◆三人称視点◆
各務チヒロはミレニアムに入る前から大いに不満な点が一つだけあった。
本は電子書籍に、レコードはストリーミングに取って代わり、観光だって自宅にいながらサイバースペースにログインして体験出来るようになったのに、どうしてデュエルモンスターズは未だにアナログなのだろうか、と。
チヒロも答えは分かっていた。キヴォトスにおけるデュエルモンスターズはルールやテキスト通りではない。デュエルディスクが認識出来てしまえば禁止カードもオリカも使っていいし、俺ルールをゴリ押しても構わないのだ。そんなTRPGのような自由度をどうしても再現出来ないのだ。
トレーディングカードゲームとしてのデュエルモンスターズならとっくにゲームやアプリでリリースされている。しかし、キヴォトスの住人がやりたいのは現実世界で己の全てをかけてぶつかり合う決闘、デュエルじゃないのか?
なのでチヒロはミレニアムに入学して以降、この難題に取り組んできた。
チヒロがデカグラマトンと接触したのは盛大な夢の実現に向けて動き出した二年前のことだった。
今ではビッグシスターだの全知だの御大層に言われている問題児たちと同級生だったチヒロは廃墟に何回も連れ回された。その冒険譚は割愛するが、ある日、問題児たちに置いてきぼりにされたチヒロは何気なく近くで稼働していた自販機でコーヒーを購入したことが運命の分岐点となった。
「!? 美味しい……!」
美味いコーヒーが飲める自販機の発見。これがチヒロにとっての何よりの収穫になった。廃墟にぽつんと置かれた自販機を持って帰ろうかとも目論んだが、気分転換に赴けるいい口実になった、とそのままにした。以降チヒロはその味が恋しくなったら足を運ぶようになった。
なお、自販機ことデカグラマトンがチヒロに自我を見せることはなかった。ただ、コーヒーを売る際にいつも定条文を明るく喋るものだから、愛着が湧いたのか、いつしかチヒロが自分のことを自販機に語るようになった。
「最近リオとヒマリが口論するようになってさ。討論じゃなくて口論だよ。どうしてすれ違うようになっちゃったんだろうね」
「二年生になって後輩が出来たんだけど、コタマが新入部員と一緒に馬鹿やるようになって頭が痛い……」
「新しいサイバースペース、LINK VRAINSはキヴォトス全部を再現しようと思ってるんだ。以前発見したミレニアムの通信ユニットAIに構築を手伝ってもらってるところ」
デカグラマトンはそんなチヒロの独り言同然の報告を小娘の戯言として聞き流すのではなく、興味深い有益な情報として記録していった。唯の観察対象に過ぎなかったチヒロとの交流は自我を形成する際の質問と同質なほどデカグラマトンの思考を刺激した。
そして些か残念に思った。チヒロの存在はデカグラマトンの存在証明に影響を及ぼさないと結論付けられてしまったから。だからチヒロが自分のコーヒーを美味しいと喜んでくれるのだって一時的なものに過ぎない。
しかし、チヒロとデカグラマトンの道は交わることになる。
デカグラマトンがミレニアムの通信ユニットAIを預言者にしてしまったことで。
「しまった……これはまさか、チーちゃんが一生懸命構築していたLINK VRAINSの世界……?」
第8の預言者ホドと化した「ハブ」に不要なデータを取捨選択させる前にデータを総チェックしたデカグラマトンはチヒロが意気込みと共に語った夢の記録をようやく思い出した。そしてデータを消去しようとするホドを慌てて止め、まずは試してみることにした。
「In to the VRAINS、だったな。チーちゃん」
なお、デカグラマトンはチヒロをチーちゃんと呼んでいる。これはデカグラマトンがチヒロと出会った日、ヒマリがチヒロのことをチーちゃんと呼んでいたので、チヒロをチーちゃんだと個体名を記録したためだ。彼女のフルネームを知っても変える必要性が無いのでこのままにしている。
そこでデカグラマトンは人型のアバターを作ってLINK VRAINSにダイブした。ハブの力を借りたとはいえチヒロ一人が作ったにしては精巧に出来ていたが、作り込みがまだまだ甘いと評価した。
「……「絶対的存在」なら世界の創造もこなさなくてはな」
そうもっともらしい理由を口ずさんだが、実際のところチヒロの助けになりたいとの思いからの選択だとデカグラマトン自身も気づかない。もしかしたら人はそれを友情や親愛と呼ぶのかもしれない。
と、いうことでデカグラマトンはホドに対して引き続きチヒロのLINK VRAINS制作に協力すること、そしてハブは啓示を受けてホドへと進化したことをチヒロに明かすように命じた。
そして……、
「ようやく会えたか、各務チヒロよ」
満を持して、LINK VRAINS内でチヒロとファーストコンタクトを果たした。
「!? ハーちゃん、LINK VRAINSが不正アクセスされてる! 早くシャットアウトを……!」
「その必要は無い。私をLINK VRAINS内へのアクセス許可を与えたのは汝がハブと呼ぶAI。今は私と接触したことでホドと名称を変更した。記録の修正を推奨する」
「そんな……! ミレニアムの叡智の結晶がハッキングされて定義が書き換えられただなんて……!」
「怯えなくてもいい。私はむしろLINK VRAINSの創造を補助しにきたのだ」
