とある幻想の四重響奏 -Quartet of a Imagine- 作:独楽と布団中の図書館
当麻視点で過去話+αとなります。
一年前の入学式。
俺が出会った、直視できないくらいに温かい人々。
■That feeling. Does anyone know?■
なんとなく、思い出したことがある。
俺が彼らと初めて出会ったのは、清々しいほどに晴れた高校の入学式だった。どこにでもある普通の高校の、普通の入学式だ。俺と深嗣で、深嗣曰く「テキトー」で決めた高校だった。
俺たちが高校に入学できる歳になって施設のほうから一人暮らしをしてもいいと許可が下りたから、年齢としては中学二年生だった柚姫をつれて施設を出た(ちなみに柚姫の中学も深嗣が「テキトー」に決めた)。子供の頃に一緒に住んでいた木山先生に中学や高校に通うのが『普通』なのだと聞かされて、実際にそれを試してみることにしたのだ。入学金や生活費の補助は無かったが、俺が今まで行ってきた任務の報酬でそこはなんとかなった。というよりも俺たち三人の入学費や生活費、マンションの費用を含めても俺の貯蓄の三分の一にも満たなかった。それを知った俺は生きるために必要な金額が少ないのか、それとも俺の収入が多いのかを真剣に考えたものだった。しばらくして知った結果、後者だと知ったのだが、それはまた別の話だ。
俺が思い出したのは入学式当日の、かったるいと感じただけだった式が終わった後の休憩時間のことだ。
その時の俺は初めて経験した『普通の高校生活』に今以上に教室に息苦しさを感じていて、今の俺から見ても「あれは無い」と思ってしまうような態度を取ってしまっていたのだ。
どういう感じだったのかと言えば、HR(ホームルーム)直前に俺の隣に座っていたおっとりした女生徒が話掛けてきたところから見てもらえればわかるだろう。
「こ、こんにちは」
「…………」
気後れしながらも俺に話しかけてきた、長髪の女生徒の言葉を、その時の俺は無視していた。ただ単に煩わしいと思ったのだ。ただでさえ陸に打ち上げられた魚みたいに息苦しいのに、そんな余計なことに付き合ってられるか、と。
「名前、何て言うの? 私は――」
「…………」
相手もせず、ただ頬杖を付いて目を閉じている俺に、彼女は根気よく話しを続けていた。しかし、当時の俺は煩いと思うばかりで無視を続ける。
終いには彼女は涙目になってしまっていた。
「あ、あの……、そこまで無視されると私も困るっていうか、傷付くっていうか……」
「ねえあんた。ちゃんと聞こえてるんでしょ?」
「…………」
その様子を見ていた活発そうな短髪の女生徒が俺を嗜める。だが意固地になっていた俺とって、それは本当に鬱陶しいだけで。舌打ちをして席を立ったのだ。
「あっ……、これからHR(ホームルーム)だよ……?」
「知るか」
「あ、ちょっと!」
おどおどしたり、驚いたりしている二人のことなど気にも留めず、俺は教室から出て行こうとする。深嗣もそんなこと知ったことじゃないとばかりに机に突っ伏して寝息を立てていた。
教室から出て行こうとする俺の前に立ちはだかった奴がいた。
「おい、貴様っ! どこに行くつもりだ!」
当時からクラス委員然としていた吹寄だった。黒い艶のある髪は、今に比べれば短めで。肩あたりで切りそろえられていたその髪を揺らしながら、彼女は俺の前に仁王立ちしていた。
だが、そんなことで止まる当時の俺ではなかった。……結果として、それからずっと目をつけられることになるのだが。
「お前には関係ないだろ」
睨みながら彼女を押し退けて強引に教室を出て行く。その背後から、
「なんやあれ、感じ悪ぅ」
「入学当日に早退する奴は初めて見たにゃー」
「なんや、気ぃ合うな。……ていうか、『にゃー?』」
「細かいことは気にしたらいけないのだぜい」
