小悪魔日記 ~悪魔に『小』がつく幾つかの事情~   作:puripoti

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第15話 Project BITTER CHOCOLAT

 いつものティータイム。パチュリー様にお茶を淹れて差し上げるため暖めたティーポットにお湯を注いでいると、眼前を蚊トンボよろしく“ふらふら”と浮遊する少女の姿が横切ったので、私はすかさず手にしたティーポットへ重力中和の魔法をかけて宙に置き、代わりに懐から鉄砲を取り出しました。

 

 仄暗い室内にあってさえ金色に煌めき光る、古式ゆかしいパーカッション式鉄砲の撃鉄を上げ、少女の空っぽと大差ない頭へと狙いを定め寸分の躊躇もなく引き金を絞れば、背中に生やした蝶々の羽をせわしなくはためかせて飛ぶ少女の頭が弾け飛び、残された身体だけが少しの間、自分の死にさえ気が付かない様子で“ふよふよ”と頼りない動きで漂った後に風呂桶一杯ほどの水と化して落ちる。その水も床に触れたそばから霞のごとく消え失せて少女の名残は幻のようにはかなくなってしまいます。どうやらお水に属するものであったらしい。茶色の髪の毛をしてたから土に縁のあるやつかと思ってたのですが。

 

「ひどいことをするのね。あんなのでも一応はこのお屋敷の従業員なのに」 

 

 ふた昔くらい前のマカロニウエスタンに出てくるガンマンよろしく、銃口から立ち上る硝煙へ清浄の魔力を込めた吐息を“ふぅ”と吹きかける私に横合いから向けられた、微かな憐憫もうかがえぬ声の主は言うまでもなし。そうはおっしゃいますがね、あいつら放ったらかしにした日にゃどんな悪さするか知れたもんじゃないのですから仕方ないでしょうに。唇を尖らせつつ私はポッケから弾丸はじめとした玉薬の一式を取り出し手早く装填していきます。

 

 弾込めを終えた鉄砲を懐に収め、手に浄化の魔法をかけてからあらためてお茶を淹れていると、パチュリー様が“からかう”ようにして言ってきました。

 

「悪さと言っても、どうせあなたのおもちゃをいじって壊したり、お茶っ葉や“おやつ”をかっぱらったりするくらいが関の山なのだから放っておけばよかろうに」

 

 それが問題だから、こうやって始末をつけとるのじゃあないですか。ぼやきながら私は芳わしい香りを漂わせるティーカップをパチュリー様へと差し出しました。特に最初に挙げられたものの被害は無視できませんのでね。

 

「私の懐は痛まんよ」

 

 “ふわり”と吊り上がる魔女の朱唇。それが淹れたてのお茶から立ち昇る香気を受けたことによってのものなのか、はたまた顔面筋を目いっぱいに使用してこさえた小悪魔の渋面を滑稽に思ったものなのかは詮索せぬが吉なのでしょう。

 

 悪魔の棲まう真っ赤な館。大きなお屋敷だけあって、ここには普通の家屋にはない施設や人員が多数、存在しております。具体的な例を挙げるのなら、あからさまにお屋敷の容量から逸脱した規模を誇る超々巨大図書館(正確にはその一部)だの、先程私が始末したお屋敷の“そこかしこ”をうろつき回るメイド(役立たず)だのがそれです

 

 それ以外だとでかいお屋敷に見合った、これまたでかい門をあずかる番人殿ですか。

 

 門番といえば想像力欠如の気味があるボンクラがこさえたマンネリファンタジーなら、鉄の塊みたいな鎧をまとった筋骨隆々の肉体に鬼瓦の替わりにもなれそうな顔を搭載したウドの大木と相場は決まっておりますが、こちらの門番殿はお天道様の恵みをたらふく浴びて実ったブラッドオレンジのように鮮やかな赤毛の長髪と健康美にあふれたしなやかな肢体が目を引く妙齢の女性でして、彼女には“こちら”にご厄介になった日の、右も左も分からぬ頃からなにかとお世話になったものです。

 

 なおそんな彼女の詳しい出自に関してはよく判りません。こんなところに雇われるからには人間でないのは間違いないのでしょうが。

 気になった私はよい機会だと思いパチュリー様に訊ねてみましたが、返ってきたのは答えになってるんだかなってないんだかさっぱりわからないものでした。

 

