脱ニート中の元職業軍人の俺が炎の銀兵士に詰め寄られている件 作:ライハイト
痛みすら感じる静寂の中で、はらり、はらりと紙を捲る音だけが響き渡る。
綴られる文字。描かれる図面。記された文字。
倫理という味覚が感じ取ったその苦みから思わず顔を顰める。
だがそれでもページを捲る手は止めない。
咀嚼し、異物を喉に押し込むような不快さを覚えながらもそれらを嚙み締め、呑み込んでいく。
情報として認識したそれはやはり、どれも軍の流した血の味がした。
「
つらつらと資料に記載された内容をリンちゃんの視線に合わせて屈みながら読み上げていく。
念願の兵器の資料なわけだが、その内容は決して歓迎すべきものではない。
クローン。
人造の命。
無性生殖。
兵士の安価な量産。
虫唾が奔るとはこのことか。
何かを斬る刃の感触から離れ、元のカタチを取り戻していた倫理という歯止めが、その一文字一文字が脳髄に針を刺したかのような不快さを伴って、忘れてなるものかと記憶に焼きついていく。
……わかっていたことだ。
このどこまでも人の命を冒涜する真似がまかり通ってしまうの所業が、この『ホロウ』が存在する世界の裏側で引き起こされている現実。
ましてや現存人類の防衛の要となれば命の消耗など湯水のソレに等しい。
やがて資料を読み上げを完了すると――燐光が迸るククリ刀を引き抜いてバラバラに切り刻み、灰すら残さず焼き尽くした。
もう二度と読まれることがないように、念入りに。
「エアリス、今の記録は取ったな」
『ンナ!(ばっちり!)』
「よしよし……ありがとうな」
愛らしく小さな敬礼をするボンプの頭を指の腹で撫でてやれば、言葉なくとも揺れる液晶と音声モジュールの振動から喜びが伝わってくる。
肝心の情報はゴーグルを通じて複製済み。
気に食わないなんて理由で仕事を放棄するわけにもいかない。それで困るのは11号だなのだ。情報を読み取っていたエアリスも状況を読んでか流石に普段の物ぐさ具合はお預けである。
それに――個人的に気になることもあるわけだし。
『……コーバス、その……』
「ま、結論から言って明らかに兵器の資料って感じじゃないな。俺はてっきり火器の類か知能機械人のソレかと思ったんだけど……どうにも毛色が違うだろ。神経細胞だのクローンだのっていうのは」
『……明らかに生体兵器のソレ、だよね』
リンちゃんの意見に全面的に同意する。
内容が内容なだけにリンちゃんも明らかに意気消沈気味だ。腐り果てた肉を見た後とか、思いがけず白骨化した遺体でも見てしまったとか、そういった反応である。
まぁ無理もない。
荒事には慣れているだろうが、もっぱら後方支援専門であろう『パエトーン』……もといリンちゃんにこういった事態への耐性があるとは思えない。
だがそういった健全な反応は、俺としては好感が持てる。
こんなこと、慣れてしまっている方がどうかしているのだから。
『……私が代わろうか? その辺り色々とデリゲートな問題でしょ、あんたの場合は特に』
「……あー、悪い……それはそれとして、俺の結論から言わせて貰うとな――割とクローン技術自体は検討されてるのが現状だな」
『……ほんと、色々あるんだね防衛軍って』
「頑張って受け入れようとしなくても良いぞ。選択肢があったのにそうしなかったのは間違いなく防衛軍だし……ぶっちゃけ今の情勢じゃこんな手法をとるのに一定の需要が見込めるのも理解できちゃうからな」
このクローン技術なんてものはその最たる例だろう。
なにせ替えが効く駒が金で生み出せるようになるかもしれないんだ。本当にクソだと思うけど理解は出来る。理解は。
だってそんな考えが出来なきゃ――兵士を、同志を、仲間をあんな扱いに出来るものか。
誰かを助けた筈なのに、誰からの
せめて人として死なせてやろうと、仲間に刃を向ける必要もない、ただただ撃ち尽くされて地面に捨てられる薬莢として切り捨てれば良い。
さぞ、御大層な軍隊が出来上がることだろう。
『――コーバス、コーバス? しっかり』
「……おぉ、ごめん。ちょっとSAN値的なアレがな。こう、音を立ててゴリゴリと」
『あんたが言うと洒落にならないよ……全然納得してない癖に、無理してそんなこと言わなくて良いんだよ?』
「俺のことは良いんだよ別に。リンちゃんは、その感覚を忘れちゃいけないぞ――俺は忘れないように意地張ったからこんなことになったわけだけど」
というか俺のことなど本当にどうでも良い。
そんな本音が顔に出てしまってることは確かに問題だろうが、今の状況において大事なのはそこではない。
