転生先はガンダムの世界?え?生き残れ?は?   作:スウェーデンクラス

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第37話 休暇

サイド3宙域。

宇宙に浮かぶ人類の「もうひとつの地球」とも言える巨大なコロニー群。その中のひとつ、フォン・ブラウン市街地を擁する中枢コロニーへ、ザンジバル級機動巡洋艦「ヘルヴォル」がゆっくりと帰還の姿勢をとった。

 

艦内では、静かに、だが確かに、安堵の気配が広がっていた。

 

長きに渡る任務、危険な戦場、そして――裏切りと悲劇の影。そのすべてをくぐり抜け、生きて帰ってきたという現実が、じわじわと隊員たちの心に染み渡っていく。誰もが疲れた顔をしていたが、その瞳には確かな光があった。生還の証。誇りの証。

 

イオリもその一人だった。

 

艦内の窓から眺めるサイド3の外観は、どこか柔らかい色に見えた。無機質な構造物のはずなのに、帰るべき場所とは、こんなにも胸を温かくするものなのか。

 

「……帰ってきたんだな」

 

小さく呟くイオリの傍で、カールが目を輝かせていた。

 

「俺、生きて帰れたんですね。ホフマン伍長、見てくださいよ!」

 

「騒ぐな、馬鹿。だけどまあ……無事でよかったな」

 

ホフマンのぶっきらぼうな言い回しにも、どこか優しさが滲んでいた。

 

シーマは黙ったまま、艦橋の隅で腕を組んでいた。帰還の喜びをあからさまに表すことはしないが、時折、窓の外に目をやっている。その瞳に、過去と今が交錯するような、複雑な光が揺れていた。

 

やがて「ヘルヴォル」はドッキングベイに静かに接触し、格納アームが機体を固定する。ドッキング完了の合図が艦内に響き渡った直後、警戒音が一度だけ短く鳴る。

 

「……来たな」

 

艦長室の扉が開き、数名の武装した憲兵隊が無言で入ってくる。階級章をつけた士官が、アイゼンベルク艦長に敬礼し、端的に告げた。

 

「お疲れ様です。アサクラ大佐はどちらに?」

 

アイゼンベルクはその鋭い眼光を細め、わずかに顎を動かして応じた。

 

「こちらだ。連れて行け」

 

まるで言葉すら惜しむような冷たい声音だった。

 

アサクラは艦内の一角、臨時拘束された部屋の中にいた。憲兵に引き立てられると、その顔に浮かんだのは怒りと――焦り。

 

「貴様ら……貴様らごときが……ッ! この俺を誰だと思っている! 貴様ら、覚えておけよ!どうせ俺は、罪には問われない! 本国は俺を——!」

 

「黙れ」

 

その一言で全てを遮ったのは、アイゼンベルク艦長だった。その冷厳な声に、艦内の空気が一瞬にして凍る。

 

アサクラはなおも喚きながら、憲兵に連行されてゆく。だが、その声はやがてハッチの向こうに消え、二度と響くことはなかった。

 

憲兵が退室すると、クラウスがゆっくりと隊員たちの前に出る。顔には疲労の色が濃くにじんでいたが、それ以上に凛とした威厳があった。

 

「……後は憲兵隊の仕事だ。俺たちは、俺たちの役目を果たした」

 

誰も言葉を返さない。ただ、静かに、力強く頷く者たちの姿があった。誰もが同じ思いだった。後悔も怒りも、憤りもある。だがそれでも、自分たちは正しいことをしたと胸を張れる。――その誇りだけが、今の彼らを支えていた。

 

クラウスは隊員全員を見渡し、声を張った。

 

「よく聞け。明後日、我々は今回の作戦に関する行賞の場へと赴く。キシリア閣下が、直々にお目通りくださるそうだ」

 

一瞬、艦内の空気が揺れる。キシリア直属の部隊であっても、直に謁見できる機会など滅多にない。

 

