グッドトリップ   作:平成

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平成って何色のパンツ履いてるの


ハレンチ

 受験日当日の早朝。

 潔白な空気。窓越しに差し込む月光が、デスクの上を四角く切り取る。

 自室で手記を眺めていた。

 半年前から現在に至るまでの記録を、ぼんやりとめくる。

 

 オレはタイムリープなる現象を経験した。

 説明が複雑になるが、現在でも時間旅行は続いている。15歳の肉体を、29歳のオレが操作しているのだ。だから、起点を一度過ぎた現象として、オレという存在は現在の時間軸に組み込まれているのだ。

 

 早い話が、オレ卍リベンジャー(単騎)である。

 

 受験勉強のかたわらで関連書籍を調べてみたものの、宇宙論やすべて実証不能なSFなどで、詳しい理解を得られなかった。

 宇宙規模にも相当する壮大な事象の渦中にはいるが、やれることは等身大の範囲だ。

 人生をより良く生きる。

 普通の一生となんら変わらない。

 

 ただし、せっかくの機会だ。

 いくつか方針を立てて、未来を選択しようと考える。

 まとめると。

 

 ・親父の癌を早期発見すること。

 ・恋愛経験を積むこと。

 ・ホワイト企業に勤めること。

 

 以上の3つを叶える。3原則である。

 続くページには、それぞれの具体案が羅列されている。

 

 ・親父の死因は、すい臓癌があちこちに転移してしまったこと。すい臓癌は発見が難しいとされるが、発見時期を誤らなければリスク回避できる。がん検査に同行したり、検査を頻繁に促したりすればなんてことない。

 

 ・恋愛経験は保留中。正直、同級生が相手だと子どもすぎて対象外だと感じたのだ。モテないとかそういうわけではないのである。あたしゃ若者との感性にギャップを生じちまってるよ。とほほ。

 

 ・ホワイト企業への就職は、学業を堅実に積んでいけば可能なはずだ。

 

 今日の受験は、未来を変える一歩目だ。

 過去に遡行してきたオレは、未来を選べる。

 

「前は男清高校なんていう男子校に進学したばかりに、ろくな恋愛経験を積めなかったからな……!」

 

 オレのこの手が真っ赤に燃える。怒りに染まって拳を作る。鉛筆が折れた。

 

 全ての不幸は男子校に進学したせいで起こった。

 人格形成、進路選択、恋愛成就。

 あまねく悲劇の原因は、男子校での日々が生じさせた。

 親父が死んだのだって絶対男子校に進んだせいに決まっている。

 あらゆる不幸は男子校を選んだところから始まる。男子校に進学するのは、つまるところ人生の行き詰まりを意味するのだ。許さねえ。

 

 男子校とは破滅のルーツ。

 工業校はその余ったパッチワーク。

 

 共学に進まねば人生は破綻する、オレはそう考えた。

 先立って得た教訓を糧にして、進路を大きく舵切ったのである。

 だからこそ、今日の受験は大きな分岐となるわけだ。

 

「受験票、筆記用具、時計、オレ……ぜんぶおっけーだな」

 

 机に並べた必要なもの。

 受験票の文字が目に入る。

 彩南高校。

 

 彩南町内を代表する普通校。

 多分、地域内で一番受験生が多いはずだ。

 今日までサボらず受験勉強をしてきた。

 社会人生活のブランク期間も、充分乗り越えられる。

 油断はない。あとは、会場にオレをお届けするだけだ。

 

 玄関で靴を履き揃え、見送りにきたふたりを振り返る。

 

「いってくるよ、お袋」

「ええ、気をつけてね」

「いってきます、親父……」

「なあ、仏壇に手を合わせるみたいにしないでくれんか? オレへの当て付けか?」

「しっ、父さん! 邪魔しちゃだめ、きっと樹理のあれよ……精神統一よ! 拝まれて悪い気はしないんじゃないの?」

「ナンマンダブナンマンダブ」

「お前! さすがにこれは……!」

「しっ、父さん! あれよ……ほら、反抗期! やってきたのよ! 刺激しちゃダメよ、きゃー! 父さんの若い頃を思い出すわー!」

「いまぁ?」

「草葉の陰ゾーンで見守っていてくれよ……」

「どこだよそれ! ベンチサイドシートか!?」

 

 パッパ成仏してクレメンス……

 感激するお袋と激昂する親父を背に、オレは玄関を出た。

 


 

 (ホーム)の学生のほとんどが受験生なのは、彼ら彼女らが思い思いに勉強している様子から察することができた。

 親父から勝手に拝借したコートを深く羽織りながら、周囲に視線を配った。

 このうちの何人かは、同級生になるかも知れない。

 感慨に耽っていると、電車はすぐにきた。

 

 単語帳をめくりながら、電車の揺動に身を預ける。

 レールと枕木のデュエット。

 握った吊り革に、知らず熱が入る。

 試験会場の彩南高校まで20分ほど。

 少しの間でも詰め込みたいけど、こんな旧式の促成学習じゃ限界があるね……

 気長に構えよう。受験対策は万全だ。

 大学受験に比べれば、さほど労力を感じなかったし。なんだったらボディメイクする期間も作れた。半年もあれば、人間の肉体は改造できるのだ。みんな、ジムへ行こう!

