転生先はガンダムの世界?え?生き残れ?は? 作:スウェーデンクラス
照明は柔らかく、琥珀色の光がバーカウンターを照らしていた。
グラスの中で溶けかけた氷が、静かにカランと音を立てる。
ルウムの激戦から数日。
シーウルフ隊はサイド3へと帰還していた。
戦いの興奮が過ぎ去った今、そこに残るのは、静かな夜と、わずかな安堵。
イオリは黒いジャケットの袖をまくり、手元のグラスをゆっくりと揺らしていた。
その向かいには、ラフな私服に身を包んだシーマが腰掛けている。軍服ではない彼女の姿は、どこか柔らかく、戦場とはまるで別人のようだった。
2人の姿は以前来たことのあるバーにあった。
「まずは、乾杯だね」
シーマが軽くグラスを掲げる。
「よく生きて帰ったね。あんたも、部下も――あたしも」
「ええ、本当に……」
イオリも静かにグラスを合わせた。澄んだ音が、小さな祝福のように響く。
一口含むと、熟成された酒の苦味が舌に広がった。
この味すら、戦場から戻った身には優しかった。
「第3小隊、相当突っ込んでたじゃないか」
シーマはグラスを置き、イオリを覗き込むように微笑んだ。
「まさか、あのマゼラン級を横っ腹から沈めるとは思わなかったよ。あんた、腕上げたね」
「いえ、まだまだです。……でも、部下たちが、よくついてきてくれたおかげです」
「ふぅん……謙虚なところは変わらないんだ」
シーマはそう言って、くすっと笑った。
「でもさ、言っとくよ。あれは、立派な戦果だ。あんたはもう、新人なんかじゃない――立派な少隊長さ」
その言葉に、イオリはグラスを見つめながら小さく息を吐いた。
「ジオンは連邦に対して、休戦条約を結ぶ気のようですね」
「そうだね、実質的な降伏勧告だろうけどね、それを連邦が認めれば、ジオンの勝ちさ、戦争は終わる」
「戦争が終わる」この言葉に、とてつもない安心感を覚える。
それは、確かな実感だったはずだ。
だが――
胸の奥にある、ひとつの疑念が彼を捉えて離さなかった。
(おかしい……何かが、違う……)
ルウムでのジオンの勝利。圧倒的だった。
連邦は壊滅的な損失を受け、ジオンは歴史的な勝利を収めた。
だが――
(俺の記憶では、たしかジオンは……この戦争で、最終的に負けるはずだった。俺の記憶違いなのか?それに、まだ主人公の機体も出てこないが。それとも……)
意識が遠のく。
まるで、戦場の爆炎の中にもう一度取り残されていくような感覚――
「……イオリ?」
その声が、彼を現実へ引き戻した。
すぐ隣で、シーマが眉をひそめてこちらを見ている。
その表情には、微かな心配の色が浮かんでいた。
「大丈夫かい? 顔色が悪いよ」
「……ああ! だ、大丈夫ですよ」
イオリは慌てて姿勢を正し、グラスを取り直す。
「ちょっと、考え事をしてただけで」
「ふぅん……あたしと飲んでるのに、考え事かい?」
シーマはわざとらしく目を細めると、肩をすくめて立ち上がるそぶりを見せた。
「ふーん、つまらないね。だったら帰るよ?」
「ま、待ってくださいよ!」
イオリは慌ててシーマの袖を止めるように手を伸ばしかけ――途中で、その行動に我ながら驚いたのか、恥ずかしそうに目をそらす。
シーマはその反応に、意地悪くもどこか優しい笑みを浮かべた。
「……冗談さ。あんた、ホントにおもしろいね」
彼女はグラスを持ち直し、再び椅子に深く腰を下ろす。
「いいよ。今夜くらい、何も考えずに酔っ払ってさ。……戦争のことも、全部、忘れてさ」
イオリは頷く。だが、頭の片隅ではやはり引っかかっていた。
この違和感――ずれているような感覚。
それが、単なる記憶違いで済めばいいが……そうでないなら。
(考えても仕方がない、ガンダムの知識なんてほとんどないんだ、やれることを、全力でやり。仲間と生き残るだけだ……)
グラスを静かに傾ける音が、再びバーの空気を満たす。
それは束の間の休息、戦火の中に咲いた静かな夜だった。
ーーーーーー