「これは光栄なことだ。名誉を重んじる者として、恥じぬ振る舞いをしてくれ」

 

間を置いて、にやりと笑った。

 

「……というわけで、明日は全員、休暇だ。羽目を外しすぎないようにな」

 

沈黙の後、誰からともなく歓声が上がった。

 

「うおおおお!!」

「やっと休みだ!」

「俺はベッドで12時間は寝るぞ……」

 

隊員たちの声が、次第に明るく賑やかなものになっていく。死と隣り合わせの戦場から戻った者だけが味わえる、確かな生の喜び。たった一日の休暇。それでも、彼らにとっては何よりの褒美だった。

 

そんな喧騒の中、イオリはひとり窓辺に立ち、再びコロニーの姿を見つめていた。

 

(この空の下に……俺の「今」がある)

 

安堵と希望が胸を満たす。だが、それと同時に、解けぬ思いがひとつ。静かに彼の心を占めていた。

 

シーマ・ガラハウ――あの、迷いを抱えた瞳が、未だに忘れられずにいた。

 

歓声が響いた艦内で、イオリはしばらくその場に立ち尽くしていた。仲間たちの笑顔。解放されたような笑い声。命を懸けた任務の果てに訪れた、たった一日だけの「生の余白」。

 

しかし、彼の胸の中には、それだけでは収まりきらない何かが燻っていた。

 

――あの時のことだ。

訓練で勝ち取った、初めての”イオリ”という呼び名。

そして、サイド3へ向かうあの夜。

ひととき交わした、不器用な言葉のすれ違い。

 

(……あのままじゃ、終われない)

 

そう思う自分がいた。

心の奥に居座り続ける、シーマ・ガラハウという存在。

ただの上官ではなく、戦友でもなく、それ以上にも未満にもなれずにいる、あの人。

 

今なら――今なら、もう一歩、踏み出せる気がする。

一歩だけでいい。少しでも、あの人と向き合いたい。

 

覚悟を決めたイオリは、辺りを見渡した。

艦内の片隅、誰にも気取られることなく、一人佇む姿があった。

 

漆黒の髪をかき上げ、シーマは外のコロニーをじっと見つめていた。あの強い眼差しは、いつも遠くの何かを見ているようで、近づくには少しの勇気が必要だった。

 

だが、今日は引かない。――引けない。

 

イオリはゆっくりと歩み寄る。心臓が嫌になるほど高鳴っていた。喉が渇いて、声がうまく出るかさえ分からなかった。それでも、声に出さなければ、何も始まらない。

 

「シーマ中尉……!」

 

呼びかけに、シーマは振り返る。やや意外そうに、だがいつもの落ち着いた目でイオリを見た。

 

イオリは一瞬、言葉に詰まりかけたが、深く息を吸い、目を逸らさずに言った。

 

「明日は休暇ですし……今日は、このあとお暇ですか? もし暇でしたら、以前の約束……飲みに行きませんか?」

 

そう告げた瞬間、どこかで「ごくっ」と喉が鳴る音が自分でも分かった。顔が火照る。耳まで赤くなっているかもしれない。だが、シーマはそんなイオリの様子に、ふっと、口元を綻ばせた。

 

「そうだったね、飲みに行く約束……してたっけね」

 

その笑みは、いつもの皮肉や棘のあるものではなかった。柔らかくて、少し懐かしいような笑みだった。シーマの瞳に、一瞬だけ優しい光が宿る。

 

「じゃあ、行こうか。……二時間後、船の下のベイ出口。そこで待ち合わせでいいかい?」

 

「も、もちろんです!」

 

イオリは思わず声を張り上げる。シーマは、彼の反応にまた少し笑い、軽く顎でこちらを指した。

 

「……それと、イオリ」

 

「はい?」

 

「まさか、軍服なんかで来るんじゃないよ?」

 

「え?」

 

