陽乃中、雪乃下で、いろはすを片手に結いする、間違いつづけた彼女たちの青春は、フィナーレへと結する。完 作:mokahurapeto-no
今日は、一月十三日。
成人式の日だ。
こういう祝い事を忘れやすい俺がなぜ覚えているのかというと、るみるみとけーちゃんに来てほしいとせがまれたからだ。
勿論、雪乃と由比ヶ浜も同伴で。
一色はあの二人とは接点がなかったので、不参加だ。
今度会わせてみようか?
.....いや、けーちゃんはともかく、るみるみはマジの下さんだ。
一色とは火に油、傷口に塩、雪ノ下に由比ヶ浜だ。
ん?なら、意外に相性が良かったりするのだろうか。
何だかんだ一色は面倒見がいいのは、関わっていくうちに分かっていったからな。
あざといながらも、あいつはちゃんと人を見ている。まあ、少しひねくれていたが、
全く誰に似たのだろうか、、、
そんなことを考えていると、駅の前で待ち合わせしていたカフェに着く。
店に入り早々、ブラックのコーヒーを頼む。
昔は砂糖なしは苦手だったが、彼女が好きなコーヒーを飲もうと努力している。
足早にカウンターから去り、急ぎ足で席に向かう。
どこに座ってるかなんて知らないが、何となく隅の最奥に座っているんだろうなと、そんな気がした。
いつになく、似通った構図。
だが、違う点が一つ。
手元にあるコーヒーは彼女が好むエスプレッソではなく、マッカンだった。
彼女が近寄りがたさを醸し出すことも、人をさげすむような目線も、今は面影すらない。
そこにあるのは、俺を理解しようとしている証のマッカンと、部室に香っていたエスプレッソの香りだけがそこにあった。
すると、彼女は目線に気づいたのか、徐に顔を上げる。
そして、パアアッと顔を綻ばせる。
その顔には、致命傷を与えるような冷たさはもうない。
今日は彼女と何を話そうか、どんなことを分かち合おうか。
そんなことを考えながら、比企谷八幡は歩みだす。
あの時近寄ることすらままならなかった、彼女の間合いに踏み出すのだった。
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成人式、それ即ち大人への一歩。
などとは思わない。
どちらかと言えば、親や親族に向けての巣立ちを確認させるような意味合いの強い行事だろう。
本人たちも募る思いはあるだろうが、家族などに成長を見せる機会だと、思う。
さて、そんな彼ら彼女らの巣立ちを見た者はどうなるだろうか?
結論、泣く。
俺のけーちゃんが、あんなに大きくなっちゃって......
あんなにちっさくて、可愛らしいけーちゃんが別嬪さんになっちゃって.,..
それに、るみるみも見てくれは完全に財務省の秘書になっていた。
あの、ミニノ下がこんなに雪ノ下そっくりの、ゆきのんのゆきのんになっちゃって.......
そんな思いを胸に俺が嗚咽をしながらむせび泣いていると、不意に手に力が籠められる。
「今、不快なことを考えていなかったかしら?」
おぞましい目線と、にこやかな微笑み。
相反する二つがおぞましく見えて仕方なかった。
美しものと恐ろしものは同居することは出来ないのだ。
そう、雪乃と陽乃さんの様に!
「いやね、違うのよゆきのん、決して不快になるようなこと考えていたわけじゃないのよ」
「貴方がゆきのん呼びをしているのが腑に落ちないのだけれど...まあいいわ、聞いてあげましょう」
流石、迷える子羊を救いたもうメシアだ。
まさに、ゆきのん様様。情状酌量の余地を与えてくださったのだ。
ここをミスるとやばい。まじやばい。三途の川を渡りかねなくなる。
八幡!いっきまーす!