バーの中には、時間の流れが忘れられたような静けさがあった。
グラスが空くたびに注がれる琥珀の液体が、ゆるやかに二人の距離を染めていく。
最初はぎこちなかった会話も、今では互いに肩の力を抜き、どこか懐かしい友人のような空気がそこにあった。
イオリは、グラスを口に運びながらふと目を細めた。
「シーマ中尉……もし、この戦争が終わったら、どうするんです?」
そう尋ねたイオリの言葉に、シーマは手元のグラスを少し揺らしながら、遠くを見つめるようにして答えた。
「そうだね……軍に残るかもしれないし、違うかもしれないね」
その曖昧な返答に、イオリはくすりと笑った。
「それじゃ、答えになってませんよ」
シーマは口元を緩め、グラスの縁に唇を当てたまま、少しだけ自嘲気味に笑った。
「……想像できないんだよ、軍属じゃない自分がね。この仕事しか知らないから。
マハルにいた頃、あたしがしてた仕事なんて、人に誇れるもんじゃなかったしさ――
今のほうがまだマシってくらいさ」
その笑みには、どこか過去を遠ざけようとするような、哀しさが滲んでいた。
そしてそれは、イオリの胸に小さな痛みを走らせた。
「……すみません、なんか、図々しい質問でしたね」
イオリが申し訳なさそうに頭を下げると、シーマは軽く手を振り、首を横に振った。
「大丈夫だよ。あたしも、この場で言うことじゃなかったね。……ごめんね」
苦笑しながら、彼女はグラスの中身を飲み干した。
それはまるで、過去の澱を流し込むように、静かで強い一口だった。
やがて、シーマは目を細めてイオリに問い返した。
「……で、あんたはどうするんだい? 戦争が終わったら」
イオリは、一瞬だけ宙を仰ぐようにしてから、にこりと笑った。
「そうですね。俺、宇宙が好きなので――貨物船とかで働いてみたいですね。
いろんなコロニーや月面基地を巡って、物資運んで。ゆっくりと……ただ宇宙を眺めながら」
シーマの瞳が、ふと揺れた。
予想していなかったその返答に、彼女はわずかに目を見開いた。
「……ふーん、貨物船ね。……いいじゃないか。
だったらさ――イオリが船長の貨物船に、あたしも乗せてもらおうかね」
冗談混じりに、そうからかうように言った声には、ほんの少しだけ、胸の奥を探るような響きがあった。
イオリは笑ったまま、グラスを再び口に運びながら答えた。
「いいですね、それ。2人で方々を巡るのも……悪くないですね」
その声はどこかとろんとしていて、酒の酔いがイオリの輪郭を少しだけ柔らかくしていた。
表情には屈託がなく、まるで少年のような笑顔だった。
「……え?」
シーマは思わず声を漏らし、イオリを見つめた。
その目は驚きと、何か得体の知れない感情に揺れていた。
しかしイオリは、そんな彼女の反応にまったく気づかないまま、頬を軽く紅潮させながらグラスをもう一杯、口に運んでいた。
シーマは、グラスの縁を見つめながら、ひとつ息をつく。
からかい半分で言ったはずの言葉が、こんなにも胸を騒がせるとは思っていなかった。
「……ほんとに、変わった男だね、あんたは」
彼女の声は小さく、それでも優しかった。
そして、琥珀の夜はまだ続いていた――
ーーーーーー
グラスの中の琥珀色が、ゆるやかに揺れている。
照明は穏やかに灯り、ほかの客たちもどこか控えめに笑い合う静かな夜。イオリとシーマは、いつかと同じ席に腰を下ろし、以前より少しだけ打ち解けた空気で並んでいた。
話題は取り留めもなかった。
MSのコックピットの座り心地について、乗ってる機体が狭いだの、整備兵が誰に似ているだの、下らない話が続いていた。
シーマが笑いながら「グスタフの奴、いつも、豪快なくせに酒飲むとすぐ寝るんだよ」と言えば、イオリも負けじと「クルト整備長も似たようなもんです」と返し、どちらが“扱いやすい酔っ払い”かという不毛な議論にまで発展する。
それからは酒が進むほど、話はふわりと軽くなり、イオリが「シーマ中尉、虫は苦手ですか?」と尋ねれば、「火星の巨大クモを見てからは平気になったよ」なんて、笑ってみせた。