「せっかくの飲みなんだ。軍服じゃ、緊張して落ち着いて飲めやしない。……ちゃんと私服で来な。そうじゃなきゃ、付き合わないよ?」

 

その言葉に、イオリはぽかんとしながらも、はっと我に返るように背筋を伸ばし、敬礼しかけて――思わず手を止めた。

 

「……わかりました。じゃあ、私服で行きます!」

 

その返答に、シーマは満足そうに頷いた。

 

「よろしい。じゃあ……楽しみにしてるよ、イオリ」

 

名前を呼ばれた瞬間、イオリの心臓がまた跳ねた。

 

それは命令でも、皮肉でもない。心からの一言。

ただの上司と部下の関係を、そっと越えようとする、ほんの少しの勇気。

シーマの背中が遠ざかっていく。

その足取りは、どこかいつもより軽やかだった。

 

――イオリは、その場に立ち尽くしたまま、心の中でそっと呟いた。

 

(……俺、やっと少し近づけた気がする)

 

そして、夜は静かに、だが確実に、二人の再会へと向かって流れていた。

 

ーーーーーー

 

艦内の灯りは落ちつき、騒がしさもようやく引いていた。

 

イオリは自室で、一人鏡の前に立っていた。

軍服を脱ぎ、久方ぶりの私服に袖を通す。黒のジャケットにシンプルなシャツ、ラフすぎず、しかし堅苦しくもない装いを心がけた。

 

(こんな格好で大丈夫だろうか……いや、あんまり気負っても逆に変か)

 

鏡に映る自分を見て、ネクタイを締めようとしたが、やめた。

一度は口元を整え、また崩す。たかが飲みに行くだけ――そう思いたいのに、心は妙にそわそわして落ち着かない。

 

すると、扉がコンコンと軽くノックされ、開いた。

 

「少尉ー、ちょっといいですか……って、あれ?」

 

ひょこっと顔を覗かせたのは、カールだった。イオリの私服姿を見た瞬間、その目が丸くなった。

 

「うわ!もう私服なんすか?早くないっすか?」

 

「……別にいいだろ」

 

イオリが苦笑しながら言うと、カールはニヤニヤと近づいてくる。

 

「いやいや、まさかとは思いますけど……彼女に会いに行く感じっすか?久しぶりのデートとか?」

 

「なっ……!」

 

思わずイオリが言葉に詰まった、その瞬間――

 

「このバカ!」

 

バコッ!

 

鈍い音が響き、カールの頭上にエリックのゲンコツが炸裂した。

 

「いって!伍長ー、急に何するんすか!」

 

「お前が余計なこと言うからだろうが。いいか、明日は休暇だ。だからって、浮かれて失礼なこと言うんじゃない。……少尉も、あまり飲みすぎないようにしてくださいね」

 

真面目な口調ながら、エリックの表情には柔らかな気遣いが滲んでいた。

 

イオリは思わず笑い、肩をすくめる。

 

「ああ、わかってるよ。……カール、彼女じゃない。ただの飲みの約束だ」

 

「ふーん?でもちょっとニヤけてましたよー、さっき」

 

「うるさい!」

 

からかい合いながらも、そこには久しぶりの戦闘を乗り越えた仲間同士の温かさがあった。

 

 

【scene:シーマの部屋】

 

一方そのころ、シーマの部屋にも、別の静かな葛藤が流れていた。

 

鏡の前に立ち、クローゼットを開けたまま、腕を組んで考え込んでいたのは他でもない――シーマ・ガラハウだった。

 

(黒のジャケットは少し堅いか……いや、でもラフすぎるのもねぇ……)

 

白のニットに、スカーフを軽く巻いた格好。シンプルなパンツスタイル。もう少しカジュアルな方がいいのか、でも「大人の女」らしさも少しはあっても……

 

(なにをやってるんだ、アタシは)

 

ふと、ため息が漏れる。

 

(イオリの好みなんて、知らないくせに……というか、好みを知ろうとする時点で、なんなんだい、アタシは)

