転生先はガンダムの世界?え?生き残れ?は? 作:スウェーデンクラス
ちょーーーっと休憩してました!
まだお待ちいただいている方がいれば、幸いです(T . T)
宇宙へと脱出したヘルヴォルは、漆黒の虚空を、ただ静かに進んでいた。
艦体を包むのは、どこまでも続く闇。
そして、その向こうには、青く輝く地球があった。
つい数十分前まで、自分たちが命を懸けて戦っていた星。
多くの仲間が倒れ、多くの血が流れ、多くの想いが置き去りになった場所。
その青い星は、何事もなかったかのように、輝いていた。
そしてその輝きは、あまりにも美しく、あまりにも残酷だった。
艦内には、機関の低いうなりだけが響いている。
もう、砲撃音はない。
爆発音もない。
警告アラームも鳴っていない。
静寂。
その静けさが、かえって戦場の終わりを痛感させる。
――そして、その静寂は、格納庫にも重く沈み込んでいた。
巨大な格納庫には、シーウルフ隊の全隊員が集まっていた。
誰一人として、自分の機体の整備に向かおうとはしない。
誰一人として、言葉を発しようともしない。
皆、俯いていた。
床に座り込み、拳を握り締める者。
壁にもたれ掛かり、虚ろな目で床を見つめる者。
互いの肩を抱き寄せ、嗚咽を堪え切れず泣き崩れる者。
すすり泣きが、あちらこちらから聞こえる。
その音だけが、広い格納庫に虚しく響いていた。
部隊結成以来初めてだった。
部隊員を失ったのは。
それも一人ではない。
第一小隊。
シーウルフ隊の中核。
どんな戦場でも先頭を走り、どんな絶望でも突破口を開いてきた男たち。
クラウス。
グスタフ。
アイゼン。
誰もが信じていた。
ーーあの三人だけは帰ってくるーー
そう思っていた。
だからこそ、その喪失はあまりにも大きかった。
まるで部隊そのものの柱を引き抜かれたような感覚。
心にぽっかりと空いた穴は、誰にも埋められない。
沈黙だけが流れる。
その重苦しい空気を切り裂くように、一人の声が響いた。
「……さぁ、みんな」
静かだった。
だが、その声は格納庫の隅々までよく通る。
「いつまで、そうやってるつもりなんだい?」
シーマだった。
煤と乾いた血で汚れた制服。
包帯の巻かれた腕。
疲労の色は隠せていない。
それでも彼女は真っ直ぐ立っていた。
まるで折れることを知らない一本の槍のように。
「地球を脱出できたからって安心するんじゃないよ」
一歩前へ出る。
「まだ戦争は終わっちゃいない」
その瞳が、隊員一人ひとりを見渡した。
「連邦は追ってくるよ」
静かな声。
だが、その言葉には隊長格として積み重ねてきた重みがあった。
「だったら、いつ敵襲があっても動けるように、警戒体制につきな」
命令だった。
しかし――誰も動かなかった。
誰一人として。
顔を上げる者すらいない。
その場に流れる悲しみは、それほど深かった。
第一小隊という存在。
そして、その中心に立ち続けたクラウスという男。
彼は隊長である前に、この部隊の支柱だった。
皆を叱り、皆を笑わせ、皆を守り、誰よりも前を走り続けた男。
その男が、もういない。
その現実を、誰も受け入れられなかった。
長い沈黙の末。
しゃがみ込んでいたハンスが、小さく口を開く。
「……なぁ、姉御」
涙で濡れた顔を上げる。
「少しくらい……休ませてやれよ」
声が震えていた。
「みんな……限界なんだ」
言葉の最後は嗚咽に変わった。
その隣で、エーリッヒもゆっくり顔を上げる。
目は真っ赤に充血していた。
「……あぁ」
短く息を吐く。
「少しだけでいい」
苦しそうに唇を噛み締めながら続ける。
「時間を……くれないか」
シーマは答えなかった。
しばらく、誰も喋らない。
やがて――
彼女は深く息を吐いた。
「……そうやって座り込んでいれば」
静かな声だった。
「アイツらが帰ってくんのかい?」
誰も反応しない。
シーマは続ける。
「クラウスが、グスタフが、アイゼンが」
一人ずつ、その名を口にする。
「戻ってくんのかい……?」
その問いに答えられる者はいなかった。
誰もが黙り込む。
その時、イオリは気付いた。
シーマの右手。
腰の横で固く握られた拳。