「俺はるみるみの成長を感じてただけなんだ。」
「そう?その下卑た視姦する卑猥な目線で、小学生から成長した彼女の肢体を舐めまわすに見てたって事かしら?」
「そりゃ、スタイルいい人がいたらその人を見るのが本能だからな。」
「ふうん、鶴見さんは私にスタイルが似ているからってことね」
「そうそう、ボディーラインとか慎ましやかな胸なんてそっくり...」
「......」
「あ」
「スレンダーな女豹のような体型...そうよね?比企谷八幡」
「はい、雪乃様」
有無を言わさぬ迫力。異議を唱えさせない名前呼び。
思わぬ形で調教されてしまった。
怒られるときはフルネーム呼びってはっきり分かんだね。
万国共通なのだろうか。
「ヒッキー!ゆきのん!ごめん、飲み物全然売ってなくって~」
そう言って、はあはあ息を吐きながら急ぎ足で、由比ヶ浜が駆け寄ってくる。
額の際にはしっとりとした脂汗をかき、犬の様にはあはあと舌を出しながら体温を下げようとしている。
...そうね、取り敢えず愛でてあげなきゃ「迫真」とか雪ノ下は思ってんだろうな。
長年の付き合いだから直感で分かった。
案の定、雪ノ下が膝の上に由比ヶ浜を引き込み、顎の下を擦るようになでる。
「こんなに可愛いものは保護しなくてはいけないわ、保護しましょう、そして私が幸せにするわ」
「それは嬉しんだけどね?そ...その私今いっぱい走ってきたから汗臭いかも...」
「いいわ、うん、いいのよ.......」
「なんか悟ってる!?てゆうか、私いつの間にか膝の上にのせられてる!?」
間の抜けた素っ頓狂な声をあげながら、ジタバタと膝から降りようとしている
が、両手両足を雪乃にがっちりとホールドされていた。
其れもとてつもない力だ。
雪乃の手から逃れられないと悟った由比ヶ浜はふっと、項垂れるように体を預けた。
ご満悦な雪乃さんは抱き枕を抱きしめるように身を摺り寄せ、うなじに顔を埋めている。
すぅはぁすぅはぁ、興奮交じりの吐息と呼吸音が聞こえてくる。
変態おやじかよ。誰得なんだ、この百合百合しいのは。
俺得でした。すいません。
「流石に俺でもドン引きだよ」
そう告げるとスンッとした顔を、こちらに向けて来る。
「貴方は知らないようだから教えてあげるのだけれど、匂いというのは関係を継続していく中で最も重要、匂い程相性の濃淡を示してくれるものなんてないわ、つまりいくら臭くても由比ヶ浜さんを近くにおける私は相性抜群ってことなのよ」
むふぅっと、薄い胸を自慢げに反らす
君良くあの醜態を晒したのにそんな真顔で言えるよね。
逆に凄いだろもはや...
ついでにまた顔を埋めてるし。デュフってるし。
何故だろうか、デュフの下さんはあまり見たくないような...
「まあ、そんなデュフの下さんも好きだけどな。今の八幡的にポイント高い☆」
☆(ゝω・)vキャピという効果音が付きそうな表情で、右目でパチリとウインク、右手を顔の前に突き出しギャルピース、舌をぺろっと出し愛嬌を振りまいた。
やたらと早口で尚且つオタクっぽい喋り方で、相性の有無を伝えて来る。
すると、その横で不満げそうな自信なさげな様子で、会話に割って入ってくる。
「それってさ...私くさいってことなの?...ゆきのん?」
「...ち...ちが.....く..さく...わ........大丈夫よ、大丈夫だから」
女神の様な慈愛に満ちた目と、はかなげな笑みを浮かべている。
「それは暗に由比ヶ浜を臭いですよって、言ってるようなもんだろっ!由比ヶ浜を!」
「なんで二回ゆうし!ふたりともひどいっ!」
「いいのよ、どんな由比ヶ浜さんでも受け入れるわ」
「そんなことないからあ、ほらあ、嗅いでみてよぉ......臭くないからあ」
「いえ、遠慮しておくわ。こちらから行くのはいいのだけれど、こられるのは困るのよね」
「それな、攻めは強いんだけど受けが苦手っていう恋愛の定石に通ずるものがあるよな」
「ていうか、嗅いでよっ!私の事無視しないでよー」
「そろそろ、休憩終わるだろ、ぼちぼちいくか」
「そうね、行きましょうか」
「ちょ、待ってよ~ゆきのんー」
時間がたっても変わらないものは無いという。
当然俺もそう思う。
関係は変わりゆくものだから。
あそこに咲いている桜も散れば、お粗末なただの枝になる。
散りゆくもの、消えゆくもの、そう思っていた。
だからこそ、尚更うれしかったのだ。
この三人で並んで歩けたことが。
........