そんな二人の声が聞こえてきたのだが、今思えばそれが彼らが仲良くなったきっかけだったのかもしれない。そんな彼らとそこそこな関係を作ることになるとは知らない当時の俺は、彼らの言葉も気に留めずに屋上へと向かった。帰るでもなく、屋上だ。あの時は必死で、ただ落ち着くために外の空気でも吸おうとしていたのかもしれない。その手段はどうかと思うし、動機もどうかと思う。
当然だが屋上には誰もおらず、そこでようやく多少なりとも落ち着くことができたのだ。
そして何気なしに座ったベンチで、俺はあるものを見つけることになった。
「……煙草か。なんでこんなところに」
座ったベンチの足元においてあった新品の煙草の箱と、その上に乗っていたライターを拾い上げる。おそらくは上級生の誰かがここで吸おうとして、そのまま忘れて行ったものだろうと検討を付ける。と同時に、俺は煙草に興味を持ってしまったのだ。
――これを吸えば、少しは息を吸いやすくなるのではないのか、と。
今思えば、なんでその発想に行き着いたのか。というより、普通の空気を吸っただけでそんなに追い詰められていたのかと思う。……どうせそんなもので死ぬ体じゃない、と惰性で吸い続けている今の俺が言えたことでもないが。
話を戻そう。
煙草を拾った屋上。そこで初めて煙草を吸ったのかと問われれば、否だ。
箱を開けようとした時、屋上の扉を開けた人間がいたのだ。扉が開く音を聞いて、慌てて懐に箱とライターを仕舞いこんだ。
「よいしょ、っと」
そんな幼子のような声に。扉から現れたのは、桃色の髪をしてワンピースを着た小さな子供だった。月詠小萌教諭である。彼女の姿を見て、そのときの俺は多少驚いたものの、それ以上に「何故」という疑問のほうが大きかった。
「もー、こんな時間に何で屋上なんかに来てるんですか? もうHRが始まりますよ」
教師として当たり前の台詞を聞いて、当時の俺は「ああ、ままごとか」と見当違いに結論付けてしまっていた。ままごとの経験がないわけではなかったのだ。小さい頃に柚姫が研究員ごっこみたいなことを何度かやっていたから、月詠教諭の言動もその延長線なのだろうと思ってしまっていた。まあ、そこは仕方がないとは思う。月詠教諭は見た目子供そのものなのだから、初見で教師と思うほうが無理がある。
だから、俺はまじめに取り合おうとはしなかった。月詠教諭の前で膝を折り曲げ、極力目線の高さを下げたのだ。
「お前の親はどこだ」
「そんな当たり前みたいに子供扱いしないでくださいー! 先生はれっきとした先生なのですー!」
「……まさか迷子じゃないだろうな。お前、名前は」
「人の話を聞いてくださいー!」
「分かったよ。とりあえず近くの風紀委員支部に案内してやるから、それまで我慢しろ」
「だからそうじゃなくて! 私はあなたの担任の月詠小萌です、上条当麻くん!」
彼女に自分の名前を呼ばれて、まさか、とまじまじと月詠教諭を見る。どこからどう見ても子供にしか見えないその姿は、当時の俺が想像していた教師というものの姿からは程遠い。
俺の情報を持っていて、尚且つ暗部の人間特有の臭いを感じなかった。施設から出てさほど時間も経ってないのだし、俺のことを知っているということは正規の手段で情報を入手したということになる。
そこまで考えて、俺はようやく彼女を学校の関係者だと理解することができていた。
「まさか、本当に……」
「ようやく分かってくれたみたいですねー。……それにしても――」
そこで月詠教諭は悪戯っ子を見た母親のような顔で、くすり、と笑った。
「上条当麻くんは――いいえ、上条ちゃんは優しいのですね」
「…………は?」
俺は彼女が何を言っているのか理解できなかった。
いくら子供みたいな見た目をしていても、教師を子ども扱いし、あまつさえ「お前」なんて呼んでしまった俺が、『優しい』……?