白くなるほど力が入り、小刻みに震えている。
必死に。
本当に必死に。
涙を堪えている。
イオリは思わず一歩踏み出した。
「……シーマさん」
声を掛けようとした。
だが、それより早く。
シーマが口を開いた。
「……ハァ」
小さなため息。
そして。
「どいつもこいつも……」
少しだけ俯き。
ゆっくり顔を上げる。
その瞳には、悲しみを無理やり押し殺した強さだけが宿っていた。
「……とんだ腑抜けばっかりだねぇ」
その一言が、火種になった。
空気が変わり、次第に張り詰めていく。
「……なんだと?」
壁にもたれていた隊員が立ち上がる。
「おい」
別の隊員も拳を握る。
「ふざけんなよ……」
すすり泣いていた者たちも次々と立ち上がる。
「誰が……腑抜けだ?」
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
行き場を失っていた感情が、一斉にシーマへ向けられる。
格納庫の空気は、一瞬で殺気を帯びていく。
それでも、シーマは一歩も引かなかった。
その視線だけは、まっすぐ隊員たちを見据えていた。
ーーーーーー
格納庫を満たしていた空気は、先ほどまでの悲しみとは違う色へと変わり始めていた。
沈黙は、怒りへ。
喪失は、ぶつける相手を求める激情へ。
シーマへ向けられた残った部隊員分の視線は、もはや味方へ向けるものではなかった。
その空気を最初に破ったのは、ハンスだった。
ゆっくりと立ち上がると、シーマの前へ歩み出る。
涙で濡れた頬を拭おうともせず、その鋭い眼差しを真正面からシーマへ向ける。
「……おい、姉御。俺たちだって、黙って聞いてられねぇことがあるぞ」
その声は低い。
怒鳴ってはいない。
だが、それがかえって怒りの深さを物語っていた。
ハンスが見せるその眼光は、敵へ向けるもの。
仲間へ向けるには、あまりにも鋭すぎる。
その横へ、エーリッヒも静かに歩み出る。
「おいハンス、落ち着けって……そう言いたいところだが……今回は俺も聞き捨てならないな」
普段の冷静沈着な表情はどこにもなかった。
赤く充血した目でシーマを見据え、低く言い放つ。
「……もう一回、言ってみろよ」
二人が前に立ったことで、後ろの隊員たちも一斉に拳を握る。
「そうだ!」
「誰が腑抜けだ!」
「俺たちは隊長を、仲間を失ったばかりなんだぞ!」
怒号が飛び交う。
格納庫の空気が一気に張り詰める。
このままでは、本当に誰かが掴みかかりかねない。
「ま、待つんだ! みんな落ち着いて!」
イオリが慌てて二人の前へ飛び出した。
両手を広げ、シーマと隊員たちの間へ割って入る。
「お願いだ! 今はこんなことをしてる場合じゃない!」
「そうっすよ!」
カールも駆け寄る。
泣き腫らした目をそのままに、必死に声を張り上げた。
「冷静にならなきゃダメっす! みんな!」
「一旦座りましょう!」
エリックも続く。
その額には冷や汗が滲んでいた。
「お願いです! 一度落ち着いてください!」
だが、誰も耳を貸さない。
怒りは収まらない。
イオリは焦った。
どうすれば、この空気を止められる。
そう思った時、視線は自然とシーマへ向いた。
「シーマさん!」
思わず責めるような声になる。
「今はみんな疲弊してるんだ! さっきの言い方は、あんまりじゃないですか!」
その言葉を聞いた瞬間だった。
シーマは、ゆっくりとイオリを見る。
その瞳が、ほんの僅かだけ見開かれる。
そこに宿っていたのは怒りではない。
悲しみだった。
胸の奥深くに押し込め、誰にも見せまいとしていた感情が、一瞬だけ顔を覗かせる。
(しまった……)
イオリは息を呑む。
言い過ぎた。
そう思い、慌てて言い直そうとした。
だが、それより早く。
シーマが隊員たちへ向き直る。
大きく息を吸い込み、
腹の底から叫んだ。
「……はん! なんだい! アンタら元気じゃないのさ!! クラウス達はね! その身を犠牲にしてアタシらを、この艦を守ったんだよ?! それを! いつまでクヨクヨしてんじゃないよ!!」
その声は格納庫中へ響き渡る。
誰一人として、言葉を返せない。
シーマの気迫がそれをさせない。
シーマはさらに一歩前へ出る。
