『話』と聞いて、思わず身構える。まさか、本当に再度告白されるのだろうか。それとも、トレーナーになりたいからサブトレーナーの枠を空けておいて欲しいという相談だろうか。頼むから、後者であって欲しい。
「4年前、『卒業しても気持ちが変わらないなら話を聞く』って言いましたよね」
「・・・・・・ああ」
・・・これは、前者だ。
「トレセンを卒業してから3年で、色んな男子と会いました。でも、あなたのように、私の深くまで理解してくれる人は居なかった。あなたへの感情を忘れようとしましたが、でも忘れられませんでした。私の気持ちは、やっぱり変わっていません」
・・・どう答えるべきか、分からない。可能性は想定していたものの、本当に再度告白してくる可能性は低いと思っていた。思考が、まとまらない。何が正解なのか、適切なのかを導き出せない。元教え子であっても、成人済みであれば確かに倫理的問題は少ない。しかし、3年間一度も会っていなかった相手に対して、恋愛感情どうこうを考えられるわけもない。相手は3年間ずっとこちらのことを考えていたとしても、こちらはそうではない。
アドマイヤベガがそういった感情を抱いていたことを知っていたのは事実だ。あの提案をした時、本当に再告白されたらどうするのか悩んだのも事実だ。しかし、3年間一度も会いに来なかったことで、自分のことは忘れてくれていると、そう思い込んでしまっていた。
・・・真剣に未来を考えていなかったことのツケが、今、やってきた。3年分の重みと共に。
しびれを切らしたように、アドマイヤベガが言葉の続きを口にした。
「返事を、くれますか」
これ以上は考える時間を稼げない。口から出るまま、言葉を繋いだ。
「・・・その、本当にまた告白してくるとは思っていなかった。大学で、同世代の男子と付き合って、俺のことを忘れると思っていた。今のアドマイヤベガなら分かると思うけど、あの言葉は、精神的なケアを考えたもので、本当にこうなるとは思っていなかったんだ」
その瞬間、アドマイヤベガの表情が険しくなった。
「・・・は?」
「・・・すまない」
深く頭を下げた。しかし、アドマイヤベガの怒りはエスカレートしていく。
「・・・それ、どういう意味ですか。私の気持ちなんて、一時の気の迷いだと思ってたんですか」
そうだ。そう、思っていた。
「・・・高校生の時の私が、あなたにどれだけ救われたか分かっていますか。どれだけあなたのことを真剣に想ったのか、理解していますか。あなたに振られた時、どれほど悲しかったのか分かっていますか?あなたが『卒業したら話を聞く』って言ってくれた時、その言葉がどれだけ私の希望になったのか、分かっているんですか?」
どんどん、彼女の声が涙声になっていく。頭上から投げつけられる彼女の声を、黙って聞くしかない。
「それで、気持ちが変わっていないことを確信してもう一度気持ちを伝えたらこれですか?!私がどれだけ怖かったのか、勇気が必要だったか、分からないんですか?!」
反論の言葉も出ない。彼女が正しい。こちらの不誠実さが招いた事態だ。
「私は、『高校生の延長』じゃなくて、大学生として、OGとしてここに居るんです!振るなら、私の気持ちを受け止めたうえで、はっきりと振ってください!この感情に決着を付けさせてください!でも、『まさか本当に告白してくるとは思わなかった』はあんまりです!」
顔を上げた。
「本当にごめん。君が全て正しい。俺が間違っていた」
アドマイヤベガが、涙を流しながら怒りをぶつけてくる。
「私が、欲しいのは、謝罪じゃなくて、返事です!」
「・・・」
「どうして黙っているんですか。何か言ってください!」
思考する。彼女の気持ちに正面から向き合っていなかった。彼女の気持ちに対してどう返答するか、全く取り合っていなかった。時間が全てを解決するだろうという、甘い見積もり。単なる問題の先送り。目の前の元教え子の涙は、自分自身の罪そのものだ。
しかし、この場ですぐ答えを出せるわけもない。だから、代わりに。
「・・・一週間くれるか。真剣に考えて、その上で返事をする。約束する。ごまかしはしない」
「・・・約束ですよ。約束破ったら、背骨折りますから。本気ですよ」
本当にそれだけの身体能力があるから、冗談には聞こえない。相手は、競技引退済みとは言え若いウマだ。