「ううっ、ぐすっ、ひっぐ、ひっぐ」
声を押し殺しながら、一人泣いていた。
うめき声をあげ、一人感傷に浸っていた。
周りから見れば、さも、不審に見えたことだろう。
だが、そのうちの一人は違ったらしい
爽やかな空気を纏い、フローラルなにおいを纏わせ、こちらに近づき、何も言わず肩叩く。
恥ずかしくて、顔を上げることもできない。
俯いているままだ。
なんて不愛想なんだろうか。
だが、俯いている俺の視界の端に、すっとハンカチが映り込む。
「テュンク」
彼は何も言わず、ただ黙りこくっている俺にハンカチを差し出してくれていたのだ。
なんて優しいんだろうか。
その優しさをきっと君が教えてくれたんだ。
損得も利害もない優しさというものが存在することを。
今顔を上げてお礼を言わなければきっと後悔する。
だからこそ顔を上げよう。
ゆっくり湾曲している背骨を伸ばし、顔を上げる。
いったいどんな人なのだろうか、どんな....
「ひきたに、泣きすぎだろ...」
そんなことを言いながら金髪イケメンは俺にハンカチを渡してきた。
「ああ、ありがとうな葉山」
そういいながら、自然な流れで受け取る。
ハンカチにビーッと鼻水を出し、顔を上に背ける。
そして、天を仰ぐ。目をつぶり、ふうーと深く息をつく。
はあ、もうあの子たちは二十歳か。
いつの間にか、俺も年取ったんだな。
いずれ交際をし、結婚もするんだろう。
うう、胃がキリキリと痛む。
どこぞの馬の骨かもわからん奴に、るみるみとけーちゃんは渡せない!
とか言いつつも、葉山みたいなやつがすっと、掻っ攫っていくんだろう。
そう、葉山みたいなやつが。
葉山?
葉山....
「なんでお前がいるの?」
「やっとか、気づくの遅いだろ。最初っから居ただろ...」
「いや、それなら話しかけろよ。後方だから分かんないわ」
「いや、ひきたにが始まった時からずっと泣いてたから、話しかけづらかったんだよ。」
そういうと、葉山は苦笑いを浮かべる。
まじかよ...ええ...葉山かよ.....はあ...
そりゃさ?もちろん男の可能性もあったけどさ?こういうシチュエーションは美少
女ってのが相場だろっ!
ああ、イラついてきたわ
んでだよ、俺の美少女どこなんだよっ!ああ!
「なんでだよっ!美少女どこなんだよっ!」
イライラを葉山にぶつけるような、咎めるような口調で言う。
俯瞰して自分を見てみると、職場でパワハラしてくる上司のようだった。
すると、葉山は戸惑ったような、動揺している色を隠せないような様子で
「美少女なら高校時代からずっと侍らせてたじゃないか。いろはとか、結衣とか、君の恋人とか。そ...それにどうした?なんでそんな切れてんだ?」
そう言ってきた。
あれ、そう思うと結構俺の周り美人が多い?