「アタシらは何だい!? シーウルフ隊だろ?! アイツの……クラウスの部下だろ?!」
誰も答えない。
だからこそ、シーマは続けた。
「その隊長が最期にアタシらへ命令を残したんだよ!」
震える声。
それでも、決して折れない。
「“生きて任務を遂行する”――だったら!」
拳を握る。
その拳は震えていた。
震えを止めるため、爪が掌へ食い込むほど力を込める。
「それを完遂するのが! アタシら部下の使命じゃないのかい!!」
静寂。
誰も動かない。
誰も喋らない。
ただ、シーマだけが立っていた。
目の前が少し滲む。
視界がぼやける。
涙が出そうになる。
それでも、絶対に流さない。
部隊の古参として、小隊長として。
仲間たちの前では。
決して。
シーマは静かに息を吐いた。
そして、少しだけ笑う。
「クラウスは……最高の隊長で……最高の漢だったね……」
『すべて上手くいく』そう笑っていた男の姿。
その笑みは、優しかった。
「グスタフは、いつも豪快に笑って、アタシらを鼓舞してくれた……」
自然と、皆の脳裏に浮かぶ。
腹を抱えて笑う大男の姿。
「アイゼンは、そんな二人に挟まれて、いつも苦労してた……でもね……」
シーマは目を閉じる。
「あの二人の連携についていけたのは……アイツだけだったよ……」
その呟きに。
誰かが、小さく笑った。
「あぁ……そうだったな……」
また一人。
「はは……曹長にはいつも怒鳴られてたな」
さらに一人。
「俺じゃ、あの二人には着いていけなかった」
笑いが、少しずつ広がる。
涙混じりの笑いだった。
だが。
それは確かに、生きている者の笑顔だった。
シーマは、そんな仲間たちをゆっくり見渡す。
そして、最後に言った。
「……アタシらは、シーウルフ隊だ」
一人一人の顔を見る。
「一匹狼なんかじゃない」
少しだけ口角を上げる。
「…群れなんだ」
その一言に、誰もが顔を上げる。
「……狼の群れに手ぇ出したら、どうなるか」
彼女の瞳が鋭く光る。
「連邦のクソどもに……思い知らせてやろうじゃないのさ」
再び、静寂。
だが。
今度の静寂は違った。
誰かが静かに頷く。
「……あぁ」
別の隊員も拳を握る。
「……まだ終わっちゃいねぇ」
さらに誰かが続く。
「次は……俺たちの番だ」
その声が広がる。
「そうだ」
「やってやる」
「終われるか」
「俺たちは、シーウルフ隊だ」
一人、また一人とその顔付きに鋭さが戻っていく。
そして、その瞳へ。
消えかけていた炎が、再び宿る。
シーマは、その姿を見て、小さく笑った。
「やっぱり……アンタ達は、クラウスが認めた男達だね」
そして、力強く叫ぶ。
「……さぁ、やるよ!!」
その瞬間だった。
「あぁ!!」
「やってやるよ!!」
「隊長達の仇を討つ!!」
「このままで終われるか!!」
格納庫を揺らすほどの怒号が響き渡る。
先ほどまで泣き崩れていた男たちは、もういなかった。
そこにいたのは。
牙を剥き始めた狼の群れ。
その光景を見つめながら、イオリは言葉を失う。
「……すごい……」
たった一人の言葉で。
沈み切っていた部隊の心に火を灯した。
これは、クラウスが持っていた力だった。
人を率い、人を奮い立たせる力。
そして――その力は。
シーマにも、確かに宿っていたのだ。
「シーマさん……?!」
イオリは慌てて振り返る。
しかし、そこに彼女の姿は、もう無かった。
ただ一人。
誰にも気付かれぬよう。
格納庫を後にし、静かな通路の奥へ歩いていく後ろ姿だけが、小さく見えていた。
その背中は、誰よりも真っ直ぐで。
そして――誰よりも、寂しそうだった。
ーーーーーー
ヘルヴォルの艦内を、イオリは駆けていた。
背後――格納庫からは、先ほどまでとは打って変わった音が響いてくる。
「工具を寄越せ!」
「ジェネレーターの出力を戻せ!」
「次の戦闘までに、機体を動かせるようにしろ!」
怒号にも似た整備班の声。
溶接機の火花。
モビルスーツの装甲を叩く金属音。
さっきまで涙に沈んでいたシーウルフ隊が、再び戦う部隊として動き始めている。
それは間違いなく、シーマが取り戻した空気だった。
それなのに――。
(シーマさんは……?)