逆にシーマが「昔、あたしの部屋に小動物が紛れ込んでさ」と話すと、イオリは真顔で「軍曹か誰かじゃないですか」と言い出し、2人で声を出して笑った。
そんな、どこにでもあるような、けれど確かに特別な時間。
酒も気分もまわって、気づけばふたりの言葉は少なくなっていた。
ーーーーーー
店の外へ出ると、サイド3のコロニー内の人工の夜が広がっていた。まばゆい星は無いが、バーの軒先に灯る古びたランプが、どこか懐かしい色合いで地面を照らしている。イオリはすでに千鳥足で、まともに歩くのも危うい状態だった。
「いやぁ、中尉すみません~……ちょっと、ちょっと飲みすぎました……」
イオリはフラフラとよろめきながら、シーマにもたれかかる。
「ちょっとじゃないよ、まったく……次は飲みすぎないようにしなきゃね、ほら、基地に帰るよ」と、シーマは苦笑しながらイオリの腕を自分の肩に回し、身体を支える。
それでもイオリは、赤ら顔で陽気なままだ。
「シーマ中尉っ!絶対にまた行きましょうね、このバーっ!俺はっ……中尉以外とは行きたくありませんっ!!」
「はいはい、わかったよ。あたしでよけりゃ、いつでも付き合ってあげるよ」
シーマは面白がるように答えたが、どこかその口調にはやわらかさが滲んでいた。
「シーマ中尉はぁ……俺のこと、どうせ子供だって思ってるんでしょぉ?俺はね、大人ですっ!」
「あんたねぇ……そんなことは分かってるさ」
呆れつつも、シーマの頬も酒のせいか、少し熱を帯びていた。
ふたりは夜の街を、肩を寄せて帰路につく。時折よろけるイオリをシーマが引き戻し、時折シーマの笑い声が夜の街にこだました。笑いながらくだらない話をし、過去の任務のことや、あのバーのマスターが若干スケベだとか、そんなくだらないことで腹を抱えて笑った。
――そして、基地へ戻ると、シーマはイオリをヘルヴォルの自室まで送り届ける。
「イオリ、ほらベッドだよ。靴脱いで、横になって」
「中尉は優しいですねぇ~。ほんと、感謝してますぅ……」
布団に半身を預けたイオリは、されるがままに靴を脱がされ、横たえられる。そのとき――
「イオリ、ゆっくり寝るんだよ。明日は部隊でのブリーフィングがあるから、忘れずにね。一応、起こしにくるから」
シーマがそう言って立ち上がろうとした、その時だった。
「わっ――」
腕を引かれ、シーマの身体がベッドに引き寄せられ、そのままイオリの上半身に抱きこまれるようにして倒れ込む。バランスを崩した拍子に、互いの顔が至近距離に迫る。
「う!?な、なにすんのさ……!」
驚愕の顔で目を見開くシーマ。その視界に映るのは、酒で火照って赤らんだイオリの真剣な瞳だった。
「俺は……シーマ中尉の、辛そうな顔や、泣きそうな顔は、嫌いです。中尉には……笑っていてほしい」
「……え?」
シーマは戸惑った。あれだけ酔っていたはずのイオリが、あまりに真っ直ぐな目をしていることに。
「中尉は、無防備です……いくら部下でも、男と二人でバーなんて……勘違いするやつがいるかもしれませんよ」
「な、なに言ってんだぃ……早くどきなって……」
シーマは身体をよじって抜け出そうとするが――両手は片手でまとめられ、頭上で押さえつけられてしまう。
「イオリ……?ちょっと……?」
その顔が、ぐっと近づいてくる。シーマの鼓動が高鳴る。
「俺だって……男です」
「ちょ、ちょっとあんた……何しようとしてんのか、わかってるんだろうね!?同じ部隊で上官と部下なんだよ!?……ま、待ちなってば……!」
シーマは思わず目を瞑る。けれど――
何も起こらない。
その代わりに、ずしりと身体に重みがのしかかってくる。驚いて目を開けると――
「え?」
イオリの顔が、自分の肩にぐったりと伏せていた。
「……寝てる……」
一瞬、呆気にとられたシーマだったが、すぐに怒気が顔に浮かぶ。
「……イオリ……あんたってやつはぁぁぁ…!」