陽乃さんも性格あれだけど容姿だけで見れば美人なのは間違いないし、最近あってはないが川崎も美人と言っても過言ではない容姿だ。
そう思うと悪い気はしないな。不倫したら、雪ノ下家に消されるけど。
「いやっ、何でもない、すまんさっきは切れて」
「ああ、全然大丈夫だよ。急にしおらしくなったな」
熱が冷めたのかいきなりスンっとした態度になってしまった。
まあいいか、葉山だし。
なんだかんだ言ってこいつは受け入れてくれるだろう。
海老名さんなんかに言ったら大変なことになるがな。
地雷を踏みぬいてしまわないようにしないと、爆発してしまうからな。
「それよりも、お前はどうなんだよ?」
「どうって何がだ?」
「お前の思い人の事だよ」
「あぁ、陽乃さんのことか」
「おぉ、名前言っちゃうのか」
「未だに追いかけているよ、まあ、全く意識はされてないけど、前に陽乃さんが独立するときに、無断でついていったら、大笑いされたくらいだね。」
「え、お前無断でついていったの?会社はどうしたよ、思い人との愛の巣は?」
「社長に辞表叩きだしたね。理由は陽乃さんとだけ言ったら、快く送り出してくれたよ」
「まじかよ、社長心広すぎだろ、四次元ポケットかよ」
「それと、断じて愛の巣にした覚えはない。はあ、全く君は変わらないな」
それにしてもなんていう懐の良さだろうか。
世間一般的に見ても葉山は有能だ。
ルックス良し、性格良し、おまけに成績優秀、さらに場の空気もよくなるという特典付き。
会社に一人は欲しくなるもんだ。
俺が社長だったら、絶対に手放さない。
だというのに、引き留めるでもなく、むしろ快く送り出した。
なんて良い社長なんだ。
是非ともお会いしてみたいものだ。
そして是が非でも、転職してみたい。
雪ノ下建設で、尻に敷かれる日々から脱却するのだ。
「それよりも、君の事を気にかけているみたいだったよ、相変わらず好かれているな、君は」
「いやいや、陽乃さんのお眼鏡にかかなうような男じゃないだろ、おれは」
「そうか?君は結構いろんな人からやじるし向けられていたんじゃないか?」
「勘弁してくれ...それで?どうするんだ?葉山....」
正直、好きな人から全く見向きもされない状態っていうのは思ってるよりも心に来る。
経験者の俺だからわかる。
目で分かる。
こちらに目線があっていても目が俺の事を見ていない。
後ろの誰かを見ているのだ。
嫌われているとかならまだいいほうだ。
問題はどうとも思っていない目線だ。
その目は俺を認識すらしていない。
いても、いなくても変わらないのだ。
あの気持ちは惨めこの上ないものだ。
好意しか向けられてこなかった葉山にはきついかも知れない。
陽乃さんが振り向く可能性もゼロじゃない。
ただ、可能性としては十パーセントもないだろう。
諦めさせたほうがいいのかもしれない。
少し煽ってみるか。
「なあ、葉山。陽乃さんは俺にご執心だから無理だぞ?多分、知らんけど...」
少し驚きを混じらせた苦笑を浮かべる。
そのあとに、喉の奥から乾いた笑みを浮かべる。
それから、目線をまっすぐぶつけて、口を開く。
「君は本当に嘘が下手だな...まあ、そうだな、たとえご執心だとしてもしっぽ巻いて逃げるつもりはないな」
「勝算...薄いぞ、いいのか?お前なら、陽乃さん以外なら、誰とだって釣り合うぞ?」
すると、苦笑交じりだった笑みをふっと破顔させ、言葉を続ける。
「誰か...じゃダメなんだ、彼女じゃないと。それに俺は君が嫌いなんだ。君に向いている目線を必ず奪うよ。」
いつだって、どこだって、葉山は葉山隼人だった。
いつも通り苦笑を浮かべながら...な?
......