 などと、取り止めのない思考に耽っていた。

 と。

 

「……や、めて」

 

 妙な呟きが聞こえて、ついと声の方向に向く。

 恵まれた身長のおかげで頭ひとつ抜けた視界に、遮る障害はない。

 通勤と通学のサラダボウルと化した車内でも、その光景は見て取れた。

 

「や、あぁ……」

 

 恐怖で震えた唇。キツく閉じた目。眦に浮かぶ涙。

 制服姿の彼女の裏に張り付く、仏頂面の男。

 電車が揺れる。吊り革の支えを無くした体が、大きく傾く。

 つんのめるようにして歩いた。スーツ姿の人をかき分ける。突然背中を押されたサラリーマンが、口を開こうとしてすぐに閉口する。鬼でも見たかのような表情。会釈で人をすり抜け、その現場を前にする。

 

 行為に陶然と浸る男は、オレの接近に気づかなかった。

 女子生徒の臀部に回した手を、力一杯に捕らえた。

 

「い、ぎ!?」

「次の駅で降りるよ」

「な、なんだねキミは!」

「なんだっていいでしょ。受験生を相手に痴漢行為を働くようなロクデナシ相手に、挨拶をする礼儀はないからね」

 

 矢継ぎ早に告げ、男性の腕を捻って自分の胸の中央に向ける。後ろ向きに関節を拘束した。この体勢から振り解こうとすると、鋭い痛みが伴う。

 そのまま泡を噴きそうな苦悶を息にこめ、忌々しげにオレを振り返る。

 

「いきなりなんだね……!! こんな、傷害罪だぞ……!!」

「痴漢したくせによく言える。受験生が今日を外せないからって狙い撃ちにするとか、卑劣がすぎるだろ」

 

 トラブルの空気。異変を感じ取った周囲の人間が、視線を集中させる。

 オレは堂々と胸を張る。萎縮でもして、万が一にもこの男に逃げられるのは癪だ。

 脂汗が浮かんだ頭皮。肩口に付着したフケ。

 彼が喚くたびに、へたり込んだ女子生徒がビクビクと震える。

 艶やかな黒髪。飴色の瞳。

 恐怖に染まった表情が、オレの鼓動を唸らせる。

 

「アンタ、いい加減にしてくれよ。大の大人が若い子の未来を遮るつもりか」

「何様のつもりだ!!」

 

 苦痛と怒りに満ちた顔が、オレに唾を飛ばす。汚いし臭い。

 不快だ。眉をひそめながら、電車のドアに誘導する。

 ガタンゴトンと揺れるたび、彼の顎肉が跳ねていた。

 

「濡れ衣だろうが! 私は何もしていない!」

「でっけえ声出さないでよ。彼女が怯えてる」

「私は学生運動で国のため戦った英雄だ! こんな真似をして、恥を知らんか!」

「静かにしてくださいよ、もー。そろそろ怒るぞ」

「わ、私はトップだ……! かの重工の取締役だぞ……!! こんなことして、許されるか!!」

「……? 取締役なら、フツーはグリーン車使わない?」

「──私の、負けだ」

「え、キモ」

 

 急に膝を折って屈したんだけど。

 よくわからないが、オレの言葉がクリーンヒットしたみたいだった。んだよ取締役って嘘かよ。まあ、痴漢を働くような人間が重役になれるとも思えないし。

 

「あなたも一緒に降りよう。お互い、落ち着く必要がありそうだ」

「は……い」

 

 蒼白の表情で頷く。

 突然、自分が被害者になる恐怖を味わったのだ。それは、日常の基盤が崩れるほどの衝撃を受けるはず。思春期の身分ではあまりにも毒だ。きっと今だって、自分を被害者だと認識するのさえ難しい混乱に囚われているだろう。

 

 程なくして、次の駅で痴漢と仲良く下車した。

 降りた瞬間に抵抗するかと思い力を強めたが、呻き声を上げるだけで従順な態度だった。

 白々しくも、彼は怯えた表情で涙さえ浮かべていた。

 

 車掌に声をかけ、駅員を呼んでもらった。

 駅員室へと連行されていく後ろ姿を見送りながら、ホームのベンチで震える彼女に語りかける。

 両腕で肩を抱いて、悪寒に襲われている様子だ。

 膝をつき、顔を覗き込む。目線が合わない。

 なるべく落ち着いた声音で言葉を押し出す。

 

「じき、駅員さんがこちらにも来ると思う。一応、現場の証人としてオレも話をするけど、あなたはどうする?」

「私……なんで……」

「静かな場所で落ち着いた方がいいね。駅員室使わせてもらおうか」

「だめっ……! 受験に間に合わない……!」

 

