対話
ぎゅっとつぶった目。
何故か安心を得る温かさに包まれて浮遊感、それと共に視界が霞んだ。
「うっ──」
その眩暈は一瞬で去った。
「い、一体なに?」
恐る恐る目を開けると景色は、花畑ではない元の野原に戻っていた。来る最中に聞こえていた生命の鳴き声も聞こえない、静寂の最中だ。
太陽はこの場を離れてから少しも動いておらず、元の時間軸に戻ってこれたと分かる。
「あれ、私…」
しかし魔王の言葉通り、今までの記憶は無くなった。
故にその場所の中心でフリーレンは記憶を探るが、何故ここにいるのか分かる事は無かった。
掴みどころのない思考に顔をしかめるが、取り合えず隣に居る2人にも訊いてみる事にした。
「……アイゼンは覚えてる?」
「ないな」
「ハイターは?」
「いえ。ですが、何かにとても驚いていたという感覚だけはあります」
「うん、私も同じだね。何かを見て、自分の今までの常識がひっくり返った…みたいな感覚だけ残ってる」
先程の状態から、人と話をすることで幾分か情報は整理出来た。
小さく手を振り、凝り固まった身体を
途切れた記憶の断片と近似する、違和感は…
そんな風に左から右へと視線を動かしたところで、気になる点があった。
石碑になにやら引っ掛かるものがあった。近づくと手書きの文字が刻まれていると分かった。
「なにこれ?」
「どうしました?」
「謎の文字が書かれてる」
「確かにな。フリーレン読めるか?」
「…よ、読みにくい」
達筆で書かれているため、読むのに難航したが何とか読み解いてみると
アインビルデンと書かれている部分だけ分かった。
「これ、なんの事だろう?」
すっと足早に石碑へと近づいたフリーレン。
その並々ならぬ雰囲気にハイターは心配するが、声は届いていないらしい。顎に手を当てて、
──そんな時だった。
「あら。帰ってきたのね」
背後から声が掛けられた。
後ろを向くと、森と同じ色の髪を手で弄りながらこちらを眺めている魔族が居た。
謎の空白を経たせいで、懐かしさを覚えるほどの笑顔。それを相変わらずニコニコと向けてくるソリテールが立っていた。
「ソリテールか」
「おかえり。どうだったかしら、貴重な体験だったでしょう?」
「え、何の話ですか?」
ソリテールはこの空白に心辺りがあるのか、感想を訊こうとするが反応が芳しくない。
手を軽く合わせて考えると、一つの答えを探し当てた。
「…なるほど、記憶を奪われたのね」
「あ、そうかもね…」
その会話に釣られたのか、記憶の海に遭難していたフリーレンはいつの間にか会話に参加していた。どうやら見当がつかなかったらしく今でもスッキリしないといった様子だ。
しかし先に解決できそうな問題を逃す訳も無く、フリーレンは普段ならば鼻で笑う回答をゆっくりと咀嚼した。
「可哀そうに、大変だったね」
その受容に対する感謝の言葉は無かった。返ってきたのは無言。
それをソリテールは当然のように受け入れて、すっと手を組む。
「過去に行ったんだ、君たちは神話の時代に足を踏み入れたの」
「神話の時代…?」
「そう、記憶という犠牲は出たみたいだけど、やっぱり行けるみたいだね」
時間を逆行?信じられない、そんなものは不可逆性の原理を白紙にしている。
だけど女神様の魔法は計り知れない、あり得るかも。そうフリーレンは思ってしまった。
それぐらいにはこの状況は説明が出来なかったのだ。
「良い結果が得れたね」
上機嫌そうにぽつりと呟くが、小声のそれをフリーレン達は聞き取ることが出来なかった。
「え、なにか言った?」
「いいえ。それよりも取り敢えず戻りましょう?こんな所で夜を過ごす気かしら」
「…それも、そうだね」
その前に、と彼女は帰宅を提案したその身体でフリーレンへと近づく。
魔族に距離を詰められるという事実に反射的に身体を逸らそうとするが、予知していたのかソリテールはフリーレンの左手首を掴んだ。
「ねぇ。それは何かしら」
「え」
ソリテールは人差し指でフリーレンが無意識に握りしめていた左手を指す。
フリーレンが手のひらを見ると小さな鍵があった。
ぼんやりと日の光を反射して、陰影を感じさせる。
「へぇ。それはどこで?」
「…分からない」
「なるほどね、じゃあ君達が向かった先で得たものかな?」
その鍵を太陽に向かって翳すと、光の線が出てフリーレンが持っていた袋を指し示した。
その指示通りに探ると金色の縁が特徴的な本が出てきた。