こんな内容の情報が明確な意図をもって隠匿され、それが防衛軍の基地内部から出て来たという事実はなんとも御しがたい。
こんなことばかりしてるから、肝心な時に間違える。
そんな暇があるのならエーテリアスを一匹でも狩ってる方がよっぽど有益だというのが、この心底くだらない研究に対する個人的な結論だった。
「エーテリアスばっかり見てると命に対する価値観が狂いそうになるのは……ご覧の通りわからないでもない。それで実行するのはそれはそれでクソだけどな」
『……本当に大丈夫なの?』
「おすすめは命の哲学の本を読んで家族愛がテーマの映画だ。そうすればギリギリのところで踏ん張れる。たぶん」
『超雑じゃん』
「考えすぎて頭ぶっ壊れるよりはマシじゃない?」
クローンによって掴む人類の夢など破綻するに決まっている。
人の描く夢というのはそんな悲惨なものではなく、映画の感想みたく笑いながら話せるくらいの内容がちょうどよい。
それが呪いにも毒にもならない、夢のちょうど良い塩梅というものだろう。
「それはそれとして完っ全に機密情報漏洩案件だ。超ヤバイぞ」
『人が考えないようにしていたことを……!』
そうだな。それはそれとしてトップシークレットだ。こんなの伝説級とはいえ一介のプロキシが関わるべき案件じゃない。
ましてや機密を閲覧した民間人は機密漏洩対策として24時間365日にかけて監視が必要となる規則だってあるのだ。
アンダーグラウンドに潜むプロキシ業の彼女たちは、決して良い顔をしないだろう……と思っていたのだが。
むむむ、と唸る声からはその様相とは裏腹に、誇りと誠実さを伴った確かな熱が宿っていた。
『これを見なかったことになんて流石に……でも11号はこうなることを予見していたから私に口止めしていたわけだし、どうしたら……』
そしてそこは我らがお人好しの、キミがなんで犯罪者扱いなんだろうなっていう当然の疑問を抱かれることに定評のあるプロキシであるリンちゃん。
現在進行形で11号への義理と心配で板挟みになっている様は何とも見てて微笑ましいというか、良心が人のカタチを得たらきっとこんな感じなんだろうなって言う愉快な考えが頭を過ってしまう。
もっとも、11号が言った機密に触れた云々はもっと別の配慮から来たものなわけだが。
「よし、このまま他に目ぼしいブツがないか探すぞ」
『ちょっとコーバス!? 私が色々あんたと11号のアレソレに関して葛藤してるんだけどその辺りにはノータッチ!?』
「大丈夫だよ。機密がどうのってことならそもそも俺達に資料の回収なんて配役にさせないって。むしろここで得た情報を軍の健全な部署か11号の信用できる仲間に渡したほうがためになる」
『……そういうことなら、まぁわからないでもないけどさ……本当にそれだけの理由?』
「マジマジ。オレウソツカナイ」
よし、と内心ガッツポーズ。
不本意だったのならともかく、紛れもない本人の意思だというのなら話は別だ。
この『H.A.N.D』もびっくりなクソ案件に『パエトーン』という強烈過ぎるカードを味方に引き込む、もとい巻き込むことに成功したのだ。内心の喝采程度なら許されよう。
こういうことばっかしてるから身内からの扱いが雑になるんだぞ、って内なる声が囁いてきている気がするが無視だ無視。
『今もの凄い寒気を感じたような』
「不摂生が祟ったな? 俺を見習え、三食ラーメン三昧だ」
『あんたのは不健全なんだよなぁ……』
ぼやくリンちゃんを無視してガサ入れを再開する。
そこで罠に気を付けながらも棚をひっくり返したり、エアリスやパエトーンの協力を経てデータのサルベージを試みたりしてみたものの、目ぼしい情報はない。
そんな時だ。
『――嘘、でしょ。こんなことって』
ボンプの音声モジュール越しだというのに、まさしく呼吸が止まったかのように息を呑むリンちゃんの声が聞こえて来たのは。
「……パエトーン?」
よほどの代物だったのか、彼女の反応は筆舌にしがたいものだった。
釣られてボンプの小さな手が握る資料に羅列された文章に目を通す。ゴーグルの記録機能を念のためONにしておきながら。
「――サクリ、ファイス?」
どうやら先程の資料の続きのようだった。
それも先程の『シルバー』に関する詳細を記述したものではなく、それらを応用し実行する……一種の計画書のようにすら見える。
そしてその文末。
記載されていた『サクリファイス』という単語が、妙に異彩な響きを持っていた。
だが生贄、とは何だろうか。何にしても先ほどのシルバー計画と言い中々に物騒な単語である。
でもなんだろう。
どこかで聞いたことがあるような……無いような、そんなあてにもならない疑念が俺の胸の中で渦巻いている。