 弾かれた矢のように、顔が上がる。

 彼女の狼狽は聞くだけで胸が痛む。

 未来ある若者の道を整備するのは、大人の務めだ。胸に戒め、オレは言葉を続けた。

 

「はーい、リラックス。受験の開始時間まであと2時間もあるよ。今から電車で行っても試験開始の1時間半前には着く」

「で、でも、でもずっとゾワゾワして……! こんなの、だめ……!」

「もう犯罪者は遠くに行ったから、あなたを傷つけるものはいないよ。大丈夫、大丈夫」

「あれ、受験票、筆記用具、嘘、あったわよね、ヤダヤダヤダ……!」

 

 彼女の手が鞄をかき乱す。ガチャガチャとモノがぶつかり合う音。

 狂乱のまま、口端に泡を溜めながらぶつぶつと呟く。

 オレの声は届かない。彼女はいま、絶望と恐怖とがないまぜになってしまっている。

 涙が鼻先で雫となって溜まる。

 瑞々しい肌が、悲惨なくらい青ざめていた。

 海面をはねるみたいに、顔を上げる。悲痛な視線がぶつかる。

 涙に満ちた瞳が、必死に助けを求めている。

 

「どうしよう、どうしよう!」

「どうもしなくて平気だよ」

 

 努めて平静に語りかける。

 この子はいま、男の剥き出しの悪意にズタズタに引き裂かれてしまったのだ。その尊厳は、そう易々と取り戻せるものじゃない。

 せめて、ツギハギにでも繋ぎ止められれば。

 この場に居合わせたオレの義務は、彼女を万全の状態で受験会場に送り出すこと。自然とそう考えていた。

 

「あなたは今日のためにちゃんと備えてきた」

「今日、今日は受験で……!」

「朝は何を食べたの?」

「朝……」

「パン? ……ああ、お米だね。米粒がシャツの襟についてるよ」

「う、嘘っ!」

「そう、嘘」

「え……?」

「米なんてどこにもついてないし、身だしなみも整っている」

 

 短い問答を繰り返すことで、彼女も徐々に落ち着いてきたみたいだ。

 呆然とした顔が、オレを見定める。

 よし。今なら届く。

 

「あなたはちゃんとしてきた。備えてきました」

 

 なるべく刺激しないように、彼女の手に優しく触れる。

 鞄から引き抜くように、その手を促した。

 

「ほら、受験票を持ってるだろ。筆記用具も揃ってる」

「あ……」

「あとは会場に到着するだけ、ね。あなたはしっかりと助けを求めることができた。だからもう、これ以上の最悪は起こりっこないんだよ」

「ほんとだ……」

「ほら、あなたの単語帳。さっき車内で落としてたの、乗客のばあちゃんが拾ってくれてたんだ」

「ありがとう、ございます」

「どこ受験するの。オレは彩南受けるんだ」

「お、同じです!」

「ほんと? 入学前に同級生と知り合えたな。ラッキーだ」

「ええ……本当に、嬉しい」

「受験前って緊張すごいよね。落ち着いて、自分のペースで受験に行かなきゃだ」

 

 会話を交わすうちに、彼女の震えもおさまってきた。

 まだ完全にショックからは抜け出せないだろうが、息を整えることはできたようだ。芯のある強い子だな。

 

「私、古手川唯……です。あの、ありがとう」

 

 おずおずと、古手川さんはオレの視線をうかがってきた。

 どうしよう、若者の感謝って健康にいい。頬を綻ばせながら、誤魔化すように立ち上がった。

 

「次の電車が来たら乗るんだよ。オレは駅員さんと話さなきゃいけないことあるから」

「え、あ……まってください!」

「あなたも……ええと、古手川さんも、落ち着いたタイミングでご家族に連絡すること。できれば心配をかけたくないかも知れないけど、サポートしてもらうためにも、周囲を巻き込むのは必要だ」

「あなたの、名前を──」

 

 呼び止める彼女を肩越しに見つめ、キザにカッコつける。

 

「あなたが合格したら教えるよ。学友になれたときの報酬ってことで」

「ええ、本当にありがとう……」

 

 冗談めかして笑うと、彼女も微笑んだ。

 この様子だと大丈夫そうだ。オレも憂いなく受験に臨めるってもんだってばよ。

 良いことをしたあとは気分がいい。

 ホクホクとした気持ちで駅員の元へ事情を説明しに行った。

 

 これは完全に余談なんだけど、痴漢の男性の手首にヒビが入ってたみたいで、事情聴取に来た警察から「やりすぎだ」と嗜められた。人間と仲良くなりたいのに自分の力に振り回される森の怪物となった気分だった。オデ、ヤクにタチたかった。

 


 

「おかえりなさーい! 今日はカツ丼よ!」

「そういう願掛けって試験前日じゃない?」




次回入学恋愛展開我興奮
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