「ずいぶんと前から門番やってるらしいわね。聞いた話じゃ妖怪だということだけど何の妖怪なのか、そもそもいつ雇われてたのかも判らん」

 

 ひょっとしたら雇い主である“あいつ”も知らんのとちがうか。パチュリー様は適当極まる調子とは裏腹の、実に絵になる仕草で手にした白磁のティーカップをくゆらせます。いいんですか、そんなんで。

 

「仕事さえこなせていれば問題ないってことじゃないの。私にしても魔法使いというわけでなく魔法と縁があるでもなしの、接点がどこにもない輩に興味をもつ理由はないしね」

 

 ごもっともで。

 

「とはいえ、あなたにとってはご同輩というか同僚になるのでしょうから、まあ仲良くなさいな」

 

 一介の門番風情との関係を良好に保ったところで、あなたに得られるものなんて微塵もないでしょうけどね。仲良くなさいという割にその意欲を削ぐようなことをおっしゃいます。なら、やめておきます。

 

「あら、付き合いが悪いのね」

 

 どの口がおっしゃいますか。“いけしゃあしゃあ”とおぬかしあそばされる、主の厭味くさい声をやり過ごした私は自分のために淹れたコーヒーをすすりながら、かの門番嬢がひた隠しにしているであろう裏の顔に思いを馳せました。

 

 たしかにあの御仁、見た目こそ気さくな健康美人といった風情の方ではありますが、しかしこんな不気味の館に雇われるような輩が真っ当な脳ミソをしているわけがない。人のよさそうな笑顔の裏では、何も知らずに“のこのこ”近づいてくる獲物を待ち構える食虫植物ばりの陰険獰悪な本性が根付いているのに決まっています。討ち取った敵の耳を削ぎ、それをどこからか誘拐した幼女に持たせた桶の中に溜め込むのが三度のメシより大好きなどという異常性癖を持っていたとしても私は驚きません。そんな危険人物と仲良く“おててつないで”とはいかんでしょうよ。

 

「そんなイカレポンチが門番やってたのなら、ここの門をくぐった時点で私が始末しとるわい」

 

   *

 

 今日も今日とてどこからか、生ゴミにたかるコバエよろしく紛れ込んできたメイド姿の、中身があるんだかないんだかも判らぬ脳天へと鉛玉を叩き込む。

 

 来るな来るなと口を酸っぱくして言い聞かせているというに、なんでこいつらは禁を破ろうとするのやら。最近の日課となったメイド(いないほうがマシ)の始末を終えた私はため息をこぼしながらその場を後にしました。もういっそのこと、妖精共がこの図書館に立ち入った時点で片っ端から抹殺するようなセキュリティを構築したほうが良いのかもしれません。

 

 先にも述べたとおり《お屋敷》には大量のメイドが雇われてこそいるものの、その実態は大半どころか全員が一匹の例外もなく役立たずさもなきゃ穀潰しという有り様だったりします。というのもここで雇われてるメイドというやつ、実は人間ではなく妖精が勤めておりまして、こいつらが種族的に手の施しようがない輩ばかりだからなのです。

 

 妖精というのは自然現象が人の形をまとったようなものです。一般的な姿形は童話童謡の挿絵そのまま、人間の子供の背中に蝶々やトンボの羽みたいなもんがくっついたもんを想像していただければよろしい。

 総じて背丈は小さく(大きくても人間の子供程度、小さい奴は手乗りサイズのまでいる)、大抵は非力で大した力こそ持っていない上におつむの出来もよろしくないのですが、存在が存在だけに放ったらかしにするとありとあらゆる場所に湧いて出る上、馬鹿さ加減がもたらす後先一切考えない悪戯を仕掛けてくる場合もあるときたもんなので、この図書館というよりは私の管轄内においては見つけ次第、即射殺という扱いになっております。どうせ殺しても死ぬような連中じゃないので(正確には死んでもさっさと蘇る)、残酷だ非道だなんだのと言った文句苦情が来る心配はございません。

 

 当然のことながらこんなのに勤労精神なんぞを期待するのは愚の骨頂というべきで、あえて使い途を探すとなりゃ精々がとこ、パチュリー様が行う実験に使う動物が足りないときの代替品としてか、さもなきゃさっき私がやったような鉄砲の試し撃ちの的としてくらいでしかありません。使い減りしないという意味でなら便利ではありますが。

 

 ───それにしても他所様の雇用形態に口を挟む気はございませんが、なんだってこのお館では採算度外視であんな役立たず共を大量に雇ってらっしゃるのでしょう?