「洗面台で顔を洗ったほうがいい。ティッシュは勝手に使っていい。落ち着いたら、鍵を閉めないまま帰っていい。後で場所と時間を連絡するから、来週そこに来てくれ」
アドマイヤベガは、何も言わずに頷いた。
ドアを閉め、ターフでトレーニングの準備を始めているであろう教え子たちのもとに向かう。背後からは、彼女の微かな嗚咽が響いていた。
高村に飲みに誘われた。場所は4年半前に誘われた麻布の個室居酒屋だ。あの時は当時の教え子アドマイヤベガに告白されたっていう話だった。場所が同じということは、また教え子に告白されたのかもしれない。あいつ妙に年下にモテるな。そしてモテる相手が中高生というのは、なんて悲しい
担当教員に対する中高生の恋というのは、小学生までのそれとは全く異なる。微笑ましい初恋として笑って切り捨てられるほど幼いものでもなく、かといって真剣な恋と言えるほどには成熟していない。しかも、法と倫理の壁が立ちはだかる。拒絶するのは当然としても、教育の観点と、一対一の人間としての観点、両方を考えて対応する必要がある。その難しさは、実際に教え子から告白されてみないと分からない。
高村はアドマイヤベガの引退後も癖のあるやつばかり担当しているけど、そのうち誰が高村に恋をしたんだろう。引退した3人と、現在担当中の3人の顔を思い浮かべながら、上弦の月が照らす関東平野を電車に揺られ、金曜日の煌びやかな麻布を目指した。
居酒屋の個室内に着席した後、本題の先に注文を済ませた。料理が卓上に全て並んだことを確認してから、口を開いた。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」
高村は怪訝そうな顔をしていた。
部屋を出た直後、通路で店員さんを捕まえて、こちらから呼ぶまで個室には来ないよう頼んでおいた。そしてトイレから戻る際、周囲に店員が居ないことを確認してから個室に入った。
「今周囲に誰も居ないし、店員さんにもしばらく来ないよう頼んだから、声を抑えれば漏れないぞ。で、また生徒関連?」
高村は意外そうな顔をした。
「・・・よく分かりましたね」
当然だ。大学から数えて何年の付き合いだと思っているのだろう。
「そりゃ、あの時と同じ店だからな」
「それもそうか・・・そうですよね」
数秒待っても高村が続きを言おうとしないので、こちらから先制攻撃をすることにした。
「今回は誰か当ててやろうか」
声を抑えて、本命生徒の名前を出してみた。
「ヒシミラクル」
「・・・
高村から、小さく呆れた声が返ってきた。
「いや知ってるけどさ、あいつアドマイヤベガよりもお前と仲良かったから。それに、確かお前の指導のおかげでスポーツ推薦取って早稲田スポ科だろ。今や学部の後輩だ。一番ありえると思ったんだけど」
「あいつにスポ薦取らせるのどれだけ苦労したと思ってるんですか・・・なぜか英語の個人指導までさせられて・・・あいつに告白されたら津軽海峡を泳がせてやります」
高村の眉間にしわが寄る。苦労したというのは、本当らしい。出鼻をくじかれたので、次は大穴を出すことにした。
「じゃあスイープトウショウ?」
「いや・・・きついでしょ、
だろうな、とは思う。高村は反抗期真っただ中の魔女っ娘中学生にいつも手を焼いている。となると、残りはエイシームサシ、コンセンシュガー、ボニンセボレー、ダイセンヨウの4人だけど・・・。
「
一人一人名前を出したけど、全員否定された。となると、告白された訳ではないのか?疑問符を頭上に浮かべると、高村がため息をついて正解を教えてくれた。
「
・・・想像が外れた。告白してきたのは、なんとまたしてもアドマイヤベガだった。
卒業以来ぱったりとメディア露出もなくなり、スポーツ界からも引退した彼女はどうしていたのかと思っていたけど、理系大学生として忙しい日々を送っているらしい。卒業以来3年間、一度も連絡は取り合っていないという。それなら、倫理的な問題も無い。なんて返事をしたんだろう。
「へえ・・・一途だな。返事は?」
「まさか本当に再告白してくるとは思ってなかった。1週間待ってくれ。そう言いました」
高村はうなだれながら弱々しく言った。『まさか本当に』ってどういうことだ?