イオリは立ち止まり、息を整える。
格納庫を見渡しても、その姿は見えない。
つい数分前まで、あれほど堂々と部隊の先頭に立ち、皆を叱咤していた女性の姿が、忽然と消えていた。
嫌な胸騒ぎがした。
自然と足が動く。
まず向かったのは、艦首側にある展望休憩所だった。
宇宙が一望できるその場所は、シーマが煙草を片手にぼんやりと星を眺めていることが多い場所だった。
しかし、そこには誰もいない。
静かな照明だけが、黒い宇宙を照らしていた。
「……いない」
踵を返し、今度は格納庫を見下ろせるデッキへ向かう。
そこからは整備に追われる仲間たちの姿がよく見えた。
誰もが忙しく動いている。
だが、その中にもシーマはいなかった。
(まさか、自室か……?)
今度は居住区へ。
シーマの部屋の前まで来る。
扉は閉じられたまま。
「シーマさん?」
返事はない。
恐る恐るドアに触れる。
ロックは解除されていた扉は静かに開く。
室内は整然としていた。
ベッドも机も、そのまま。
ついさっきまで誰かがいたような温もりだけを残し、部屋は静まり返っていた。
「……ここにも、いない」
静寂だけが耳に残る。
イオリはゆっくりと扉を閉めた。
そして廊下へ出る。
自然と呼吸が荒くなっていた。
(…どこへ行ったんだ……)
胸の奥で、不安が大きく膨らんでいく。
その理由は、自分でも分かっていた。
先ほど格納庫での出来事。
隊員たちを立ち直らせるためとはいえ、シーマはあえて厳しい言葉を浴びせた。
“腑抜け”
その一言で、隊員たちの怒りを自分一人へ向けた。
皆の悲しみを、自分への怒りへと変えたのだ。
その時だった。
殺気立つ隊員たちを止めようとして――。
『シーマさん! 今はみんな疲弊してるんだ! さっきの言い方はあんまりじゃないですか?!』
気づけば、自分まで彼女を責める側へ回ってしまっていた。
あの瞬間のシーマの表情。
思い出しただけで胸が締め付けられる。
いつもの凛とした眼差しではなかった。
ほんの一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
まるで、信じていた人間から刃を向けられたような。
そんな悲しげな顔をしていた。
(違う……)
イオリは歩みを止める。
(あんな顔をさせたかったわけじゃない)
違う。
責めたかったわけじゃない。
守りたかっただけだった。
だが結果として、自分は彼女を傷つけた。
(俺は……)
拳を握る。
(俺は何をやってるんだ)
クラウスを失った今。
シーマまで、一人で悲しみを抱え込ませてしまうのか。
それだけは嫌だった。
「……シーマさん」
呟くと同時に、イオリは再び走り出す。
艦内を駆け抜ける。
廊下を曲がり。
階段を駆け下り。
思いつく場所を一つずつ探していく。
その時だった。
ふと、一つだけ思い浮かぶ場所があった。
(……喫煙ルーム)
二人で何度も煙草を吸った場所。
戦闘の後も。
任務の前も。
何も言わずに煙を眺めていた場所。
「あそこなら……」
イオリは最後の角を曲がる。
息はすっかり上がっていた。
鼓動が耳の奥で鳴っているのが分かる。
喫煙ルームの前に立ち、荒くなった呼吸を何とか整えながら、ゆっくりと扉へ手を掛けた。
静かに開くと、ふわり、と煙草の香りが漂う。
薄く煙が満ちた部屋。
大きな窓の向こうには、果てしなく広がる宇宙。
その窓辺に、一人の女性が座っていた。
シーマだった。
窓の向こうに浮かぶ星々を眺めながら、静かに煙草を口へ運んでいる。
白い煙が細く立ち上り、ゆっくりと天井へ溶けていく。
その横顔は美しかった。
だが、その美しさはどこか儚く、今にも壊れてしまいそうだった。
肩には深い疲労が滲み。
瞳には、誰にも見せまいとしている悲しみが静かに沈んでいる。
その姿に、イオリは一瞬息を呑んだ。
「……シーマさん」
思わず名前を呼ぶ。
しかし彼女は振り返らない。
煙草を吸い、静かに煙を吐くだけだった。
イオリは一歩近づく。
「さっきは……すみま――」