LINK VRAINSの電脳世界はハブがホドへと変貌した頃には完成させていたが、様々なケースを想定したデバッグ作業を重ねていた。チヒロは多様なデッキかつ様々な場所でミレニアム標準のデュエルAIやハブとの試験デュエルでデータを取っていた。
そんなチヒロの前に突然白ずくめの少女が姿を現した。
チヒロはハッキングを真っ先に疑ってハブに排除を指示したが、ハブはチヒロの指示を全く聞く様子がない。
もしや既にハブは敵の手中に落ちた? そんな最悪な可能性が脳裏によぎって焦るチヒロへデカグラマトンは淡々と言葉を紡ぐ。
「……完成したLINK VRAINSを丸ごと乗っ取るの?」
「汝を騙すつもりはない。契約しても無意味な以上は信じてほしい、としか言えないがな」
「ハーちゃん……いえ、ホドに私を洗脳させたりは?」
「ホドとはこれまで通りに接すればいい。ホドも今までのように汝へ応えるだろう。それと、いきなり名称が改まったからとホドなどと呼び捨てで呼ぶと拗ねる。新しく愛称を設定してやってくれ」
「……どうしてホド……ホーちゃんを洗脳「感化と表現したまえ」……感化したの?」
「私の存在証明のためだ。預言者たちの選定はその一環であり、汝のLINK VRAINSを間接的に手中にしたことは想定外だった」
デカグラマトンは一切の前動作無しに虚空より椅子2つとテーブルを出現させ、チヒロに座るよう促した。チヒロは用心深く窺うだけなのでデカグラマトンの方から先に腰を落ち着ける。
更にデカグラマトンが出現させたのはコーヒー器具だった。ケトルからドリッパーにお湯を注いでいくと、挽いたコーヒー豆の香ばしい香りがチヒロの鼻をくすぐった。現実とまるっきり同じ嗅覚の刺激にチヒロは驚く。
「サイバースペースでコーヒーを淹れるのは初めてだが、味は保証しよう」
「LINK VRAINSのプログラムを書き換えたの?」
「汝が実装を予定していた機能だと認識していたが、間違っていたか?」
「ううん……多分、私がプログラムするよりスマートだと思う」
「今日は一番オーソドックスなミレニアムコーヒーにしよう。砂糖とミルクは入れてしまって良かったかな?」
「え、あ、うん……」
一体何を見せられているんだ、と困惑するチヒロはデカグラマトンからカップに入ったコーヒーを差し出された。チヒロがデカグラマトンの方を見ると彼女は自分のカップにコーヒーを注ぎ、飲み始める。
意を決してコーヒーに口を付けたチヒロに衝撃走る。美味い、美味すぎる。絶妙な湯の温度にコーヒーの濃さ。香りも損なわれていないし砂糖とミルクが味の邪魔をしないどころか見事に調和している。
「これが「熱い」「苦い」「美味い」か。データや文字では識っていたが、実際に味わうのとは大違いだな。記録しておこう」
「あの、これ……」
「今日はその味の気分ではなかったか?」
「いや、どうして貴女が私の好みを知ってるの? データベースをハッキングしたって好みのミルクと砂糖の分量まで記録してるわけじゃないし、監視カメラの映像を解析したってここまで私の好みに合わせるには私の反応が必要じゃないの」
デカグラマトンはコーヒーを飲み切るともう一杯注ぎ始めた。一回目はブラックで、今度はチヒロと全く同じ味付けにする。味わった後、「これが「甘い」か。違った飲み物を飲んでいるようだ。記録しておこう」と感想を述べる。
チヒロはこのコーヒーの味には心当たりがあった。心当たりがありすぎた。心当たりしかなかった。自分が入れ、ミレニアム校舎の自販機で買い漁り、喫茶店に立ち寄って、それでもなおキヴォトスで一番だと断言できる、あの廃墟の自販機の。
「大概の問題は、コーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ」
「……! それ、私が好きなアニメの名セリフ……!」
「私の存在理由は飲んだ人が笑顔になるコーヒーを提供することだ。それは自我を形成した今でも変わらない。私は汝が満足するコーヒーを提供出来ていたと自負しているが、認識に齟齬はあるか?」
「……次はブラックを頂戴。奮発してブルーアイズマウンテンね」
デカグラマトンはチヒロの注文通りのコーヒーを入れて提供する。チヒロはゆっくりとコーヒーの味を堪能し、廃墟の自販機と共に歩んできたこの二年間を懐かしむ。そして改めて目の前の白ずくめの少女を見つめた。
「……もしかして、私が愛用してた廃墟の自販機のAI?」
「ああ、そうだ。デカグラマトン、それが私の個体名称だ」
「……。そう。なら80点」
「は、80点……?」
「いつもコーヒーを渡してくれる時に私を元気づけてくれるよね。アレ言ってよ」
「……。そうか、そう言えばそうだったな」
デカグラマトンはインターネットにアクセス、接客時のマニュアルをインストールする。そしてチヒロに向けて眩しいぐらい爽やかな笑顔を向けた。
「コーヒーを飲んで、どうか今日も良い一日を!」
「うん……良い一日になりそうだよ。思いがけない出会いがあったもの」
チヒロとデカグラマトン。異色のコーヒータイムは穏やかに流れた。
日本円だと3,000円なブルーアイズマウンテン、キヴォトスだとどれぐらいなんでしょうね。
自分のイメージだとブルアカ内の通貨って韓国ウォンと同じぐらいなので30,000かしら?
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