私は今、成人式を終えて、けーちゃんを成人式の会場で待っている。
集まったのちに打ち上げの予定だ。
打ち上げと言っても、小中高に友達はあまりいないし、大学の打ち上げでは参加したとて、節操なしな男に言い寄られるのが関の山だろう。
それに、全く面識のない子が隣に来た時、其れこそ地獄だ。
お互い話題を探そうとして必死にしゃべるが、時々喋りだしが被り、「あ....そちらからどうぞ」とだとらも譲り合い最終的にお互い、違う人にしゃべりかけるということになるのだ。
決して経験談とかではないのだけれども....
だから、八幡たちと打ち上げをすることにした。
はあ、それにしても私ももう成人か...
着々と年の功を積み重ねて、老けていってる気がする。
そういえば、最近腰が悪くなっているような...いやいや、私そんな年じゃないのだけれど。
まだぴちぴちの二十歳だし。
そんなことを考えていると、不意に後ろから「ドンっ」という音とともに抱き着かれた。
「るーちゃん!一緒に打ち上げいこっ!」
「京華か。びっくりさせないで。」
「えへへ、ごみんにー」
少し冷たいように映ってしまうかもしれないが、これが私たちのデフォルトだ。
逆を言えば、気兼ねない心を許してるからこその名前呼び。
みんなにも見てほしい子の顔を。
純粋無垢な顔で愛嬌を振りまき、愛想は良く、しかも美人さんときた。
かあ~、んとにこの子ってば。
大学で何人の男を惚れさせてきたのか、、、
なのに、一人もokせず好きな人がいるのでと断り続けてたときた。
好きな人がいるのでと。
以前に聞いたことがある。
「京華の好きな人って誰なの?」
するとニヤッと悪い顔でほくそ笑む。
「多分るーちゃんが知ってる人なんじゃないかな?私、ルーちゃんとおんなじ人だから」
何がとは聞かなかったけど、彼女の本性は魔性の女だなと思った。
それにしても、けーちゃんも私も恋人がいる人を好きになるなんて趣味が悪いな。
でも、しょうがないとも同時に思う。
だって、一番つらい時に私を救ってくれたんだから。
誰だって好きになってしまう。
一番欲しい時に彼は欲しいものをくれる。
だから惹かれてしまう。
傍から見れば、不愛想な態度や、ひねくれ思考死んだような目は悪印象しか抱かないだろう。
それでもいいと思う。
彼の魅力はわかる人にだけ分かればいいと。
優しさを持ってる人なら自然に気づくものだ。
そんなことにも気づかない人は、分からないままでいい。
惚れた弱み、というやつなのだろうか。
俯瞰的に見れば、悪いと言われる事まで好ましく感じてしまう。
これが恋なのだろうか。
勝算の薄い恋をしたものだ。
彼が愛してやまない恋人がいるというのに。
それに彼は私の事を妹としてみている節がある。
異性ではなく。
なんで彼なんだろうか...と思うことは意外と多々ある。
特に彼が恋人以外の女の子としゃべっているときや、一人でいるとき机に頭をのせながら考える。
だが考えたとて、この思い高ぶるような沸き立つ好意は抑えられないし、天から助言が来るわけでもない。
自分で選ぶものなのだ。
理屈や、合理性をもってしても好きになってしまう。
私はきっと、そんな恋をしている。
......