怒鳴りかけたところで、イオリの寝顔が目に入る。その顔はどこか無垢で、子供のような安心しきった表情だった。
「……はぁ……」
大きく息を吐いて、怒鳴るのをやめる。
「……ったく、しょうがないね……」
とはいえ、イオリの重みのせいで、身体が身動きできない。
「抜け出せないじゃないか……」
シーマは仕方なく、イオリの寝息を聞きながらその場に横たわる。静かな夜。ベッドの中に、二人分のぬくもりだけが広がっていた。
やがて、人工照明の仄かな光がカーテンの隙間から差し込み始める。
朝は、すぐそこまで来ていた――。
ーーーーーー
仄暗い艦内の朝は、まるで夢の続きのように静かだった。
重たいまぶたをこじ開けるようにして、イオリはゆっくりと目を開いた。
「……う、頭いてぇ……」
声を漏らしながら、ズキズキと痛む頭に手をやろうとした――が、右腕が上がらない。思うように動かせず、布団の中でもぞもぞと身じろぎする。何かがおかしい。
不思議に思い、右へと視線を向けた瞬間――
「……っ?!」
イオリは完全に目を覚ました。
自分の右腕には柔らかな重みがあり、その腕枕に、静かに、穏やかな寝息を立てている――シーマ・ガラハウの寝顔があった。
さらさらと額にかかる髪。少し開いた唇。起きている時には決して見せない無防備な表情。
まるで、信じられない光景だった。
『お、おおおおおおおおおおおっ?!』
イオリは心の中で絶叫するも、声にはならない。全身に冷や汗が流れた。瞬時に記憶を手繰り寄せる。
『待て、昨日は――昨日は確か、シーマ中尉とバーに行って……乾杯して……笑って……で、で……?』
その先がない。
『あれ?おかしいぞ……何も……覚えてない……』
額に冷や汗が滲む。寝ている間に、何かあったのか?それとも、自分が――?
「これ、まずいよな……」
イオリは青ざめ、頭の中で最悪の想像がぐるぐると駆け巡る。そうしてパニック寸前に陥りかけたその時――
「……ん……」
隣から小さな声が聞こえた。寝返りを打つようにシーマが動き、まぶたをゆっくりと開いた。薄紅に染まった頬が、朝の淡い光に照らされていた。
そして、イオリの顔を見るなり、彼女の目が一瞬、驚きに見開かれる。
しかし、すぐにその表情は、いつものクールなものに戻る。
「……昨日は、ありがとね」
「っ……!」
「おかげで……体中が痛いよ」
穏やかに、少し含み笑いのようにして、彼女はそう言った。
「?!??!」
イオリの脳内が一瞬で真っ白になる。次の瞬間、バネ仕掛けのように布団を跳ね飛ばし、シーマの前に正座。そして勢いよく、土下座の姿勢にまで頭を下げる。
「本当に、本当にすみませんでしたっ!!俺はっ……っ、なにをっ……どう責任を取ればいいのかっ……っ!!」
床に額がぶつかるほど頭を下げ、声を震わせながら謝罪するイオリに、シーマは一瞬唖然とするが――やがて、堪えきれないというように、声を上げて笑った。
「ぷっ!あははっ!!……なに、焦ってんのさ、イオリ」
イオリは顔を上げる。その顔には、困惑と混乱、そして安堵と恐怖の全てが渦巻いていた。
「な、何が、ですか……?」
シーマは笑いを収めながら、口角を上げる。
「昨日はね、何も起きてないよ」
「……へ?」
「介抱して、部屋まで運んだら……あんたが離してくれなくてね。仕方なく、ここで一緒に寝たのさ」
イオリは瞬きを繰り返した。
「……え?……なにも……俺、なにもしてないんですか……?」
「うん、何もされてない」
あっけらかんと言うシーマに、イオリはしばらく言葉を失う。徐々に、その頬に赤みが差し――うつむいて、何かを噛みしめるように小さく呟いた。
「……良かった……」
その表情が、あまりに真剣だったからか、シーマは少し目を細めた。
「さぁ、軽くシャワーを浴びな。それから、ブリーフィングだよ」
そう言うと、彼女は起き上がり、軽く肩を回す。
「その前に、シャワーを浴びてくるから」
そう言って、スタスタと部屋を出ていくシーマ。その後ろ姿には、昨夜の出来事など何も引きずっていないような軽やかさがあった。
