ぶるりと震える体を抑えるように両肩を抱く男は今、仕事を終え帰路についていた。早く帰らなくてはシービーが不貞腐れてしまう。あまりの寒さに吐く息は白く染まる。が、今はそれよりも白く男の視界で主張するものがあった。しとしと、はらはらりと落ちる。夏が終わり秋本番なこの頃、少し季節外れの雪が降っていたのだった。
「積もらなきゃいいが……」
雪を見て興奮する子供時代とは打って変わって、今男の思考を埋め尽くすのは明日の事だ。雪が積もればそれだけで次の日、外に出なきゃならないことが憂鬱になってしまう。雪一つではしゃげた子供だった自分は、遥か彼方でこちらに手を振っている事だろう。
しかしまあ、季節は年々その境を無くしているような気がしてならない。この調子では四季の移ろいを感じる暇など無くなってしまうのではないか、なんて考えてしまう。
「ぶえっくしょいッ!!」
寒さに当てられた被害者がまた1人、少女が盛大にくしゃみを散らしているのを目撃した男は寒さとはある意味誰にでも平等なのだなぁと呑気に思った。しかし、目の前でくしゃみする少女の格好は少々いただけないものがある。何処かの制服だろう、衣替えのシーズンにはまだ早く、半袖の制服はこの雪には無防備も同然だ。男は他人にそこまで優しくはなれないが、見てしまえば無視もできない性分であった。
「風邪引くぞ」
男は少女に声を掛け、コンビニで買った安物のマフラーを首に掛けてやった。突然の事に目を白黒させる少女に、男はしてやったりと笑みを溢すのだ。
「な、なんだぁ、ありがてぇけどよ……」
突然の申し出に少女は困惑しながらこちらを見る。まあ不審者だと思われないだけマシだろう。これに関して警戒するのは正しい反応だ。だが運が悪いと思って諦めて欲しい。いや、運がいいのか。
「余計なお節介ならすまんな、あんまりにも寒そうに見えたから」
そう返せば少女は少し納得した様子。黒髪をポニーテールにした少女の前髪、白のメッシュが男の目についた。最近の学生はお洒落だなぁなんて男は思った。自分が学生だった頃はキッチリしていたというか、厳しすぎる校則と教師からの鋭い監視の目と掻い潜りお洒落を目指す女子学生の激しい戦いをよく見ていた。男にとって意地やプライドが全てだったように、女にとってお洒落とはそれだけの価値があったのだろう、と今なら思う。
「……そうか、助かるぜ!急な雪に流石に困っちまっててよ。これで少しはマシになる」
そこから女学生の男勝りな口調とカラッとした性格についつい会話が弾んでしまい、近くのコンビニで缶コーヒーを買ってあげた。
「何から何まですまねぇな」
「いや、別にこれくらい気にしなくていい」
寒い中で飲む暖かいコーヒーは、飢えた犬が食べる食事のように染み渡るものだ。そう言う男が持っているのはお茶だが。そうして一口二口、飲みながらコンビニの店前、軒下で雪を凌ぐ2人の会話は弾んだ。相手が誰でも自分というものを曲げない女学生と、大人として一線を弁える男。2人の相性は良かったのだろう。
「しかし最近の学生はみんなこう……美形なのかねぇ。最近会う学生は皆そうだったよ」
「……褒められてんのか?悪い気はしないけどよ」
最近やたらと学生と出会うことが多い。シービーもそうだったがモデルとか言われても信じてしまいそうなくらい顔がいい。偶然と言われてしまえばそこまでだが、こうも続けば何かしら縁を感じるのも変な話ではないだろう。雪を見ながらんー、と悩ましげに声を出す男に、女学生は先ほどまでの快男児のような印象から、何処か儚げな、陰のある表情をした。
「どうした?」
一瞬だけだったが、その変化を見逃さなかった男は尋ねる。尋ねてから踏み込みすぎたかな、と考えたが言ってしまった後だ。軌道修正も無理だろうしこのまま聞いてみる事にしよう。
「あ、いや……」
「悩み事なら話、聞くぞ。見ず知らずの他人だから話せる話もあるだろ」
思春期を迎える学生に悩みは付きものだろう。いくらでも出てくるなら一個一個積荷を下ろすように解決したっていい筈だ。
「……そうだな、ちょっと聞いてくれ」
そう言った女学生は語り出す。しんしんと降る雪が、2人以外の存在を隠す。そんな中で交わされる悩みは、きっと誰にも聞かれる事はないだろう。
「あたし、色々走ってきたんだよ。中央の奴らに負けねぇ、超えてやるって息巻いてここまで来たんだ」
アスリートの類だろうか。ここで聞いても話の腰を折るだけだろう。そう判断し今は静かに話を聞く。
「この前なんか、京都新聞杯だって獲ったんだぜ。凄ぇだろ?」
そう言って胸高々に言う姿には自信が満ち溢れているように感じたが、すぐに萎んでしまう。
「だけどよ、足りねえんだ」
「足りない?」
いかにも不完全燃焼です、といった顔を隠さない女学生は心の中で何か違うと囁くのだと告げた。
「こう、言うのが難しいんだけどよ……あるべきものがない……って言うのか。走る私の後ろには、誰かいねぇんだ。必ずいる筈の。私の魂は、そう叫んでるんだ」
「なるほど?」
よく分からないままに相槌をうつ。男にわかる事は少ない。少ないが、己の直感のまま思った事を言ってみる事にした。
「だったら、探してみたらいいんじゃないか」
走ってる中で、そいつが居ると思うのなら走ってる中に探してみればいい。きっと見つかる……って言えたら良かったがそんな無責任な事も言えないからな。何かヒントがあるんじゃないのか。
「んー……ま、それが一番手っ取り早いんだろうな」
「何かヒントになったか?」
「いや、でもこうしてウジウジ悩んでるのもあたしらしくねぇ。だったらとにかく動いてみるしかねぇと思ってよ」
ばしっと拳を自分の手のひらに叩きつけ、好戦的な笑みを浮かべる女学生。そんな折、雪が止み始めるのを感じた男は、軒の下から飛び出す。いい加減シービーがしびれを切らす頃だ、早く帰らねばならなかったからだ。
「頑張れ若人、応援してる」
「あ、おい。このマフラー返すよ」
「いい、安物だからあげる」
そう言って止み始めた雪の中を走る男は、女学生の視界を雪が一瞬遮った後には跡形もなく消えていた。
「ありゃ……?」
自分は夢でも見ていたのか、と一瞬考えるが、今も寒さを遮り暖かさを与える首元のマフラーが、夢ではないと告げていたのだった。