「……サクリファイスとやらに何か心当たりがあるのか?」
『まぁ、最近ちょっと……別件でさ。おんなじ単語を聞いたから……』
「詳しく説明してくれ。可能な範囲で」
『えっとね、まずは――』
――そこからは、映画なんて目じゃないくらい真っ黒なこの都市の闇について説明された。
ここ数か月で起きた悪名高き『ヴィジョン・コーポレーション』の陰謀から始まった一連の事件の全貌だ。
そしてそれに連なるように発生した『白祇重工』との利権争いの噂。
どれもニュースやらインターノットの記事やらスレッドでのみの情報でしか知ることのなかったものだが……どうにもリンちゃんら『パエトーン』はこれらの事件の裏に潜む何かを追っているらしかった。
その調査の過程で浮上したのが『サクリファイス』という単語。
それは奇しくも先ほどの資料に記載されていたもの同じだった。
……リンちゃん達にまつわる核心的な部分は何やら誤魔化された感が否めないが、まぁその辺りは別に良いだろう。誰にだって言いたくないことの一つや二つはある。
俺に出来るのは、この兄妹が本当に困って助けを求めた時に手を貸してやることだ。
とにもかくにも、これらのことから導き出されるのは――。
「――ここで見聞きした話が裏で繋がっていた……? そこに『パエトーン』が居て? それが防衛軍絡みの事案になってると……」
なんだそりゃ、と思わず口にしてしまう。
考察を重ねれば重ねるほどその不可解さというか、状況のきな臭さに思考が深まっていく。
別に陰謀論者というわけではないが、それなりにそういった案件に関わったことのある身の上だ。
どうにもその辺りの嗅覚というか感覚が、頭の奥で常に『ヤバイ』と警鐘を鳴らしている。
『……偶然って思うには、ちょっと出来過ぎてる?』
「……ただの潜入任務だと思っていたら、とんだ爆弾が隠れていたなこりゃ」
しかもよりにもよって防衛軍も一枚噛んでるときた。
それに加えて『白祓重工』なんて健全な企業まで巻き込まれてる状況だ。十中八九『TOPS』のやばい奴らも関係してることだろう。
……まぁこんなことしてばっかの世界がそもそもクソッタレなわけだが。
何より、そう。これはリンちゃんにも伝えてないことだが、個人的に気になることがある。
先ほど閲覧した資料、斬撃と電熱で完全に消滅させた資料の一節。
正直、口にするべきかもわからない。
だが果たして無視して良いものなのかも俺には判断がつかない。
これまでの話を聞けば聞くほど、きな臭さだけが降り積もっていくばかりなのだ。
防衛軍の倫理観は相変わらずで、11号みたいな兵士がいるというのに肝心の上層部は何一つ変わっちゃいない。
それなのに、こんなものを見つけてしまったらこんな邪推だってしたくもなる。
パエトーンが見つけた資料の中に――『soldier11』という記載を見つけたとなれば。
「……『11』って……流石に笑えないぞ、これ……」
『……もしかして何かに気づいたのコーバス』
「あ、いや別に。余計な勘繰りの域を出ないからなんとも」
『本当に?』
本当に、何か特別な何かがあったわけじゃない。11号の任務の進展があるわけでもなければ俺の
だが、何か引っかかる。
何かこう、かなり大きなとっかかりを掴んでるような、そんな確信に近いなにか。
それがどうにも曖昧だから、こうして迷ってしまっている。
「――――エアリス」
静かにその名を告げた。
この膨大な紙束を持ち歩くわけにもいかない。
だからこそ、これから行うのはちょっとした賭けだ。
周囲には放棄され乱雑に捨て置かれた廃棄品の数々の中に埋もれるPC群が。
幸いと言うべきかそうでないのか、侵蝕の影響を受けつつもまだ原型を残しエーテル結晶に還るような事態にはなっていない。
重要なのは、その中身だ。
……侵蝕の影響を少なからず受けてるこの施設で、果たしてどれだけの成果が期待できるかわかったものじゃない。
残ったものをかき集めたところで、精々
だがそれでもやらないよりはマシだとエアリスに次の指示を出そうと口を開いた。
「――伏せろ、パエトーン!」
『え』
瞬間――轟音と視界が熱く、紅蓮に染まった。
◇
「ここが実験場……の、筈なのだけれど」
あらかじめプロキシが残したデータを頼りに11号が辿り着いたそこは、円状に広がる鉄の広場とも言うべき場所だった。
基地内に残ったなけなしの電力を振り絞っているのか、薄弱な点滅をゆっくりと繰り返す無数の赤い電灯。
放棄されて久しい故だろう、所々に発生しているエーテル結晶は赤い光に混じってぼんやりと彼女を赤の混じった紫紺が照す。