「使ってみよう?その如何にも合いそうな鍵穴を持つ本に」
鍵をその本に近づけると吸い込まれるように鍵穴へと刺さり、本を閉ざしていた鎖と共に消えた。
そこにはフリーレンが過去に飛ばされた時の記録が載せられていた。
魔王との会話、魔族の進化、女神の人柄等が言葉として存在していた。
それを一通り見ていくと、引っかかる言葉があった。
「夜へと向かえ。お前たちにはそれが必要だ?これってどういう……」と、フリーレンが意味を考えようとしたところでソリテールが口を挟んだ。
「マハトのところに向かえ…、ね」
その名前にフリーレンは心当たりがある。
魔族の中でも随一の強さを誇る、黄金卿の姿が脳裏によぎった。
「いいね、その旅に私も着いていくわ。ちょうどこの場所にも飽きてきたところだからね」
え、と3人はキョトンとした表情を同時に浮かべた。
何を言っているのか分からない、そう思い問い掛けようとしたが、ソリテールはもう決定事項だと謂わんばかりの表情でこう言った。
「宜しくね、少しの間だけど仲良くしましょう?」
「「え!?」」
「ふふっ。君たち面白いわね」
その言葉を漸く理解したのか大声で驚きを現す。
面白い顔をした3人に良い性格のソリテールは満足げに微笑んだ。
「改めて。私はソリテール、人類が好きで昔は良くお話をしていたんだ」
「ぜぇぜぇ…、やっと落ち着きました。あのすいません、少し質問良いですか」
「えぇ」
「何故、お話?なんてことをするんですか」
驚愕したことによる荒い息を整えながら、その趣味に疑問を感じたハイターは問う。
ソリテールは想定内だと、謂わんばかりに直ぐ答える。
「だって、人類は未知で溢れてるの。それはとっても素敵な事」
クスクスと軽やかに笑いながら今度は自分の番だとハイターに質問する。
「君はなんで魔法を使う?意味があるはずだ、軌跡があるはずだ。それに君は何を込めるのか、私は気になっているんだ」
ソリテールからすれば興味本位で聞いた事だが、ハイターからしたら自らの根本に触れる事だった。
子供の頃の出来事、今もそうだがそれよりも幼いあの時を思い出しつつ言葉を紡ぐ。
「私は誰かを救いたいんです。私は昔捻くれていました、無理とばかり言っていたんです」
「そうなんだね、でもそれと関係があるのかな」
「えぇ、ありますよ。そんな私には同郷の友人が居て、その人に私でも出来る事があるのだと力説されました。いつもは無理だと言ってしまう話でしたが、何故かその時の私は信じたんです。それが私にとっての魔法ですよ」
「面白い回答ね」
そっかそっか、と飴玉を味わうように口の中でその考えを楽しんだ後。ソリテールはもう1人の気になる対象に目線を向けた。
「フリーレンは聞きたい事があるんじゃないかしら?私たちが初めて会った時、君は私に何かを言いたげだったわ」
本を読んだっきり黙っていたフリーレンはその視線を受けて、すっと前を向いた。
ソリテールの翡翠色の瞳がこちらに向けられている。その中で、昔から聞きたかった事を、重い蓋が付けられていた記憶を取り出して話した。
「…魔族がエルフの隠れ里を襲った事実を私は忘れられない」
その言葉に心当たりがないのかソリテールはキョトンとした表情を浮かべる。
「え、私達がエルフの里を襲ったのにって何?」
「…1000年前にエルフの里を魔族が襲った、覚えてないの?」
フリーレンはその記憶を取り出づらそうに、引っ張り出す。
長い時を空けたからこそ、直視出来る事実だった。
「あぁ成程ね。そうよ、魔王様の指示によって私たちはエルフを皆殺しにしようとした」
その言葉にほっとした顔を見せるが、すぐに口を引き結ぶ。
憶えている事とやっぱり魔族の倫理観が無いという現実がフリーレンを矛盾させていた。
「今後邪魔になるだろう。故にだ、滅ぼすと指示された事を私は覚えているわ」
「本当に?」
「えぇ。いつも通りに緑色の目を光らせて私達に命令したのだから、攻撃したの」
「なるほどね…」
ソリテールの言い分には嘘の匂いは無かった。
だからこそ不可解だ、とフリーレンは思う。だって、魔王はそんな事を言う性格に思えなかった、この本に書かれている内容も引っ掛かりなく胸に溶け込んだ。だから多分、相当なお人好しである事は事実だろう。そんな人物がエルフを邪魔だと言い、皆殺しにする?本当に言った可能性は捨て切れない、ただ限りなくゼロだと思えるぐらいには有り得ない。