 

 《図書館》の一隅で暇潰しがてらに愛銃のクリーニングとオーバーホールなぞをしつつ、私は常々感じていた疑問を口にしてみました。

 

「いわゆる世間体というやつ。役立たずだろうがなんだろうが、とりあえずは数だけは揃えて体裁を整える───貴族の“たしなみ”なのだとさ」

 

 私の疑問に応えたパチュリー様は手にした漫画のページをめくられました。今日のパチュリー様が手にしているのはずいぶんと前に私が買ってきた、かつてある極東の国において漫画の王様とまで称された方のお描きになられた漫画本です。前にも言いましたがこの方、書籍の形さえしてりゃジャンルには選り好みをなさらない。

 

 へー、そんなものですか。銃身をクリーニングロッドで掃除し、作動部にグリスを注した鉄砲を上等の羅紗で丁寧に磨きながら私は少しの納得の込もらぬ虚しい相槌を打ちました。費用対効果のことを考えりゃどう考えても割に合わないどころか無駄の極みとしか言い様はござんせんが、お貴族様の酔狂というやつは一般庶民にゃ理解が及ばぬものであるらしい。

 

 丁寧に磨かれた黄金の銃へ愛しげな眼差しを送っていると、その銃身に新たなメイド服の姿が映り込みました。おや、こんなところにまでやって来よったか。顔をしかめたのも一瞬のこと、オーバーホールを終えた鉄砲というものは何発か試射をして着弾点の確認・修正をしておく必要があるのでちょうどよいか。思い直した私は電光石火の勢いで振り返り、早速、綺麗に仕上がったばかりの鉄砲を“そいつ”へ向けてぶっ放し───眉をひそめました。

 確かに銃弾で射抜かれたはずのメイドはぶっ倒れることも消え失せることもなくそこに佇んでいる。おかしいなと思った私は“そいつ”のことをしげしげと観察しました。

 

 なんだ、誰かと思ったら“こいつ”ですか。拍子抜けした私は鉄砲を懐にしまいました。

 

 突然の銃撃に怯んだ様子も見せぬ“そいつ”は、明らかに他のメイドとは一線を画するなにかでした。

 大きさは10代半ばほどの平均的な人間の少女サイズ、普通の妖精と違い背中に羽はないので見た目だけなら普通の人間と大差はなし。歳相応の瑞々しさを湛えながらも甘さは削ぎ落とした鋭利な美貌と、挙動のどこにも隙が見当たらない身のこなしが印象に残る、妖精というよりもむしろ銀のナイフが命を宿した付喪神と言われたほうが納得してしまいそうな“そいつ”は幽かな足音もたてずこちら歩み寄り、“すぅ”と、流れるような挙動で手にしたハンカチを───より正確にはハンカチにくるまれたものを───差し出してきました。

 

 覗き込むとそこには鈍色に光る丸っこい金属塊、さっき私が撃った鉄砲の弾丸が鎮座ましましていらっしゃいました。『小』が付くとはいえ悪魔でなけりゃ火傷をしそうに熱いそれを受け取りお礼を言うと、“そいつ”は無言のまま一歩下がり、洒脱な仕草で一礼し秋風のように軽やかな動きで身を翻してどこかに消えてしまう。その姿を見送った私は狐につままれたような気分を禁じえませんでした。

 

 見た目からして他のメイド連中とは毛色の違う“あれ”は、いつの頃からか穀潰し共の中に紛れ込んでいた新顔です。妖精のものとは思えぬ近寄りがたい空気をそこかしこに垂れ流しているがゆえに気後れしてしまい、会話こそしたことはないのですが、その仕事ぶりは他のぼんくら共とは一線を画した、というよりもあれ一匹にすべてを任せてしまった方が仕事が捗るのではと思わせるほどなのは存じております(逆に云えば、ここのメイド連中は雁首揃えてもあれ一匹分の仕事もできない穀潰しということ)。彼女は一体、何者なのでしょう。