謝罪の言葉を口にしかけた、その時だった。
「そんなところで突っ立ってないでさ」
シーマが柔らかく笑う。
ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
「早くこっちに来なよ」
その笑顔には責める色など一切なかった。
むしろ。
“気にしてないよ”
そう語りかけてくるような、優しく、慈愛に満ちた微笑みだった。
「……はい」
イオリは静かに頷き、彼女の隣へ腰を下ろす。
しばらく二人は何も話さない。
宇宙だけが、窓の向こうで静かに流れていた。
シーマは煙草を一本取り出すと、何も言わずイオリへ差し出す。
「ほら。吸うだろ?」
「……ありがとうございます」
受け取った煙草へ火を灯す。
小さく吸い込み。
ゆっくり煙を吐く。
白い煙は二人の間を漂い、天井へ昇り、やがて形を失って消えていく。
その煙を眺めながら、イオリはもう一度口を開いた。
「……さっきは、本当にすみません」
シーマは何も言わない。
「みんなを止めることしか頭になくて……」
言葉が震える。
「俺……シーマさんを責めるような言い方をしてしまいました」
少しの沈黙。
やがてシーマは小さく笑った。
「アタシは大丈夫だよ」
煙を吐く。
「……責められるのには、慣れてるからね」
その笑顔は優しかった。
だが。
その奥には、消しようのない寂しさが滲んでいた。
自嘲にも似た、小さな笑み。
その顔を見た瞬間だった。
イオリの胸の奥で、何かが音を立てて切れた。
「それがダメなんです!!」
気づけば立ち上がっていた。
勢いよく椅子が音を立てる。
シーマの正面へ立ち、思わず声を荒げる。
その声は静かな喫煙ルームに響き渡った。
シーマは驚いたように目を見開く。
煙草を持つ手が、ほんの僅かに止まる。
イオリ自身も、自分がこれほど大きな声を出したことに驚いていた。
だが、それでも。
もう、この想いだけは飲み込めなかった。
ーーーーーー
イオリは拳を握り締めた。
さっき格納庫で見た、あの悲しみに満ちた横顔が、脳裏から離れない。
あの時、自分は部隊を止めることしか考えていなかった。
だが、その結果、一番支えなければならない人を追い詰めてしまった。
その後悔が、胸の奥から込み上げてくる。
「俺は……!」
震える声だった。
それでも、一言ずつ噛み締めるように続ける。
「俺は……貴女の味方でなければいけないんです」
シーマは何も言わない。
ただ静かに、その続きを待っている。
「いつ、どんな時でも……俺は貴女の味方です」
イオリは真っ直ぐに彼女を見た。
「だから……」
一度だけ息を吸う。
「貴女の悲しむ顔なんて……俺は、見たくない」
喫煙室に静寂が落ちる。
換気装置の低い駆動音だけが、ゆっくりと煙を吸い込んでいた。
やがて。
シーマの見開かれていた瞳が、ゆっくりと細められていく。
その表情は柔らかく、どこか母親が子を見つめるような優しさに満ちていた。
そして、小さく笑う。
「……ありがとう」
その一言だけで、気持ちが楽になる。
「アンタは、本当に優しい男だねぇ……イオリ」
その声には、先ほどまでの張り詰めた強さはない。
張りぼての鎧を脱ぎ捨てた、一人の女性の声だった。
シーマは、自分の隣を軽く叩く。
「……ほら」
少しだけ照れ臭そうに笑う。
「そんなとこ突っ立ってないで、早く隣に座りなよ」
「……はい」
イオリは静かに腰を下ろした。
二人の肩が、自然と触れ合う。
窓の向こうには、無限の闇。
星々だけが静かに瞬いている。
しばらく二人は何も話さなかった。
煙草の煙だけが、ゆっくりと天井へ昇っていく。
その静寂が心地良かった。
やがて。
シーマはゆっくりと身体を預けるように、イオリの肩へ頭を乗せた。
「……シーマさん?」
イオリは驚き、小さく呼び掛ける。
しかし彼女は離れようとしない。
細く長い髪が、イオリの肩へ流れ落ちる。
微かに煙草と香水の香りが漂った。
シーマは宇宙を見つめたまま、小さく呟く。
「……アタシはね」
一拍置く。