 

鏡の向こうの自分が、どこか照れくさそうに笑っていた。

自分の中に芽生えた、小さな、だけど確かな「意識」に、シーマは思わず顔を赤らめる。

 

「いいさ、ありのままでいこう。あたしらしく、ね」

 

選んだのは、黒のノースリーブニットと、上着に黒のライダースジャケット、落ち着いた白のスリムパンツ。派手すぎず、凛とした印象を残す服装だった。

 

髪を束ね、香水は控えめに。

シーマ・ガラハウとしてではなく、ただ「シーマ」として会いに行くつもりで、扉を開いた。

 

 

【scene:待ち合わせ場所・船の下のベイ出口】

 

約束の10分前。

サイド3のコロニー内、夕刻の空気は落ち着いていて、時折通りすがる人々の話し声が小さく響いていた。

 

イオリは、既にそこに立っていた。

 

時間通りというより、早く着きすぎた。自然と早足になっていた自分に気づいたのは、到着した後だった。

 

(早すぎたか……緊張しすぎだろ、俺)

 

そんなことを考えていると、足音が近づく。

 

「待ったかい?」

 

その声に振り返ると、そこには――

 

普段の軍服とはまるで違う姿の、柔らかい笑みを浮かべたシーマがいた。

 

「ちょっと、時間かかっちゃってね」

 

「い、いえ!そんなことありません!……その、すごく……」

 

言いかけて、言葉に詰まる。

 

(綺麗だ、なんて……口に出せるわけがない)

 

「そ、そうだ、行きましょう!」

 

慌てて話をそらすように、イオリはエスコートするように手を差し出す。

シーマは苦笑しながらも、その手を受け取り、隣に並んで歩き出した。

 

「行きつけの店なんてあるのかい?」

 

「い、いえ、実は全然ありません……中尉は?」

 

「だろうね。あんた、そういう顔してるよ」

 

少し笑いながら、シーマはイオリの腕を軽く引いた。

 

「こっちだよ。アタシのおすすめの店があるんだ」

 

そのまま、人混みの中へと消えていく二人の背中。

 

その様子を、少し離れた建物の陰からじっと見つめる三つの影があった。

 

「……見たか、今の」

 

グスタフが腕を組みながらニヤリと笑う。

 

「これは……面白い展開になってきたな」

 

エーリッヒも眼鏡を押し上げるようにして、興味深そうに呟く。

 

「で、尾行するってことでいいんだな?」

 

「決まりだな」

 

ハンスの声に、三人は小さく頷き合った。

 

まるで子供のような、好奇心といたずら心を携えて――

彼らもまた、“物語の一夜”に、そっと足を踏み入れたのだった。

 

ーーーーーー

 

夜の帳がコロニー内の人工空を静かに染めていた。

星々は天蓋スクリーンに投影され、地球ではないこの地に、ささやかな「宇宙の夜」を演出している。

人工的な世界にあっても、サイド3の都市は美しかった。

石畳の歩道に沿って並ぶ洒落た店々、手入れの行き届いた街路樹、遠くに見える噴水広場。

戦いの日々とは別世界のような静けさと、文明の香りが漂っていた。

 

「……なんだか、こうして歩いてると、戦争のことなんて忘れそうになりますね」

 

イオリはそう呟いて、隣を歩くシーマにちらりと目を向けた。

私服に身を包んだ彼女は、いつもよりもどこか柔らかい雰囲気を纏っていた。

髪を少し束ね、黒のノースリーブニットに同色のライダースジャケット、白いスリムパンツ。

戦場で見せる鋭さとは正反対の姿に、イオリは何度目かのドギマギを覚える。

 

「ふふ。似合ってないかい?」

 

「い、いえっ、すごく……綺麗、です」

 

「素直でよろしい。……こっちだよ」

 

そう言って、シーマはふわりとイオリの袖を軽く引く。

その手のぬくもりが、妙に現実味を帯びて、イオリの心臓が一際高鳴った。

 