 

「人間よ、あれは。ちょいとばかりおかしな《特技》を持ってはいるんだけど」

 

 あら、そうだったんですか。思いもかけない応えに瞠目していると、パチュリー様は呆れたと言いたげに“こめかみ”のあたりを押さえました。

 

「判っとらんかったのか」

 

 いやあ、まさかにこんな人外の巣窟で働こうなどという酔狂な人間がいるとは思いませんで。

 

「私も詳しい事情は知らんし興味もないけれど、最近じゃ《屋敷》の管理は総てあれが仕切っとるらしい」

 

 なんでもお嬢様の拾い物なのだとかで、物凄く速く走れる特技をお持ちだそうです。機関車くらいですか、それとも弾丸くらいですか。

 

「人の思いの速さほど、とかなんとか」

 

 そりゃ凄い。よほどの健脚の持ち主であらせられるようで。

 

「そういえば、他にも空間を“いじくる”趣味があるとか言ってたか」

 

 ああ、なるほど。思い当たることのあった私は軽くうなずきました。ここ最近、お屋敷の中が改装されたわけでもないのに妙に広く感じたり、特定の区画を通ると気分が悪くなったりする理由がそれですか。そんな愉快能力の持ち主とあらば、お嬢様なら手元に置きたいと思うことでしょう。そのような術を心得ていらっしゃるということはあいつ、もとい彼女もひょっとしたら《魔法使い》なんですか。だとするにしても、その手に輩につきものの気配も“におい”も感じられないのですけれど?

 

「うんにゃ、あれが使っとるのは魔法とは別口のもんさね」

 

 魔法や術などの手順を踏んだ上での“技術”ではなく、個人による所有のみで完結する“技能”の一種なのだそうです。此頃巷ニハヤル物───ESP者(超能力者)ってやつですか。パチュリー様は首を横に振られました。

 

「ここに雇われるよりもちょいと昔に世界征服を企む悪の秘密結社にとっ捕まって改造された結果、得た能力なのだとさ」

 

 奥歯の横に速く走るための装置を起動するスイッチがあって有事にはそれを押すらしい。それを聞いた私の目が借り物を頼みにきた寸借詐欺師を見るようなものになっていたとしても、責められるいわれはないはず。ホントですか、それ。

 

「さあてね。他ならぬ本人が言ってるのだから本当なんじゃないの」

 

 嘘だとしてもどうでもよし。その言葉に偽りなく、心底どうでもよさげなパチュリー様でした。よく考えるまでもなく当のご本人にしてからが改造人間ならぬ改造魔女なのですから今更、興味が湧かないのかもしれません。それにしても、そんな御大層な方がなんだってこんな場所でメイドなんかやってるんでしょうか。あれだけのお方なら職業は選べそうな気もするのですが。

 

「本人、飯さえ食えれば他はどうでもいいらしい」

 

 そんな馬鹿な。私は言下にそれを否定しました。

 

 お釈迦様かイエス様じゃあるまいに、そんな無欲な生き物がこの世知辛き苦界にいるわけがありません。ましてこのような狂気山脈とでも云うべきお屋敷に好んで雇われているのだって、どうせしこたま抱えた心の闇を満足させつつお金がもらえるなどという職場環境が他になかったからというおぞましい理由からなのでしょう。今もこの館の何処かで身を潜め、哀れな犠牲者を毒牙にかけんとナイフに舌を這わせている姿が容易に想像できます。大方、お給金のすべては彼女が行うなさけむようの残虐行為手当でまかなわれているに違いない。

 

「その名誉毀損(めいよきそん)にも似たあなたの妄想はどこからやってくるのよ」

 

   *

 

 ここまでの考えに思い至った時、私は恐れおののかずにはいられませんでした。もはやこの退廃と狂気と紊乱(びんらん)とを煮詰めた狂虐のシャングリラ、かつて神の怒りに触れて滅びし悪徳の都さえ顔色なからしめるがごとき館の中で、正気を維持していられるのはこの非力な小悪魔ただ一人なのですから。出来の悪さを大量の血糊と残虐シーンで誤魔化した安っぽいB級ホラー映画なら次の犠牲者候補の筆頭になるのは目に見えています。今こうしている間にも邪悪の権化とでも云うべき館の住人がマサカリノコギリチェーンソー、カミソリバリカン電気シェーバーを手に私の背後に迫っているのかもしれません。ああ、なんということでしょう。

