グッドトリップ 作:平成
元号がわかったんです
朝の空気は乾いていた。
陽光の照りが日増しに強くなっているが、湿度がない分、まだ快適に過ごせる。
開襟シャツに腕を通す。衣替えのタイミングが来た。
自室の窓から、青々しい葉桜が臨めた。
窓の手すりにひっかけたひまわりの苗に水をあたえていると、穏やかな風が若葉の香りを運んできた。
「もう5月かあ」
時の流れは早い。タイムリープを経験しようが、時間感覚は麻痺しうる。
今日でゴールデンウィークは明けた。一週間ぶりの学校だ。
リビングに降りると、両親が慌ただしい朝を迎えていた。
「親父、健康診断の結果どうだった?」
「おー? まあ、飲酒を控えろって言われたな。酒は薬って全国的には知られてないみたいだな」
「そうか……」
うーん。がん検査を併せてしてもらったけど、まだ兆候は見つけられてないのか。
親父の癌は、高校二年の冬に発見された。発見から3ヶ月で、息を引き取ったのだ。
オレが親父の癌にできることは少ない。警告をしようが、注意を払おうが、病は平等に訪れる。がん検査ですい臓をよく見てもらうよう打診してみたものの、結局は見つからなかった。
早期発見をするなら、今から半年以内がリミットだが、芳しくない結果だな。
健康にこしたことはないが、結末が見えている分、焦燥が胸をざわつかせる。
米をかっ喰らいながら、ぼそりとつぶやいた。
「親父は絶対に癌で死ぬのにな……」
「お前デスノート拾ってないだろうな」
コーヒーをすする。
インスタントならではのモッタリとした苦さ。目覚めで緩んでいる意識を叩き起こしながら、ケータイを開く。んー、受信メールなし、と。
「こら! ご飯中にケータイ使わないの!」
「マルチタスクだよ」
「言い訳しない!」
げ ん
こ つ
「すみませんでした……」
煙を上げるこめかみ。
オレは大人しくケータイを閉じた。どの時代であろうと、お袋には逆らえない。
親父が穏やかに目を細め、低い声で尋ねてくる。
「樹理、友達はできたか?」
「ん、ひとり……ベストフレンドが、ね」
ニヤリと笑う。
息子の笑みを見て親父は引いていた。どんだけ凶悪な人相してたんだろう。
オレはケータイに登録された連絡先を見せる。
「ほら、結城って子。同級生で気のいいやつだよ」
「ほう……女か?」
「いや男だよ」
「なんだ、お前にも春がきたかと思ったが」
「こらこらお父さん、もう春は来てるでしょ」
「いやこれは比喩表現でな……」
「恋愛なら任せてよ、親父。孫どころか玄孫まで見せてやるよ」
「そこまでは求めてないぞ。家系図のどこに位置するんだそのポジションは」
メモ帳を流し見る。
目標を連ねたページ。
親父の癌と、恋愛成就。どっちとも成功させるんだ。
熱い気持ちが胸に灯る。
「じゃ、学校行ってくるよ」
「こらこら、それはオレの弁当だろ」
「バレたか……」
「あんたのはこっち! ほら、新しいサラダチキンよ!」
「元気100倍だぁあああ!!」
オレは家を飛び出した!
昼休み。
噛むと、サラダチキンは繊維が解けるような食感で、淡白な味わいを口に広げた。
机をがっちりと向かい合わせに固め、オレは結城と昼食を共にしていた。オレは保健室を卒業し、教室へとステージを移していた。
結城が気を回してオレに話しかけてくれていたからか、クラス内のオレに対する評価が「爆発物」→「不良っぽいやつ」へと修正されたのだ。おかげで、クラス内の人権を獲得することができた。
順風満帆。授業は楽しく、学友との交流も盛んだ。
「ひまわりが芽吹き始めたんだよ」
「お、いいな」
「可愛くてしょうがないね」
「……ええと、芽がか?」
「うん。名前も付けたんだ、ひとりずつ」
「感情移入しすぎだろ!」
「まずは悟。この子は一番の有望株なんだ。誰よりも成長が早くて、ぐんぐんと太陽に向かって花を咲かせようとしている。誰にも追いつけない速度で、どこまでも」
「しかも人名かよ……」
「その次が傑だ。この子もなかなかに優れていてね、あまりにもいい養分を蓄えているのか、すごく虫が集ってくるんだ。手入れが大変で、すぐに枯れてしまいそうな危うさを感じる」
「芽の時点で? へー、すごい特殊な個体なんだな」
「うん。いわば特級だ」
「まあ、可愛がれるのはいいことだよな」
「で、最後は硝子。不思議な力で周りを癒してくれるしなやかさがあるんだ。3人をさしすトリオとして育てていこうと思う」
「お前って変わってるよ……」
弁当に箸を伸ばしながら、結城はため息を吐いた。
先月打ち立てた園芸作戦が功を奏した。
オレがひまわりを育てていると言うと、結城はあっという間にフィッシュ。こうして、時々話題に上げるようになったのだ。
「おーっす。オレも混ざっていいか?」
「猿山くん、ぜひ来てくれ。どうぞ、一歩前へ」
「お、おう。なんかわかんねーけど、深淵へと飛び込む気分になったな……」
オレ、結城、猿山くんで大三角形が完成。
猿山くんは結城の旧友で、クラスのお調子者だ。その場の人間を盛り上げてくれる。彼のような人間は、プロジェクトをオープンな雰囲気で進行できるため大変重宝される。オレと結城が交流を始めると、彼も声をかけてきてくれたのだ。最初こそ彼の警戒心が全身から立ち上っていたが、今では日常会話が可能となった。