ぽつんと残されたイオリは、布団の上に座り込んだまま、ぽかんと口を開けていた。
「……なにもしてないのか、俺は……」
そう呟いた自分に、思わず赤面する。
「な、何考えてんだ俺はっ!!」
慌てて顔をバシバシ叩きながら、イオリは飛び起き、慌ただしく制服に着替えはじめる。これからのブリーフィングに向けて、気持ちを切り替えねばならない――そう自分に言い聞かせながら。
けれど、シーマの体温と、あの柔らかな寝顔は、まだどこか肌に残っていた。
そしてイオリは、赤面しながら顔を拭い――
「……次は……もうちょっと、覚えてたいな……」
誰にともなく、そんな呟きを漏らしていたのだった。
ーーーーーー
シャワールームに、一定のリズムで水が流れ落ちる音が響いていた。
その下に立つシーマは、一糸纏わぬ姿で、肩までびっしょり濡れたまま、微動だにせずにただ俯いていた。
湯気に包まれた艦内の白いタイルの空間の中で、彼女の姿だけが、時間の流れから取り残されているようだった。
「……はあ」
小さな、でも深いため息が、湯気とともに宙へと消えていく。
何をそんなに溜め込んでいたのか、自分でも分からない。
ただ、胸の奥に鉛のように重たい感情が沈んでいて、シャワーの温かい水流では、それがどうしても溶けてくれなかった。
――なにも起こらなかった。
ただ、それだけのことだ。
それはきっと、正しい結果。
あたしは上官で、あいつは部下。
同じ部隊の中で、指揮を取る立場にある。
戦場では命を預かる立場にある。
軽はずみな関係は、すべてを壊す。
そう分かっているのに。
分かっているはずなのに――
「なんで……落ち込んでんだい、あたしは……」
ぽつりと、声に出してみた。
まるで自分に問いかけるように。
けれど返ってくるのは、止まらぬ水音と、空気の重苦しい沈黙だけ。
思い出すのは、今朝のイオリのあの慌てた顔。
自分の腕枕で眠っていたことに気づいたときの、あの心底驚いた顔と、真っ赤な顔での土下座。
何も起こってないと知って、心の底から安堵し「よかった」と呟いた時の声。
どれも嘘偽りのない、心からの動揺だった。
それが――なぜか、胸に刺さった。
あたしが隣にいても、あいつはなにもしてこなかった。
……というより、なにかが起こったとは、微塵も思っていなかった。
ただの酔っ払いだったと、自分でも言っていた。
記憶がないことを恥じ、焦り、必死に謝ってきた。
それは、イオリの誠実さだ。
信頼できる部下としての姿。
男として立派だとさえ、思う。
でも――
その「誠実さ」が、今は妙に痛い。
「なんで、あんなに……安心してんだい、あいつは」
自分でも信じられなかった。
そんな風に思うなんて、なんて了見の狭い人間なんだと、頭のどこかで思っているのに、
それでも胸の中では、何かがちくりと、しこりになっている。
あたしは別に、何かを期待してたわけじゃない。
そう――ない、はずだった。
でも、イオリの顔があたしのすぐ近くまで近づいてきたとき、
ほんの一瞬だけ――目を瞑ったあの瞬間だけは。
あたしは、もしかしたら、と――
「……バカだね、あたしは」
湯の流れが、額から頬を伝い、顎をつたって落ちていく。
その水滴の中に、自分でも気づかぬうちににじんでいた“何か”が混じっていたような気がした。
汗か涙か、シャワーの水か、そんなの分かりゃしない。
でも確かなのは――
あたしが“なにも起きなかった”ことに、落胆している自分がいるということ。
それを、心の底から信じていたイオリの無防備な安心顔に、やりきれない気持ちが湧いたということ。
「同じ部隊で、上官と部下で、戦場じゃ背中を預けあって……それだけで、いいじゃないか」
そう言い聞かせた。
それで充分だ。
充分なはずだった。
ずっと、そうやってやってきた。
あたしは、ずっとそれでやってきたんだ。
なのに、今のこの胸のもやもやは――なんなんだい?