歩くこと数分。二人が足を止めたのは、街の角にひっそりと佇む小さなレストランだった。

外観は白い壁に蔦の絡まるヨーロッパ風の造りで、ドア横の黒板には「本日のおすすめ」がチョークで書かれている。

ガラス越しに見える店内は温かな光に包まれ、穏やかなジャズが流れていた。

 

「……すごく、いい雰囲気ですね」

 

「だろう?艦に戻る前によく一人で来てたんだよ。騒がしくなくて、落ち着ける」

 

店内に足を踏み入れると、柔らかな香辛料の香りが二人を包んだ。

少し暗めの照明、木目調のインテリア、すぐ近くにあるはずのコロニーの喧騒を忘れさせてくれる空間。

 

テーブルに案内され、互いに向かい合って腰を下ろす。

ランプの灯りが、シーマの頬の曲線をやわらかく照らし出していた。

 

「イオリ、さっきから緊張してるけど、そんなに私と食事するのが珍しいのかい?」

 

「そ、そんなことは……ない、ですけど……でも、こうして中尉と“任務外”で過ごすのは初めてで……」

 

「ふふ。そりゃそうか。私も、こうやって誰かと食事するのなんて、いつ以来か思い出せないくらいさね」

 

互いに笑い合いながら、食事が運ばれてきた。

温かいスープに香草の香り立つパスタ、焼き立てのパンと白ワイン。

戦場での粗末な食事とは比べ物にならない“本物”の食卓。

 

けれど、料理以上に二人の心を満たしたのは、その静かな時間だった。

イオリはシーマの一挙一動に見とれ、言葉を失いかけるたびに心を整えた。

シーマは、そんなイオリの様子をからかうでもなく、むしろその真っ直ぐさに安らぎを覚えていた。

 

「こういう夜も、悪くないね。……まるで昔の自分を、ちょっとだけ思い出せる気がするよ」

 

シーマがふと呟いたその言葉には、どこか哀しみと、憧れが混ざっていた。

 

「昔の中尉って……今と違うんですか?」

 

「そうだね。笑うことも、もっと素直にできてた頃があった。あんたと話してると、その頃の感覚を少し思い出すのさ」

 

「……俺は、今のシーマ中尉の笑顔が……好きですよ」

 

その言葉に、シーマは一瞬だけ瞳を伏せた。

照れたような、でもどこか誇らしげな――そんな笑みが、ゆっくりと彼女の唇に宿った。

 

「……ありがと。イオリ」

 

ワイングラスが軽く触れ合う。澄んだ音が、小さな世界に静かに響いた。

 

――それは、戦火の中で生きる二人が見つけた、ほんの一夜の奇跡だった。

 

ーーーーーー

 

レストランの扉が背後で静かに閉じる。

外気と共に、夜の街の音がふたりの周囲に広がった。

噴水の水音、小道を歩く人々の足音、遠くで響くホバーカーの音。それらが折り重なって、平和な都市の夜を演出している。だがその穏やかさが、むしろ現実味を遠ざけているようにも感じられた。

 

「どうだった?あの店」

 

シーマが不意に問いかける。ワインの余韻が少し残る声は、どこか柔らかかった。

 

「とても……素敵でした。あんなに落ち着いた場所、初めてです」

 

「ふふ、そうだろうね。ああいう静かな時間ってのは、戦争じゃ味わえない贅沢だ。……でも、イオリと一緒なら、それも悪くないって思えたよ」

 

その言葉が、まるで冗談のようにも、本心のようにも聞こえて、イオリは返事を忘れてしまった。

答えを探して黙り込むイオリの横で、シーマはいたずらっぽく笑った。

 

「さて、食後にもう一杯、行こうか。知ってるんだ。静かで、薄暗くて、音楽のいい店。……ついておいで、新人」

 

「……俺はもう、“新人”じゃないって言ったじゃないですか」

 