焼きそばパンの袋を開けながら、不意に尋ねてくる。
「樹理って彼女いんの?」
「特定の相手はいないよ」
短く答える。繕う必要も感じない。
彼が口の中にパンと次の言葉を含むのを横目に、何やら赤面していく結城を見やった。
こと女性関連の話題となると、結城は黙り込んでしまう。
「結城、手が止まってるぞ」
「あ、ああ……」
「ぎこちないな。恋愛への耐性は中学からなの?」
「そーだなー。コイツ、女の子のこと考えるだけで真っ赤になっちまうんだよな」
猿山くんが代わりに答えた。
ふーん、それは難儀だ。
むくれた様子で、結城が消え入るような声でつぶやく。
「オレだってなんとかしたいって思ってるよ……」
「無理無理。そう言って何年経ってるって話だろ」
「きっかけさえあれば殻を破れるんじゃないかな、案外」
「おー、経験者は語るってヤツ?」
遠慮のない物言いで、猿山くんがからかってくる。その気心の知れた様子が心地よかった。
興味津々といった目で、前屈みになってきた。
「じゃあ、樹理の好みのタイプってどんな感じなんだ?」
「気立てのいい方だな。一緒にいて安心できるところを作れるような」
「それってどういうことだ? いまいちイメージしづらいんだけど」
「気遣いができる方ってところだね。ほら、醤油とってーって言う前に用意してくれてたり、お風呂上がりに着替えを用意してくれてたり。かなり愛情を感じて嬉しいんだよな」
「へー……なんつーか、母ちゃんみてえだな」
苦笑する。確かに、お母さんのようなタイプかもしれない。
「じゃあ、見た目はどーよ? やっぱ渋谷ギャルみたいな感じか?」
「外見へのこだわりはないからなぁ」
「それって興味がないってことだろ」
「容姿云々の優先順位が低いだけだよ。オレが欲しいのは家庭であって、トロフィーのように女性を
「味気ねーなおい! ワルの割に達観してんなー! じゃあ、あの子とはどうなんだ?」
首を傾げる。誰を指してるんだろ。
要領を得ないオレに対し、声をひそめながらボソボソと補足してくる。
「風紀委員の古手川だよ……結構噂になってんだぜ?」
「まさかだろ。オレが問題児だから、彼女の目に留まってるだけだよ」
一笑した。
誰のことを言うかと思えば古手川さんか。
彼女は責任感が強い子だから、オレの更正を自分の使命と捉えている節がある。
白けた表情で猿山くんが続ける。
「証拠は上がってんだぞ」
「なんだと? 証拠があるなら出してみるんだな」
「その強情、いつまで持つかな」
糾弾の光を帯びた眼差し。
対するオレも強気だ。いまのところ、オレに色恋関連の青春イベントは起きてないのだ。
オレの鼻先に、猿山くんがケータイを紋所のように突き出してくる。
温かい電子でぼやけた画面には、古手川さんと、身を屈めてネクタイを委ねるオレの姿のツーショットが表示されている。
ああ、先月の。
たしかにこの距離、誤解を受けても仕方がないかも。
思い至るオレに対し、声を荒げる。
「ほら! こんな近い距離で! ネクタイ結び直してもらってんだぞ!」
「いや、指導の一環だって彼女は言ったよ」
「んなわけあるかぁ! 口頭で注意すれば済む話だろ! わざわざ自分の手で直すなんて、何かしらの好意がなきゃ発生しないイベントだろうが!!」
「落ち着けよ猿山……風紀委員が厳しく指導してるだけだろ?」
「結城が言うなら間違いないな」
「え、なんだその信頼……」
「猿山くん、悪いけどファクトベースで話してくれ。あなたの意見は恣意的で私情が混じって見えるぞ。反面、結城のロジカルっぷりと言ったらえぐいのなんのだろ?」
「なんでふたり揃ってそんな偏った意見なんだよ……!!」
机をバンバンと叩く猿山くん。涙ぐんでさえいた。
「落ち着け、ドラミングはよせ」
「誰がゴリラだ! どっちかといえばお前の方がゴリラボディしてんだろ! んだよ夏服ピチっとさせやがってこんちくしょー!!」
「あまり褒めるなよ、照れる」
「うぜぇーー!!!」
椅子を倒してまで立ち上がった。
全身を使ってのリアクションだ。
「ちょっと、なんの騒ぎですか!」
あまりに騒がしくしていたからか、話題にあがっていた彼女が扉を開けて鋭い視線を飛ばしてきた。古手川さんである。
凛とした眼差し。キッとオレ達の方を睨みつけた。
「また秦野くんですか! いいかげん生活態度を改めたらどうですか!」
「気をつけるよ、古手川さん」
「あまり騒がしくするなら、私の監視の下で食べてもらいますからね!」
「了解、大人しくするよ」
「……! わかったなら構いません!」
教室がどよめく。剣呑な空気を感じ取ってのことだろう。
彼女は眉根を寄せてオレを睨みつけるや、そのまま自分の教室に戻って行った。くわばらくわばら。ふたりに向き直る。
「……なんだねその顔」
「「なんだねって……なあ?」」
嘆息があふれてた。シンクロ率がすごい。
仲良しだなあ、この子達。
感心感心。サラダチキンの最後の一口を平らげ、オレはプロテインシェイカーを取り出した。カルキ臭のプロテインは青春の味がするのだ。
「じゃ、オレちょっと水汲んでくるから」
「秦野ク〜ン?」
この猫のように忍び寄る気配は!