今でも、正直に言えばよく分かってなどいない。
そして、言葉の意味を掴みかねていた俺に、月詠教諭はそれが当たり前だと言わんばかりの普通の笑顔でとんでもないことを言ったのだ。
「子供に優しく出来る人は誰にだって優しくできるのです。――だから上条ちゃんも優しいのです」
「――――ッ!?」
それは当時の俺にとって、とてつもない衝撃だった。その時、咄嗟に彼女から飛びのいてしまったのだ。自分で言うのも難だが、まるで獣みたいに。
何の衒いもない笑顔で言われたその言葉は、俺の思考を破壊するには十分すぎる威力だった。驚きすぎて何故だか熱の昇ってきた口元を隠すために、無意識に右手の甲で口元を隠してしまっていた。
「私を子ども扱いしたこともそれでチャラにしてあげちゃいます」
そんな醜態を晒す俺を見て、本当は怒ってなどいなかったくせにその人はからかうように笑ったのだ。
その笑顔を見て、今度こそ本当に何も考えられなくなっていた。
「ぁ…………」
無意識に。
俺は、慣れない家事と格闘する一人の女性を思い出していた。乾燥機に掛ければいいのに、そんなことも考え付かないほどに必死に冷たい洗濯物をかじかんだ手で広げて干していく『先生』の姿と重なって見えた。
今になって考えれば分かる。それは二人が同じ性質の人間だったからだ。
その時の俺は、その笑顔を何よりも尊い物だと思ったのだ。
そして同時に、
俺自身が、何よりも醜い物に見えた。
両手を血に塗らした、数え切れないほどの命を奪ってきた『人でなし』がこんなところで何をしているのだ、と。
目の前の眩しいくらいの笑顔に、俺たちの『先生』に責められている気がした。この学校(日常)に俺(お前)みたいな化物が関わってはいけないのだと、何かが胸を締め付けた。顔まで昇ってきていた熱が急速に失われていく。
「ぁ……、あぁ……」
その息苦しさに、俺は初めて『罪悪感』というものを知ったのだ。その時になって。もうどうすることもできない所に来て、ようやく俺は自分がしてきたことの意味を理解した。
今でも俺は後悔している。あの時、すぐに退学でもすればよかったのだ。そうすれば何の異分子も無く、彼女たちの日常は綺麗なまま続いたはずなのだ。
だが、俺と彼女は出会い、顔を見て、言葉を交わしてしまった。そして彼女の歩み寄りによって『他人』よりも近しい関係になってしまった。
自分から関係を切る勇気を、今でも俺は持ち合わせていなかった。
期間を終え、先生が別の施設へ異動になってしまったとき、彼女が寂しそうな顔をしていたのを覚えている。その悲しみに涙した先生の顔を今の今でも。
だから月詠小萌と名乗った心優しい教諭に、そんな顔はして欲しくないと思ってしまったのだ。
なんて滑稽。なんて無様。
そんな真っ当な感情を持って許される生き方をしていないというのに。そんなの、許されないのに。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いのですよ?」
「ぁ――――」
飛び退いて着地した態勢のままの俺に、月詠教諭は手を差し伸べてくれていたのだ。暗闇から引き上げるように。
その手を、だけど俺は取らなかった。否、取ることなんてできなかった。
「大丈夫です。少し、眠いだけですから」
「大丈夫、って……。上条ちゃんが今どんな顔をしていたと思っているのですか。深くは聞きませんけど、辛いことがあるならいつでも相談してくださいね?」
「……いえ、本当に大丈夫ですから」
「もう……、男の子なんですから……。じゃあ先生と約束してください。無理をしてまで意地を張らないこと。いいですね?」
「……はい」
そして戻った教室で、俺のせいで予定よりも大幅に遅れながらも何とかHRは始まった。それでもどことなく教室の中はざわついていた。
「なんや、結局戻ってきたんかいな」
「ま、そのお陰でのんびり雑談できたからよかったんだけどにゃー」
「ふん。戻ってくるのが当然なのよ」
青い髪をした関西弁の男、青髪がいて。金髪でサングラスを掛けた男、土御門がいて。優等生然とした女生徒、吹寄がいて。
「よかった……。戻ってきてくれたんだ……」
「だからってあんたね。あんまり『ああいう奴』には近づかないほうがいいよ?」
先ほど俺に声を掛けてきた長髪の女子がいて。彼女を嗜めるショートヘアの女子がいて。
「にしてもまさか、クラスの担任が子供先生とはねぇ」
「謎の子供先生。うむ、惹かれるな」
見るからに運動部な感じの男子がいて。眼鏡を掛けて知的そうに見える男子がいて。
他にも雑談している奴らや、真面目に話を聞いている奴らがいて。
「はい、おしゃべり中の皆さん。今はHR中ですよ。それでも無駄話を続けるというのなら『すけすけ見る見る』ですからねー」
教壇でイスを足場にして立っている月詠教諭がいて。