それにゼーリエだって居るんだ。エルフである彼女と仲良さげに話していたらしい彼が、ゼーリエの同族に悪感情を抱くのだろうか?せめぎ合う思考の最後には何も残らず、この答えはフリーレンには分からなかった。
◆◆◆
「ここが?」
「ええ。マハトが居る場所、城塞都市ヴァイゼよ」
街並みには魔族が溶け込んでいる。他の町では稀に居る存在だったが、ここでは有り触れた光景だった。それぐらい調和しているのだろう、この場所の領主は凄腕であった。
効率性は、より良い環境はあるだろう。
この街づくりの発展具合は、素人ですらも分かる。異世界逃避行みたいな感覚の体験だった。
「すごい、あの時からの成長具合が凄まじいね。よく考えられている」
「確かに発展していますね」
「なんだ、来たことがあるのか」
「いえ」
「ん?」
「え?」
きょろきょろと辺りを見回す。
そんな田舎から来た
ワインレッド色の長髪を靡かせて、ガチャガチャと装飾品の音を鳴らして1人の魔族がやってきた。
「…お前か」
「マハト、久しぶりね。元気だった?」
「見ての通りだ。それよりも何の用だ」
2人の口調からは、それ程敵対する意思は感じられなかった。どちらかと言えな旧友との再会、といったところか。
若干微妙な空気が流れたところで、それを断ち切るようにソリテールは言う。
「魔王様のお言葉よ」
「なに?」
一瞬、マハトの表情が険しくなる。
「フリーレン、本を貸してもらってもいいかしら」
「う、うん」
言葉だけでは信用出来ないといった表情だった為、説得できる要素である本を貰う。
何気ない仕草でそれを受け取り、すっとマハトの手の上へ乗せた。
「……」
マハトはその本に書かれた内容を見終わるとくるりと回り、踵を返した。肩に掛けた外套が大きく広がっていた。行き場の無い感情を
「ついてこいだって、行こう?」
そんな様子のマハトの後ろをついていくソリテール。
3人も逃げ道の無い状況に覚悟を決めて歩き出した。
活気があった。屋台では景気良さげな笑い声で何かを売っている。
衛兵も居るが疎らで、ここらの治安の良さを物語っていた。
「あれは…」
最初の街でみたみたいに魔族と人間が会話をしている。働いている。生活を営んでいる。
でも、あの街よりも楽しそうだった。
でも、あの街より機械染みていた。
まるで、誰かが望んでいるからそうあるのだと言うように。
「人形劇…ね」
そう、フリーレンは静かな声で言った。茫洋とした意識で漏れた言葉にソリテールは足を止め、ゆっくりと彼女に視線を向ける。
「気づいてたのね、この街の真実に」
ソリテールは僅かに首を傾げると、柔らかい表情を浮かべた。
立ったままで話すのもなんだと、街に置かれたベンチに座る。先に行くマハトと2人を見送りつつ、その間もぼーっとしているフリーレンを見て、クスリと笑った。
そのままぽんぽんと隣を叩き、座る事を催促する。
「…」
流石に立ったままというのにも疲れたのか、フリーレンは距離を開けてベンチに座る。
それを確認したソリテールは、広場の方を向きながら話し始めた。
「魔族と人類の魔法には差があるの。
才に優れた魔族が扱う魔法は、御伽噺に等しい」
夢見るような浮遊感に満ちた声だった。
七崩賢という魔族の魔法ですら人類では到達できない理論など無い無法である。
「だからその頂点こそ生命の最高到達地点。
それの言葉は、人類が言う女神のお告げに匹敵するわ」
と、言い切り目を瞑った。
フリーレンはその言葉に疑問を覚える。
魔王は確かに強い、私でもその強さは分かっている。今の人類であれを倒せる者なんて居ないと断言できるほどだった。
でも。だからと言って、そんな事が有り得るのか?女神様に匹敵するなんて……
「疑問みたいね。魔王の強さについて」
問いかけに黙ってうなずく。
「でも、それは今関係あるかしら?この街はどう見えるの」
え、ソリテールから話したよね?と思いつつも、フリーレンは街の様子を見る。
最初の頃は不気味さを覚えていた。でも今は何故か、曇りなき眼で人々の顔を見ることが出来る。
笑顔、焦燥している顔は此処には無かった。魔族と戦争をしていたあの時には、視野の範囲で誰かしらは泣いていた。家族を、友人を失った、そんな日々だった。
「人類が思い描いた未来…みたいだね」
その言葉を零し、フリーレンは手を見下げた。