背後には影があった。籾岡さんである。
ギョッとしながら、香水が鼻腔に抜けてくるのを感じた。
「どうかした?」
「ほら、水あげるよ! さっき自販機で間違えて買っちゃったのよねぇ」
「え、そうなの。でも悪いよ。オレ、水道水で生きていけるし」
「いいからほら! ノークレームノーリターンです!」
無理やり手渡してきた。唖然と立ち尽くすオレをそのままに、彼女はさっさと自分のグループに戻って行ってしまった。
まあ、今度別の形でお礼すればいいか。
冷たいボトルの感触を手に収めつつ、オレは席につく。
と、猿山くんがオレの方をじめっと見てきていた。
「何さ、その目」
「オレが目指すべきは不良なのか……?」
「ええ?」
何やら苦悩して頭を抱える少年。
よくわからないけど、今の明るいままでいてほしい。ドロップアウトボーイになる必要なんてない。競うな、持ち味を活かせ。
夕飯後、オレは自宅にこもる。
今日の授業内容の復習をそこそこに、園芸の本を読んでいた。
検索サイトを使おうにも、現代ではPCがなければ活用しづらい。それに、参考になる文献は紙媒体の方が圧倒的に多い。
「え……? ある程度芽が育ったら、剪定しなきゃいけないのか……?」
一文が衝撃となって貫いた。
同じプラントで育てる場合、芽をどれか一つに絞って育てなければ、栄養が行き渡らずに枯れてしまうらしい。
そんな……! オレは死滅回遊を開くことになっていたのか……!?
「結城に連絡しなくては……!」
こういう迷った時は、園芸コンサルタントの彼の手を借りるのが早い。
メールアプリを操作し、疑問をそのまま打ち込む。
「<オレは未来ある若い芽を摘まなきゃならないのか>……と、よし。送信」
画面上に手紙が浮かび上がる。
送信済みフォルダに送られたメッセージを確認し、オレは椅子に背を預けた。
空白の時間。既読という機能がない以上、返信を待つしかない。
この時間は好きだった。返信までのスピード感が遅い分、相手からの返事や次何を話そうかと想像するスペース。
やがて、Reと題された返信がくる。
「<どういうことだ?ひまわりのこと?>……」
返信を重ねる。ひまわりの芽を剪定しなきゃいけないのか、そのまま尋ねた。
「<ちゃんと教えるから、明日学校で。俺、風呂入る>」
読み上げ、笑みを浮かべる。
明日の予定ができた。友達との。
社会人になってからというものの、こういうなんでもない出来事を共有できる機会はひどく限られてきていた。こんな、なんでもないことで頭を悩ませ、共有する。ありきたりな幸せだ。
「オレも風呂に入るかなー」
その前に家トレをこなそう。
オレはセットメニューをこなしはじめた。
部屋の角に設けた小っちゃいテレビスペース。昔、親父が買ってきてすぐ放置したフィットネスのDVDを再生。
ブラウン管テレビの淡い光。
オレはワイヤーを手元に用意し、映像通りにメニューをなぞる。
五十分後、オレは部屋の中央で叫んでいた。
「ビクトリー!」
映像内の海外トレーナーと声が重なる。
オレは充実した汗を滴らせながら、あがった息を整えた。
「……? 着信?」
結城から着信がきていた。
掛け直すが繋がらない。
なんだろう。
メールボックスを確認する。
「<のぼせて変な夢を見た。おんなのこが、家の風呂に>……?」
謎は深まった。
いまいち意図が読めなかったが、とりあえず返信は送っておこう。
「<そういうお店は、未成年には早いと思うよ>」
ダークネス便の駅は…………………………どこ…………………………………………