今日は軽い出張だった。幸いそこまで遠いものではなく日帰りで帰れるのは助かった。しかし、仕事が終わりクタクタになった体で電車に揺られる時間というのは中々に堪えるものだ。そうなると少し億劫な気持ちもある。なので男はスーツの襟を緩めて上着を脱ぎ、普段来ることも、多分これからもないであろう街を探索する事にした。どのみち電車に乗らねばならないのだから現実逃避でしかないが、気分というものは馬鹿にできないのである。
そうして街をぶらり歩く男は周りに目を向ける。どうやら商店街のようだ。夕方でもう日が傾きかけているが、まだまだ人は多く中には学生も混じっている。今日の献立を考えながら店先の商品を手に取る主婦の姿や、肉屋で売ってるコロッケの買い食いに勤しむ学生。普段見逃すような誰かの日常の1ページを男は見た。
「最近は商店街も見なくなったよなぁ」
男が住む地域にも、昔は商店街があったが、近くにできた大型ショッピングモールに客を取られ、今やシャッター街となってしまっている。昔馴染みの店が消えていく様には悲しさと寂しさを感じたが、生きていくというのはそういうもので、人間とは変わらずにはいられない生き物なのだと思わせた。
その点、今いるこの商店街には古き良き日常があった。願わくば、その形を失うことがありませんように、なんて他人事に祈ってみたりもする。と、余所見をしながら考えを滑らせる男は前方不注意というやつで、誰かとぶつかってしまった。
「おっと……すまん、大丈夫か」
幸いお互い転ぶことはなかったが、相手は女学生だったようだ。体格だけは大きいから、突き飛ばしてしまわないか焦った。
「いや、大丈夫。すまない、少し不注意だったようだ」
その女学生から返ってきた返事は随分と硬く、大人びたものだった。見ない制服だが、この辺の学校だろうか。腰から垂れる髪の毛みたいなのは……オシャレというやつだろうか。女の子のお洒落には疎く、そういうものなのか、と納得させ、ジロジロ見るのも変だと視線を切った。
「しかし……」
女学生が視線を向けた先は地面。べちゃりと、頭からソフトクリームが落ちていた。どうやらぶつかったときに落としてしまったらしい。これは申し訳ない。たかがソフトクリームかもしれないが、学生の数百円は重いのだと知っている。当時学生だった男がそうだったように、数百円に泣き、数百円に笑うのだ。その価値はとても重い。
「あぁ……すまん。弁償させてくれ」
なんならそれよりグレードをあげて奢るのがスジだな。そう言えば、女学生は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「いや。そこまでしてもらうのは──」
「ダメだ。こういうのはちゃんとしなくちゃ」
「だが──」
なおも食い下がる女学生に、男は笑ってくしゃりと頭を撫でてこう言うのだ。
「大人しく奢られてくれ。俺がこうしなきゃ気が済まないんだ。俺を助けると思って……な?」
子供が遠慮を覚えるには少し早いだろう。こんな時くらいしか大人としていい顔ができないんだ。詫びくらいさせて欲しい。
「む……そ、そこまで言うのなら」
渋々と言った様子で折れる女学生の顔の赤さは決して、夕焼けの赤さだけではないだろう。自然とやってしまったが、初対面の相手に頭を撫でられては嫌だったか。当たり前だな。そうこうして、少し高めのソフトクリームを売店で買い、手渡す。もう片手には自分用にもう一個を。
買った人用に置かれたベンチに座り、2人でチビチビとソフトクリームを食べていた。夕焼けの光が沈み始めている。それを眺めていると、ふと女学生の視線が気になった。その視線は、道を行く学生達の群れにあった。友達が少ない者特有の羨望かと思いきや、それも少し違うように感じる。これは……微笑ましい物を見る老人のように思った。
この女学生は大人びていると思ったが、それ以上に枯れているのではないかと勘繰ってしまった。
「気になるか」
そう尋ねてみる。ちょっと学生がするには大人すぎやしないかと思ったから。
「あぁ、いや……こうして楽しそうにしている姿を見ていると、やはり良いものだと考えるんだ」
「まだ若いのに年寄りみたいな考え方をするなぁ」
「ふふ……そうかもしれないな、だが私の夢なんだ。皆が幸せでありますように──なんて、星に願うような、些細なものかも知れない。そう言えば貴方は笑うか?」
別に笑いはしない。どんな夢であれ、子供が願うならそれは立派な目標だろう。それに──
「誰かが言ってた。子供の夢は未来の現実。それを夢と笑う奴はもはや人間ではない。ってな。俺も同意見だ。目指す価値のある夢だと思うよ」
しかし、いただけないのは、その夢に入ってなきゃいけない人がカウントされていない事だ。
「ただ──」
「ただ?」
そうオウム返しする女学生に、男は笑ってこう返した。
「誰かの幸せの前には、必ず自分の幸せが来るべきだと思うぞ。幸福ってのは無から生まれない。自分の幸せをお裾分けしていって、広がっていくんだ」
少々ロマンチックがすぎるかもしれないが、幸せなんて元より浪漫だろう。構うものか。
「自分の、幸せか。考えたことがなかったな……夢の実現だけを邁進してきたつもりだったが──脚下照顧。私もまだまだらしい」
「今気づけたなら、まだ遅くはないんじゃないか」
っと、話していたらソフトクリームが溶けてしまう。ささっと食べて立ち上がる。さて、大人のお節介は程々に。程度が過ぎれば毒と変わらん、退散するとしよう。
「俺はこれで帰るよ。夢に向かって頑張れ──少女よ。大志を抱けってな」
夕焼けの光が閉じ、夜が訪れる。先輩風を吹かせながら、数歩進み振り返ればベンチには誰もいなかった。
「あれっ、もう行っちゃったか。1人でカッコつけてダサかったかな……」
1人で盛り上がってて恥ずかしくなり、男は小走りで駅へと向かうのだった。