この手のひらで私はどれくらい救えるのだろう、溢れ出る水をこの小さなコップでどれだけ掬い上げられるだろう。フリーレンは考える。
その事を考えていると、思わず顔をしかめてしまった。いつもは目を背けている事が、重圧となってのしかかってきたからだ。
背筋を伝う嫌な汗と早鐘のような鼓動が止まらない。
気づいたんだ、いや元から分かってた。憎しみのせいで視野が狭まってたということくらい。とっくの昔に。
だからこそ疑問だった。
そんな分からずやなエルフに現実を教えてくれる心優しい魔族の表情に曇りが見えたからだ。
「なんで、この世界に納得しているの」
「…?」
「ごめん、言葉足らずだった」
フリーレンは未だに前を向いているソリテールの方を向く。
「ソリテールはこの状況に不満を感じてるよね」
「何のことかしら?私は何も──」
「いい、それが嘘だと私でも分かる。だってお前は一度でも本当の意味で笑ってない」
その言葉に一瞬眉間に皺を寄せた。そして聞き逃せないとフリーレンに目を向けて、意味が分からないといった主張でソリテールは自己弁明を始める。
「いいえ。私はいつだって本当の意味で笑ってるわ、戦争は嫌いだった。それよりもしたい事が多かったの」
「嘘、喜びで染まったのは魔王の事についての時だけ。今のお前は人類に興味が無くなり掛けている」
「違うわ。私は今も人類に対する探求心は保持しているの、私達の進化に密接に関係する君たちへの興味は無くならないわ」
「成程、じゃあもう一つ疑問が出る」
確信めいた自信を持ちながら、フリーレンは念のためにと質問という皮を被せた。
「過去に行った意味を教えて欲しい」
「…」
「私が見た本には、有意義な事はあっても態々お前が時間を割くほどの事は見当たらなかった。だから分からない」
それで?とソリテールは先を
「お前は慎重な魔族だ。傲慢で人間を嘗めているのが一般的なのに、それが無い。それなのに、こんな人間の生活領域に住んで、目撃者すら生かしたまま返してる」
それに、と会話を区切り合っていた目線を切った。
「分かってるでしょ?外面は確かに和平を受け入れて大団円って雰囲気だけど、根付いた怨恨は消えない。現にほら」
フリーレンが目線で指した方を向けば、じっとこちらを凝視する老人が居た。
「あの目には嫌な色が見える。あれってそうじゃない?」
「ふふっ、そうかもね」
平和な空間に現れた敵意。昔ならば消すべき因子なのに。
ソリテールは唇に小指を当てて、少し考える素振りを見せた。
「でも、今の私には関係のない事よ」
「それはなんで?」
「それよりも優先順位が上の事が出来ただけ」
「それって…」
「しーっ、言っちゃだめよ」
言葉にするのは駄目よ、と小声でソリテールは言った。
まるで自分に言い聞かせるように。
「謎に包まれている方が魅力的らしいの」
猫みたいだった。興味が湧いたものには我先にと近づいて、失ったらすっと去っていく。
都合の悪くなったら話を逸らすのがそれに重なって見えた。
「なにそれ」
「君はどうなの?」
問いかけられて顔を上げると、どこか遠いところを見ているソリテールの姿が目に入った。
落ち着きながらも余裕が無い、声と態度であった。
なんで、この会話に気を揉む要素なんてあった?と会話を振り返るが、分かる事は無かった。
首を少し捻り、考えようとしたと事で音が聞こえた。
たったと走る音が聞こえる。其方の方を見れば汗を垂らしながら迫ってくるハイターの姿があった。それと後ろを余裕そうに追うアイゼンも。
「どこに行っていたんですかフリーレン。迷子になるなんて情けないですよ」
「い、いや違くて」
もう、心配したんですからとハイターは胸に手を置いて一息ついた後、お惚けエルフの頭をごしごしと撫でる。乱雑ではない、愛の篭った手にフリーレンは反論するまでも無くされるがままだった。
「遠い目をしているな」
「あんまり甘やかさない方がいいんじゃない?」
「いえ、子どもみたいな人なので」
それを聞いたフリーレンは頬を膨らませる。私の方がお姉さんなのにと。
「やっぱり兄弟ぽいね」
「違う、私は長生きでこの中でも年長者だよ」
「自分がどっちなのかは分かってるみたいだね」
慌てて口走り、その必死な弁明に急に気恥ずかしくなったのかプイと横を向いてだんまりを決め込んだ。
「大丈夫かな、このエルフ」
ため息を着く魔族が1番マトモというカオスな状況であった。
フリーレンはおとなのお姉さんです。