会場を去る前、昔の友人とすれ違った。
「ねえ、鶴見がなんで居るの?」と言ってきた彼女。
「うわ....一人で後ろついてきてるんだけど..」と言ってきた彼女たちの嘲笑。
今も鮮明に思い出せる。
笑い声を聞くたび、あの記憶がフラッシュバックしてくる。
自分の一番弱いところを抉られる。
痛い!痛い!いやあぁぁぁぁあ
そういっても、誰も助けてはくれない。
大人はつらい時は誰かに助けを求めなさい、という。
現実は違う。
次の標的になりたくなくて、いじめられたくなくて、弱者とみなされたくなくて、その行為の一切をなかったものにする。
悪意の連鎖に無意識のうちに加担している。
まあ、みんなきっと自分でいっぱいいっぱいなんだろう。
そりゃそうだ、自分を愛すのにも時間がかかるのに他人なんか愛せるわけないのだから。
キリキリと胃が締め付ける。
お腹がたまらなく冷たくなる。
体から熱が抜けていく。
それなのに、脂汗をかく。
神経が過敏になってすべてが苦痛に感じる。
笑えなくなる。無理に笑おうとすると嘘をついている気分になる。
ふとした瞬間に立ってられなくなる。
この場所が何処までも沈んでいけばいいのにと感じたあの感覚。
体が危険信号を発していた。ここにいたら壊れてしまうと。
その元凶が目の前にいる。
前に考えたことがある。
もし、復讐できるような状況があったとして、私は一体どうするのか?と。
その時はどうやっても許せないと思っていた。
でも、今実際に目の前にして分かった。
私、相手にする気もなかった。
驚くぐらい何も感じなかった。
憎しみすらも。
同じ人間だと認識してなかったのかも?
相手がすごい可愛くて、スタイルもよくて、人脈に優れてて....
とかだったら、話は変わったかもしれない。
でも、実際は、中の上だしお世辞にもスタイルがいいとは言えない。
おまけにつるんでいるのは、如何にも人を貶めることでしか自分を評価できなさそうな人たちばかり。
私のほうが誰が見ても可愛いし、スタイルはたぶん...雪乃さんたちと並べるくらいにはいいし、友人は......まあ、悪くはないと思う。
少しひねくれている人が多いくらい。
でも、私の好きな人たちだ。
何一つ負けてる要素がなかった。
だから、気にも留めれなかったんだろう。
でも彼女たちは違ったらしい。
私の事を見て、あの笑みを浮かべひそひそとこちらに分かるように陰口をたたいている。
一人じゃどうしようもないから、群れて私を省こうとする。
何一つ変わってなかった。
でも、私は違った。
痛みを知って、救いを求めて、微かだけど確かに救われて、
人を知ろうとして、でもわかんなくて、其れでも知ろうとして、
彼と同じ学校に入って、奉仕部で自分の大切な居場所を作って、彼に恋人ができて...
なのにあの頃の恋心は今もなお熱を帯びたままで、
大学に入って彼のような人を探してみたけどやっぱり何処にも彼のような人はいなくて、
あの時の私を助けてくれたように誰かの救いに...なんて、そんなおごり高ぶったことは言わないけど、
誰かの「微か」になりたくて、心理カウンセラーを目指して勉強に励んで、今日成人することが出来た。
今の私を作ってるのは過去で、未来の私を作ってるのは今だ。
あの耐えきれないほどの苦痛も、救いも、幸福も全部必要だからあったんだと今なら思える。
痛みを知らなかったら、私もまた加害者側に回っていたかもしれない。
そんな痛みを知らない人間に私はならなくてよかった。
だから、彼女たちの前に敢えて立つ。
目をはっきりとと合わせて見つめる。
相手は、わざわざ絡みに来ると思っていたのか、身をよじりながら後ろにたじろぐ。
「な、なに?」
何も言わず無言で立ち尽くす。
距離をじりじりと詰める
「だから、なんなのよ!?あんたなんかお呼びじゃないのよ?分かる?」
足で地団駄を踏み、腕組をしている右手の人差し指を苛立ちを隠せない様子で絶え間なく動かす。
まるで子供みたい。そう、子供.......
そっか、この子はあの時のまんまなんだ。
会話はいらない。
一言だけでいいと思った。
それだけで、もうこの人に思い残すことなんてないと思った。
ゆっくりと横に通り過ぎる。
だが目線は逸らさない。
まっすぐ瞳の奥のものを見つめる。
「さようなら」
そういった瞬間、瞳の奥に色が見えた。
怯え?...嫉妬?....恐怖?....