 

 迫り来る絶望と恐怖に震える我が身を私が掻き抱いていると、なんだか新薬を投与した途端に珍妙な動きをしはじめた実験動物を見るような目をなさったパチュリー様がおっしゃいました。

 

「自分だけは真っ当と臆面もなくほざく、それこそクジラのケツより分厚そうな面の皮だけなら、あなたとっくに『小』悪魔は卒業してるわ」

 

   *

 

 なんだかさり気なく酷いことを言われとる気がしますね。

 

「そうかしら。私の眼の前にいるちんけな悪魔、お世辞にも綺麗なお手々をしてらっしゃるとは云えぬはずだけど?」

 

 己が保身と欲のため、いままで何人に地獄を見せてきた。言葉だけなら手厳しい糾弾のそれ、声音はいつもと変わらぬ無感情。私は自慢の髪を指に絡めてもてあそぶ。気まずくなったのを誤魔化すがゆえの仕草ではなく、今更なにをと言外に示しただけです。

 

 さて、両手の指の数ほどだったか、あるいはそれに両足の指の数をかけたほどか、もしくは浜の真砂の数ほどか、“とんと”存じませんね。噂に聞く浄玻璃の鏡なら私の罪咎も測りようもあるのかもですが、わざわざそんなもんを知るために、あの世へ足を運ぶ気にも今のところはなりゃしません。

 

「でしょうね、そんな輩が“ぬけぬけ”とよく言うた」

 

 なお“それ”を仕込んでくだすったのは他ならぬ我が主にしてお師匠様というべきお方のはずなのですが、その方のお手はいかほどの清らかさであらせられるのでしょうね。

 

「ああ、そういえばそうだった」

 

 今気がついたとばかりに肌理細やかな白磁の手を“ぽん”と打つこの《魔女》。“ぬけぬけ”とはこちらの台詞です。とはいえ世に掃いて捨てるほどあふれかえる無益な有象無象をすり潰しその対価として有益(それも巨大な)を生み出す、ある意味では経済的錬金術とでも云うべき行為なのでより広い視点からすれば、むしろ褒められてもよろしいのではないでしょうかね?

 

「生まれてきたからには意味や意義のある生き方をすべきであり、それができぬ輩より自分にこそ世界に対する優先順位があると?」

 

 ご冗談を。私は言下に否定する。そこまで不毛なことは言いませんやな。頭に『小』が付くちんけな悪魔にそのような御高尚な考えは似合わない。私ゃもっと即物的な生き方だけを求めているだけですので。

 綺麗な服を着たい、おいしいものを食べたい、素敵な住まいに暮らしたい、好きなことだけをして生きていたい。今ならそのすべてが労せず、とまではいかんでも手に入るというに、知るべどころか顔も見たこともない何処ぞの誰ぞの去就を思い煩うてそれを手放すなんて考えられない。

 

 かつての自分を思い出すその度に、脳裏に描かれるのはいつだって、濁り腐った鈍色の空。そこに郷愁なんてものはなく、胸中にわだかまっていたものは自分でもよくわからない“もやもや”した気持ちだけ。空きっ腹と一緒にそれを抱えて、溝泥の中をネズミや野良犬のように這いずりながら見上げたあの空だけが私の記憶のすべて。それ以外の生き方なんてできるはずもなく、思い付きさえしなかった。あの時の気持ちがどのようなものであったのか、いまだ私には形容する言葉がありません。しかしこれだけははっきりしている。

 

 もう一度、あの空の色を拝むくらいなら、私ゃ世界の裏側で清く正しく暮らしてる方々に首を吊っていただく方を選ぶだけでして。隠す必要もないので正直なところを口にすると、予想通りというかパチュリー様は馬鹿にしたように鼻を鳴らされるばかり。

 

「なるほど、実に小悪魔らしい。“ちんけ”で小市民的な考えだ」

 

 でも───

 

「つまらない言い訳をせずそういう生き方を選ぶ奴、嫌いじゃないわ。少なくとも嘘や偽善はないからね」

 