「・・・そもそも最初の告白の後、結局どうやって関係を改善したんだっけ」
当時高校2年生だった
「卒業してしばらくしても気持ちが変わらないなら、話は聞くとだけ伝えてました」
・・・実に高村らしさが詰まった対応だ。卒業して一定期間の経過を要求し、しかも「いいよ」「考える」ではなく「話を聞く」。事実上の拒絶なのに、そうは聞こえない。物は言い様とは、よく言ったものだ。アドマイヤベガがそれに希望を見出すのも当然だし、3年間高村への想いを抱き続けてきたならそれは本物だろう。それを『まさか』で済ませるのは、高村らしくない不誠実さだ。
「アドマイヤベガ、怒らなかったか?」
高村は頭を抱えて言った。
「すげえ怒られました。『どういう意味だ』って」
当然だろう。微かな期待を抱き続けて、3年を経て再度気持ちを伝えたのにその対応は誰でも怒る。でも1週間は待ってもらえるあたり、アドマイヤベガは高村を諦めきれないらしい。
「1週間は待ってくれるなんて優しいな。よほど高村のことが好きだぞそれ」
高村の眉間に深い皺が寄る。
「だからですよ。あの時強烈に否定した感情が、大学生活を経ても変わらず、まさかの本物だったら、今度はこっちの真剣度が試される番です」
さすがに、現状はよく理解しているようだ。ここでまた不誠実さを見せたら、それこそアドマイヤベガは制御不能になるだろう。台風のように暴れまわりそうだ。
「ちゃんと真剣に考えて返事しないと背骨折られるぞ」
冗談めかして伝えると、高村は体を小さく振るわせながら苦笑いをした。
「あいつにも、『真剣に私の気持ちに向き合って返事しないと背骨を折る』って言われましたよ」
誰から見ても、今の高村は真剣に、そして誠実に向き合うことが要求されている立場だ。『背骨を折る』というのも、アドマイヤベガにしてみればあながち冗談ではないかもしれない。
「それで、実際あいつのことはどう思ってるんだ。てか今彼女いるんだっけ」
高村からは、微妙な反応が返ってきた。
「・・・今は居ないですけど、綾部のことは・・・」
『今は』というのが引っ掛かったが、触れるのはやめておいた。余計な火種が転がり出てくるかもしれない。
「今彼女居ないなら、アドマイヤベガと付き合うのも悪い手じゃないだろ。お前のことを本気で慕ってる相手で、倫理的な問題もない」
現状を、明確な表現で認識させてみた。
「でも、元教え子ですよ。俺への好意の源は、たぶん高2の時の高尾山での救助でしょうし、それは果たして健全な恋心なのかどうか。俺がそれに応えるべきなのかも分からない」
いつにもなく優柔不断だ。少し腹が立ってきた。
「自分の命を救ってくれた人に好意を抱くってのは別に変な話じゃないだろ。救急救命士でもないのに、救命講習を受けただけで完璧にそれをこなして教え子の命を救った24歳トレーナーなんて、誰から見ても賞賛に値する。好意に変わるのも自然だ。俺だって綾部の立場なら好きになるかもな」
最後は少し冗談めかして言ったつもりだけど、高村はくすりとも笑わない。
「そうですけど、でもこっちは仕事でやっただけです。それに緊急事態なんてのは、起きた時点で失敗なんですよ。未然に防ぐのがベストだ。あいつはそれを分かってないんですよ。リカバリーしただけの半端な指導者に対する好意なんてものに、つけ入るのはダメだと思うんです」
高村は、アドマイヤベガを未だに教え子という括りで見ているらしい。引退から3年半、卒業から3年も経っているのに、だ。
「高村ってまだ綾部のことを高校生と思ってないか?成人してるし、3年間一度も会ってなくて、それでまだお前のことが好きだって言うなら、それはもう本物だろ。だったら、純粋に高村が相手のことを魅力的と思うかどうかで決めていいだろ。で、結局あいつのことはどう思ってんの?」
先ほどの質問の答えを聞いていないままだったから、同じ質問を繰り返した。
「・・・まあ、昔から真面目で、言動とは裏腹に気配りのできる子でした。有り体に言って、『いい子』だとは思います。ウマだけあって美人で、だけど・・・」
高村の顔は晴れないままだ。埒が明かないし、堂々巡りになる。これ以上話しても空気が沈むだけだし、結局は高村の人生だ。話題を変えようと、テレビをつけることにした。
「なら答えは決まってるだろ。ほら、テレビ見ようぜ。せっかくの個室居酒屋だぞ。空気が悪くなる。告白受けた男の会話の空気じゃないって」
テレビ画面には、バラエティ番組が映し出された。よくある薄っぺらい、でも気分が明るくなるような騒がしいだけの番組。しかしすぐに画面は切り替わり、ニュースになってしまった。
「では、8時のニュースです。最初のニュースは、国内最高峰とも謳われる文学賞、
テレビをつけたことに文句を言っていた高村は、ニュースが始まった途端にテレビにくぎ付けになっていた。
――そこまで文学好きだったっけ?