観察し記録を行うためのガラス張りの回廊も相まって、円状に広がる鉄の冷ややかさを放つそこはいっそ無機質な舞台上じみていた。
「……おかしい、やはり静かすぎる……ここで何があったというの」
なんの変哲もなかった道のりゆえか、息一つ乱していない11号がそう呟く。
潜入先のど真ん中で、歩行すらはばかられる息苦しい静寂の中で11号も静かに呟く。
ただ人の気配が感じられないだけなら彼女もこうはならない。それごエーテリアスであれ、警備用の知能機械であれ、それらが立ち塞がるのであれば破壊し任務を続行するだけのこと。
だが――。
「――どうして、どこにも正規軍がいないの」
この道中、
広大な実験に吸い込まれた風が唸る。
脈動するように円状に伸びる壁を伝いながら淡く光るエーテル結晶は、何かを嚥下する喉元のよう。
まるで罠にかかる獣を待ち受けるような、そんな冷徹さを11号はこの基地から感じ取る。
「……『コーバス』、応答を――」
引き連れ、プロキシを伴って別行動をとった相方に通信を試みようとイヤホンに手を当てた、その直後だった。
11号の命令を忠実に護り、静かに襟の中で身を潜めていたボンプのサラが彼女の頬を引っ張りだしたのは。
「……この音は?」
『ンナ! ンナンナ!(上に熱源! でっかいの来るよ!)』
地鳴りが大気に伝播する。
それは次第に大きく強く、実験場に散っていた施設の残骸やエーテル結晶を不気味に躍らせながらその気配を強めてくる。
そして薄弱な光が闇すら霞ませる暗中に――彼女の立つ実験場を真上から押しつぶすような巨大な影が舞い降りた。
『ンナナ!(避けて!)』
声に従って背後へ跳躍し鉈を抜刀する11号。
直後、鋼と鋼が打ち合う甲高い音がその不気味な静寂を突き破った。
「っ――――!」
刃を腰溜めに構えその『敵』を見据える。
轟音と共に現れたソレは――武骨な岩をそのまま切り出したかのような鋼の巨躯だった。
音の存在すら許さなかった実験場に、三条に光る紅蓮の軌跡が背部のスラスターより力強く火を噴いてる。
構えられた拳には指が無く、火器らしきものも存在しない。
まるで戦車のキャタピラ部分をそのまま持ってきたかのような重さと質量の存在を感じさせるそれらは、明らかに強烈な一撃による対象の撲殺を目的としていることを否が応でも理解させられた。
そのいっそ暴力的とすら言える地鳴りの正体。
まさに反乱軍が件の実験兵器である重量級自立戦術ユニット『テューポーン・チャレンジャー』そのものであった。
そして、事態は強襲のみに留まらない。
『――くくくく、あーはっははははははは!』
一瞬だけ奔ったノイズより、嘲笑が11号のイヤホンを通じて零れ出る。
吐き出される笑い声は正常ではない。
電波越しでもわかる、陽気な筈のソレの奥に隠れたものは彼女の意識を『潜入』から『戦闘』へと切り替えるには十分なもの。
疑念に対する確信。その過程に至るまでの疑問。
その声の主を、彼女が忘れる筈もない。
「この声は……どうして『モグラさん』がこの通信を?」
この場で聞こえる筈のない声が11号を嘲笑う。
こみ上げる喜悦とも憎悪ともつかない激情がいっそ下品なほど彼女の耳を刻み、その端正な顔が不快げに歪められていた。
そして音声に集中していた耳が次に捉えたものは、尋常ではない数より発生する足音だった。
『――いたぞ、まだ撃つなよ』
「……尋常ではない兵士の数……これはいったい?」
変化はそれだけに留まらない。
『テュポーン』の登場を合図としていたのだろうタイミングで、開けた実験場を包囲するように展開している武装した反乱軍の兵士が一糸乱れぬ隊列を作って11号に銃口を向けている。
前方には巨大な人型重戦車。
実験場の上段を陣取って包囲するのは無数の火器で武装した歩兵。
そして駄目押しとばかりに姿を見せずに登場した『モグラさん』の存在。
ある種の確信が彼女の中で芽生えるのは必定だった。
『すまんな、軍人さん……別になにか面白くて笑ったわけじゃないんだ――どうにも、この怒りを言葉に出来なくてね』
通信のチャンネルを切り替えようにもイヤホンの操作部を弄り回すが、一向にその一方的な通信が途切れることはない。
まるでそこで黙って聞いていろと言わんばかりの状況に11号は密かに歯噛みして、冷静に次の言葉を紡いだ。
「『モグラさん』……確か今回の指令は実験兵器の資料の奪取を目的とした作戦の筈です」
『わかりきったことを聞くなよ軍人さん……否――ペテン師どもめ!!』
「……なるほど、そういうこと」
秘密への接触の代償が、強襲という形で払われようとしていた。