たのか、それとも受験で下調べをしたから詳しいんだろうか。どこの大学出身なのか絞り込めないから、直球の質問をしてみることにした。

 

「・・・高村トレーナー、どこの大学出てるの?」

「・・・秘密」

「なんで?」

「教員は生徒に出身大学を教えないもんなの。生徒の間で余計な噂が立つだろ」

 

 確かにそうかもしれない。トレーナー含め、教員の出身大学なんて格好の噂のネタだ。生徒の側が勝手にトレーナーのランク付けをしたりするだろう。と、そこまで考えて、私自身客観的に見ればトレーナーの素性を詮索している噂好きの高校生そのものだとということに気付いた。

 どうやら難関大学出身らしい、というところで素性を探るのはやめておくことにした。トレーナーの大学名をどこかで口に出してしまったら、噂はすぐに出回る。そうなったら、高村トレーナーは本気で怒りそうだ。

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