疑問に思ったけど、問いかけるのは止めておいた。そして、茶川賞についてのニュースを最後まで見終わった彼は、どこか憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
その日、それ以上はアドマイヤベガについての話は出なかった。彼の中で何が変わったのかは分からない。しかし、大学生の頃を思い出すような、くだらない話で盛り上がった。久しぶりに、彼の心の底からの笑顔を見た気がする。楽しかった。
高村の担当生徒について
ヒシミラクル
本名 :
本名の創作意図
『幼い頃は親からクーちゃんと呼ばれていた』『ミラクルが本名だと発言している』という公式の描写から逆算
ターフネームの由来
親の勤務先の大手木材問屋に由来する冠名ヒシ + 名前の久美を「ひさみ」と読み替え + 苗字の「幾石」を同音異義語「奇跡」に置き替えた上で英訳→ヒシ・ヒサミ・ミラクル→ヒシミラクル
ターフネームの由来の創作意図
冠名の由来をほぼそのまま競走馬ヒシミラクル号から借用した他は、本名設定からの逆算です。
スイープトウショウ
本名 :
本名の創作意図
生産牧場の経営者藤田氏からの苗字の借用 + 千と千尋の神隠しの魔女『湯婆婆』を演じた夏木マリ氏からの名前の借用
ターフネームの由来
『魔女の箒』に由来する"スイープ" + 一族が受け継いできた冠名"トウショウ"
ターフネームの由来の創作意図
競走馬スイープトウショウ号の名前の由来をそのまま借用しています
※以下は本二次創作のオリジナルキャラクターです
ボニンセボレー
本名 :
本名の創作意図
小笠原諸島出身の女性名
ターフネームの由来
故郷小笠原諸島の古名『
ターフネームの由来の創作意図
出身地の地名をターフネームに含む『地名シリーズ』の一人
キャラクター設定
ヒシミラクルの友人の一人。アスリートとしての高い素質があり、かつ真面目な性格であることから、ヒシミラクルの怠け癖に業を煮やした高村がサポート・監視役を兼ねて指導生徒としてスカウト。小笠原諸島の父島出身で、実家がダイビングショップのため水泳が得意。
ダイセンヨウ
本名 :
本名の創作意図
某北海道出身芸人っぽい名前
ターフネームの由来
本名の『大泉洋』部分の音読み
ターフネームの由来の創作意図
大泉洋ネタ
キャラクター設定
函館市長の娘。叔父はタレント。
中等部2年でGⅡを2勝、GⅠで2位入賞。長距離ほど順位が上がる傾向にあったこと、そして中等部3年4月で最高速度がピークアウトした一方で持久力が伸び続けたことから、高村の進路指導によって高校は外部の進学校へと入学し、大学駅伝出場を目標としている。
エイシームサシ
本名 :
本名の創作意図
都心生まれっぽい名前
ターフネームの由来
本名のイニシャル + 東京を含む関東南部の旧国名『武蔵国』
ターフネームの由来の創作意図
出身地の地名をターフネームに含む『地名シリーズ』の一人
キャラクター設定
高村の現指導生徒の一人。大企業社長令嬢。
コンセンシュガー
本名 :
本名の創作意図
『シュガー』を含むターフネームが成立する姓 + 女性名
ターフネームの由来
出身地北海道中標津町の『
ターフネームの由来の創作意図
出身地の地名をターフネームに含む『地名シリーズ』の一人
キャラクター設定
高村の現指導生徒の一人。実家は酪農家。