「人前では泣かないって決めてるんだ」
その声は、とても静かだった。
「軍人ってのもあるし……アタシは女だからさ」
苦笑が混じる。
「女ってだけで、泣くだけで舐められるからね」
その一言だけで、彼女がどんな人生を歩いてきたのかが伝わる。
「だから……泣くのはやめた」
イオリは何も言わない。
ただ黙って宇宙を見ていた。
「……でも、この部隊に来てからは駄目だねぇ」
シーマは小さく笑う。
「もう何回、人前で泣いちまったことか」
その笑顔は、自分自身を呆れるような、どこか愛おしむような笑みだった。
少しだけ間が空く。
シーマは煙草を灰皿へ押し付け、火を消した。
そして、遠い昔を思い返すように話し始める。
「……家族を知らなかったアタシに、家族ってものを教えてくれたのが、クラウスだった」
宇宙を見つめたまま、言葉を紡ぐ。
イオリは静かに耳を傾ける。
「初めてこの部隊へ来た頃のアタシは、本当にどうしようもなくてね」
自嘲気味に笑う。
「舐められるのが嫌で、誰の命令も聞かなかった。勝手に飛び出して、勝手に敵を追って、勝手に暴れて、好き放題やってた」
その姿が目に浮かぶようだった。
「ある日、そのせいで事故が起きた」
シーマの笑みが消える。
「関係ない人が死にかけた」
重い沈黙。
「責任を感じたアタシは……命令を無視して、一人で助けに行った。今思えば、ただの自己満足だった。そのおかげで、あと少しで、アタシも死にそうになってね」
イオリは息を呑む。
「そこへ現れたのが、クラウスだった」
シーマは懐かしそうに笑う。
「アイツ、アタシを助けた後、基地でいきなり殴ってきたんだよ」
イオリは目を見開く。
「それも拳でだよ?」
シーマもつられて笑う。
「女の顔を拳で殴るなんて、最低な男だろ?」
二人は少しだけ笑った。
その笑いの後。
シーマは、クラウスの声を思い出すように、静かに語った。
「クラウスはアタシを殴った後、倒れたアタシに近づいてこう言ったんだ
『俺は、お前たちを部下だと思ったことはない。――家族だ。だから命令を聞け。勝手に命を投げ出すな。家族に、そんな別れを押し付けることだけは……俺は絶対に許さねぇ』
ってね。寒いだろ?」
喫煙室に、その言葉だけが静かに響いた。
イオリは思わず笑う。
(……本当に、クラウス隊長らしい。)
シーマも笑った。
「アタシは腹が立ってね。『アタシはアンタらを家族だなんて思ったことはない』そう言い返したんだ。するとアイツは、少しも怒らず笑ってさ。『だったら――俺が家族にしてやる』って言ったんだ」
シーマは宇宙を見つめる。
その瞳は、遠い過去を映していた。
「……家族を知らなかったアタシに」
唇が震える。
「初めて……家族が出来た瞬間だった」
その言葉を最後に。
シーマの呼吸が少しずつ乱れ始める。
肩が、小さく震えた。
「……イオリ」
掠れた声。
「家族を……失くすってのは……」
息が続かない。
「本当に……」
震える。
「本当に……辛いねぇ……」
その瞬間だった。
今まで必死に堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「っ……!」
嗚咽が漏れる。
肩が震える。
身体が震える。
格納庫では誰にも見せなかった涙。
誰にも聞かせなかった泣き声。
シーウルフ隊を鼓舞するために押し殺した全ての感情が、今になって一気に溢れ出していた。
「クラウス……ッ!」
震える声。
「グスタフ……」
「アイゼン……」
一人一人の名を呼ぶたびに、涙は止まらなかった。
イオリは何も言わない。
慰めの言葉など、この悲しみの前ではあまりにも軽い。
だからただ、静かに腕を伸ばした。
震えるシーマの肩を優しく抱き寄せる。
彼女の身体は、驚くほど小さく、そして震えていた。
シーマは、壊れてしまいそうなほど強くイオリへ身を預ける。
イオリは何も語らず、その温もりだけで彼女を支え続けた。
宇宙は、どこまでも静かだった。
その静寂だけが、二人の涙を、何も言わず受け止めていた。