「ふ、拗ねてないで、ほら、行くよ」

 

シーマの背を追い、イオリは再び歩き出した。

街灯に照らされる石畳の上を、二人の影がゆっくりと並んで伸びてゆく。

そして、その影の後方――建物の隙間に隠れるように、何かがチラリと動いたが、ふたりはまだ気づかない。

 

バーは、賑わう大通りから一本外れた静かな通り沿いにあった。

古びた木の看板に、小さな照明。扉を開ければ、スモーキーな空気と、深く低いベース音が出迎えてくれる。

 

薄暗い店内には、客の姿もまばらだった。バーテンダーが磨いたグラスを棚に戻し、軽く頷く。

シーマは慣れた足取りでカウンターへと進み、イオリにも軽く目配せした。

 

「ここに何度か来たことがあってね。艦に戻る前、少しだけ気持ちを切り替えたい時に来てたのさ」

 

「なんだか……中尉らしくないですね」

 

「そうかい?私は私だよ、戦場でも、こういう夜でも」

 

二人分のグラスに琥珀色の酒が注がれる。

イオリは初めて見るシーマの表情に、どこか目を奪われていた。

強さとは違う何か。深さと、翳りと、ひとりきりの時間を重ねてきた人間だけが持つ静けさが、彼女にはあった。

 

一口、グラスを傾けてから、シーマがぽつりと呟くように口を開いた。

 

「……私はね、サイド3の3バンチ。マハルっていうコロニーで生まれたのさ」

 

イオリは目を向ける。シーマはグラスを見つめたまま、ゆっくり言葉を続けた。

 

「名前は聞いたこと、あるかい?マハルってのは……ジオンの中でも、底辺の連中が押し込められる場所だった。

空気も水も、まともじゃない。働く場所もない。生まれた時から“希望”ってやつに背を向けるように、できてたんだ」

 

その声に、怒りや憎しみはなかった。ただ淡々と、それでいてひどく哀しく響いた。

イオリは黙って頷く。視線はシーマから逸らさずに。

 

「物心ついた時には、もう親も兄弟もいなかった。誰がどうやって私を産んだのかも、知らない。

だけど、空腹や寒さは嫌でも知ってた。飢えて、凍えて、眠れない夜が毎日だった」

 

彼女の目が、ゆっくりとグラスから離れ、虚空を見つめる。

過去の亡霊をそこに見ているかのように。

 

「……生き残るためなら、何でもやったよ。子どもでも、何だってね。盗みもしたし、運び屋もした。

それから……いや、なんでもないよ。とにかく。誰も助けてくれない場所だったから、汚れることを怖がっていたら、死ぬだけだった」

 

その言葉はあまりにも静かで、しかし鋭く胸に突き刺さった。

イオリは思わず息を呑みそうになりながら、それでも顔を歪めることなく、まっすぐシーマを見ていた。

彼女の目には羞恥も後悔もなかった。ただ、深い哀愁があった。

まるで、自分という存在の骨の奥まで染み込んだ過去を、初めて誰かに語るような声音だった。

 

「……ある日、軍の徴兵官が来たんだ。『働き口が欲しい奴はついて来い』ってね。

笑っちゃうだろ?生きるために“戦場”を選ぶしかなかったんだ。……でも、あの場所から抜け出すには、それしかなかった」

 

シーマはグラスを飲み干し、静かにカウンターに置いた。

 

「それからは、必死で這い上がった。銃を握って、人を撃って、命令をこなして……頭角を現したら、それだけ“人間扱い”されるようになった。

だけど……何も変わらなかったよ。どれだけ功績を積んでも、私の出自は“マハルの女”だ。

上の連中は皆、見下す。笑う。汚れていると思ってる。でも、だからこそ、私は引かない。

この手が、どれだけ血で汚れようと……私は、生きている」

 