なにも起こらなかったことに、心から安堵していたはずの自分が、
なにも起きなかったことに、心のどこかでがっかりしている。
それが悔しくて、情けなくて、でも、やっぱり答えが出ない。
「好意?まさかね……」
口にしたその言葉が、自分でも驚くほど、胸の奥に残った。
否定するほど、意識している証拠のようで、
思わず目を閉じて、天井を仰ぐ。
「……分からないよ、本当に……」
誰にともなく呟いて、静かにシャワーを止めた。
湿った髪からぽたりと落ちる水滴が、床に小さな波紋を広げる。
湯気の中、タオルを取って、いつものように髪を拭いた。
制服の上着に腕を通しながら、自分の心の中だけが、まだ制服を着る前のように、裸のままな気がしてならなかった。
“あたしは、どうしたいんだろうね――”
問いかけに、答えは返ってこない。
けれどその答えが見つかる日は、そう遠くないのかもしれない――
そんな予感が、どこかで、湯気と共に立ち昇っていた。
ーーーーーー
ブリーフィングルームに足を踏み入れたイオリは、整然と並ぶ席の列の中から、自分の定位置を探すように一瞬視線を泳がせた。
今朝の一件が、未だどこかで心の片隅に残っていた。
いや、否応なく残ってしまっている――その証拠に、視界の端に立つ一人の女性の姿に、思わず肩がこわばった。
「……シーマ中尉」
互いに目が合った瞬間、言葉にならない気まずさが、空気に波紋のように広がった。
シーマもまた、視線を逸らすことなくイオリを見返していた。
だがその瞳には、普段の皮肉げな鋭さではなく、どこか揺らぎを含んだ静けさがあった。
「……イオリ、こっちに座りなよ」
彼女が名前で呼ぶ声に、一瞬だけ、昨日の出来事の余韻が甦る。
だがそれを振り払うように、イオリは小さく会釈し、彼女の隣の列に着席した。
その場の空気には、言葉にならない気持ちが幾重にも折り重なっていた。
無言のうちに探る距離。触れてはならない記憶。
まるで、互いに何かを期待していたことを、気づかれまいと隠しているかのようだった。
だがその張りつめた空気は、ブリーフィングルームの扉の開閉音によって、容赦なく切り裂かれた。
ドアが静かに開き、ブーツの音が金属床に響く。
現れたのは、ザンジバル級「ヘルヴォル」の艦長、ゲルハルト・アイゼンベルク大佐と、シーウルフ隊の隊長――クラウス・シュレンケ少佐だった。
アイゼンベルクは鋭い眼差しで隊員たちを一瞥し、クラウスは彼特有の無骨で重々しい歩調で前方に進む。
二人が壇上に立つと、艦内のざわめきは一瞬で凍りついた。
クラウスが一歩前に出ると、会議室の空気が一変した。
その表情は、いつになく険しい。
冗談も、皮肉もない――まさしく「戦時の顔」だった。
「……連邦が、休戦条約を拒否した」
その一言は、爆弾のように投げ込まれた。
たったひとつの言葉で、ブリーフィングルーム全体に衝撃が走る。
誰もが息を呑み、言葉を失い、互いに顔を見合わせた。
その視線の中には、驚き、動揺、そしてうっすらとした恐怖が混じっていた。
「拘束されていた敵将――レビルが、逃げ出した。そして……奴は連邦に帰還し、“ジオンに兵なし”と演説したそうだ」
クラウスの声には怒気がにじんでいた。
それは単なる戦況の変化を伝えるものではない。
士気を保ち、事実を受け止めさせるための、隊長としての覚悟を宿した声だった。