 そんなものが入り込む余地もないくらい生きることに懸命なのだから。そのときのパチュリー様は、この方の一体どこにこんな感情がと訝しくなるほどに穏やかなものを面に湛えておいででした。もちろん、そのように感じることこそ一時の気の迷いに他ならんのでしょうが。

 しかしどのようなものであれ、こんなちんけな小悪魔なぞよりずっとずっと永く生きて、ずっとずっと生き汚いであろう魔女のお墨付きがいただけるとは思いませなんだ。私も中々どうして捨てたものではないらしい。私は指に絡めた髪を“ぱちり”と弾き、おどけてみせました。

 

「ほっとけ。人生と魔道の先達に対して臆面もなく軽口悪口憎まれ口を叩けるあたり、やっぱり面の皮だけなら大したもんよあなた」

 

 どうせなら《魔法使いの弟子》としても大したもんになってほしいもんだが、それは一体いつになるのかしらね。背筋も凍る流し目を(幻想に耐性のない輩なら喩えでなくそうなっていた)、私は肩をすくめてやり過ごしました。それに関しては七つの海よりも広く深い懐と、お釈迦様が垂らす蜘蛛の糸より長い目でもって見守っていただきたい。

 

「そうさせてもらうわ。今までさんざか待ってきた、そこにもう何百年かを積み上げたところで些細なことよ」

 

 でも気をつけなさい、堪忍袋の緒って結構しょうもないことで“ぷつり”といっちまうそうだから。柔らかな口調で釘というより杭を打ち込むパチュリー様でした。気に留めつつも精進に励みます。

 

「しかしまあ……あなたを雇ってからこっち、私もずいぶんと口数が多くなったものだわ」

 

 懐かしむというよりも“ぼやき”に近いものをパチュリー様はお声にのせられました。今でも少ないじゃあないですか。

 

「そうでもないさ。昔はそれこそ、実験のときに呪文を唱える以外にゃ口なぞ開きもせなんだし」

 

 なんという筋金入りの口無精。私がいなけりゃこの御方、口が退化して消えてなくなっちまうのではなかろうか。

 

「それがため、無闇にしゃべくるせいで喉も渇くというもの。ゆえに───ここらで一杯、お茶がこわいわね」

 

 私ゃ濃いめの珈琲とクッキーがこわい。

 

   *

 

「いい薫りだこと」

 

 白磁のティーカップから立ち昇る香気を受け、邪気も毒気もどこかに置き忘れたかのようにしてパチュリー様はお顔をほころばせました。

 

「手間隙かけて仕込んでなお、いまだ一人前とはほど遠いあなたではあるけれど、これに関しては間違いなく採算が取れてるわ」

 

 それはそれはなによりなことで。言い返したところで暖簾に腕押し糠に釘。不毛な反論は引っ込めて私も自分のために珈琲を淹れることにします。お茶請けを用意し、お気に入りのコーヒーカップへ淹れたてのコーヒーを注いでいると、パチュリー様が呆れたように言われました。

 

「相変わらず、その気色の悪い泥水もどきを嗜んでいるのね」

 

 あいつといいあなたといい、悪魔というやつは揃って悪趣味なもんらしい。なんとも酷いことをおっしゃいますな、飲まず嫌いせんと一口くらいはお試ししてみちゃいかがなもんか。

 

「やなこった」

 

 私が香ばしい薫りを漂わせるカップを向けると、パチュリー様はそっぽを向かれました。それどころかご自身の周りへ張り巡らせてある不可視の防壁をこれみよがしに強化し、おまけとばかりに同じものを3、4枚ばかり追加される有り様。あのシールド、その気になれば拡散波動砲の直撃にも耐えきるほどなのです。そんなもん使うくらい嫌ですか。魔導の粋をこらしたぜったいあんぜん空間に立て籠もる稀代の魔女の姿を、むしろ私は呆れのこもった眼差しで見やりました。行使されている技術の次元や規模はさておき、やらかしていることそのものは偏食をこじらせた子供と大差はありません。そも常日頃からこんな場所に引き篭もっているというのに、これ以上引き篭もってどうしようというのです。

 