その瞳が、初めてイオリを正面から見つめた。

何かを試すような、あるいは、何かを許してほしいと願うような、深く、強く、それでいて傷だらけの眼差しだった。

 

イオリは、その視線にたじろがなかった。

ただ、震える心のままに、言葉を紡いだ。

 

「中尉……」

 

「……今夜は名前で呼んでいいよ。シーマ、ってね」

 

「……シーマさん」

 

「……ふふ、変な感じだ。でも悪くないね。あんたになら、そう呼ばれてもいいさね」

 

シーマは微かに微笑み、目を細めた。

その笑顔は、いつも戦場で見せるものとは違っていた。

まるで、長い旅路の途中で、ようやくひとときの休息に辿り着いた旅人のような、安堵の表情だった。

 

「……ありがとう、話してくれて」

 

「……礼なんていらないよ。ただ……知っててほしかった。私は、強くなんかない。ただ、必死でここまで来ただけさ。

でも、あんたといると……ほんの少しだけ、そうじゃない自分でいられる気がするんだよ」

 

イオリは、その言葉を胸に深く刻んだ。

そして、そっとグラスをシーマのグラスに触れさせた。

 

「シーマさん、この戦争必ず生き抜きましょう。生き抜いて、もっと色んな所に一緒に行きましょう」

口から自然とそんな言葉がでていた。

 

「なんだいそれ、まるで、プロポーズみたいだね」

シーマは、まるで小さな子供のおふざけを見るような、それでいて、ただただ優しい眼差しで答える。

 

「そ、そんなつもりじゃなくて……」

慌てて言い繕うが、言葉が出てこない、

 

「わかってるよ、そうだね、次はどこにいこうかね」

シーマはグラスに入った琥珀色の酒を見ながら呟く。

 

その目は、どこまでも優しく、悲しげでそれでいて、希望に満ちたものだった。

 

ーーーーーー

 

バーのドアが静かに開き、夜の街のひんやりとした空気がふたりを包み込んだ。

コロニーの夜は、地球とは違う、どこか人工的な静けさを孕んでいる。

遠くで聞こえる喧騒も、ネオンの明滅も、どこか仮初めの夢のようで――ふたりが歩いてきた時間の、余韻を掻き消すことはなかった。

 

「……じゃあ、アタシはこれでもう帰ることにするよ」

 

シーマが、ふと足を止めた。

街角の灯りが、彼女の横顔を照らし出す。さっきまでの穏やかな笑みとは違う、どこか凛とした表情。

それでも、その声には柔らかさがあった。

 

「今日は、楽しかったよ。……ありがとう、イオリ」

 

その言葉が、イオリの胸の奥に小さな火を灯す。

たったそれだけの言葉だったのに――いや、だからこそ、深く刺さる。

 

イオリは、慌てて一歩踏み出す。

 

「シーマさん、待ってください。こんな時間だ……基地まで、一緒に帰りましょう」

 

どこか必死な声音になっていた。

別れたくない。今はまだ、そう言葉にはできないその想いが、自然と口を突いて出た。

 

だが――

 

「それは無理そうだね」

 

シーマが、肩越しに微笑む。

その瞳には、どこかいたずらっぽい光が宿っていた。

 

「……あんたはこれからまだまだ飲みに行くんだから。そうだろ?――さっきから陰で、こそこそしてる“海兵隊員”?」

 

声が、夜の街角に高らかに響いた。

 

その瞬間――

 

「あちゃー、バレちまったか」

 

「流石は中尉だ……っていうか、今は“シーマさん”か?」

 

「やれやれ、完全に見透かされてたな」

 

街灯の陰から、ぞろぞろと人影が現れる。

クラウス・シュレンケを筆頭に、ハンス、エーリッヒ、グスタフ、クルト。

見覚えのありすぎる顔ぶれが、気まずそうに、けれどどこか楽しげに出てきた。

 

「えっ!? なんで、みんなここに……!?」

 

イオリは目を見開く。思わず一歩下がりそうになる。

完全に、嵌められていた。

 