違う、たぶん後悔なんだろう。
それだけで十分だった。
私は振り返らなかった。
後ろから、微かに声を掛けられていたのかもしれない。
でも、振り返らなかった。
後悔、思い残すことがあるから、人は振り返る。
私にはもうない。
私に必要なのは、ただ真っすぐ、後ろを振り返らず、前に進み続けることだった。
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時刻は夕暮れ過ぎ。
外に出た時には、日はすっかり暮れていた。
かあかあと、カラスの音色が響き、空が暖色に染まる。
ちらと、あたりを見渡せば手をつないで、帰路に就く親子の姿が多かった。
夕暮れ。
何かと後悔や因縁などで、使われることの多いシチュエーションだと思う。
後悔は数えきれないほどあるし、因縁は数えられるほどにはある。
だが、其れよりも行先のない郷愁を私は感じていた。
少し、過去を思い出して感傷的になっていたのかもしれない。
誰しもあると思う。
過去を思い出して、考え込むことが。
昔は、あの時期辛くてたまらなかった。
二度と思い出したくなんてなかった。
二度と思い出すこともないと思っていた。
でも大人になって、成長して、この季節の香りを嗅ぐたび「ああ、こんなこともあったな」って、思い出は風化していった。
勿論、許しちゃいけない記憶だし、なあなあのなれ合いで許すつもりもない。
でも、きっとこの辛い記憶がなければ、痛みを知ることもないままきっと生きてたんだろうなとは思う。
そして、私は周りに流されてきっと、いじめに加担してたんだと思う。
過去が今を形成するとは良く言ったと思う。
私の今は過去がなくてはならないものだから。
それにつらい記憶だけじゃない。
あの時は辛い記憶が多すぎて、幸せというものが見えなくなっていた。
でも、あの時間がなかったら、八幡や雪乃さんたちに会うことは無かっただろうし、ずっと子供のまんま、何も進むことは出来なかったんだと思う。
あれから、中学ではもちろん誰からも好かれるという訳ではないし、いじめられなった訳でもない。
でも、わずかだけど友人が出来た。
万年ボッチの八幡状態の私にしては良くできたと思う。
現に今でも連絡を取り合っているのだから。
高校は八幡と一緒の高校に行った。
好きだからとか、そんな理由だけではなくて、私も間違えることを繰り返すことが出来るだけの関係を作りたかったから。
あんなに間違えを続けれるだけの関係なんて、そうそうできないから。
そして今私は成人した。
勿論、心配だとか交友関係だとか、日々の不安が尽きることは無いけれども、
それでも今の自分と過去の自分、
どちらがいいと聞かれれば、迷うことなく今を選ぶことが出来る。
それだけ、積み重ねてきたものの重さと自信がある。
あの頃の、鶴見留美が今の自分を見たらどう思うだろうか。
「自分は、友達なんていらないっていったくせに」とか、ひねくれたことを言いそうだなとも思う。
過去の自分を救えるのは今の自分だけだなんて、言うけれども私はそうは思わない。
過去の自分は救えない。
どんなに今を生きていても、あの、暗くて、ひどく痛ましい凄惨な時間と記憶と嘲笑はぬぐうことは私は出来ない。
でも、今の私を救うことは出来るとは思う。
なんてこといっても、
あの頃の私にきっと「友達が出来るのは仕方ないわ。だって私は美人だもの」って今の私は、笑い飛ばすとも思う。
だって、春はこんなに暖かくて、明るく、私を照らしてくれるんだから。
家の窓から一人眺めていた、じんわり汗ばむあの花火や、家の窓越しに見ていた一面の雪景色より、
私はきっと、手で触れられるくらいの距離にある、春が好きだ。
だから、
「その季節が香るたびに、きっと、思い出すんだと私は思う」