「……ぐぅ」
「おい。いい加減起きろ馬鹿」
俺がいて。俺の後ろに深嗣がいて。
そこから始まった心苦しくも温かい俺の日常は、今でも――。
□■□■□■
(そう言えば、結局あの後『すけすけ見る見る』をくらったんだったな……)
いつも通りに手に提げた鞄を背負って校門を潜りながら、しみじみと当時を思い起こす。
あのHRの後、眠りこける深嗣を起こすことが出来ず、起こそうとしていた俺も巻き添えで『すけすけ見る見る』――目隠しながらポーカーに十回勝たなければ帰れない、という透視能力を持ってなければ成功させることなどできないようなカリキュラムに強制参加させられた。
(あの頃から変わってないんだな、俺は……)
いつも屋上に逃げてばかりで、結局は出席日数が足らずに月詠教諭に迷惑を掛けてまで高校生活にしがみついている。
「……ほんと、ガキ」
一人で校舎へ校庭を歩いていれば自嘲していると、校舎横の駐車場に止まった軽ワゴン車から降りてきた月詠教諭の姿が目に入った。
彼女も俺に気が付いてこちら見たから、俺は月詠教諭に歩み寄った。
「おはようございます」
「はい、またまたおはようございますです、上条ちゃん」
と、月詠教諭は何が楽しいのか、あの日よりも嬉しそうな顔でで笑っている。
「……あの、俺に何か用でも」
そうやって俺の顔を凝視されても、敵意がない以上、なんというかむず痒いだけだ。
「いえ、ただ嬉しかったので」
「…………?」
「だって上条ちゃんが先生を頼ってくれたの初めてじゃないですか」
これで先生のことを『先生』って呼んでくれれば何も言うことはないのですが、と月詠教諭は笑みに僅かばかり苦味を浮かべていた。
どうして先生と呼んでくれないのか、と彼女は言う。……でも、俺はその呼び方を今でもできないでいた。『先生』という言葉は、俺にとって――もしかしたら柚姫や深嗣にとっても特別なものだから。
結局、月詠教諭に軽く頭を下げることしかできなかった。
「…………すみません」
「先生は謝って欲しいわけじゃないんですけんどねー。……あ、そう言えば聞き忘れていたのですが、部屋の修理の目処は付いたのですか?」
「……ええ、まあ」
今朝通学路を歩いている最中に業者に連絡を入れ、部屋の状況を簡単に口頭で説明したのだが、どうやら修理が終わるまで一週間は掛かるらしい。まあ、あれだけ破壊されていて一週間程度で修理が終わってしまうのだから、それはそれで早いほうなのだろう。……もう一つの改修を注文している身として贅沢は言えない。
「――そうですか。まあ、先生としてはもう一ヶ月でも一年でも居てくれていいって感じですけどね」
「そういうわけには行きません」
ただでさえ普段から迷惑を掛けっぱなしなのだ。本人の意思はどうであれ、これ以上彼女に世話を焼かせるのは忍びない。
しかし、そうだな。あえて一つ挙げるとするなら、
「その、出来れば焼肉の量は少なくても大丈夫です。……というより、食いきれません」
禁書目録がいたからいいものの、と言えば、月詠教諭は「あ、あはは……」と申し訳なさそうに眉をハの字に下げる。
「すみません……。上条ちゃんに頼られたのが嬉しくてつい、はしゃぎ過ぎちゃいました」
「……いえ、気にしてません」
「よかった……。あんなにはしゃいじゃって、もしかしたら上条ちゃんたちに嫌われちゃったんじゃないかと心配しちゃいました」
俺は本心から月詠教諭をフォローすれば、彼女は安心したように笑う。
昨日の月詠教諭の暴挙は、たまに目にするドラマとかで「沢山食べて大きくなってね」という母が子に送る願い事と似たようなものだというのは、なんとなく想像できていたから。それが分かったから、出来るところまで食べたのだ。……途中で脱落してしまい、殆どを禁書目録に任せてしまっていたが。
玄関前で月詠教諭と話していると、校門の方向から叫び声と騒がしい気配が走り寄って来た。
「カミやん、小萌センセーと何話してるん――!?」
「ついに小萌センセーまで落としたのか。さすがカミやん。いっぺん死んで見るべきだにゃー」
何か騒いでいる青髪と土御門だ。それから、
「朝から玄関前で何騒いでるのよ。……おはようございます、小萌先生」
「はい、皆さんおはようございます」
呆れたように俺を睨みながら吹寄も。……何故俺だけを睨む。月詠教諭への態度と違いすぎないだろうか。
というよりも、
「お前補修じゃないだろ。何で学校に」
「小萌先生の手伝いよ」
いつも通り、騒がしくなってきた日常に俺は肩を竦めるだけだ。
当時のように今でも心地悪くはある。心苦しくもある。だがここ最近になって、それを上回る感情が苦しみを忘れさせてくれることがある。
それは今、月詠教諭やクラスメイトたちと他愛無い会話をしている最中もそうだ。
その感情の名前を、俺はいつか知ることができるだろうか――?