 しかしこうなってしまうともう聞く耳なんぞ持っちゃくれない。なので私はそれ以上の不毛な掛け合いを打ち切り、代わりにお茶請けに手を伸ばしつつ、ここ最近の私達の懸案事項になっている案件へと話題をふりました───ところで話は変わるんですがね、あの計画、名前はどうしましょうか。

 

 その質問に眉をひそめたパチュリー様は可憐な唇に人差し指を当て小首を傾げられました。老練邪悪を肩書とする《魔女》には似つかわしからざる、妙に可愛らしい仕草ですこと。

 

「ああ、例の島国の田舎に引っ越すとかいうやつ」

 

 はい、いつまでも『例の計画』だの『あの計画』だのじゃあどうにも不便ですし格好もつきません。ここはひとつ適当な名前でも宛てがっておいたがよろしいのではと思いまして。

 

 私としてはやりたかないのですが、元を質せば私らがこのお屋敷にご厄介になっている理由というのがそれでした。

 発案者であるお嬢様の気質からすれば、思い立ったが吉日と、着の身着のまま身一つで赴いてもよさそうなものだったのですが、せっかくだから長年の友人やご家族にも楽しい思いをさせてやろうという、“やんごとなき”方々に特有な他人の事情への斟酌配慮は一切なし、まさに大きなお世話と云うべき親切心によって我が主様や諸々の衆生も付き合わされる羽目になったのです。

 

 なお、これは余談になりますが計画の実行に際してはパチュリー様と私とが現地の協力者というか組織───名前は確か七星工業(これでセプテントリオンと読む)といったか───のところに出向することが決まっております。実のところお引越しをするだけであるのなら外部に協力を求める必要なぞはないのですが、行動に際しての“ごたごた”を回避するための伝手と根回しは多いにこしたことはなく、なによりパチュリー様としてはこれを名目にして連中に接触し、その技術や知識のいくらかを頂戴するおつもりなのです。曰く、『多少の駄賃なり見返りなりも無いじゃやっとれんわい』とのことで。

 

 しかしあの連中、知れば知るほど胡散くささが青天井な奴らの吹き溜まりなので個人的にはあまりお付き合いはしたくないのですが、雇い主の意向とあらば丁稚奉公にも等しい小悪魔も従わざるをえない。ああ、いやだいやだ。口には出さず、内心でのみ“ぶつくさ”言いながら私はやけ食いのようにお茶請けを次から次へと口に運ぶのでした。

 

「ふむ」

 

 胸中の嫌気を甘味で誤魔化す小悪魔のことなぞ気にも留めないパチュリー様は軽く握った手を口元に当て、しばし考えるような素振りをしてから“じっ”と私を、正確には私の摘んだお茶請けを見つめられました。

 甘くてちょっぴりほろ苦い、ビターチョコレートのトリュフ。それとパチュリー様とを交互に見やり私は訊ねました。もしかしてお食べになられるんですか?

 

「別にいらんが───」

 

 言いさしてパチュリー様は風に揺れる菫のようにひそやかな仕草で頭を振られました。

 

「いえ。やっぱり、いただいておくわ」

 

 菫のかすかな呟きが届くや、指先からチョコレートの感触が霞のごとくに消え失せる。一瞬だけ“ぎょっ”となりはしたものの、視線を戻せばそこには珍しいものを見る目で摘んだトリュフを眺めるパチュリー様のお姿が。言ってくだされば持っていくというのにわざわざ物体移動の魔法をあの一瞬に、かつピンポイントで使ってのけるとは、現在の身体に搭載された補助電脳による後押しもあるとはいえ超絶技巧の無駄遣いもいいところですね。

 

 パチュリー様はしばしの間、ほっそりとした指に摘んだトリュフを“ためつすがめつ”してからそれを小さなお口に放り込まれました。

 

「さっきの計画名だけどね、決めたわ」

 




登場人物

小悪魔

面の皮なら大悪魔。心労で腹が痛いと言いつつも満腹になるまではご飯をおかわりできる程度の能力

パチュリー・ノーレッジ

グレートシングのケツより厚い面の皮

門番

弾幕ならぬ銭撒く人に四条河原でぶった斬られる。そんな最期

メイド(役に立たない方)

1匹くらいならウチで雇いたいのだが求人広告ってどこに出せばいいんだ

メイド(役に立つ方)

三段黒帯。チューゴクヂンないアルヨ

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