クラウスが軽く手を挙げて、いつもの飄々とした笑みを浮かべた。

 

「バレてたのか、ま、仕方ねえな……。で、シーマ、中尉殿。こいつ、もう借りてもいいのかい? 今日ばかりは、徹底的に酌してやろうと思ってたところでさ」

 

シーマは、わざとらしく溜め息を吐く。

 

「……あぁ、いいよ。もう十分楽しんだからね。だけど、あんまり飲ませるんじゃないよ。潰れて戻ったら、私が叱る羽目になるんだからね」

 

「ちょっ……ちょっと待ってください!シーマさん! 俺は――」

 

イオリが叫ぶも、シーマはその声に振り返らず、ただ優しく笑った。

夜風に揺れる髪が、その横顔をより一層儚げに見せる。

 

「――ほどほどにするんだよ、イオリ」

 

その声は、静かで、けれど深く、確かな温もりを帯びていた。

 

そしてシーマは、夜の街の明かりの中へと、ゆっくりと歩き出す。

その背中は、どこか誇り高く、そして少しだけ寂しげだった。

イオリはしばらく、その姿をただ見つめ続けていた。

 

「……シーマ、さん……」

 

名残惜しそうに呟くイオリの肩に、グスタフが無遠慮に腕を回した。

 

「シーマ“さん”、だってよォ!? なんだァ? てめえら、どこまで進んでやがんだ!?」

 

「チューはしたのか? おい、チューは!?」

 

「まさか、もう一線越えてんじゃねえだろうな?!」

 

「シーマ“さん”のどこが好きなんだァ!? 話してみろォ!!」

 

「ゲロるまで、全部話してもらうからなァ!!!」

 

酔っぱらい達の熱気が一気に襲い掛かり、イオリは顔を真っ赤にしながら抵抗しようとするが――

 

「や、やめてくださいってば! おいクルトさん、あんたまで乗らないでくださいよ!」

 

「俺は一滴も飲んでねえよ? ただ面白そうだから来ただけだ。……で、いつから“さん”付けになったんだ?」

 

「い、今夜からです……ッ!」

 

「告白したのか!?」

 

「してません!」

 

「されたのか!?」

 

「違います!」

 

「じゃあなんなんだァァ!!」

 

わあわあと騒ぎながら、酔いどれ達はイオリを真ん中にして、夜の繁華街へと消えていった。

ネオンの灯りに照らされたその一団は、まるで戦場とは無縁の、どこか幸せな騒ぎに包まれていた。

 

遠ざかる笑い声の余韻の中――

街の片隅で、シーマは一人、立ち止まって振り返る。

 

遠くに見えるイオリの姿に、そっと目を細め、肩の力を抜いて微笑んだ。

 

「……バカな男だね。でも、そういうの……嫌いじゃない」

 

そう呟いた彼女の顔には、どこか穏やかで、静かな幸福が宿っていた。

 

今夜だけは、少しだけ――

誰よりも人間らしく、優しい夢に包まれても、許される気がしていた。




ヤッベ、シーマ様と主人公のイチャイチャ書いてたら、永遠かける気がする(^_^;)
シーマ様の過去はだいぶ捏造してます。この作品のシーマ様は生き残るために色んなことをやってきています、そのため、若干、達観している部分があります、色んなこととは、皆様の想像にお任せします^ ^
海兵隊員達は、コロニー市民のことについては敢えて言及していません。いま、そのことを話せば皆心が挫けそうになるからです。
私自身、そういった体験があり、その時は敢えて口に出しませんでした。そのことを話せるようになったのはだいぶ経ってから、職場の仲間達と思い出すように語るだけでしたので、自分の経験を反映させました。

主人公とシーマ様の甘々な雰囲気はどうですか?

  • ほしい!もっと!!シーマ様をデレさせろ!
  • こんな感じでいい
  • 減らしてくれてもいいかなー
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