「ふざけた話だ。やっとの思いで交渉にこぎつけたというのに――あの将軍の一言で、すべてが水の泡さ」
隊員たちの間に、不穏なざわめきが広がる。
それは文句ではなく、動揺でも怒りでもなく、ただただ、呑み込みきれない現実への戸惑いだった。
アイゼンベルクが進み出る。
その背筋の伸びた軍人然とした立ち姿に、部隊全体が無言で背筋を正す。
「……事実は変わらん。休戦は破綻した。ジオンは再び戦いに向けて動き出す。
近く、地球降下作戦が開始される」
その言葉に、場の空気がさらに重く沈んだ。
「第一次降下作戦において――我々、シーウルフ隊は、降下する味方部隊を支援し、連邦の艦隊を牽制・撃滅する任を受けている。
この作戦は本部直々の命令だ」
艦長の口調は、冷静を装っていた。
だが、その声には押し殺した焦燥と、切迫する情勢への警告が滲んでいた。
「総員、覚悟しておけ。この戦争は――総力戦になる」
沈黙。
誰一人として言葉を発さなかった。
シーマですら、険しい顔で唇を引き結び、横目でイオリを一瞬だけ見る。
だが、そこにあったのは昨夜の余韻ではない。
それは、戦場を知る者としての、静かな覚悟の目だった。
イオリは、心の底からその瞬間を実感していた。
“平穏”など、幻想にすぎなかった。
昨日の酒の酔いも、朝の気まずさも――それすらも、過ぎ去った日常の欠片に過ぎない。
今この瞬間、世界は音を立てて“戦争”へと転がり落ちている。
彼は拳を強く握りしめた。
それでも胸の内には、抗いようのない虚しさと、疲弊した魂の重みが横たわっていた。
――また、戦いが始まるのか。
――命の奪い合いが、続くのか。
彼は、ほんの数時間前まで、シーマと一緒に眠っていた。
誰もいない部屋で、穏やかな寝息を聞きながら――まるで、戦争なんて遠い世界の話だとでも思えるような、静かな時間だった。
だが今、その静寂は砕け散った。
現実は容赦なく、彼らの肩に銃と任務を背負わせる。
「……了解しました」
そう呟いた声は、かすかだったが、確かに静かな決意を帯びていた。
イオリは、シーマと視線を交わす。
何も言葉は交わさなかった。
だが、互いの目の奥にだけは、言葉以上のものが宿っていた。
――また、共に生き延びよう。
それが、あの沈黙の中の、唯一の誓いだった。
なげぇ!!!笑
1日空いたのは、文をいろいろ変えていたからです(T . T)
はい!主人公はガンダム知識なさすぎて、ルウム戦役をアニメ機動戦士ガンダムと勘違いしてます!笑
そして、また始まる両者のすれ違い笑、いつくっつくのやら笑
誤字脱字報告ありがとうございますー!!
は!(;゚д゚)(つд⊂)ゴシゴシ(;゚Д゚)…?!
お気に入りが800件超えてますやんか!ありがとうございます!
感想お待ちしています!
いつおわんねん、この作品笑
主人公とシーマ様の甘々な雰囲気はどうですか?
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ほしい!もっと!!シーマ様をデレさせろ!
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こんな感じでいい
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減らしてくれてもいいかなー